すみだ水族館

ペンギンに餌をやる飼育員さんたち


 我が第三の人生は(残念ながら)まだ本格化していないので、この時とばかりに退職者の特権を味わっている。今日は、午後から事務所に行くことになっている。だから、午前中はフリーだ。そこで、数日前に、「アソビュー!」から来たメールを思い出した。これは、いわゆるチケットサイトで、私はこれまでモーターショーなどのチケットを数枚、購入したことがある。そのおかげで、ポイントが貯まっているが、それを使わないと、数日内に失効するというのである。

 そこで、そのポイントが何に使えるかと思ってサイトを眺めてみた。もちろん色々な施設の入場券なのだけど、その中に「すみだ水族館」というのがあった。これは、我が家から30分程度だし、スカイツリーの建物の中にあるから、できたばかりの8年前に2回行ったことがある。そのときは入場料が確か2000円くらいで、展示の数の割には高いなと感じたことがある。それ以来、行っていない。たぶんこの価格は、東京スカイツリーにやってくる一見さんに対する値付けだと思われる。

 その後、展示内容が変わったかもしれないから、また行ってみるかと思って、このサイトから申し込んでみた。すると、やはり同じような値段だったが、ポイント数の範囲内であったから、それを使って購入できてしまった。こんなに簡単なものなのか・・・閑散期のサービスかもしれないと思って、そのまま放置しておいたのだが、今回、iPhone上にその電子チケットを表示してみた。どうやら、使えそうだ・・・というわけで、カメラを担いで行ってみることにした。

すみだ水族館入り口


 「すみだ水族館」の公式サイトを見て、営業時間を確かめ、「乗換案内」のアプリで行き方を調べる。千代田線の北千住で東武線に乗り換えて、「とうきょうスカイツリー駅」で降りると良いらしい。朝のラッシュとは反対側なので、千代田線の車内はガラガラ、東武線は混むかと思ったら、区間急行浅草行き、つまりこの区間は鈍行だから、これまたガラガラだ。乗っている人達もあくせくする風もなくて、実にゆったりとしている。そういう様子を見て、今まで私が過ごしてきた世界は何なんだという気がする。東京に、二つの世界が重複して存在するかのようだ。

すみだ水族館のチケット、右は入場前、左に入場済みのスタンプ


ミズクラゲ


クラゲのシーネットル。猛毒


 すみだ水族館に着いた。入口で、係員にiPhoneのチケットを見せたら、ひょいひょいと操作してくれて、iPhone上のチケットに入場済みのスタンプが押された。平日朝一番だから、ほとんど人がいない。おかげで、カメラを構えて、ゆっくりと同じ水槽の前に居られる。まずは、ミズクラゲ。白い体を水の流れに合わせて、ふわふわと漂う。隣にいた女性たちから、「わあ、癒される」という声が上がる。癒されるかどうかはともかく、確かに、見ていて飽きない。身体を伸び縮みさせているから、てっきりプランクトンを食べているのかと思ったら、そうではなかった。持っている毒で獲物を刺し、弱らせて捕食する肉食のようだ。見かけによらない。隣に、身体に黄色い筋のあるパシフィック・シー・ネットルが浮かんでいた。これは、猛毒を持っている。

ハナカサゴ


ベラの一種か?


アナゴ


ナポレオン・フィッシュ


目の大きな赤色の魚


ヒブダイ


 ピンクのハナカサゴだ。まるで花魁道中のようであるが、昔々に父と海釣りに行ったとき、これに刺されると大変だと聞いたことがある。サンゴの水槽が3つあった。手前が小型の熱帯魚、真ん中がアナゴ、奥の水槽が大型の熱帯魚だ。小型の魚は、身体が小さい上に、動きが速いから焦点を合わせにくくて、なかなかカメラで捕捉できない。それに、反射光が写り込んで、上手くいかない。次のアナゴは・・・砂から身体を出して、なかなか可愛い。しかし、何しろ小さいから、マクロレンズでもあれば別だが、写真は上手には撮れない。奥の水槽のナポレオン・フィッシュ(メガネモチノウオ)は、大型で堂々としているから、私好みの大型熱帯魚だ。ところがこの魚、意外と臆病で、いきなりカメラを向けるとそのレンズが大型の魚と目と勘違いするのか逃げて行くので、まずはしばらく顔を合わせる。しかる後に、徐々にカメラのレンズを見せ、慣れさせてから撮ると、うまくいく。沖縄で市場に行くと、この魚を売っていた。全身青い色の魚だから、私なぞ、全く食欲がわかないが、現地の人は美味しいと言っていた。その他、目の大きな赤色の魚がいるし、まるで笑っているような魚(ヒブダイ)もいる。見ていて飽きない。

人懐こいペンギン


突き出した陸地にいるペンギン


餌やり


 それから下の階に行くと、いよいよ「ペンギンの水槽」だ。向かって左手の所に突き出した陸地が作ってあり、そこから海を模したプールがある。私が行った時は、ほとんどのペンギンが陸地にいて、プールにいたのは、ほんの数羽だったが、女性飼育員が3人出てきて、「さあーっ。みんな朝ご飯だよ。」と叫ぶと、次々にプールに飛び込んだ。こちらの観客席側にいた飼育員さんによると、「いつも、ご飯前には、こうやって飛び込む。」のだそうだ。逆ではないかと思うのだけど、自然の中に生活するときは、もちろんこうやって飛び込んで、海の中に潜って魚を採るのだから、反射的な行動なのかもしれない。

餌やり


どういう餌を何匹あげたのかを判別し、記録している


 プールから陸地に上がってきたペンギンたちに、女性飼育員さんたちが餌(魚)をあげ始めた。「マカロン、ビタミン1匹」「いちご、同じく2匹」などとやっている。驚くことに、個々のペンギンの顔を記憶していて、どのペンギンにどういう餌を何匹あげたのかを判別し、記録しているようなのである。マカロンといちごは名前、ビタミンはビタミン入りの餌の魚という意味らしい。ペンギンの肩には色付きの識別票はあるが、飼育員さんに聞くと、「ペンギンの顔は、全て覚えています。」とのこと。そして、手元の記録と対比して、餌をあげ足りないペンギンを皆で探し、「今、プールで泳いでいます。」とか何とかやっている。つまり、やり残しのないように、詳しく管理しているのだ。これこそ、プロフェッショナルの技だ。子育てに手を抜いている人間の親がいたとしたら、見習ってほしいほどだ。

