梅と寒桜とメジロ

新宿御苑のメジロ"


1.亀戸天神の梅

 3月もそろそろ中旬に入ろうとする頃、久しぶりに快晴の土曜日となった。これはどこかで写真を撮って来なければと思い、家内を誘って亀戸天神に出かけた。梅が見頃と聞いたからだ。亀戸天神といえば藤の花だから、梅の木なんてあるのかと思ったが、いざ着いてみると、池の周囲と本殿の両脇に梅の木があってなかなか立派だった。


青い空に赤い鳥居が目立つ亀戸天神


ピンク色の枝垂れ梅越しに、欄干が赤い太鼓橋


 参道に入って行くと、青い空に赤い鳥居が目立つ。正面は丸い太鼓橋だが、紅白の梅に誘われて左手に進む。すると、ピンク色の枝垂れ梅越しに、欄干が赤い太鼓橋が見えるポイントがあった。ただ、梅の花があまりにばらついていることから、写真の構図としてはなかなかうまくいかないのが残念である。

本殿の両脇には、向かって右が紅梅、左手が白梅の大きな木


菅原道真公5才


 本殿の両脇には、向かって右が紅梅、左手が白梅の大きな木である。その本殿のバックには、東京スカイツリーがちょっと顔を覗かせている。まさに旧と新の組み合わせだから面白い。菅原道真公が僅か5才の頃、紅梅が美しいことから「美しや紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある」という一句を詠んだというから、ただ者ではない。文字通りの天才だったのだろう。

猿回し


 本殿の近くの舞台前では、猿回しのお兄さんが、元気な若いお猿さんとコンビを組んで、大道芸を披露していた。


2.清澄白河庭園の青鷺

 清澄白河庭園は、亀戸天神から比較的近いところにある。この庭園は、中心に大きな池があってそれを見るだけでも気分が清々するところである。しかし、それだけでなく、全国各地から集めてきた貴重な石を観て楽しむというのが「通」の過ごし方である。ただ私は、未だにそういう境地には至っていない。


中心に大きな池


 池の中には大きな鯉がいる。また、雁や鴨が飛んで来て、池に浮かんでいる。石の上には亀が甲羅干しをしている。実に長閑な風景だ。その中で、水辺に一羽の青鷺(アオサギ)が立ち尽くしており、その周辺にはどことなく緊張感が漂っていると思うのは、いささか考え過ぎなのかもしれない。

鴨


青鷺(アオサギ)


 池の裏手に行くと、背の高い木に、真っ赤な花がいっぱい咲いている。近づくと、ピンク色が濃い寒緋桜である。染井吉野の桜には2週間ほど早いので、今年初めての桜である。これは美しい。ただ、寒緋桜の桜は下向きに咲くので、どうも撮りにくい。露出をややプラスに補正して、何とか対応した。

ピンク色が濃い寒緋桜





3.神田明神のエドッコ


神田明神 随神門


神田明神 御神殿


 次の日は曇天だったが、神田明神まで出かけた。家内は久しぶりだったので、随神門と御神殿が格段に美しくなったと言っていた。随神門をくぐり、そのすぐ左手には、新しい建物があった。これは、3ヶ月前にオープンしたばかりの「エドッコ(EDOCCO)」と称する文化交流館だという。

神田明神 エドッコ(EDOCCO)


 コンセプトは「伝統と革新」で、神社らしい建築様式の建物ではあるが、現代アートの作品を展示したり、秋葉原が近いので土日にはメイドカフェやアイドルのイベントも開くというから、聞くだけでも頭が混乱しそうだ。


4.東京都庁の観光宣伝

 それから、東京都庁に行った。展望台に登って降りてきて、観光案内所を覗いて、面白いものを見つけた。正面に大きな縁起物の熊手が置いてあるが、それを真似たのか、東京の地区毎を紹介する「宝船」が飾ってある。それが実に良く出来ている。


中野区のコーナーでは高円寺の阿波踊りや仏像


台東区のコーナーでは浅草の雷門両国の相撲、上野公園のパンダなど


 例えば、東京の離れ島を紹介するコーナーでは、大島のアンコ椿のお姉さん、サーファー、小笠原諸島の熱帯の海にいる鯨、海亀、熱帯魚、ダイバー、温泉などが「飛び出す絵」のように立体的に作られている。中野区のコーナーでは高円寺の阿波踊りや仏像が、台東区のコーナーでは浅草の雷門両国の相撲、上野公園のパンダなどが描かれている。これには、感心してしまった。

新宿観光特使「ちびゴジラ」



 なお、東京都庁に行く道すがら、新宿住友ビルの壁面に、新宿観光特使「ちびゴジラ」という東宝のキャラクターが描かれている。昨年10月から今年3月までの期間限定ということだそうだ。今回は3回目で、前回は鉄腕アトム、前々回の初回は大人のゴジラの上半身だったそうだ。


5.新宿御苑の寒桜とメジロ

 新宿御苑は、桜の季節には必ず行って見ることをお勧めしたい。約1月にわたって、染井吉野だけでなく関山のような様々な八重桜がバトンリレーのように次々と咲き、実に見事なものである。それに比べて、本日は3月10日だから2週間ほど早いなと思いながら入園したところ、思わぬ光景に出会えた。意外にも、大きな桜の木が満開だったことだ。「寒桜」という。先程の清澄白河庭園で観た桜は「寒緋桜」で、あまりに赤色が強すぎたり花が下向きだったりして、桜というにはどうも認めかねるものだった。それに対してこの寒桜は、色もピンクで申し分ないし、とても華やかで良い。


寒桜



 それを愛でながらつくづく眺めていると、「チチチッ」という小さな声がしたと思ったら、数羽の小柄な鳥が飛んできて、盛んに花びらを啄ばみ始めた。体は黄緑色である。これはもしかしてメジロかと思って超望遠レンズをセットしてカメラを向けたところ、やはりそうだった。眼の周りが白いので、間違いない。しばらくその姿を撮らせてもらい、腕がだるくなるまで続けた。帰宅してパソコンで画像を見たところ、結構良く撮れていたので、大いに満足をした。これは良い休日だった。

寒桜を啄むメジロ


寒桜を啄むメジロ


 その他、この季節に新宿御苑で咲く花で普段はあまり見かけることのないものとして、木五倍子(きぶし)、三叉(みつまた)などがあった。三叉は、確かに一本の枝が三本に分かれて、その先にそれぞれ花を咲かせている。なるほど、名前の由来の通りである。

木五倍子(きぶし)


三叉(みつまた)








