逗子の流鏑馬

女性騎馬武者が二の的を狙う


 鎌倉や明治神宮だけでなく、逗子にも流鏑馬(やぶさめ)があると聞いて、見物に行くことにした。実は、私は逗子駅には降り立ったことがない。横須賀線の路線図を見たところ、鎌倉の次の駅で、葉山の隣りだった。すると、以前に海岸線を車で通りかかったことはあるが、かなり昔のことなので、記憶はあやふやだ。観光スポットはというと、まさにその逗子海岸で、そこで流鏑馬があるらしい。

逗子開成学園の子たち


 当日は快晴で、逗子海岸に着いてみると10人以上がウィンドサーフィンを楽しみ、海に色とりどりの帆が林立している。それを見る海岸の砂浜に、太鼓が並んでいて、若い男の子たちが準備している。逗子開成学園の子たちで、元気よく和太鼓を披露してくれた。これは、いわば前座である。

流鏑馬一行の登場


流鏑馬一行の登場


 始まる前に、いただいたパンフレットを拝見すると、このように書かれていた。「鎌倉幕府の行事記録である吾妻鏡によれば、正治2年(1199)9月2日、源氏2代将軍頼家が小壺の海辺で弓馬の達人集めて笠懸を射させたという記録があります・・・笠懸は流鏑馬と共に疾走する馬上から弓を射るという騎射の一種で、これは関東武士のお家芸であり、当時最高の武技であったのです・・・流鏑馬は起源が古く、6世紀の半ば神事として始まり、平安朝では宮廷の公事として年々催されておりました。その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、全国の統一を果たしたので、天下泰平を祈願するため文治3年(1187)8月15日に鎌倉八幡宮の宝前で流鏑馬を催し、以来源家3代を経て文永3年(1267)に至るまで毎年のごとく行われた・・・逗子商店会では約800年前に行われた逗子流鏑馬を再現させ、市民の皆様に、往時の伝統武芸をご高覧いただきたく存じます。。

流鏑馬解説

【天長地久の式】(てんちょうちきゅうのしき)
 奉行は、記録所前に勢揃いした諸役の前中央に進み、「五行之乗法」を行う。乗馬して左へ3回、右へ2回、馬を回して中央の位置で馬を止め、鏑矢を弓につがえて、天と地に対して満月の弓を引き「天下泰平、五穀豊穣、国民安堵」を祈念する。式が終わると奉行、射手、所役は行列を組み「序之太鼓」に合わせて射手は馬場本に進む。。

【素 駆】(すばせ)
 馬場入後、奉行は記録所に上がり、諸役一同は各部署に着く。射手は馬場本の馬溜りに集合する。奉行は、各自の配置と馬場内の安全を確認する。馬場本、馬場末の扇方は馬場内の安全を確認を確認し、準備完了の扇の合図を行う。その後、奉行は、「破之太鼓」を打ち、射手は、順に馬場に全力で馬を打ち込む。。

【奉 射】(ほうしゃ)
 馬場に3つの「式之的」が立てられ、射手は馬を全力走らせながら腰の鏑矢を引き抜いて重藤(しげとう)の弓につがえ、一の的から次々に射て馬場を駆け抜ける。これを決められた回数繰り返す。的は一尺八寸四方で、檜板を網代に組み、その上に白紙を貼って青、黄、赤、白、紫の5色であらわし、的の後ろに四季の花を添える。。

【競 射】(きょうしゃ)
 的は、径三寸の土器2枚を合わせて、中に五色の紙切れを入れてあり、命中すると土器は裂け、中の五色の紙は花吹雪のように飛び散る、こうして競射が終わると、奉行は記録所で「止之太鼓」を打ち、射手、諸役は行列を組んで記録所前に向かう。

【凱陣の式】(がいじんのしき)
 記録所前に勢揃いした後、競射の最多的中者は式之的を持って奉行の前に座する。奉行は、扇を開いて骨の間から的を見聞する。扇をたたみ太刀の鯉口を切った時、太鼓をドン・ドン・ドン」と三打する。奉行の「エイ・エイ・エイ」の声に続いて、射手諸役一同「オーッ」と唱和、これを3回繰り返して勝どきを揚げる。この儀式は、流鏑馬そのもの、世の邪悪退治も意味しているため、退治した邪悪の「首実験」の意味も込められている。


 午後1時から流鏑馬が始まったのだが、このパンフレット中の「流鏑馬解説」にそのまま沿って行われた。行事が全て終了してから気が付いたのだから、笑い話だ。当たり前といえば当たり前なのだが、それならそれで、題名を「本日の流鏑馬の流れ」とでもしてくれていれば、わかりやすかったのかもしれない。

 私は、この種の伝統行事や祭りに最初に行く時には、有料観覧席に座ることにしている。現地の事情がわからないからだが、この日もそうしたところ、中央の「櫓」つまり記録所のすぐ近くだった。ここから見ると、正面は海、これに沿って一直線に218mの馬場が走る。左手奥に馬場本があり、そこが出発点で、その近くに一の的が、私がいる記録所前に二の的がある。そして我々の前を通り過ぎると、右手奥に三の的がある。その先が馬場末だ。