琉金


丹頂


 その隣には、「江戸リウム」という金魚コーナーがあって、和金、丹頂、琉金、蘭鋳、出目金、コメットなどが展示されている。金魚の系統図があり、中国鮒が突然変異を起こして赤い和金となり、そこから次々に突然変異を起こして、遂には琉金に至る過程が図になって示されていた。金魚というのは、遺伝子が四倍体のため、変異を起こしやすいそうだ。その中から選別して育てたものが、今のような多様な種類となった。その代わり、すぐに先祖返りをしてしまうため、いつも管理していないとだめだという。

東京大水槽


 2階分を貫く「東京大水槽」があって、底からブクブクと泡が出ており、その周りを魚が巻くように泳いでいる。見事なのだが、全体に暗くて、しかも遠目なので写真を撮るのはなかなか難しい。あとは、ペンギン水槽の裏にオットセイがいたが、これまた暗い中を高速で泳ぐし、だいたい身体が真っ黒なので、これも写真を撮る気が失せてくる。ただ、狭い所に押し込められている感がなきにしもあらずで、いささか可哀想になる。

 というわけで、短い散歩は終わった。ペンギン水槽の脇で昼食代わりに何か食べようとしたら、食べられるものといえば、「カメロンパン」つまりメロンパンに亀さんの頭、手足を付けたものしかない。それを紅茶で流し込んだ。甘くて閉口した。同じ長テーブルに、1歳を過ぎたくらいの男の子を連れたお父さんがいる。甲斐甲斐しくお世話をしている。見たところ、お母さんと育児休暇を交代したばかりのようで、ぎこちない。「ほら、お母さんが作ったお握りだよ。美味しいね。」と子供に語りかけるのだけれど、子供は無視して、「やだーっ、やだーっ。」と叫ぶ。親の心、子知らず。可哀想にお父さん、どうして良いか分からずに呆然としている。わかるなぁ、その気持ち。娘からいきなり4歳のやんちゃな男の子を預けられて、はて、どうしたものかと戸惑った自分の経験からして、よくわかる。まあ、これも人生、つまりは運命、ただただ「頑張ってほしい。」としか、言いようがない。






 すみだ水族館(写 真)






(2020年 1月21日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:00 | - | - | - |
大道芸・さいたま新都心

中国雑技芸術団


 2020年(令和2年)の年が開けた。「2」が続くので、覚えやすい。だから、令和から西暦を計算するには「2018」を足す、逆に西暦から令和は同じく「2018」を差し引く、これも簡単だ。18と覚えればよい。昭和と西暦は、25だった。終戦の年である昭和20年が1945年なので、これもわかりやすい。ところが、平成は途中で西暦2000年をまたいでしまったから、ややこしくなった。「平成12年が2000年なので、それまでは88、それを越すと12を差し引くと西暦、ではその逆は・・・ああ、面倒だ。スマホの換算アプリを使おう。」となってしまう。

 ところで、正月休みを除いて新年最初の三連休だ。何か催し物はないかと思って調べると、東京ドームで「ふるさと祭り」が開催中だ。私は、平成23年に見に行った。えーっと、2011年か。今から9年も前のことだ。そのとき見たのは、秋田の竿燈、高知よさこい「ほにや」、盛岡のさんさ踊り、飯田燈籠山だった。日本各地にこんな面白いお祭りがあるなんてと、実に感激した。感激が高じて、秋田の竿燈、青森のねぶた祭り、仙台七夕祭りなどの東北三大祭りを実際に見に行ったほどだ。これが契機となり、それ以降、岸和田のだんじり祭り富山県八尾おわら風の盆などと、私のお祭り行脚が始まった。では今回の「ふるさと祭り」はといえば、高知よさこい「ほにや」がまた来てくれているが、二度目になる。仙台すずめ踊りか・・・日本橋で見たことがある。高円寺阿波踊りねぇ・・・これは、ご当地だから、何回か見たことがある。新居浜太鼓祭りと牛深ハイヤ祭り(天草)は見たことがないが、残念ながら全国的には、あまり知られていない。

 それとは別に、本日はもう一つ、「大道芸フェスティバル」が、さいたま新都心で開かれるという。私は埼玉方面には不案内なので、「埼玉県」に「新都心」なるものがあるとは、ついぞ知らなかった。これは何だとウィキペディアで調べてみると、「東京都区部以外で首都を補完し地域の中心となるべき都市として、閣議決定により再開発・土地区画整理事業が行われたもので、旧国鉄大宮操車場などが有効活用された」という。「JRさいたま新都心駅」という駅までできている。そこで、やっと思い出した。中央省庁の関東地方出先機関が、全部ここに集められているのだった。立川とともに、大震災などで都心が壊滅したような場合に、そのバックアップ機能を果たすところだ。では、一度は見て来ないといけない。そのついでに大道芸が面白ければ、見物して来ようと思った。

 上野駅から宇都宮線で、23分でさいたま新都心駅に着いた。京浜東北線だと、更に10分ほど余計にかかるようだが、23分というのは、首都圏の感覚では近い方だ。降りてみると、例の通り、パイプとガラスの建築ばかりだ。こんなにガラスが多くては、大地震が起こったら、ひとたまりもないと思うのだが、今度、どなたか建築家に会ったときに真っ先に聞いてみたいと思っている。

 南北に走るJRの線路を挟んで、西側には、さいたまスーパーアリーナ、けやき広場、サンクンプラザ、中央省庁合同庁舎があり、東側には、コクーン1・2・3と、大きなショッピングモールがあって、両者を自由通路が繋いでいる。NTTドコモや保険会社の高層ビルが建ち並ぶ人工的な空間だ。これは、相当なお金が投入されたと思われる。しかも、周りにはなんにもない。敢えて言えば、田圃の中に蜃気楼のようにフッと浮かぶ高層ビル群だ。

 そこのあちこちで、大道芸が開催されている。私は「中国雑技団」の演技を見たかったので、コクーン1に急いだ。実は私は、中国雑技の演技は、1985年に中国で、2009年に本厚木で、2018年に横浜中華街で、それぞれ見たことがあるし、そのほか高円寺でも何年か前の暑い盛りにやっていたような記憶がある。今回も、楽しみだ。


SUKE3&SYU


SUKE3&SYU


 現場に着くと、雑技団の前に「SUKE3&SYU」という二人が演技中だった。その説明によれば、「なんかイケメン!でもなんかおバカ。派手な技の数々と迫力満点のアクロバットをユーモラスにお届けします」とのこと。二人は大柄と小柄の人で、もちろん小柄の人が上に乗って、二人で、色々な力技に挑む。脚を絡み合わせて水平になる演技が素晴らしかった。今日は気温が10度くらいと寒いので、こうした身体を張った動きには不向きな日かもしれないが、よく頑張っていた。