 梅と寒桜とメジロ( 写 真 )








(2019年3月10日記)


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カメラと写真の見本市

バービー人形カメラ




     目 次 

 1.ミラーレス一眼の大変革
 2.CP+2019の模様
 3.横浜をぶらっと散歩



1.ミラーレス一眼の大変革

 パシフィコ横浜で開催された「CP+(シーピープラス)2019」に行ってきた。これは、「カメラと写真映像のワールド・プレミア・ショー」というもので、そのHPによれば、「“スマホで十分”な方から、プロフォトグラファーまで。シーピープラスは“写真のある生活”を送るすべてのかたが、カメラと写真の楽しみ方をあらゆる角度で体感できる総合イベントです。目玉の製品展示をはじめとして、ためになるセミナーや楽しいイベント、参加型写真展や写真集販売、中古カメラやフォトアクセサリーの販売など、パシフィコ横浜と大さん橋ホールの2会場で、もりだくさんの4日間です。」という。


キヤノンEOS70Dとタムロンのレンズ


 私は、普段はAPSーC仕様のデジタル一眼レフカメラ(キヤノンEOS70D)を持ち歩いて、このHP(悠々人生)に載せる写真を撮っている。これとタムロンのレンズ(16−300mm。APS−C専用)の組合せは非常に具合が良くて、レンズの取り替えをすることなく、広角端(16mm)でも望遠端(300mm)でも、夜間などの撮影条件の悪い時でも、何でも撮ることができる。それでいて、撮ったものを多少引き伸ばしても、それなりに見られる写真となる。

オリンパス・ペンE−P3


 そういうことで、「あと少なくとも数年は、この組合せで趣味の写真を撮っていくのも良いな。」と思っているのだけれど、かつてのパソコンと同じで、デジタルカメラの技術進歩は著しい。どんどん素晴らしい製品が出てきている。振り返ってみると、私は、平成21年6月に、その当時のミラーレス一眼カメラの走りだった「オリンパス・ペンE−P1」を買い、それから同23年8月に「オリンパス・ペンE−P3」に乗り換え、更に25年9月に現在のキヤノンEOS70Dにたどり着いた。それ以来、5年4ヶ月の間、現在のカメラとレンズで撮り続けている。何でも新しいものに飛びつく癖のある私にしては、これは相当に長い期間だ。つまりは、それだけ気に入っているからだが、強いて言えば、歳をとるに連れてカメラとレンズが重たく感じられるようになった。それに、タムロンのレンズとの組合せが良くないのか、特に望遠端でピントが合うのが遅いという気になる点もある。

 この間、ミラーレス一眼の世界には大変革が起こった。当初は、パナソニック(ブランド名は「ルミックス」)とオリンパスが画像素子(センサー)の小型の規格(「マイクロフォーサーズ」規格)を提唱した。平成20年8月のことで、その翌年に私が買ったオリンパス・ペンE−P1は、このタイプである。ソニーは、このマイクロフォーサーズ陣営には加わらずに独自路線を貫き、それよりも画像素子が大きいAPS−Cサイズのミラーレス一眼を発表し、じわじわと普通のデジタル一眼レフを追い上げてきた。ちなみに、それまで一般的だったデジタル一眼レフとミラーレス一眼との差は、カメラの中に撮りたい被写体を反射させる「レフ(鏡)」があるかどうか、つまりミラーボックスと光学式ファインダーを持つか持たないかという点で、これらを持たないミラーレス一眼の方が、より小型で、かつ軽くなる。ところが、じかに被写体が見られる一眼レフの場合と違ってミラーレスの場合はファインダーにその被写体が映るのに若干のタイムラグがあることと、フルサイズの画像素子を持つものがない
(注)というのが最大の欠点で、これらがプロには使ってもらえない理由だった。

(注)画像素子の面積の比較

 画像素子(センサー)の面積は、コンパクトデジカメ(1/2.3)を1とすると、マイクロフォーサーズは7.8、APS−Cは12.8、フルサイズは20である。もちろん、この値が大きいほど、綺麗な写真が撮れるという理屈である(レンズや画像エンジンの性能にもよるが、それは捨象する。)。


 しかし、それをブレイク・スルーしたメーカーが現れた。ソニーである。あの小さなミラーレス一眼のボディーに、フルサイズの画像素子を載せたのである。しかもファインダーのタイムラグを短くしたようだ。その製品が、今から5年前に発売された「α7(アルファ・セブン)」だった。価格も、うろ覚えだが、確かボディーだけで当初50万円くらいはしたと思う。その性能と値段にビックリしたことを覚えている。そうこうしているうちに、どんどんと性能が上がり、現在では第三世代の「α9」となっている。1秒間に20枚も連写でき、合焦速度は早く、かつ(両目ではなく)片目にピントを合わせられるという驚きの性能だ。

 ところが、デジタル一眼レフの2大メーカーであるキヤノンとニコンは、この急速に進化するミラーレスの様子を見ながら、ここ数年間は音無の構えだった。おそらく、ミラーレスのフルサイズを発売したりすると、既存のデジタル一眼レフ市場と共食いになってしまうことを懸念したのであろう。しかし、デジタル一眼レフの売上が落ち始め、ミラーレスがどんどん伸びてくると、そうも言って居れなくなった。そこでキヤノンとニコンの2社は、昨年(平成30年)秋に相次いで、フルサイズのミラーレスの発売に踏み切った。これにより、消費者としては、商品選択の幅が広がって、これは面白くなったといえる。


2.CP+2019の模様

 いわば前置きが長くなったが、私がCP+(シーピープラス)2019に行こうという気になったのは、かくしてようやく出揃ったソニー、キヤノン、ニコンの3社のフルサイズのミラーレス一眼を実際に手に取り、気に入ったものがあれば買おうかという気持ちになったからである。そういうことで、我が家から千代田線に乗って明治神宮前駅で副都心線に乗り換え、そのまま、直通運転で、みなとみらい駅に到着した。同駅から、パシフィコ横浜までは、歩いて数分だ。

 建物の中に入ると、まず、リコーの全天球カメラ(THETE)のブースがあった。人がかなり並んでいたが、私は未だ触ったことがないので興味が湧き、ふと入ろうとすると、既にこのカメラの旧型を持っている人だけが対象だという。これは逆で、むしろ私のようにこのカメラに未だ触ったことがない人を対象とすべきである。旧型を持っている人は、放っておいても関心を持つのは当然だから、それ以外の人を対象にしないと顧客の裾野が広がらないと思うが、どうだろうか。