 この流鏑馬をしているのは、武田流で、「立ち透かし」という「上半身が上下動しない美しくかつ正確な騎射を可能にする究極の技術」を披露できるという。同団体では、この逗子のほか、鎌倉八幡宮、明治神宮などで披露しているとのこと。なお、念のために検索してみたところ、公益社団法人 大日本弓馬会一般社団法人 日本古式弓馬術協会(武田流鎌倉派)特定非営利活動法人 武田流流鏑馬保存会の3つの団体がヒットした。このうちどれかだろうと思ったが、当日のアナウンスを聞いていたところ、その内容は大日本弓馬会のホームページのものと共通していたので、本日の団体は間違いなく大日本弓馬会である。(その後、同会の行事予定に掲載された。)

 午後1時になり、最初に、逗子市長などの来賓挨拶があった。市長は、「財政事情が厳しい折、この流鏑馬予算を2年前からカットしてゼロにせざるを得なかった。」などと平然と語る。ある意味、大したものだ。

天長地久の式


我々の横の櫓(記録所)


 櫓の前で「天長地久の式」が始まった。騎馬武者が馬を左右に回し、止まって矢をつがえて天と地に向ける。天に向けたとき、あのまま矢を放つのかと思ったほど弓を引き絞っていた。それから、一行は旗を先頭にして、太鼓の音とともに左手の馬場本の方に向かい、奉行は我々の横の櫓(記録所)に登った。子供武者行列の一行がやってきた。周りの見物人から、「まあ、可愛い」という声があがる。亀岡八幡宮からやってきたらしい。

子供武者行列の一行


騎馬武者が全速力で馬を走らせてきた


 太鼓の音が鳴り、馬場本で旗が上がったと思ったら、騎馬武者が全速力で馬を走らせてきた。騎射はしない。そして、右手の馬場末へと走り去った。それが何騎か続く。これが、いわば馬の準備運動だろう。やがて、前を通った4騎が全て揃って馬場末から同じ道をゆっくりと馬場本へ帰っていった。

一辺50センチの四角いカラフルな的。その的の上に花が飾られている


 いよいよこれからが本番の流鏑馬だ。我々の前の二の的に、一辺50センチの四角いカラフルな的が上下左右に角がくるように掲げられた。的の上に花が飾られていると思ったら、かつて的を射るのに失敗したことを恥じて自害した武士がいたことから、こうするようになったという。

 準備万端が整い、馬場本で旗が上がった。騎馬武者(射手)が、あちらの一の的に向けて矢をつがえて放った。バキッと音がして、記録所の係が「命中」と叫ぶ。ドドッ、ドドドッと音を立てて我々の二の的に向かってくる。この間に矢をつがえなければならない。そして、二の的でまた放つ、バキッ・・・見事、命中だ。さらに右手に走り去り、あちらの三の的を狙ったかと思うと、ワァーと歓声があがる。おお、素晴らしい。三つとも命中だ。

流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


 次の騎馬武者が来る。一の的は失敗だ。我々の二の的は、バキッと、これは当たった。三の的は、残念ながら失敗だ。なかなか難しいものらしい。更に三番目の騎馬武者はというと、これは女性だ。気のせいか馬で駆ける音もかろやかで、一の的は成功、二の的は、失敗、三の的は成功・・・とまあ、そういう具合で4人の武者が駆け抜けた。騎馬武者は一の組と二の組、それぞれ4人ずついるという。中でも、先頭と殿(しんがり)は最も上手な射手を配するらしい。

旗が上がっていないのに、もう騎馬武者が駆けてきた


 あれあれ、旗が上がっていないのに、もう騎馬武者が駆けてきた・・・ところが、私の前の二の的では、二人がかりでまだ的を変更する作業中である。走ってくる騎馬武者が矢をつがえた。あっ、危ない!と思ったその時、すんでのところで騎馬武者が気がついて、矢を放つのを止めた。そして、来た道を引き返して戻って行って、やり直した。

 ところで、私は写真を撮ろうといつものソニーα7IIIを持っていったのだが、この日の撮影は難しかった。まず、二の的付近では完全な逆光となる。次に、馬は速い、速すぎる。加えて、私から見て一の的と二の的の間に仕切りの棒があって視界を遮るから、コンティニュアス・フォーカスがそこで途切れる。それやこれやで、最悪の条件だった。

凱陣の式


凱陣の式


 流鏑馬は続き、的がカラフルなものから、四角い板になり、最後は、丸いかわらけ(素焼き土器)になった。真ん中に黒い目玉が描かれていて、かなり小さい。これを速く走る馬の上から射るわけだから、非常に難しいと思う。これほど的が小さいと、たとえボールを投げても当たる確率は低いのではないか。それを弓で射抜くのだから、大したものだ。本番だが、我々の前の二の的については、騎馬武者のうち二人当てた。当たった瞬間、中に仕込んであったカラフルな紙が舞った。