中国雑技芸術団


中国雑技芸術団


中国雑技芸術団


 次は、いよいよ「中国雑技芸術団」だ。「驚愕の技の数々で圧倒的な光景を生み出す。中国四千年の歴史が誇る一大エンターテインメント」という。中国服を来たおじさんが司会を務め、いよいよ始まる。まず出てきたのは、一瞬で顔の仮面が変わる「変面」だ。何しろ、手が一瞬、顔の前を通っただけで、次から次へと顔のマスクが変わる。それも全部違うマスクなので、これは驚く。マスクのパターンが何十もあるのではないか。役者が観客席を回って、私からつい1メートルほどの所に来て、そして一瞬でマスクが変わったけれど、よく見ていたつもりだったが、どういう仕組みなのか、見当もつかなかった。最後にお面を脱いで、精悍な中年男性が素顔を見せてくれた。

中国雑技芸術団


中国雑技芸術団


中国雑技芸術団


中国雑技芸術団


 次の演技は、若い体操選手のような人。まず、観客の目の前で、前方1回宙返りを見せる。そして、中国雑技の定番である、椅子を積み上げていく技だ。これは、1985年に北京の劇場で見たことがある。椅子を一つ一つ積み上げ、もう8個に達した。これで終わるかと思いきや、最後の椅子をもらうと、それを斜めにし、その上で力技の演技を見せたので、観客のやんやの喝采を浴びていた。ああ、これで終わりか。30分があっという間に経ってしまった。

あっぱれ吉沢屋


あっぱれ吉沢屋


あっぱれ吉沢屋


 その次の大道芸は、「あっぱれ吉沢屋」。これが面白かった。「豪華絢爛な衣装で演じる和の雰囲気いっぱいのマジックショー。歌舞伎とマジックの不思議な融合で歌舞いて歌舞いて虜にいたします」という。確かに、歌舞伎の衣装を身に付けた男女のペアのパフォーマーが、マジックを演じる。歌舞伎だから、「見得をきる」ポーズをしたら、「あっぱれ」と叫べと観客にお願いする。観客も、最初はぎこちないが、次第に熱が入ってくると、それなりに大きな掛け声になって、盛り上がるという仕組みだ。なかなか上手い。マジックも、ハンカチを一枚を二枚にしたり、大きくしたりという小技から、小箱に入れた数個の提灯を一瞬で消すという中技、そして派手な色付きテープや何やらをどんどん繰り出す大技まで、カラフルかつ立体的で、なかなかよかった。

あっぱれ吉沢屋


あっぱれ吉沢屋


あっぱれ吉沢屋


あっぱれ吉沢屋


 それから、自由通路を渡ってさいたまスーパーアリーナの方へ向かった。途中、大道芸人「コバヤシ ユウジ」さんが演技中で「街角に立つクローズアップマジシャン、トランプからホラー系マジックまで、何が飛び出すかはお楽しみに」とのことだったが、人だかりがしていたし、トランプを操っているときで、しかもそれが小さくて見にくかったことから、次に向かった。

コバヤシ ユウジ


AYACHYGAL


 すると、「AYACHYGAL」が始まったばかりで、女性の歌、男性の演奏という組み合わせである。「ピアノとヴォーカルの本格的なシャンソンショー、愛と笑いと痛み、その他色々な感情を届ける音楽絵巻」とのこと。女性ヴォーカルは、艶のあるなかなか良い声で、これまた多くの見物人を集めていた。

Juggler Laby


 けやき広場で演じていたのは、「Juggler Laby」で、「ジャグリング個人部門の元日本チャンピオン」とのこと。玉を一つ、二つ、三つと使い分け、また棒を使って縦に落ちるようで、浮かんでくるように見せる技などで魅了した。

HARO


HARO


HARO屋


 その頃、にわか雨が降ってきた。ポツポツという程度で、大したものではないと思ったが、これは中止になるかもしれないと思い、やや疲れたこともあって帰ろうとしていた。その時、遠くから薄緑の不思議な大きなものが近づいてきた。「HARO」で、「風をはらみ、風を感じ、風を受ける。うつろう風の動きを印象的に心に残す。羽ばたき舞う美しき精」という。両脚別々に、高下駄どころか、人の身長ほどもある長い人工の足を付け、おそらく両手にも長い棒を付けてその先端にパステルカラーの若草色の緑を基調としたフワフワの衣を結び付け、それを身にまとって、ヒラヒラさせながら闊歩している。簡単に倒れてしまいそうだが、倒れずに歩く。それだけでも、これは凄い技だ。衣を翻して軽々と歩く姿は、確かに風が舞うようだ。素晴らしい。でも、どうやって投げ銭を貰うのだろうと思ったら、ちゃんと普通の人が、箱を持って彼の後を付いて回っていた。

nanisole


nanisole


 そうして驚くやら呆れるやらで、唖然としていると、今度はもっと奇っ怪なパフォーマーが現れた。やはり、長い人工の足を付けているのは同じだが、こちらは、両手が鳥の羽、顔の真ん中からは鳥のようなとんがった嘴(くちばし)が出て、しかも時々、「フガー、フガー」と鳴くという凝り様だ。「nanisole」で、名前からして「何、それ?」と、人を喰ったネーミングだ。「発明した道具の数々を身にまとい、頭から煙を噴き出しながら歩き回る不思議な存在。果たして見事羽ばたくことができるのか?」・・・うーむ、これには参った。コメントをしようがない。大道芸は、なかなか奥が深い。ということで、非日常的な一日が終わった。






 大道芸・さいたま新都心(写 真)






(2020年 1月12日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:07 | - | - | - |
第三の人生の始まり

根津神社


 私は、大学卒業して国家公務員となって40年間余りを過ごした。これを第一の人生とすると、それに引き続き裁判官となって6年間を務め上げ、今年の9月26日に定年退官した。これが第二の人生ということになる。

 退官後どうしたかというと、まず10月初めに、かねてから行ってみたかった南米ペルーのマチュピチュ遺跡とナスカの地上絵を見に行った。帰国してからの感想だが、まだ体力があるうちに行っておいて良かった。というのは、地球の裏側でそこにたどり着くだけで28時間もかかったし、着いてからも最高3,800mの標高のところを通ったり、マチュピチュ遺跡自体が2,400mの所にあって登り降りに体力をかなり使ったりしたからである。