 次にあったのが、タムロンのブースである。私のキヤノンのカメラにはタムロンのレンズを付けているから、今度は堂々と入ることができると思ったら、誰でも自由に入ることができて、しかも目の前のモデルさんを自由自在に撮ることができると知って、拍子抜けした。モデルさんの周りには、多くのカメラが置いてあってその全てにタムロンのレンズが付けてあり、入場者はそれを手に取ってモデルさんを撮れる。自分のSDカードを持ち込めば、その撮った写真を持ち帰ることができるという趣向である。


タムロンのモデルさん


タムロンの18−400mm(F/3.5-6.3 Di II VC HLD)


 実は、その時に渡されたパンフレットに、大いに気がそそられるレンズが載っていた。それは、18−400mm(F/3.5-6.3 Di II VC HLD)である。「世界発の18mmから400mmまでをカバーする超望遠高倍率ズームで、望遠側400mmは35mm版換算で620mm相当の超望遠撮影となる」という。掲載されている写真によると、18mmの時では豆粒のような大きさの人物が、400mmの時は画面一杯に広がっている。これは凄い。私は今持っている16−300mmのレンズを初めて付けた時に大いに感動したものだが、その時と全く同じような感覚だ。つまりはその上位版というわけである。希望小売価格は9万円だから、ボディーだけで約40万円のソニーα9よりはるかに安い。

ソニーα9


 どうしようかと迷うところだが、結局は、その人がどんな被写体を撮りたいのか、そしてその撮った写真をいかに使うかということに尽きるのだと思う。私の場合は、どこへ行くにしてもなるべく1本のレンズで済ませたいし、被写体に近づくのは面倒で遠くから望遠で済ませたい方なので、そういう人物にはこの18−400mmの魅力には抗い難い。反面、ソニーα9の連写機能は、高速で飛んでいる飛行機や演技中のフィギュア・スケートを撮るにはよいが、私が好む被写体にはそういうものはほとんどないから、α9はオーバースペックとなる。

早いテンポでダンスをするモデルさん


 そういうことで、意外なことに、見本市の最初の段階で、フルサイズのミラーレスの購買意欲をいささか失ってしまった。妙なことになってしまったが、そのまま進んで行くと、本日のお目当てだったソニーのブースがあった。タムロンと同様にモデルさんがいてαシリーズのカメラで撮れるという趣向である。観客に、早いテンポでダンスをするモデルさんや、ぴょんびょん飛び回るスケートボードのお兄さんを撮らせている。いざソニーα9を手に取ってみると、レフ(鏡)がないので当然かもしれないが、シャッターボタンを押したときの軽やかさが気に入った。画質は、今のカメラと比べてみることができないので、よくわからない。ただ、片目にピントを合わせているのは本当で、こんなことまでやるのかと思わず笑ってしまった。隣のセミナー会場では、冬の北欧フィンランドに行った女性写真家(山本まりこさん)の講演をやっていたが、その写真のスライドを見る限りは、細部まで詳細に写り込まれていた。

ぴょんびょん飛び回るスケートボードのお兄さん


 改めてソニーα9を手にしてみると、ボディの重さは435gというから、確かに軽い。しかし、当たり前のことだが、付けるレンズが重いと、そのボディーの軽さが帳消しになることが良くわかった。ソニーはフルサイズのミラーレスで他社を5年も先行しているので、ミラーレス専用のレンズはもう28種類(Eマウント、35mmのみ)にも上っていて、他社を圧倒している。ちなみにミラーレスは、レフ(鏡)がないだけに、その分、専用レンズの開発の余地がある。ラインナップされている超望遠レンズの中には、最大の望遠端が400mmというものがあるのだけれど、そのFE 100mm-400mmは、残念ながら重さ1.5kgで32万円もする。つまりα9のボディーの3倍の重さで値段はほぼ同額だというのだから、それだけの投資をする気にはなかなかならない。

キヤノンのミラーレスEOS RP


 次に、キヤノンのミラーレスEOS RPを手にした。キヤノンとしては初めてのミラーレスである。その市場が急速に伸びて既存の一眼レフ市場が落ち込み始めたから慌てて出したのか、それとも無理矢理出さざるを得なくなったのかはよくわからない。手に取ったところ、ともかく軽いの一言だ。485gと、ペットボトルより軽いし、なるほど宣伝文句にあるようにA6の文庫本のサイズより小さいというから、まあ頑張って作ったというべきか。もっとも、肝心の画質がどうなのかは、外形からはわからないし、とりわけ優れているという説明も見当たらなかった。1秒間の連続撮影枚数も、私のEOS70Dですら7枚だというのに、5枚に過ぎない。まだまだ発展途上という印象を受ける。発売されたばかりなのでやむを得ないが、ソニー・アルファ・シリーズの蓄積に追い付くのには、少し時間がかかるかもしれない。

ニコンのミラーレスZ7


 ニコンのミラーレスZ7については、手に持つとずっしりくると思ったら、675gと、かなり重い。1秒間の連続撮影枚数は7枚だ。画質はよくわからない。記録媒体がXQDカード一本というのが、素人カメラマンとしては気に入らない。手持ちのSDメモリカードが使えないばかりか、読み出すのにわざわざカード・リーダーが必要となるからだ。プロならともかく、素人なら高速SDカードで十分だと思うのだけれど、このあたりが、将来の劣勢につながらなければよいと願うばかりだが、果たしてどうなるか。

パナソニックのブース


 パナソニックのブースでは、今月下旬に発売予定の画像素子(センサー)がフルサイズのミラーレス、LUMIX S1Rがあった。いよいよマイクロフォーサーズから脱却するらしい。結構なことだ。しかもライカレンズのLマウントを採用したから、その本気度がわかる。記録媒体がXQDカードとSDメモリカードのダブルスロットというので、やや心が動いた。

 オリンパスのブースを覗いたが、こちらは相変わらずマイクロフォーサーズ規格である。私には非常に懐かしい。もっとも現在の主力機種は、かつてのペン・シリーズからOMーDシリーズへと移したようで、小型軽量、防塵防滴、耐低温を売り物にしている。私もかつてペン・シリーズを2機種使ったから、ノスタルジーを感じる。でも、画像素子(センサー)が小さいというのは致命的な欠点で、昼間の太陽の下での撮影ならAPS−Cやフルサイズとの違いはさほど目立たないが、夕暮れや夜間などの厳しい条件下での撮影では、子供と大人ほどの差が出てしまった。そういう点は、このOMーDシリーズでは解消されたのだろうか。いささか気になるところである。

  (【後日談】デジタル一眼カメラ販売ランキングを参照)