流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


 最後は、凱陣の式である。最もたくさん当てた騎馬武者が、その的を持って奉行に見せると、奉行は、「扇を開いて骨の間から的を見聞」している。何をやっているのだろうと思ったら、獲物は邪悪つまり穢れたもの故、直接見てはいけないそうだ。そうやって見聞が終わると、「扇をたたみ太刀の鯉口を切る」。そして太鼓の合図とともに奉行の「エイ・エイ・エイ」の声に続いて、一同が「オーッ」と唱和するという次第だった。日本古来の武芸も、なかなか良いものだ。







 逗子の流鏑馬(写 真)






(2019年11月17日記)


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即位礼正殿の儀

おことばを読まれる天皇陛下。宮内庁のHPより


1.即位礼正殿の儀に参列

 令和元年10月22日、宮中で「即位礼正殿(そくいれいせいでんのぎ)の儀」が粛々と挙行された。既に5月1日には剣璽等承継の儀と即位礼正殿の儀が挙行されているので、それに引き続く今回の儀は「御即位を公に宣明され、その御即位を内外の代表がお祝いする儀式」である。当日は、200人近い外国の元首や祝賀使節を含めて、総数約2,500人が宮殿に参列した。

 光栄なことに、私もその一人として招かれ、参列することができた。朝9時半に迎えに来た車に乗って10時過ぎに皇居に着くと、宮殿内を豊明殿に案内され、そこに並べられた数多くの椅子の一つに腰を掛けた。周りの方はほとんど男性で、モーニング・コートに身を包んでいる。目の前は、宮殿の中庭である。残念ながらこの日は雨で、しかも風がますます強くなってきた。


2.当日の中庭と参列者の配置

 中庭には色とりどり、形も様々な「旛(ばん)」と呼ばれる旗が縦二列に立てられ、それらが風に吹かれてはためいている。事前の話では、中庭には王朝絵巻のように、武官の装束姿の「威儀(いぎ)の者」や、太刀、弓、盾などの「威儀物(いぎもの)」を持った者たちが並ぶはずだったが、この日は残念ながら雨や風の天候がそれを許さない。


当日の中庭。官邸広報ビデオより


 我々のいる豊明殿の左手が長和殿で、外国の元首や祝賀使節が座っておられる。それに相対する右手が正殿で、そちらに向かって白木の階段が造られ、その上り先の中央が松の間である。そこに、平安時代そのものの宮中の伝統装束を身にまとった天皇皇后両陛下が、それぞれ、京都御所から運ばれてきた「高御座(たかみくら)」と「御帳台(みちょうだい)」に登壇されて、即位を内外に宣明される手筈らしい。

高御座。官邸広報ビデオより


御帳台。官邸広報ビデオより


私がいた豊明殿。官邸広報ビデオより


 豊明殿にいて見上げると、大きなスクリーンがあり、天皇皇后両陛下のご業績として、各地の訪問や日本学士院賞授章式の模様を映し出している。画面が切り替わったときに、ほんの1秒にも満たないくらいの極くわずかな時間だけど、何とまあ、私自身が画面の右端に出てきてびっくりした。ああ、あの時のことかと思い当たったが、ビデオに撮られていたとは思わなかった。


3.儀式直前の様子

 さて、外の雨が、しとしととした弱い降りから少し強くなってきた中を、豊明殿の中で大勢の一人として椅子に座ってひたすら待つ。小1時間経ち午前11時になり、更に1時間経ってお昼になった。何も起こらない。更に待つこと30分ほどで、ようやく動きがあった。正殿に向かって左手の北渡から平安時代そのままの衣冠束帯姿で一列になって貴人が歩いてくる。黒い姿の人物に先導されて渋いオレンジ色の衣冠束帯姿の秋篠宮が歩いて来られ、それから十二単姿の同妃殿下、眞子女王、佳子女王が続く。シューシューという聞き慣れない音が聞こえると思ったら、これは絹による衣擦れの音そのものだ。


皇嗣一家のお四方は、松の間の中で高御座に向かって左手に立たれた。官邸広報ビデオより


常陸宮殿下ら他の皇族方が一列になって入って来られて、右手に立たれる。官邸広報ビデオより


 そしてこれら皇嗣一家のお四方は、松の間の中で高御座に向かって左手に立たれた。表現の順序は前後してしまったが、その前に首相、衆参議長、最高裁判所長官が一列になって入ってきて、皇嗣一家の後ろの位置に既に立っている。次いで、常陸宮殿下ら他の皇族方が一列になって入って来られて、右手に立たれる。女性皇族方はもちろん十二単姿で、誠に艶やかである。

皇嗣一家のお四方の側から高御座を見る。官邸広報ビデオより


黄櫨染御袍を着用された高御座の天皇陛下。官邸広報ビデオより


十二単姿で御帳台におられる皇后陛下。官邸広報ビデオより


高御座の天皇陛下と御帳台の皇后陛下。官邸広報ビデオより


 さて、その状態で待つ。カメラは、高御座を詳しく映す。頂上には鳳凰が、スカート部分には唐獅子のような図柄が配してあり、その間は紫色の幕で覆われている。午後1時を過ぎた頃、「チン」という合図で高御座と御帳台の正面がそれぞれ二人ずつの侍従と侍女によって左右に開かれた。すると、天皇皇后両陛下がそこにおいでになった。天皇陛下は専用の装束「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を着ておられ、皇后陛下は十二単姿である。天皇陛下に、侍従が「おことば」の紙を差し出す。それを広げて陛下がお読みになったのが、次のお言葉である。