 そして帰ってきてから、友人、同僚、先輩、後輩の皆様に連日連夜のご苦労さん会を開いていただいて、本当に感激した。その一方、挨拶状をしたためて、それをお世話になった方々に送った。これが届くと、私宛にかなりの数の皆さまから、メール、手紙、葉書が送られてくるようになり、いずれの方からも、心に残る暖かい言葉をかけていただいた。それに一つ一つ返信を書きながら、「いわばこれが人生の総決算で、要するに『華の時期』なのだな。」と感じるという至福の時間を過ごしたのである。

 その一方、体力を付けるため、一日12,000歩を歩こうと考え、息子にプレゼントしてもらったアイウォッチに従ってエクササイズの目標を設定し、朝、昼、晩と1回30分以上の散歩に出掛けた。私は谷根千地区なので、いくつかコースがある。(1)根津神社から千駄木方面、(2)旧藍染川跡の通称「へび道」から谷中の夕焼けだんだん方面、(3)東京大学赤門方面、(4)不忍池から上野公園方面である。どのコースも、歩いていて飽きることはない。おかげで、11月は連日、目標を達成した。

 その一方、雨風の強い日や寒い日には、地下鉄に乗り、(5)大手町駅又は二重橋前駅から東京駅にかけての地下を歩き、あるいは(6)日比谷駅から東銀座駅にかけての地下を歩くという裏技を発見した。そうして平日に地下鉄に乗っていると、ゆったりと座れて、それだけで幸福な気がする。電車に座って揺られてうつらうつらしていると、頭の中で落語か何かで聞いた「世の中に寝るより楽はなかりけり。浮世の馬鹿は起きて働け。」という声が聞こえる。そうか、私は「浮世の馬鹿」を46年もやって来たのかということを、つくづく実感する。

 そうやってのんびりしていたある日のこと、散歩の途中で突然、名古屋市長から電話が掛かってきた。「あいちトリエンナーレについての名古屋市の検証委員会の座長になってほしい。」という要請である。表現の自由で議論をよんでいる件だが、この委員会は主に名古屋市からの交付金を議論するそうだ。火中の栗を拾う感があるが、お困りのようだし、市長は私の高校の1期先輩なので、先輩の頼みは無下に断われない。直ぐに依頼を受けた。それからインターネットで色々と調べ始めた。すると、県と市の間でまあ様々なやり取りがあったようだ。表現の自由の関係で本まで出版されている。これは容易でないが、引き受けた以上、一生懸命にやるしかない。家内が横で見ていて、「あなたはやっぱり、ウチにいるような人ではないわね。」などという。

 自分でも「やはり、そうか。」と納得し、のんびりして社会貢献でもするかというこれまでの方針を急遽転換して、積極的に仕事をすることにした。つまりは、浮世の馬鹿に逆戻りだ。幸い、弁護士として登録が終わっているので、どこか法律事務所に所属すればよい。私は今まで様々な分野を取り扱ってきたので、なるべく大きな法律事務所にすれば、多方面の分野の事件を扱える。いわゆる四大事務所は、千代田線の駅だと、大手町駅か二重橋前駅だ。

 そのうちのとある事務所には先輩がいて、中の雰囲気も非常に良いと聞いているし、自宅からだとドア・ツー・ドアで15分で行ける。そこで、先輩を通じて所属させてほしいとお願いに行ったら、面接の結果、ありがたいことに、「結構です。歓迎します。」ということになり、年が明けた1月1日から、アンダーソン・毛利・友常法律事務所に所属することになった。私で、同事務所の日本人弁護士の数は、480人となるようだ。

 12月中ばに同事務所でクリスマス会があり、まだ所属してはいない私にも声をかけていただいた。すると、立食パーティーなので入れ代わり立ち代わりやって来られて、「あなたのあの判決は、良かった。」とか、「先生のご著書で勉強したことがある。」とか、「日米欧の特許裁判のシンポジウムの冒頭で英語でスピーチしたでしょう。」とか、あれやこれやと言っていただく同僚(となる)先生方がおられて、「人は良く見ているものだな」と思った。

 当面は、事務所の中で研修や勉強会の講師を引き受けて、なるべく早く皆さんに馴染むようにし、それから徐々に個別案件の相談に乗るつもりである。また、5月から6月にかけては、お話があれば社外取締役や社外監査役となって、できれば会社経営にも参画していきたいと思っている。かねてからやってみたいことである。もっとも、普段の余計なときには口を出さないようにし、会社のために本当に必要なときだけ、しっかり自分の見解を述べるというつもりである。そうでないと、お互いにやりにくいだろうと思う。

 これが、私の第三の人生の始まりである。身体と意欲が続く限り、積極的にやってみようと思っている。では、その次の第四の人生はどうなるかって? そんなこと、私に聞いてくれるな・・・正月早々、縁起でもないかもしれないが、敢えて言えば、文字通り、死んで夜空の星を構成する物質になっていることだろう。

根津神社








(2020年 1月 1日記)


カテゴリ:エッセイ | 00:00 | - | - | - |
タイ・ハートヤイへの旅

ワット・リム・ポーの涅槃仏


 東南アジアに滞在中、現地在住の友人一家がタイのハートヤイ(別名ハジャイ:Hat Yai)に行くという。「あそこは、タイの最深南部の中心だから、イスラム過激派のテロが危なくないのか。」と聞くと、一笑に付された。それどころか、食事が美味しいという。飛行機で行くから一緒に来ないかと誘われた。そういえば、ハートヤイには世界でも一、二を競う露天の涅槃仏があると聞く。一人ならあまり行きたくもない土地なので、今回の機会を逃すと、今後まず行かないだろうと思って、それではと、同行することにした。

空港には、現国王の肖像画があった


空港の売店


 エア・アジアを使った1時間の空の旅で、日程は2泊3日だ。もっとも、着くのが午後4時、帰るのが午後1時の飛行機なので、実質丸1日しか使えない。空港には、現国王の肖像画があった。ホテルは、今年の春にオープンしたばかりのW3というところにした。部屋が広くて内装や設備が新しいから、気持ちが良い。値段を聞くと、場所柄もあるだろうが、びっくりするほど安い。東京の5分の1だ。