 富士フイルムのブースに行ったが、こちらはかなりユニークなメーカーで、プロ向けにGFX 50Sという「フルサイズ」(35mm)どころか更にその上の「中判」(43.8mm x 32.9mmで、35mmの1.7倍)というミラーレスを売っている。そうかと思えば、素人の愛好家向けの小型軽量モデルも売るという幅の広い製品群を擁している。一説によれば同社のカメラは画像エンジンが良いので色の発色が美しいとか、いやいやオートフォーカスが弱いとか、バッテリーが長持ちしないとか言われている。今回、それを確かめようと近づこうとしたら、大混乱の様を呈していたので、やめてしまった。会場の整理に当たっている係員がもう少し上手にやればいいのにと思うほどだった。だから、それらが本当かどうかを確かめる術がなくなった。

ケンコーのPLフィルターのブース


 そのほか、ケンコーのブースでは、大きな収穫があった。「PL(偏向)フィルターの達人」という人がいたので、日頃の質問をぶつけてみた。

「お宅のPLフィルターを持っているのですが、撮るときにレンズ先端の花形フードが邪魔をして、上手く回せないのです。指をフィルターに直接当てて、それで回すのですかね。その被写体によってフィルターを回す角度がそれぞれ違うから、どうしても撮る直前に回さないといけない。しかし、その度にいちいちフードを取り外すのも面倒ですよね。皆さん、どうしていますか?」

達人「いえいえ、そのように指を使うと、レンズが汚れてしまうので、やはりフードを取り去って、回すしかないでしょう。フードによっては、フィルターを回せるように隙間があけられている製品もあるから、各社のカタログを取り寄せてみたらいかがですか。」

なるほど、そうしてみようと思う。私は桜などが水面に写る写真を撮るのが好きだが、PLフィルターを使えば、空も水面も青さが際立つ。もっと活用したいと思っている。

 次に、ND(減光)フィルターの達人という人がいた。先日、友人である写真家が、私に「NDフィルターを使ったらいいよ。」と言ってくれたが、その時はあまり気にも止めなかった。だからどういう機能のものか全く知識がない。よい機会なので、教えてもらった。例えば水の流れを撮るとき、スローシャッターにして水があたかも絹布のように滑らかに見えるように撮る技法があるが、そうすると取り込む光の量が多くなり過ぎて細かなところが白く潰れたりする。NDフィルターはそういう場合に光量を絞る効果があるという。あるいは、花火を撮るときに光量オーバーになって白く潰れたようになるが、その場合にも効果があるとのこと。いずれも、非常に勉強になった。


超小型カメラ「ミゼット」


ピストルの形をしたカメラ


 このCP+(シーピープラス)2019 には、特別協力という形で日本カメラ博物館が参加しているが、そこで見た超小型カメラ「ミゼット」は、私が神戸でまだ小学1年生だった頃に使っていたカメラによく似ていて、非常に懐かしかった。実際にこれで撮った写真を未だに持っている。その他、バービー人形やピストルの形をしたカメラがあったとは知らなかった。特にバービー人形は、胸の中央のダイヤモンドのような飾りがカメラのレンズだというので、これまた笑ってしまった。

バービー人形型カメラ





3.横浜をぶらっと散歩

 そういうことで、パシフィコ横浜の会場を後にして帰ろうとしたが、冬にしては気温が10度と、暖かい方なので、ぶらっと散歩することにした。まずは、クイーンズスクエアの3連棟の建物の2階部分を抜ける。もうお昼時なので、どこか適当なレストランがあれば入るつもりだったが、どのレストランも長蛇の列を作っている。土曜日だから仕方がない。更に進んで、ランドマーク・タワーに入ると、こちらはそれほどではない。どこかないかと思っていたら、名古屋発祥のコメダ珈琲店があった。

 これは久しぶりとばかりに入り、定番の小倉サンドにサラダと紅茶を注文した。小倉サンドは厚切りかどうかを聞かれたので、普通のをお願いしたら、それでも持ってきてもらったものを見ると、いやまあ凄い量だ。これだけ食べるなら、かなり歩かないといけないと思いつつ、パクパクとみな食べてしまった。


大規模修繕中の帆船日本丸


 これで腹ごしらえは終わり、店を出た。動く歩道の脇道を歩き、帆船日本丸を撮ろうとしたが、残念なことに、ただいま大規模修繕中で、マストはオレンジ色に塗られ、船体は四角く囲われている。船が入っているドックの水まで抜かれていた。なお、2019年中に行われる帆船日本丸の総帆展帆スケジュールというのがあった。つまり、日本丸の帆を広げる予定日だ。さぞかし帆船らしくなるだろう。その日にまた来て、撮ってみようと思う。

水陸両用バス


 日本丸のところまで降りて、ドックを半周して汽車道の方に向かおうとしたら、水陸両用バスがあった。ちょうど出るところだった。大人1人が3,500円とのこと。いささか強気過ぎるのではないか。それでも座席は、8割ほど埋まっていた。

教会風の建物


結婚式に向かう新郎新婦が運河に添って歩く


 汽車道を赤煉瓦倉庫の方に向かい、港三号橋梁を渡る。海風がやや冷たい。歩く途中の運河の向こうにある教会風の建物では、ファンファーレが鳴ったかと思うと、メンデルスゾーンの結婚行進曲が聞こえてきた。そちらに目をやると、結婚式に向かう新郎新婦が運河に添って歩いていて、皆が満面の笑みで祝福している。新郎は嬉しくて仕方がないという表情だし、新婦はその弾むような歩き方からして、これまた幸せいっぱいだ。これは良いものを観た。どうかこの幸せが、一生続きますようにと、お祈りをしておいた。それにしても、この地区は、夜になると色とりどりのネオンが溢れるようにあって、前衛的な建物、大観覧車、運河を行く船など、被写体に事欠かない。

NAVIOS横浜


 運河を渡り終えると、左手にはワールドポーターズ、正面にはまるで風水で穴が空いたようなNAVIOS横浜(横浜国際船員センター。ホテル)である。そのHPによれば、なぜこのような形にしているかという質問に対して、「『凱旋門のような形』をしているナビオス横浜ですが、実は凱旋門がモチーフではありません。ナビオス横浜は1999年10月に竣工しておりますが、建築の際の構想として、遊歩道である『汽車道』の一環として建築されました。あのような形は実は『絵画の額』がモチーフとなっており、汽車道に立ち、みなとみらいを背にしてナビオス横浜を覗くとベイブリッジ・赤レンガ倉庫といった『旧き良き横濱』の景色が、また赤レンガ倉庫を背にしてナビオス横浜を覗くとランドマークタワーといった『新しいヨコハマ』の景色がまるで絵画のように見えるように設計されています。」とのこと。でも、香港から来た観光客は、どう見ても風水の影響だと思うだろう。