4.おことばと寿詞

(1)天皇陛下のおことば


おことばを読まれる天皇陛下。官邸広報ビデオより


おことばを読まれる天皇陛下。官邸広報ビデオより


 「さきに,日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。ここに「即位礼正殿の儀」を行い,即位を内外に宣明いたします。

 上皇陛下が30年以上にわたる御在位の間,常に国民の幸せと世界の平和を願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その御心を御自身のお姿でお示しになってきたことに,改めて深く思いを致し,ここに,国民の幸せと世界の平和を常に願い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。

 国民の叡智とたゆみない努力によって,我が国が一層の発展を遂げ,国際社会の友好と平和,人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。」


 ちなみに、このおことばの時には、不思議なことに降り続いていた雨が止んで空には青い部分が広がり、あまつさえ虹が出たのには驚いた。

(2)安倍内閣総理大臣の寿詞


寿詞(よごと)を述べる安倍首相。官邸広報ビデオより


 これに引き続いて、安倍総理は、次のように寿詞(よごと)を述べた。

「謹んで申し上げます。

 天皇陛下におかれましては、本日ここにめでたく『即位礼正殿の儀』を挙行され、即位を内外に宣明されました。一同こぞって心からお慶び申し上げます。

 ただいま、天皇陛下から、上皇陛下の歩みに深く思いを致され、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、日本国憲法にのっとり、象徴としての責務を果たされるとのお考えと、我が国が一層発展し、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを願われるお気持ちを伺い、深く感銘を受けるとともに、敬愛の念を今一度新たにいたしました。

 私たち国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ、心を新たに、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を創り上げていくため、最善の努力を尽くしてまいります。

 ここに、令和の代の平安と天皇陛下の弥栄をお祈り申し上げ、お祝いの言葉といたします。」


 続いて安倍内閣総理大臣の主導で万歳三唱が行われ、我々参列者がこれに唱和する。これに合わせ、「ドーン」、「ドーン」という腹に響く音がしたが、これは皇居に隣接する北の丸公園で陸上自衛隊が礼砲を21発打ち鳴らしたからだと知った。

 そういうことで、式次第が全て終了して帰途に着いたが、何しろ参加人数が多いものだから、私の番になって豊明殿から出たのは午後3時を過ぎていて、内閣府を経由して自宅に帰り着いたのは、4時頃になっていた。帰ってモーニング・コートを脱ぎ捨ててから、どうも喉が乾いたなと思ったら、この間、飲まず食わずだったことに気が付いた。世紀の行事に出席させていただいて、固唾を飲んで見ていたので、喉が渇くのも空腹すらも忘れてしまった。まあ、格好のダイエットになったかもしれない。


5.饗宴の儀

(第1回) その10月22日夜は、海外賓客248人を迎えた祝宴「饗宴の儀(きょうえんのぎ)」が宮殿で行われた。これは、両陛下が「祝宴に臨んで即位を披露し祝福を受けられる儀式」といわれる。

 宮内庁によれば、「天皇陛下は燕尾服を着用され、『大勲位菊花章頸飾』という最高位の勲章などを身につけられていた。また皇后陛下はローブデコルテというロングドレスを着用し、上皇后さまから受け継いだティアラや勲章を身につけられていた。まず『竹の間』でおよそ1時間にわたって出席者から順番に挨拶を受けられた。その際、挨拶を終えた出席者は『春秋の間』に移動し、食前の飲み物を手に秋篠宮ご夫妻など皇族方と和やかな雰囲気で歓談を行った。ここでは、宮内庁の楽部職員が『太平楽(たいへいらく)』と『舞楽(ぶがく)』を演じたという。また、『松の間』では儀式で使われた『高御座』と『御帳台』を間近で見る機会も設けられた。

 それから出席者は皇族方とともに食事会場の『豊明殿』に移り、午後9時すぎ、両陛下が部屋の奥にあるメインテーブルの中央に着席されて食事が始まった。食事は上皇さまの即位を祝った前回をほぼ踏襲した和食で、まつたけやくりなど秋の味覚も取り入れた合わせて9品が出された。食事のあとは『春秋の間』に場所を移し、食後酒やコーヒーなどが出されて、和やかに歓談が行われたということである。宮内庁によれば、この第1回目の『饗宴の儀』の食事は上皇さまの即位を祝った前回をほぼ踏襲する形で、次の和食が供された。この食事の後は『春秋の間』に場所を移して食後酒やコーヒーなどが出される中、和やかに歓談が行われた。」
という。