レストラン「The Cottage」外観


レストラン「The Cottage」内部


 着いたその日は、皆で近くのレストラン「The Cottage」まで歩いて行った。西欧風の外観だが、出てくるものは中華料理そのものだ。ディープ・フライドの大きな魚にマンゴーや野菜などの千切りを載せてピーナッツとイカの薄切りを添えたプレートは、ピリッと辛い中にスルメイカのほのかな香りがして天下一品の味だ。それに豚の骨付き肉を濃口醤油で甘辛く煮たプレートも、これまた実に美味しい。その他、カイランという野菜の炒め物も、なかなかのものだった。

街中の電線


街中のこんがらがっている電線


 地図を見たら、そこからテスコという大規模スーパーまで、さほど遠くはないので、腹ごなしに歩いて行った。途中、トゥクトゥクというタイ特有の簡易タクシーに出会ったら、乗ろうというつもりだったが、出会わなかったので、結局、15分ほど歩いてテスコに着いた。到着してみると、ものすごく大きなスーパーだ。向こう側が、遥か彼方にある・・・もう、驚いたのなんのって・・・日本がバブル経済がはじけて以来30年間、ほとんど成長しなかったのに比べて、東南アジアでは、地方でもこれほどの経済的実力をつけてきたのかと、改めて思い知らされた瞬間である。値段も、日本と大差なくて、現地の人にとっては高いと思うのだけど、見ていると地元の人が次々に買っていく。それなりに豊かなのだろう。ただ、駐車場に目をやると、半分以上がモーターバイク用のスペースだ。まだまだ、車を販売する余地があると思われる。ところで、市内を歩くと、山のような電線の束が目に付く。これでは、停電や盗電のことを考えるとどの線がどこに繋がっているのか何が何だかわからないではないかと思うのだが、それで良いのだろうか。

街中の様子


街中の様子


 そこから、トゥクトゥクに乗って帰った。これは、小型トラックの荷台に向かい合って座る簡単なベンチシートを置いたものである。振り落とされるのではないかと心配になるし、万が一、事故にでも遭ったらひとたまりもないので、私はあまり乗りたくないのだが、この際は同一行動だから仕方がない。しかし、乗ってみると、私のイメージとはかなり違っていた。昔のトゥクトゥクは、小型三輪車に簡単なベンチシートを取り付けてポンポンポンというバイクのような音を立てて走る情けない乗り物だったが、現代のトゥクトゥクは、普通のしっかりした小型トラックをベースにしているので、かなり乗り心地が違う。ここでも、近頃のタイの実力を見直した。

トゥクトゥクのベンチシート


トゥクトゥクの前部


 翌日、私は寺院に興味があるので、一行とは別行動とし、ホテル経由でガイドを頼んだ。自家用車でやってきて、そのまま案内してくれるとのこと。すると、60歳ぐらいのマレー系の男性がトヨタ車に乗って現れた。ところが、英語ができるという触れ込みだったのにもかかわらず、片言レベルである。とても寺院の由来などを聞くことができない。そもそも、マレー人だから中国文化など関心の対象外だ。これは困ったと思ったが、由来などは後から調べるとして、せめて行先やら待ってもらう時間を決めなければならない。私は多少はマレー語ができるので、私は拙いマレー語を、ガイドは聞きにくい英単語を並べて会話する羽目になった。そうやってこのガイドのおじさんから聞き出した気の利いた情報は、ここハートヤイの民族構成で、シャム族45%、中国人30%、マレー人20%だそうだ。それぐらいである。しかもよりによってこの人が車を運転中に、携帯電話がよくかかってくる。お喋り好きらしく、それに一つ一つ出て長電話するという困った癖がある。運転に集中してほしいから、これはとても困るのだが、止めろと言って気を悪くしてもらってもいけないので、何ともならない。

ハートヤイ市営公園


ハートヤイ市営公園


ハートヤイ市営公園


ハートヤイ市営公園


 最初に連れていってもらったのは、ハートヤイ市営公園(Hat Yai Municipal Park)である。これは、市内を見下ろす小高い丘の上にある。まず車を下りて上り道を少しあがると、目の前にタイ式仏像の大きな立像がある。日本だと、白い大きな観音様の像が高崎や茅野など全国各地に建っているが、あのような像に近い。像の下の建物は観音堂で、まるで三国志に出てくるような武人の立像があったり、あるいは昔の中国に出てくる仙人のような像があったりで、日本の感覚では理解不能であるが、なんとなく中国人のエネルギーがほとばしっているような感がある。そのほか、大きな龍の口のような門を抜けると、そこには布袋さんのような巨像があったり、はたまた関羽のごとき巨像もあったりする。ますます理解不能の度が増すではないか。睡蓮の品の良い紫が美しい。

ハートヤイ市営公園


ハートヤイ市営公園


ハートヤイ市営公園


ハートヤイ市営公園


ハートヤイ市営公園


ハートヤイ市営公園


ハートヤイ市営公園


 そこから更に上ると、なんと、金ピカの仏様が青空の下にすっくりと立つ。おお、これが巨大仏像(Phra Phutthamongkol Maharat)である。この青と金の対比が何とも綺麗で、思わず見とれてしまった。そこからちょっと下ると、ハートヤイ市内を一望できる展望台がある。左手が市内の繁華街で、高層ビルが何棟も建っているのが見える。なるほど、この都市ハートヤイが、「小バンコク」と言われるだけのことはあると思った。妙なのは、展望台にディズニーの白雪姫と七人の小人の像があって、仏像と市内の眺めとのミスマッチを起こしていることだ。まあ、面白ければ、何でもよいのかもしれない。だいたい、許諾を受けているのだろうか?それにしても、ここは寺院のように思えるが、「市営公園」とは、これ如何に?全くの謎だ。そういえば、全体的にどういう哲学なのかさっぱり分からないが、ここはタイ、いつでもどこでもにこっと笑い、両手を合掌して済ませる。だから、そんなどうでも良いことを考えること自体が、野暮なのかも。帰り際に、菩提樹とその花と実を見つけた。以前、花を見かけたことがあるが、実は初めてだ。ソフトボール大で、こんなに大きなものとは知らなかった。

ハートヤイ市営公園


ハートヤイ市営公園


ハートヤイ市営公園


ハートヤイ市営公園の菩提樹とその花と実


ハートヤイ市営公園の菩提樹の花


 次に、ガイドのおじさんが盛んに「フェー、フェア、フェー、フェア」と繰り返すので何かと思ったら、「フェリー(ferry)」に今から乗るから、「乗船代(fare)」を払えということだった。頼むから、よりによって紛らわしい単語をしかも聞き取りにくい発音で一緒に言ってほしくないものだ。ちなみに、そのフェリー乗り場の横に海軍の艦艇がたくさん碇泊していた。海軍基地らしい。