 赤煉瓦倉庫に着くと、2棟のうちひとつは大規模修繕中である。その前にたくさんのテントが並んでいると思ったら、全てパン屋さんで、入り口ではそれぞれの店が売り切れそうかどうかがわかる一覧表まであった。そこから大桟橋の方を望むと、大きな豪華客船が停泊している。これは、行って見なければ。


ダイヤモンド・プリンセス


 象の鼻パークを経由して、大桟橋に向かう。近づくと、豪華客船は「ダイヤモンド・プリンセス」だった。そう、三菱重工業長崎造船所で建造中に火災を起こし、大赤字の原因となったいわくつきの船だ。もっとも、この船自体は、別名で同時に建造中だった姉妹船を転用したものだから、実は関係はない。その後は、無事に運行されているようだから、慶賀の至りである。内部を見ることはもちろんできなかったが、外から見る限りでは、個々の部屋のベランダに二脚の椅子があるなど、まるでマンションにエンジンを載せて動かしているかの如くである。

キング(神奈川県庁)


クイーン(横浜税関)


ジャック(開港記念会館)


 さて、そろそろ帰るとしよう。地図を見ると今居る所は、昔、横浜に入港する船員が目印とした3つの塔、キング(神奈川県庁)、クイーン(横浜税関)、ジャック(開港記念会館)が近い。せっかくだから、その写真を撮ってこようとした。まずはクイーンだが、運悪く逆光だ。そこでキングの裏手に回って何とかとらえた。ただし背景にビルがあって、構図としてはあまりよろしくない。そのキングだが、これも逆光気味だったけれども、裏手に回る途中、少し左手に動いたのでその位置で撮った。最後にジャックに近づいて行ったら、残念なことにただいま大規模修繕中で、塔の先端だけが出ている。それをなんとか撮って、みなとみらい線の日本大通り駅から帰路に着いた。本日はかなり歩き、帰ってみれば1万6千歩と、本年の新記録となった。




 カメラと写真の見本市(写 真)





【後日談】デジタル一眼カメラ販売ランキング

 ヨドバシカメラ1社の販売統計であるが、2019年2月16日から2月28日までの間のデジタル一眼カメラ販売ランキングを見ると、売れ筋の第1位は、意外と言ったら失礼かもしれないが、オリンパス製の縦位置グリップ一体型のプロフェッショナルモデル(OM-D E-M1X ボディ)だった。2月22日に発売されたばかりの約35万円のカメラである。ということは、カメラマニアの間の評価が非常に高いらしい。そのHPでの説明によると、「小型で軽量、高画質を実現する『マイクロフォーサーズシステム規格』準拠のミラーレス一眼カメラです。縦位置グリップ一体構造を採用し、安定したホールディング性、高い操作性を実現。さらに約7.5段分の手ぶれ補正能力も備え、夜間や室内での手持ち撮影時の画質がさらに向上、撮影可能なシーンを拡大します。フィッシュアイから超広角、超望遠、マクロまで、高画質で多彩なラインアップのM.ZUIKOレンズ群との組み合わせで、小型・軽量・高画質なカメラシステムを実現。スポーツや動物など高い機動性が必要な撮影シーンに特に威力を発揮、一瞬のシャッターチャンスを狙う写真家の信頼に応えるプロフェッショナルモデルです。」というから、かつてのオリンパス・ペンのシリーズとは異なり、夜間や室内での手持ち撮影に十分耐えられるどころか、スポーツや動物などを撮影するプロ写真家にも支持されているようだ。これは、オリンパスカメラへの認識を改めなければならない。ちなみに、ランキング上位10位の機種は、次の通りである。

 これらを眺めると、オリンパス以外は、やはり豊富な機種を揃えたソニーの一人勝ちの様相を呈している。私は、当面はタムロンの18−400mmで凌ぐとしても、これから内外を旅行して風景写真を撮る機会が格段に増えるので、早晩、フルサイズのミラーレス一眼を買う時期が来ると思う。その時、ソニーの天下が続いているか、それともキヤノンやニコンがその地力を発揮して追い付いてくるかがまだ見えてこない。それ次第で、どのメーカーのカメラにするかを決めようと思う。現在の延長線上では、レンズ資産を少しは持っているのでキヤノンのカメラということになるが、良いミラーレスが発売されていなかったり、あるいはそのレンズ資産が使えないのであれば、いっそのことソニーのαシリーズにするという手もある。近い将来の悩みどころはであるが、楽しい選択でもある。


第1位 オリンパス OM-D E-M1X ボディ

第2位 ソニー α7 III ボディ

第3位 ニコン Z 6 キット(ボディ+NIKKOR Z 24-70mm f/4 S+マウントアダプターFTZ)

第4位 キヤノン EOS R ボディ

第5位 ソニー α7R III ボディ

第6位 ソニー α7 III レンズキット(ボディ+FE 28-70mm F3.5-5.6 OSS)

第7位 ソニー α6400 ダブルズームレンズキット(ボディ+E PZ 16-50mm F3.5-5.6 OSS+E 55-210mm F4.5-6.3 OSS )

第8位 ニコン D5600 ダブルズームキット(ボディ+AF-P DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6G VR+AF-P DX NIKKOR 70-300mm f/4.5-6.3G ED VR)

第9位 ソニー α6400 高倍率ズームレンズキット(ボディ+E 18-135mm F3.5-5.6 OSS)

第10位 ソニー α6400 パワーズームレンズキット(ボディ+E PZ 16-50mm F3.5-5.6 OSS → 3月9日には、これがミラーレス一眼カメラ販売の第1位となる。












(2019年3月2日記。9日追記)


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天皇陛下御在位30年記念

政府インターネットテレビより


             目 次

 1.記念式典
         (資 料)当日の式次第

         (頂き物)CD「御即位から三十年」

 2.宮中茶会
         (頂き物)ボンボニエール



1.記念式典

 天皇陛下御在位30年記念式典が、平成31年4月24日に東京都千代田区の国立劇場で開かれた。私も参列する機会に恵まれ、間近で式典の模様をつぶさに観ることができたが、中でも天皇陛下のお言葉には万感の思いが込められており、深く胸を打たれるものがあったので、まずはそれを掲げておきたい。