 ▽「前菜」は、かすごたいの姿焼きや蒸したあわび、ゆり根、くりなど(扇の形をした木の器に盛りつけ)
 ▽「酢の物」は、スモークサーモン
 ▽「焼物」は、アスパラガスの牛肉巻き
 ▽「温物」は、ふかひれやまいたけが入った茶わん蒸し
 ▽「揚物」は、かに、きす、若鶏の三色揚げ
 ▽「加薬飯」は、たけのこやしいたけが入ったたいのそぼろごはん
 ▽「吸物」の具には、伊勢えびのくず打ちやまつたけ
 ▽「果物」として、イチゴやマスクメロン、パパイヤ
 ▽「菓子」として、和菓子

(第3回) 饗宴の儀は、10月22日(火)の第1回に引き続いて25日(金)には第2回、29日(火)に第3回、そして31日(木)に最後の第4回が開催された。実は私は、もう退官しているので、そのうち第3回に招かれた。元議員や地方公共団体の長などと同じグループである。もうこの回になると、もちろんシッティング・ディナーではなく、内容も簡略化されている。

 まず松の間に案内されて、高御座と御帳台を間近で見た後、春秋の間に案内された。そこで、立ちながらワイン、日本酒、ビール、烏龍茶、ジュースなどをいただきながら知人友人と雑談していると、雅楽の演奏が聞こえてきた。演目は、「平調音取(ひらじょうのねとり)」、「五常楽急(ごじょうらくのきゅう)」、「越殿楽(えてんらく)」などである。


松の間で控えていると天皇皇后両陛下と皇族方が入ってこられた。官邸広報ビデオより


天皇皇后両陛下と皇族方が入ってこられた。官邸広報ビデオより


 そしてしばらくあって、天皇皇后両陛下と皇族方が入ってこられた。天皇陛下がご挨拶をされた後、参加者を代表してどなたかがお祝いを述べ、それから懇談に入った。天皇皇后両陛下は主に最前列に陣取った人たちとお話をされていたが、私は暫くぶりに会った友人と後方で話をしていたところ、思いがけず、承子女王殿下がおいでになって、しばし歓談申し上げることになり、とても光栄に感じた次第である。

鯛が入ったお膳


祝い物のお菓子


菊の御紋の入った杯


 それが終わり、帰り際に次の写真のような鯛が入ったお膳、祝い物のお菓子、そして記念品のボンボニエールをいただいた。宮内庁によれば、今回のボンボニエールは丸みを帯びた形で、直径6センチで高さは3センチ余り。表面には前回と同じように菊の御紋と「鳳凰」の模様があしらわれており、中には色とりどりの金平糖が入っている。前回の上皇様のときにいただいた2つのボンボニエールと今回のものを並べると対になるようにデザインされているという。

御紋付真鍮製銀鍍金仕上ボンボニエール


 なお、外国からの賓客には銀製のものを贈られたと聞いたが、我々がいただいたものは、どうも真鍮製らしい。もしかしてと思って入札情報を調べてみたところ、「御紋付真鍮製銀鍍金仕上ボンボニエール」は、2,150個の製造を入札にかけられ、1個当たり5,694円の単価で、銀座の「(株)宮本商行」という会社が落札したらしい。かくして最近は、何でもわかるから良いような悪いような・・・。

 ともあれ、世紀の慶事に参加することができて、誠に光栄に思った次第である。ところで、即位に伴うパレード「祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)」は、台風19号の被害が大きかったことから、これを踏まえて11月10日に延期された。


6.祝賀御列の儀

祝賀御列の儀


 天皇陛下の即位を祝うパレード「祝賀御列の儀」が、平成元年11月10日午後3時から30分をかけて、皇居・宮殿 → 皇居前広場 → 桜田門 → 国会議事堂前 → 永田町 → 赤坂 → 青山一丁目 → 赤坂御所のコースで行われた。私も両陛下の晴れ姿を拝見するために行ったのだが、始まる2時間半前ではやや遅かったようで、残念ながら冒頭の写真を取ったあとは、あっという間に目の前を通り過ぎられてしまった。


7.大 嘗 祭

 11月14日の夕方から15日未明にかけて、大嘗祭が執り行われる。天皇が即位後はじめて行う新嘗祭である。これで、剣璽等承継の儀・即位後朝見の儀から始まる一連の行事が終わる。





(備 考) このエッセイ中の写真は、直前の5枚を除き、首相官邸の広報ビデオから複写したものである。







(2019年10月22日記、同29日、11月10日追記)


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ひたち秋祭り 郷土芸能大会

西馬音内盆踊り


1.日本各地の郷土芸能を呼ぶ

 日立のお祭りといえは、日本五大曳山祭りの一つである「日立風流物」が演じられる「ひたち春祭り」だけかと思っていた。ところが、「ひたち秋祭り」もあって、その最大の目玉は、日本各地の郷土芸能を呼んできて、それを演じてもらうことだという。今年の演目を見ていると、かねてから関心のあった秋田の「西馬音内(にしもない)盆踊り」があるではないか。この機会にとりあえず、どんなものかを観て、これは良いと思ったら、そのうち本物を西馬音内まで見物に行けばよいと思い、日立市へ出かけることにした。