サミラビーチの猫と鼠の像


サミラビーチ


サミラビーチの人魚姫の像


 そうやってソンクラー県の中でもハートヤイの北方に向けて連れていかれたのが、タイ湾に臨むサミラビーチ(Samila Beach)(注)である。白砂青松の砂浜が広がり、そこに凧揚げの子供達が走り回っている平和な海岸だ。沖合いに緑の濃い島が大小二つある。聞き違いでなければ、大きい方をネコ島、小さな方をネズミ島と言うらしい。猫と鼠の像まであったから、間違いないだろう。海岸の一角に人だかりがしている。何だろうと思ってそちらの方に向かって歩いていくと、少女の像があった。長い髪に手をやっているが、よく見ると下半身が魚だ!まるでコペンハーゲンの人魚姫の像みたいであるが、そのつもりなのかもしれない。もっとも、こちらの方が本物より大きいから笑ってしまう。

 その辺りのソンクラー湖畔のレストランで、シーフードの食事をした。なかなか趣のある建物だが、肝心の湖水は泥色で、清潔感に欠ける。しかし、レストラン自体にはそれなりの調理設備があるようだから、衛生は大丈夫だろうと信ずるほかない。ところが、持ってきてもらった料理の味付けは辛さだけが先に立ち、残念ながらタイ料理らしい「ふくよかな」フレーバーが感じられない。お昼ご飯だから、清潔でさえあれば、こんなもので許すしかない。

雑貨屋の店頭にあったおもちゃの恐竜


 そこを出て、地元のマーケットに立ち寄った。まあ、色んなものが売られている。グッチ(GUCCI)のTシャツが大量にあり、なかなかデザインが良い。手に取ると中国製とある。これは偽物か、それとも本物か?食べ物も何でもあり、私の好きな「マンゴーと餅米」の組合せがあった。これがちゃんとしたレストランなら、食べたいところだ。次に、とある雑貨屋の店頭に立った。すると、そこにあったおもちゃの恐竜が、実に良く出来ていた。

涅槃仏のワット・リム・ポー


涅槃仏のワット・リム・ポー


涅槃仏のワット・リム・ポー


涅槃仏のワット・リム・ポー


 そこから近いところに、いよいよ涅槃仏のワット・リム・ポー(Wat Laem Pho)がある。寺域に入ると、直ぐ左手にあった・・・あった。目指す涅槃仏が。真っ青な空の下に、金ピカの仏様が横たわっている。お身体が極めて長い。お顔は、タイの仏像一般がどちらかと言うと無表情に近いのに対して、こちらは、やさしく微笑みを浮かべているように見える。そのお顔を眺めるために場所を移動すると、顔の感じが変わっていく。なるほど、よく出来ている。横たわった両足の裏まで行くと、そこにはたくさんの仏像らしき文様が数多く彫られていた。そのほか、このワット・リム・ポーには、その他数多くの仏像があったが、青空の下にある金色の涅槃仏から受けた強烈な印象ほど、記憶に残るものはなかった。この他、山奥の寺院(Phra Maha Chedi Tripob Trimongkol)にも行きたかったが、集合時間が迫っているので、また次回の楽しみとなった。

涅槃仏のワット・リム・ポー


涅槃仏のワット・リム・ポー


涅槃仏のワット・リム・ポー


 ところで、W3ホテルのロビーでガイドの車を待っているとき、ある華人女性が、受付に、壊れたシャンプーの瓶をプラスチック袋に入れて持ってきて、何事か訴えている。大声なので、聞こうとしなくとも耳に入る、それによると、「このシャンプーの瓶は、口がしっかり閉まっていなかったので、私が持った時に落ちて割れた。これは、ルームサービスがいい加減だったからで、私の責任ではない。」という。ちなみにこのシャンプーの瓶は、上を押すとシャンプーが出てくる金具の口があり、それが丸い陶器の瓶に載っていて、その金具を持った時に陶器の瓶が落ちて割れたらしい。すると受付女性は、「あなたには、400バーツ(1450円)を払ってもらいます。」とピシャリと言う。その華人女性は、「それは心外だ。少なくとも責任の半分は、ルームサービスにある。私は、半分しか払わない。」と反論する。しばしのやり取りの後、閉口した受付女性が、「それでは、マネージャーに聞いて来ます。」と言って、壁の向こうに消えた。

 ややあって、50歳ぐらいのおばさんを連れてきた。その人は、華人女性の話を聞いた後、「わかりました。では、ゼロにしましょう。支払う必要はありません。できれば、これに懲りずに、また来て下さい。」と、泣かせることを言う。華人女性は、その人と握手し、喜んで帰って行った。そのおばさんは、ホテルの制服を着ていなかったので、私と目が合ったときに、私が「あなたは、このホテルのオーナーか?」と聞いたら、やはりそうだった。「今のやり取りを聞いていたけど、なかなかのものだった。」と誉めると、「わざわざ壊れたシャンプーの瓶を持ってきてくれたのだから、正直なお客さんです。これで嫌な思いをせずにまた来て貰えたら有難いし、元が取れる。」というので、さすが商売上手の中国人だと感心してしまった。私が「この商売は、どうですか?」と聞くと、「まだ7ヶ月目だから何とも言えないが、今月に入ってからようやく手応えを感ずるようになった。」という。また私が「ホテル名の『W3』とはどういう意味か?」と尋ねると、「Wは私のミドルネーム、3は、ここが3番通りだから。」というので、笑ってしまった。

3Dミュージアム


3Dミュージアム


3Dミュージアムのマジック・ショー


 さて、皆が集合してから、「3Dミュージアム」(Magic EYE 3D Museum)なるものを見に行った。モナリザ、アインシュタインの顔、恐竜、パンダなど色々とあったが、3D自体を本当に楽しむなら専用のアプリを入れる必要があるし、入れたところでまるで子供だましのごとくである。それより、併設の「ブラック・マジック・ショー」が面白かった。マジシャンが女性を横たわせて細長い箱に入れ、身体の中心部に二枚の板で区切りを挿入して二つに分離する。それを回して見せると、確かに両足の部分が分離している。ところがまたそれらを連結してみせると、何事もなかったように、女性を立ち上がったではないか。観客が大きな拍手を送る。次の場面では、同じく女性を横たわせて、宙に高く浮かせる。上からも下からも紐や支えがないことを見せるために、金属の輪を女性の身体に通す。そして、高く上げた後、徐々に高さを下げていき、腰の高さで女性を自然に立ち上がらせた。これも、見事な技である。どういう仕掛けなのか、さっぱりわからない。そうかと思うと、女性とマジシャン本人がカーテンの中に入って、それをユラユラと揺らす。カーテンが落ちたと思ったらそこには誰もいなくて、本人が遥か遠くの観客席の後ろから出てきたので、これには唖然とした。