「 在位30年に当たり、政府並びに国の内外から寄せられた祝意に対し、深く感謝いたします。

 即位から30年、こと多く過ぎた日々を振り返り、今日こうして国の内外の祝意に包まれ、このような日を迎えることを誠に感慨深く思います。平成の30年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。

 世界は気候変動の周期に入り、我が国も多くの自然災害に襲われ、また高齢化、少子化による人口構造の変化から、過去に経験のない多くの社会現象にも直面しました。島国として比較的恵まれた形で独自の文化を育ててきた我が国も、今、グローバル化する世界の中で、更に外に向かって開かれ、その中で叡智を持って自らの立場を確立し、誠意を持って他国との関係を構築していくことが求められているのではないかと思います。

 天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。天皇としてのこれまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした。

 これまでの私の全ての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした。

 災害の相次いだこの30年を通し、不幸にも被災の地で多くの悲しみに遭遇しながらも、健気に耐え抜いてきた人々、そして被災地の哀しみを我が事とし、様々な形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の1つです。

 今日この機会に、日本が苦しみと悲しみのさ中にあった時、少なからぬ関心を寄せられた諸外国の方々にも、お礼の気持ちを述べたく思います。数知れぬ多くの国や国際機関、また地域が、心のこもった援助を与えてくださいました。心より深く感謝いたします。

 平成が始まって間もなく、皇后は感慨のこもった一首の歌を記しています。

 ともどもに平(たひ)らけき代を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ

 平成は昭和天皇の崩御と共に、深い悲しみに沈む諒闇の中に歩みを始めました。そのような時でしたから、この歌にある「言葉」は、決して声高に語られたものではありませんでした。しかしこの頃、全国各地より寄せられた「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています。

 在位30年に当たり、今日このような式典を催してくださった皆様に厚く感謝の意を表し、ここに改めて、我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。


 明治期の日本は、近代国家の建設によって列強諸国と伍していくために天皇を中心とする中央集権体制を作り上げた。そして富国強兵、殖産興業を旗印に欧米諸国と対等に渡り合える実力を備えた国家へと成長を遂げたが、残念ながら昭和に入りその方向を誤って、太平洋戦争に突入した。その結果、戦争による大惨禍と無残な敗戦を経験し、それから民主主義国家として再出発して今日の隆盛を迎えたわけである。

 その過程では、やはり昭和天皇が最も過酷な経験をされたのだと思う。軍部主導で戦争に突入して敗戦のやむなきに至り、残されたのは数百万人を超える戦死者と負傷者、そして焦土と化した国土である。占領期を経て、それまでの「現人神」から、「人間宣言」とも解される詔書を出されて全国各地を親しくお巡りになって国民と交流され、復興を見守りつつ戦争による被害を受けた国民に対する癒しにも目を配られた。振り返ってみると、戦前は軍部との厳しいやりとり、戦後は占領軍との関係など価値観がまさに180度変わった上での困難な対応であったろうと推察する。昭和の63年間は、これを3つに分けると、最初の20年間は「戦争」、次の20年間は「復興」、最後の23年間は「発展」ということになろうか。まさに、起承転結の「起承転」である。

 それに対して、平成の時代は、「結」であったと思う。平成天皇は、このような歴史を十分に踏まえられて、「国の象徴」としての役割を模索されたことは、上のお言葉に詳しい。とりわけ「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く」とおっしゃっているが、全くその通りだったと思う。しかし、平成天皇が十分にその象徴としての善くその役割を果たされたという事実は、万人の認めるところだと思う。中でも、阪神大震災や東日本大震災などの自然災害の折に、体育館などの被災者を親身に見舞うそのお姿には、全国民が感動したものである。


政府インターネットテレビより


 加えて、美智子皇后の存在は平成天皇にとって、非常に大事なことであったろうと思う。前述のお言葉でも皇后の御歌が引かれているが、単なる人生のパートナー以上の心と心の結びつきが感じられるのである。実は先程の天皇陛下のお言葉の最中に、陛下がお読みになる原稿を読み飛ばす局面があったが、皇后陛下は傍らで、それをしっかりとサポートされた。そのお姿には、参列者一同、改めて感じ入った次第である。

 天皇陛下御在位30年記念式典の当日は、安倍晋三内閣総理大臣の式辞に続いて、衆参両議院議長、最高裁判所長官、サンマリノ共和国駐日大使、福島県知事、川口順子元外務大臣による祝辞が披露された。その後、平成15年の歌会始の儀で両陛下がお詠みになられた御製と御歌を、波乃久里子さんが読み上げた。

(御製)我が国の旅重ねきて思ふかな 年経る毎に町はととのふ
(御歌)ひと時の幸わかつがに人びとの 佇むゆふべ町に花降る


 天皇陛下の御製(ぎょせい)は、長年の国内の旅のご経験を通じて実感された日本国の発展の様を嬉しくお思いになるご様子を表現され、また皇后陛下の御歌(みうた)は、町の庶民のささやかな幸せに心を配られるその優しいお気持ちを歌い上げておられる。実に麗しい和歌であると感じ入った。

 次は記念演奏があり、「歌声の響き」(独唱:三浦大知、ピアノ:千住明、バイオリン:千住真理子)と、「おもひ子」(独唱:鮫島有美子、ハープ:吉野直子)である。前者は沖縄の船出歌「だんじゅかりゆし」をベースに両陛下が作詞作曲されたもの、後者は皇后陛下が作曲された子守歌である。特に沖縄は、先の大戦で甚大な被害を受けたところであり、昭和天皇に引き続いて平成天皇もこうして気配りをされたものと思われる。


政府インターネットテレビより


 以上で式典は終わり、天皇皇后両陛下が退出されることになった。壇上では、式辞や祝辞を述べた方々や記念演奏の関係者が並び、両陛下が一人一人に挨拶をされた。その中でも、御製や御歌を読み上げた波乃久里子さんは、思わず涙を流していた。それから両陛下は、舞台の袖で観客席に向かって、長い間、手を振られていた。両陛下と出席者とが一体となった最も感激する瞬間であった。

 かくして、参列者と国民に深い印象と感動を与えて、在位30年記念式典は無事に終了した。途中、天皇陛下がお言葉を述べられる際に、感極まって涙声になられたり、先ほど記したように皇后陛下のお助けで読み続けられたようなことがあったものの、これらはそれぞれ陛下の人間味と、ご高齢による退位の必要性を改めて人々に感じさせた。そういう意味で、私はかえって良かったのではないかとすら思うくらいである。