 祭り当日の10月26日は、前日の台風による大雨の影響で千葉県から福島県にかけて河川の氾濫や山崩れなどが起きて、午前中は常磐線を走るスーパーひたちが運休になった。被害に遭われた方々には、心から哀悼の意を表する次第である。ところが、その時にはそれほどの被害が出たとはついぞ知らず、大雨の影響があったかどうか線路の点検を行うということだった。この催しは午後5時半からなので、それまでには運行されるだろうと思っていた。すると、お昼を回った頃に平常通り時刻表に沿って運転が始まった。

 日立駅に降り立って、会場の日立シビックセンターに行ってみたら、何と野天の会場である。ところが、今日は台風一過の晴天なので、助かった。比較的早く行ったので、たまたま隣り合わせた同年輩の地元の女性と話していたら、昨年は雨が降ってきて、カッパを着て観覧したそうだ。


2.西馬音内盆踊り

 いよいよ始まった。それでは、私が気に入った順にご紹介したい。まずは、何といっても本日のハイライトの「西馬音内盆踊り」である。秋田県羽後町の盆踊りで、黒い布で顔を隠して踊る、あの「亡者踊り」の写真を見て驚かない人はいないだろう。

西馬音内盆踊り


西馬音内盆踊り


西馬音内盆踊り


 いただいたパンフレットには、このように紹介してある。「西馬音内盆踊りは、国指定重要無形民俗文化財に登録されて、700年以上の伝統を守る日本三大盆踊りの一つです。豊年祈願や盆供養のために始められた伝統行事であり、勇ましくにぎやかに鳴り響く囃子に対し、優雅で流れるような上方風の美しい踊りの対照が特徴です。

 女性の踊り手で多く用いられるのが『端縫い衣装』です。端縫い衣装は四種も五種もの絹布を端縫ったもので、母から子へと代々受け継がれ、故郷に生きた女性たちの思いも同時に身にまとって踊るという意味を持ちます。

 衣装から踊り手の指先までもが美しい西馬音内盆踊りにぜひご注目ください。」


 実は、本番が始まる前に会場そのものを使ったリハーサルがあって、その時に金髪でアメカジ(アメリカン・カジュアル)という格好のいいお兄さんたちが出てきて、まるでジャズ風に手や足をくねくねさせて踊っていた。私の隣のおばあさんたちは、「わあーっ、カッコいい!」と呟いたほどだ。私は、かつて一世を風靡した原宿の竹の子族みたいなこのお兄さん達が、本当に700年も続く伝統の踊りを踊るのかと、いささか半信半疑になってきた。

 太鼓がドドンと響き、ヤートーセ・ヨーイワナー・セッチャーという掛け声で始まった。笛に合わせて歌われるその歌詞には、思わず笑ってしまった。秋田弁なので、詳しくはわからないが、断片的にわかっただけでも、抱腹絶倒の代物だ。例えば、

 「ホラいっぱい機嫌で踊りコ踊たば 皆に褒められた いい気になりゃがてホカブリ取ったれば 息子に怒られた」

 キタカサッサ・ドッコイナ

 「ホラ隣の嫁コさ盆踊り教えたば ふんどし礼に貰た 早速持ってきてかがどさ見せたば 横面殴られた」

 キタカサッサ・ドッコイナ

 「おらえのお多福ぁ めったにない事 びん取って髪結った お寺さ行ぐどって そば屋さ引っかがって みんなに笑われた」

 などと、延々と面白い話が続く。時々、意味が分かって、思わず笑ってしまう。これは、農民の憂さばらしそのものではないか。

西馬音内盆踊り


西馬音内盆踊り


西馬音内盆踊り


 舞台の上では、編み笠に「端縫(はぬい)衣装」というきらびやかな姿の女性や、あの黒い「彦三(ひこさ)頭巾」に藍染め衣装姿の男性や未婚女性が、一重の細長い輪を作って優雅に踊っている。手の動きが綺麗だ。ここまでを「音頭」というらしい。

 次に、彦三頭巾の男性たち数人が舞台から降りてきて、曲のテンポが早くなり、歌詞の中身も変わる。例えば、

 「お盆恋しや かがり火恋し まして踊り子 なお恋し」

 「月は更けゆく 踊りは冴える 雲井はるかに 雁の声」

 「踊る姿にゃ 一目で惚れた ひこさ頭巾で 頭しらぬ」

 「踊ってみたさに 盆踊習った やっと覚えたば 盆がすぎた」などという調子である。

 音頭のときは陽気でひょうきんな感じだったが、それから一転してこのような情緒と哀愁感あふれる歌詞に移行する。それと同時に、とりわけ男性たちのダイナミックで早いテンポの踊りに観客は魅了される。これが「がんけ」というものらしい。その漢字は、定まっていないようだ。

西馬音内盆踊り


西馬音内盆踊り


 彦三頭巾姿のその男性たちが、私のすぐ横で踊り出した。まずはその彦三頭巾が独特である。長細い黒い布の目の部分に二つ穴を開け、それを頭に被って豆絞りの鉢巻きをして留める。おどろおどろしい感もあるが、それもそのはずで、これは亡者を表しているそうだ。そもそもお盆というのは、死者を迎えて供養するための行事なので、本来の趣旨に沿ったものといえるが、やはり、いささか怖い気がするのもやむを得ないところだろう。