 幕間にピエロが出てきて、軽妙な輪投げをする。観客を指名して、それに向かって輪を投げ、投げ返される輪を頭で受ける。上手いものだ。観客の一人に舞台に上がってもらう。一人といっても、わずか3歳くらいの女の子だ。なかなか勇気がある。ピエロがその女の子の両手に細い棒を一本ずつ持たせる。あれ、女の子の様子がおかしい。目が据わってきた。舞台に上がったのはいいが、どうしてよいかわからなくなって「固まって」しまったらしい。ピエロからはその様子が見えないので、皿回しをやって、その皿を女の子の持つ棒に乗せる。ところが棒がだんだん傾いてきて、皿が転がり落ちる。ピエロが大袈裟な身振りでそれを拾って乗せるものだから、観客は爆笑の渦に見舞われた。その子のお母さんも、一喜一憂しながら、可笑しくて涙まで出てくる始末。最後は、女の子がようやく両手の棒を垂直に構えることが出来て、目出度く両手の皿回しが完成したので、やんやの喝采を浴びていた。

 夜は皆で、中国語のネオンサインが輝く中華街に行った、渋滞する狭い道の両脇に屋台が並び、老若男女、子連れ家族、カップル、色々な人種がのんびりとそぞろ歩いている平和な風景である。これこそ、ハートヤイの誇る繁華街だ。大手デパートがあった。その入り口にセキュリティ・チェックがあり、ガードマンがお客さんの荷物の中を覗いている。たった一人なので、真面目にやっているとは、とても思えない。形だけなのかもしれない。その中の大きな中華レストランに入り、丸テーブルを囲んでワイワイガヤガヤと食事をした。満腹になって出てくると、おやおや、「京ロール」の店があるではないか。甘いものは別腹とばかり、店がお勧めの抹茶アイスクリームに小豆その他何やかやと乗ったデザートを頼んだ。それが出来上がって、お金を支払おうとして財布を取り出した瞬間、注意が逸れてアイスクリームの容器が傾き、何とまあ、その「何やかや」が床に落ちてしまった。店員さんは慣れたもので、再度それらをアイスクリームに載せてくれて、しかも床を丁寧に拭いてくれた。これは感心で、お礼を言って出てきた。

 通りに出て歩くと、そこには夜店が歩道一杯に立ち並び、その中をイカを焼く香りや食べ物の匂いが渾然一体となり、そこへ呼び込みの声、群衆の雑踏のざわつきなど、まるで日本の神社の縁日のようである。こんなことを一年中やっているとは、華僑の皆さんのエネルギーには感心するばかりだ。私はスリに遭わないように、左ポケットにパスポート、財布、アイフォンをまとめて入れて、それを左手で押えながら歩いて行った。すると、通行人の中には、通りかかった小さなトゥクトゥクを停めて、値段交渉をやっている中国人家族がいた、話がまとまり、順番にトゥクトゥクに乗り込んでいく。それがまあ、あの小さな車体に、お爺さんお婆さん、お父さんお母さん、太った若者3人から若い娘2人まで、計9人も乗り込んで出発したのには驚嘆した。

 いやまあ、非常にユニークで面白い旅だった。それにしても、世界は広い。これだから、外国の旅は止められない。体力と気力が続くまで、世界各地を駆け巡りたい。




(注) サミラビーチに関する海外安全情報

 帰国してから、タイの日本大使館の海外安全情報の対象に、サミラビーチがあった。昨2018年12月27日付けのものである。あんなに平和に見えても、危なかったのか・・・。

   ソンクラー県サミラビーチにおける爆発事案

 報道によると、26日夜(現時時間)、タイ南部ソンクラー県の観光地サミラビーチにおいて、2度にわたり爆発事案が発生しました。現場では更に3個の爆弾が発見されたとの情報もあります。現時点では、負傷者は報告されておりませんが、犯行目的等、詳細は明らかになっておらず、警戒が必要です。

 つきましては、不測の事態に巻き込まれないよう最新の関連情報の入手に努め、また、不特定多数が集まる場所を訪れる際には、周囲の状況に注意を払い、不審な状況を察知したら、速やかにその場を離れるなど安全確保に十分注意して下さい。








 ハートヤイへの旅( 写 真 )





(2020年 1月 1日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:50 | - | - | - |
骨折手術後金属片取出し

取り出された金属プレート


 ちょうど1年前に左手首に怪我をして(左橈骨遠端位骨折)、治療のために金属プレートが埋め込んである。この間、順調に治ってきたので、それを取り出す手術をすることになった。正式には、「左橈骨遠端位骨折術後抜釘」というらしい。

 そもそも、なぜ怪我をしたかというと、風呂場の僅かな水たまりにスリップして床に落ちたからだが、その時に左手首を柔道の受け身のように「順手」で床につけば何の問題もなかったものを、咄嗟に「逆手」でついてしまったことによる。よく、雪国の人が雪で転んでこの形の骨折をするそうだが、まさか風呂場で起こるとは思わなかった。

 その「逆手」で床についたことで、左手首の外側の骨に楔形の切れ込みが入ってしまった。これでは長い間、左手を動かすことができないので、その折れた部分の反対側の左手首の内側に、小さな手の形をした金属プレート(チタン製)を埋め込んで支えようというのが、前回受けた手術である。そのおかげで、12月に怪我をしたのに、もう翌年の4月初めからテニスを再開した。もう少し正確に言うと、医者は「テニスをするには少なくとも6ヶ月は間を置かなきゃ。」と言っていたのに、「私のテニスはバックも含めて全て右手一本でやっているから大丈夫」と思って、4ヶ月後から勝手に再開した。

 以上のようなことで、今回は埋め込んだ金属プレートを取り出す手術をしたというわけである。木曜日に入院して金曜日の午前中に手術を受け、翌土曜日の朝に退院した。ただ、健康体だから、身体測定しても、体温は36.8度、血圧は上が113、下が74と、別に異常値ではない。もっとも、手術直後の夕刻には、体温は37.0度、血圧は上が134、下が98と、かなり上がっていたが、寝る前には平常に戻っていた。