 帰りがけ、紫のフェルトで包まれた平らな箱をいただいた。帰って開けてみたら、「天皇陛下御在位三十年記念 ー 常に国民とともに」と題するCDだった。その内容は、政府インターネットテレビの皇室チャネルにあるので、御覧いただければと思う。これは、「昭和64年1月7日の剣璽等承継の儀や、平成2年11月12日の即位礼正殿の儀の映像とともに、日ごろの御公務、御研究を紹介。 また、全国各地へのご訪問、国際親善、被災地へのお見舞い、慰霊の旅、御家族との御様子など、御即位から30年の歩みを紹介しています。」というものである。


「天皇陛下御在位三十年記念 ー 常に国民とともに」と題するCD


「天皇陛下御在位三十年記念 ー 常に国民とともに」と題するCD




2.宮中茶会

 翌25日の夕刻には、宮中茶会が催された。まず春秋の間に案内され、そこで同僚や友人知人たちと懇談していた。そうしたところ、舞楽が始まった。「ブオーン、フォーン、ピィー」と響く笙や篳篥や笛の雅な音色と、太鼓の「ドドドドッ、ドーン」という腹に響く音に乗って、4人の舞人が現れて優雅に舞う。演目は、「萬歳楽」と「延喜楽」だそうだ。足の動きや上体の傾け方などはまさに古式豊かなものであるが、アップテンポの現代音楽や舞踊しか見ていない我々にすれば、スロー過ぎてもどかしいくらいだ。しかし、千年以上前の平安時代からこの原型を崩さずに連綿と伝えられてきていると思えば、厳粛な気持ちになる。

 それが終わると、豊明殿に案内された。その人数はとても多い。後日の新聞によれば、450人だったそうだ。殿の中に入るときに差し出された飲み物を手に取ったものの、つい部屋の奥の方に行きそびれて、入り口の近くで再び同僚や友人たちと歓談のひと時を過ごす。そうこうしているうちに、奥の方で左手のドアが開いて、天皇皇后両陛下、皇太子同妃両殿下、秋篠宮同妃両殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下などがお出ましになられたようだ。「ようだ。」というのは、遠すぎる上に、人垣に遮られてよく見えなかったからだ。そういう手順をあらかじめ知っていたのなら、もう少し何とかなったのかもしれないが、今からでは遅い。またそのうち、御代がわりの儀式の時にでもまた、お話が出来る機会もあるだろうから、本日は無理をせずに、その場で控えておくことにした。


宮中茶会でのいただき物


宮中茶会でのいただき物



 帰り際に、陛下からの頂き物があった。皇室の菊の御紋が刻印された小ぶりの金属製の丸い容器を開けたら、色とりどりの綺麗な金平糖が入っていた。あゝこれは、銀(鍍金)製の「ボンボニエール」ではないか。元々、フランス語の「ボンボン」つまり砂糖菓子を入れる容器で、あちらでは結婚したときや、あるいは赤ちゃんが生まれたときなどのお祝い事があったようなときに配られる引出物だそうだ。日本の皇室でも、いつの頃からか今回のような宮中宴会などのときに配られるようになったという。つくづく鑑賞すると、十六八重表菊の御紋が黄色に彩色され、それをまるで手のひらで包むように2枚の菊の葉が配置されている。誠にシンプルだが、それだけに素朴な美を感じる。

 金平糖の色の数は5色である。入っていたのはごく小さな粒のもので、しかも少量だ。たとえばこれを孫に渡したりすると、二口、三口であっという間になくなりそうな量だけれど、家内ともども、いささか畏れ多くて、なかなか口にすることができない。ともあれ、この式典といい、茶会といい、平成という時代の最後の記念となる、一生忘れがたい経験であった。この菊の御紋を刻んだボンボニエールを手元に置くことにより、平成天皇皇后両陛下を思い出し、また我々夫婦の来し方を振り返るよすがとしよう。




当日の式次第


当日の式次第


当日の式次第


当日の式次第


当日の式次第









(2019年2月25日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:33 | - | - | - |
神代植物公園 冬の温室

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 家内と冬の神代植物公園を訪れて、大温室に入った。私は元々、熱帯植物を見るのが大好きなのであるが、本日の目的は、「神代のダースベイダー」といわれる花が咲いているというので、それを見ることである。ところが温室内は広く、その花はごくごく小さいことから、見つけるのに難儀しそうなことである。温室内の緑の洪水の中で、まず目についたのは、ベニヒモノキ(紅紐の木)である。赤い紐のような花穂が垂れさがっている。まるで昔のエノコログサのようで、つい触りたくなる。そこを過ぎて、「ダースベイダーはどこかな。」と探そうとしたら、家内が「あそこに、人が集まっているわよ。」と教えてくれた。そちらへ行ってみると、地面の低いところにその花はあった。エルサルバドル原産の植物「アリストロキア・サルバドレンシス」である。なるほど、ダースベイダーそっくりだ。この両目のような白い部分は何かといえば、虫を誘うためにあるのではないかとのこと。意外と早く見つかった。しかも、旅人の木の根元に生えていたので、わかりやすい。

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 ダースベイダーのはす向かいには、バナナの木があった。しかも「まだ青いバナナの房」がたわわに実っている。いったい何本あるのだろう。これはとても良い姿形で、実に見事だ。

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 次にあったのが、お化粧のパフみたいな赤いボンボンのような花で、「オオベニゴウカン」という変な名前がついている。でもこれはカタカナだからで、漢字で書くと「大紅合歓」というので納得した。要するにネムノキなのだ。赤い色のほか、紫や青色もあるらしい。

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 二等辺三角形をした不思議な葉がある。しかもその模様も同じく二等辺三角形である。こんな形の葉は、初めて見た。

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 パパイヤの木に、たくさんの実が生っている。こんなにたくさん生えるのかと思うくらいに密集している。パパイヤの実は、大根のようにジアスターゼが多くて、健康に良い。東南アジアにいたときには、一番数多く食べたものだ。

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 これはあるだろうと思っていた花が、やはり、あった。「コエビソウ(小海老草)」である。本当に海老のようで、とても可愛い花である。メキシコ原産のキツネノマゴ科の植物で、別名はベロペロネというらしい。自宅近くでもよく見かける人気の園芸種である。

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 「アンスリウム」の花で、仏炎苞という赤楕円形の葉のようなもの真ん中から、白と黄色の花序が突き出しているサトイモ科の植物である。水芭蕉と形が似ているなと思ったら、やはりこの仲間らしい。

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 さて、これから蘭が続く。最初は「パンダ」、いや違った「バンダ」。青紫の花である。樹木の幹などにまとわりつくように生えていることから、サンスクリット語の「Vandaka(まとわりつく)」が転じて「Vanda Orchid 」となったらしい。それからお馴染みのリカステ、パフィオぺディラムなどがある。