 ところで、この彦三頭巾姿の若者たち、音頭のときと違って、グルグル回る。しかも、人差し指を立てる動作も加わる。まるで、西洋式のダンスだ。思わず見とれていると、目の前にやってきて、何とか「どっこいショ」と言って脅かされる。面白い。それやそれやで、西馬音内盆踊りの魅力を十分に味わった。これは、本番を見に行く価値は十分にあると思う。


3.石見神楽

 石見神楽(いわみかぐら)については、私は全く知らなかったが、八岐大蛇伝説を演じる非常に魅力的な舞台だった。演者の皆さんは、この日は島根県益田市から16時間もかけて来ていただいたそうだ。

石見神楽(須佐之男命)


石見神楽(媼)


石見神楽(翁)


石見神楽(奇稲田姫)


 いただいたパンフレットによれば、「石見神楽は、神事を主とする小神楽と呪的な色彩を帯びた大元神楽とが融合したもので、遅くとも室町時代には島根県西部の石見地方一円に流行しました。江戸時代までは神職による神事であったものが、明治維新以降、土地の人々に受け継がれ、更に民衆の新しい感覚が加わり民俗芸能として舞われています。

石見神楽(大蛇)


石見神楽(大蛇)


石見神楽(大蛇)


石見神楽(大蛇)


 演目の多くは古事記・日本書紀が題材とされ、大太鼓、小太鼓、手拍子、笛の囃子が奏でる調子やリズムは、勇壮にして活発な八調子と呼ばれるテンポの速いもので、見る人を魅了します。

 大蛇(おろち)

 悪業により高天原を追われた須佐之男命は、放浪の旅の途中、出雲国で八岐大蛇の災難に嘆き悲しむ老夫婦と奇稲田姫に出会う。須佐之男命がその訳を尋ねると『八岐大蛇が毎年出没し、7年に7人の娘がさらわれてしまった。残ったこの娘も喰われてしまう』と告げる。一計を案じた須佐之男命は、毒酒で大蛇を酔わせて討ち取る。この時大蛇の尾から出た宝剣『天叢雲剣』は天照大神に捧げられ、三種の神器の一つとして熱田神宮に祀られている。」
とのこと。

石見神楽(須佐之男命が大蛇を退治)


石見神楽(須佐之男命が大蛇を退治)


 舞台では、奇稲田姫を中央に置いて、左手から媼、右手から翁が出てきて、嘆き悲しんでいる。そこに須佐之男命が通り掛かり、事情を聞いて八岐大蛇と戦う決心をする。そこへ大蛇が現れ、須佐之男命と大乱戦が始まる。太鼓がドドドーッ、ドドドーッと鳴り響き、その合間に合図があって、大蛇の形態が変化する。横長に絞った紐のようにもなれば、縦に渦巻きのようにもなる。それがまた、非常に見事なものである。最後は、須佐之男命が剣で大蛇の頭を一つ一つ斬り裂いて、大円団となるという趣向である。クライマックスでは、パチパチッと、花火まで使われる。いや、これも見事というほかない。もちろん、劇の主役は須佐之男命だが、8人の蛇役が一糸乱れずに演じるからこそ、この神話劇が成り立つ。さすが、出雲大社の近くの地元というほかない。それにしても、大蛇役は大変だ。劇が終わって被り物を取り去った姿は、いかにも疲れたという表情だった。


4.大川平荒馬

大川平荒馬


大川平荒馬


 大川平荒馬(おおかわだいあらま)は、青森県今別町からで、パンフレットによると、「津軽統一の故事にも由来し、馬と田畑を切り開いてきた苦労と喜びを、荒馬と手綱取りの絶妙な連携と華麗で迫力のある踊りで表現されます。扇ねぶたの山車とねぶたの衣装をまとったハネトが荒馬を囲み、『ラッセーラー』の掛け声と太鼓や笛の囃子に合わせて舞います。」という。

大川平荒馬


大川平荒馬


大川平荒馬


 花道をいきなり、弘前風の扇形をした「ねぷた」が出てきた。もう夜だから、灯りが眩しいほどで、綺麗なねぷたである。そして、青森ねぶた祭のハネト(跳人。派手な花笠を被って白い浴衣着にピンクや赤色が出るようにし、鈴をつけた独特な衣装の人)が、片足で2回ずつ飛ばながら、紅白の手網で荒馬を引っ張ってくる。荒馬を演ずる人は、身体の前に小さな木馬、身体の後ろに馬の胴体を付けて、結構早いテンポで左下、右下へと動く。掛け声は、青森ねぶた祭と同じく「ラッセーラー」である。とても威勢が良く、素晴らしい踊りだった。


5.神川豊穣ばやし

神川豊穣ばやし


神川豊穣ばやし


 神川豊穣(かみかわほうじょう)ばやしは、「埼玉県北部に位置する神川町において、1994年に町おこし太鼓教室をきっかけに新しい芸能として誕生しました。町に流れる神流川の豊かな流れと大地の恵みに深く感謝し、『全ての豊穣』作物も人間も豊かに稔ることを願う意味が込められています。現在、郷土芸能として定着することを目指して活動しています。老若男女が息を合わせてさまざまな演目を用意しています。10人で操る大獅子舞、子供や女性の太鼓や舞、力強く叩かれる四尺の大太鼓をご覧ください。」とのこと。