病室からの眺め


 手術前日には、家内と話したり、担当の看護師さん(2年目、埼玉出身)と四方山話をしたり、iPadで先週の京都・滋賀へ紅葉の旅の顛末を書いていたりと、のんびりと過ごした。ちなみにその手術を受けた病院が、今年5月に、新設したビルへと移転した。だから今回はその新設ビルに入院したことから、入院環境が大きく変わった。まずは、個室がビジネスホテル並みに大きくて綺麗になった。眺めもよい。シャワーも部屋にある。お値段は、一日約3万円だが、同室者のいびきなどに悩まされるというようなことはないから、それなりのことはある。

病室の様子


 さて、手術の当日、手術着が届けられた。それを着て、家内に見送られて歩きで手術室に向かった。手術室のフロアも、廊下が広くて清々としている。ただ、手術用のエレベーターの速度が遅くて、長く待たないといけない。この点は、旧病院の悪い所を受け継いでいる。

 今回は全身麻酔はせず、左手の部分麻酔だから、何が行われているかがよくわかる。それどころか、手術医とのやり取りで進められる。超音波で神経の構造を見つつ、左腕の内側根元に麻酔液を注射していく。即効性と遅効性の薬を半々に混ぜ合わたものだ。指先のどの部分が痺れるかを確認しながら、「はい、2cc、逆流ありませんか。」「はい、なーし。」などと、徐々に注入していく。それが全て終わると、先生たちはいったん引き上げ、しばらくして私の左手の感覚がなくなった。

金属プレートを取り出す前の患部


 前回に切開した縦の5ないし6cmほどの傷跡(上の写真)をなぞって切り開き、埋まっている金属プレートと10本のネジを取り出すというものだ。手術が始まり、まず切開しているようだ。それからネジを回して一つ一つ取り出し、最後に金属プレートが出たようだ。少しも痛くはない。時々、右腕に装着された血圧計が作動して、腕を締め付ける。そのうち、切開された部分が閉じられたようで、「はい、終わりました。」との声でホッとする。

 今度は歩けないので車椅子に乗せられて部屋に帰ると、家内が安心した顔で迎えてくれた。お昼の12時を過ぎていたので、食事が届けられている。それを見た瞬間、朝食抜きだったのを思い出し、急にお腹が空いてきた。そこで、食べ始めたところ、全く普通に食べられたので、我ながら安心した。

 それにしても、病院食というのは、1食分の量が、これほど少ないとは思わなかった。大根サラダはほんの少し、カボチャの煮付けはたった一切れ、鶏の唐揚げはたった3個、それにご飯一杯だ。これらの中で、おかずは私が普段食べている量の半分だ。ただ、ご飯の量は家では130gと、この病院食の半杯だから、そこでカロリーを調整していたようだ。

 翌日朝、担当医がやってこられて、グルグル巻かれた患部の包帯を外してチェックしてくれた。前回と違って今回は縫ってあり、真ん中の縫い目の間の3箇所から血が滲み出ている。思ったほど痛くはない。昨晩、痛み止めのロキソニンを飲んで寝たが、それ以降は飲むほどではないので、飲まないままで過ごしている。

 そういうことで、無事に手術が終わって、自宅に帰っている。特に痛みはなく、体温、血圧とも正常に戻った。それにしても、切開された場所は、血管、神経、腱などをちゃんと避けている。まさに、プロフェッショナルの技だ。なお、今回の手術では、リハビリの必要はないので、助かる。

 退院までに、私の左手の埋め込まれていた金属プレートとネジ(冒頭の写真)が綺麗に洗って私の下に戻ってきた。いわば、「お土産」である。それを見ると、金属プレートの方はレントゲン写真で見慣れているので、「ああ、これか」という気がするだけだが、10本のネジは、こんなに長いものだったのかと驚く。いずれにせよ、これで1年間に及ぶ私のサイボーグ時代は終わった。下の写真は1週間後の姿で。抜糸は更にその1週間後を予定している。

金属プレートを取り出した患部


 この先、再生医療技術が進歩すると、こんな単純なものではなく、医者が「ああ、これは心臓が悪いからだ。それでは、全体を取り替えましょう。」などと言って、体外でiPS細胞を使って臓器培養してできた心臓で丸ごと取り替えたりする時代が来るかもしれない。腎臓、心臓、肝臓でそれが進むと、今は高々100歳の寿命が、120歳くらいになるかもしれない。面白い時代になったものだ。それまで、ボケないようにせいぜい頑張ることにしよう。

 ところで、入院した後にこの病院の差額ベッド代(消費税抜き)の表示を見たところ、次のようになっていた。

  特別個室 A 200,000円 (特別)
  特別個室 B 150,000円 (特別)
  特別個室 C 85,000円 (特別)
  特別個室 D 70,000円 (特別)
  個室(有料) 27,000円 (一般)
  4人床(有料)7,000円 (多床)
  4人床(無料) (多床)

 なるほど、私は個室(有料)だったのか。道理でビジネスホテル並みだったわけだ。すると、特別個室というのは、四つ星から五つ星ホテルに相当するものだろう。それにしても、特別個室 A というのは、どんなものだろうと思っていると、それが載っている病院の資料があった。それによると、部屋はスィートルームのように広々として常に笑顔を絶やさないコンシェルジュが控え、看護師さんも愛想よく、夕食は、(1)うなぎ、(2)ビーフステーキ、(3)海老チリソースの3つから選べるという。五つ星ホテル並みのつもりかもしれない。

 今回の私のように、健康体で、ちょっと切開して取り出すというのではなくて、怪我したばかりで痛くてかなわないという状況だと、鰻だろうがビフテキだろうが、ともかく何も食べたくない、コンシェルジュにも相談することもないというときには、まるっきり無駄で役に立たないのではなかろうか。だから、いささか妄想の類いだが、ここは永田町に近いということもあり、特にAは、「エレベーターが別になっていることだし、健康体なのだけれど、報道陣から逃れるために身を隠す」という使い方があるのかもしれない。

 それにしても、残るBとCとDの差は何か?たぶん、部屋の広さだろうが、コンシェルジュは付くのか、バスタブはあるのかなど、疑問は尽きない。いや、「疑問」ではなく単なる「興味」にすぎないが・・・。まあ、入院してみるとわかる話だが、なるべく入院せずに過ごしたいものである。ともかく、人生初の入院・手術を体験し、良い経験になった。





(2019年12月7日記)


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