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 「ベゴニア」もたくさんある。花言葉は、「片想い」「愛の告白」「親切」「幸福な日々」などと、その色と同じく多岐にわたっている。ピンクなどは、「愛の告白」にふさわしく、白くて周辺だけ赤く染まった花は、「片想い」かもしれない。オレンジ色は、「幸福な日々」といっても良いだろう。まあそういうことで、とても華やかな花である。

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 おっと、「フクシア」の花があった。別名が「釣浮き草」。まさにその通りである。花言葉は、「信じた愛」、「激しい心」、「センスが良い」、「おしゃれ」とのこと。なるほど、いかにもそういう感じがする。

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 これから、「熱帯睡蓮」の池に入る。紫、黄、白、ピンクなど色々なスイレンが咲いている。見ていて飽きない。ただ、池の中にあるので、望遠レンズでないと撮れない。

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 「ハイビスカス」の大振りの花が、睡蓮の池の周りに植えてあった。黄色いハイビスカスは、これもまた見事な花である。華やかな貴婦人という面持ちである。

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 様々な種類の「サボテン」があった。大きくて丸い椅子のようなもの、白くて棘がいっぱいのものなどと並んで、不思議なサボテンがある。土台は薄緑色の普通のサボテンなのに、その上にタワーの如く突き出ている部分が濃赤色という変わり種である。初めて見る種類である。

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 神代植物公園( 写 真 )






(2019年2月4日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:16 | - | - | - |
旧前田家本邸(駒場公園)

旧前田家本邸


 駒場東大前駅の近くに、駒場公園があり、そこに加賀藩前田家の本邸がある。そもそも駒場公園そのものが、前田家の屋敷跡だったのである。加賀藩は、尾張の地侍だった前田利家を藩祖とし、織田信長、豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは徳川家康についてその信任を得た。それ以来、徳川将軍家と姻戚関係を通じて関係を深めてきたことから親藩に準じる扱いとなり、加賀百万石と称される大藩となった。江戸時代中頃には、本郷に上屋敷、駒込に中屋敷、板橋の平尾に下屋敷のほか、深川にも蔵屋敷を置いた。本郷の東京大学にある赤門は、第12代の前田斉泰が文政10年に将軍家の息女溶姫の輿入れの際に造らせたものである。

旧前田家本邸


旧前田家本邸


旧前田家本邸


 明治に入って前田家は侯爵家となった。ところが15代利嗣侯爵は男子に恵まれなかったことから、遠い親戚筋に当たる七日市藩前田家5男の利為(としなり)が明治33年に養嗣子として迎えられ、16代の侯爵となった。そして明治39年には先代の長女と結婚し、名実ともに当主となる。軍人として国家に仕える道を選び、近衛歩兵第四聯隊大隊長、駐英大使館附武官、近衛歩兵第二聯隊長、第八師団長を歴任した。若い頃から欧州諸国に留学して見聞を広げていったが、滞欧中に夫人が病死した。のちに旧姫路藩酒井家次女の菊子夫人と再婚し、同夫人はこの駒場の前田家本邸で過ごした。

旧前田家本邸


旧前田家本邸


旧前田家本邸


 前田家は、江戸時代以来の本郷の上屋敷に居住していたが、利為は欧州で見聞した第1次大戦後の貴族の困窮ぶりを目の当たりにし、日本でもそういう日が来るものと思い、生活ぶりを引き締めにかかっていた折、東京大学が本郷の敷地を広げる必要から駒場への移転を打診されて、これに応じた。昭和2年に利為が駐英大使館附武官として赴任した後、昭和3年に塚本靖が中心になって建築にとりかかり、同5年に完成した。利為はかねてより「我が国には外国の貴賓を迎え得る邸宅がない」と考えていたことから、建物の様式はイギリス・チューダー朝のカントリーハウス風に建てられ、調度品もイギリスから運ばれた。

旧前田家本邸


旧前田家本邸


旧前田家本邸


 利為は、既に昭和13年には退役していたが、同16年に太平洋戦争が勃発したことから現役に復帰してボルネオ守備司令官に任じられ、現地に赴任した。ところが翌17年に、搭乗した飛行機が海中に墜落する事故で亡くなってしまった。享年58歳だった。この駒場の邸宅には、10年ほど居住したに過ぎなかった。

旧前田家本邸


旧前田家本邸


旧前田家本邸


 その後、この邸宅は中島飛行機が買収してその本社となったが、敗戦によってGHQに接収され、リッジウェイ最高司令官の官邸となる。ところが、その夫人が看護師だったことから、由緒ある金唐紙などが気に入らないということで、真っ白く塗り込められてしまうなど、かなりの改変が加えられてしまった。接収の解除後、国から都へ、更に都から目黒区へと移管されて今日に至っている。このような複雑な経緯を経ていながら、昭和初期の華族の生活を彷彿とさせる邸宅と庭園がほぼ元のまま残されているのは貴重であることから、平成25年には国の重要文化財に指定された。その後、復元工事が行われて、同30年10月から公開されている。

旧前田家本邸


旧前田家本邸


 家内と一緒に行ってみたのであるが、洋館入り口で靴を脱ぎ、入館料などはとらない。1階はお客をもてなすところで、重厚感のある焦げ茶色の玄関扉を開けると、柱が深緑で白い筋が入った蛇紋岩、床は真紅のカーペット、半螺旋形で二階へと繋がる階段には彫刻が施され、階段の下にマントルピースとソファを備えた待ち合わせの小さな空間(イングルヌック)、頭上にはシックなシャンデリアと、素晴らしい。大客室と小客室は、壁紙もシャンデリアもカーテンも椅子やソファも居心地がよい。晩餐会が開かれる大食堂の中央には白い大理石の大きなマントルピースが置かれている。2階は私的な空間で、侯爵夫妻の寝室、侯爵の書斎、夫人室、子供部屋などがある。特に夫人室は全体が落ち着いたピンク色で、家族が集まって過ごしたようである。以上が駒場本邸で、それに隣接して和館があり、こちらは純和風の建物である。

旧前田家本邸


旧前田家本邸


 現在NHKで再放送されている「ダウントン・アビー」は、第1次大戦前後のイギリス貴族の世界を描いている。日本でもこれと同じように、昭和の始めに旧有力大名家の華族は、このような建物で、かくなる豪華な生活をしていたのかと思うと、なかなか感慨深いものがある。



(2019年2月3日記)


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