神川豊穣ばやし


神川豊穣ばやし


神川豊穣ばやし


 その説明の通りだと、わずか25年前に始まった芸能である。しかし、その割には、小太鼓、中太鼓、大太鼓があり、また巨大な獅子が出てくるなど、非常に充実している。思わず感心して見ていた。特に巨大な獅子は、他では見たことがない。大勢の人が一心同体となってよく動かしているのは素晴らしい。また、大太鼓の周りを打ち手がいかにも楽しそうに打ちながら踊りまわっている。結構なことだ。


6.津軽三味線

 水戸市から、佐々木光儀一門の津軽三味線奏者がやって来て、ペペペン、ペペン、ペンと、お馴染みの演奏を披露してくれた。まあその迫力といったらない。あの広い青空会場全体に響き渡る。これは、写真よりはビデオに撮っておくべきだろうが、著作権がどうなっているのか不明だし、私のホームページ内では取り扱いづらいので、いつも通り写真だけにしておこう。

津軽三味線。高橋拓美さんと高森彩花さん、そして師匠の佐々木光儀家元


 この日は、佐々木光儀家元とその一門、特にまだ大学生の高橋拓美さんと高森彩花さんが演奏してくれたのだが、この若いお二人は、津軽三味線全国大会で日本一に輝いたそうだ。それもそのはずで、6歳、7歳の頃から修業を積んできているという。佐々木光儀家元は、こういう方々をはじめとして、プロの奏者も何人かを育て上げられたようで、これまた素晴らしいことである。






 ひたち郷土芸能大会(写 真)






(2019年10月26日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:35 | - | - | - |
東京モーターショー 2019

アルピーヌA110S


1.全般的な印象

 東京モーターショーは、2年ごとに開催されており、メモを見ると私は2011年以来、4回、観に行っている。実はその前も、記録はないものの何回か観た記憶があるので、自分では、かなりの自動車ファンではないかと思っている。

 ただ、残念ながら、モーターショーの内容が、次第につまらなくなってきたと思っている。特に今回は、その傾向が強かった。例えば、外国メーカーの出展がない。唯一、ルノーなどが(おそらく日産とのお付き合いの関係で)、日産ブースの真向かいに数台並べていただけだ。一昨年の前回の場合には、ポルシェ、メルセベス・ベンツ、アウディ、フォルクスワーゲンなどが、結構面白い車を展示していたので、様変わりである。

 国内メーカーも、あまり元気がない。例えばトヨタは、レクサスを前回は派手に展示していたが、今回はとても控え目で目立たなかった。その他ホンダ、三菱自動車、スズキなどは、前回までは舞台からのアピールに力を入れていた感があったが、今回はそれほどではなくて、舞台の上はかなり寂しくなった。

 この体たらくは何なのかと思ったが、考えてみると、特に外国メーカーはもう日本市場を見限ったのだろう。それもそれはずで、日本は既に人口減少時代に入り、高齢化が進み、若い人の間ではそもそも自動車に魅力を感じる層が少なくなってきた。かく言う私も、外車でもレクサスでも、買おうと思えばいつでも買えるくらいの資力はできたが、都心に住んでいることから、車は必要ないし買っても逆にお荷物になるばかりだ。

 それに比べて、例えば人口が日本の10倍ある中国では、公共交通機関が未発達である一方、急速な経済発展で自動車を買う余裕がある層が急増しつつある。そこで自動車は必要となるし、充分に買える消費者が育っているが、本格的普及はこれからという段階にある。だから自動車市場としての将来性は、日本より遥かにあるだろう。ということで、やや湿っぽい話になってしまったが、昨今の日中間の経済関係の差が、こんなところにも現れていると思った次第である。


2.主要メーカー

(1)日産グループ

フェアレディZ


真っ赤に塗られたスカイライン


 それでは、見た順に印象に残った車などについて書いていこう。まずは日産だ。目に止まった中に、我々の世代には懐かしいフェアレディZがあった。前者は馬力、後者は優雅さで、一世を風靡した。若い頃、私もこんな車を買いたいなと思ったものだ。ただ、このうちフェアレディZに施された今風の赤と白の塗装はいただけない。これでは、まるでピエロではないか・・・古き良きイメージを大きく損ねている・・・と思いながらしばらく行くと、あった、あった。全て真っ赤に塗られたスカイラインが。車は、やはりこうでなければいけない。

セレナ


電気自動車のリーフ


電気自動車のリーフ


 次にあるのは、セレナか。バンタイプだから、大家族でも乗ることができるし、車椅子対応もできるそうだ。電気自動車のリーフがあった。充電中で、充電ポートが開けてあるのを初めて見た。60分の急速充電で、458kmの航続距離だという。

アルピーヌA110S


 日産の前のブースはルノーだ。黄色い車があったが、説明がないので、よくわからない。その隣に、アルピーヌA110Sという車があった。これは、さぞかしよく走りそうな素晴らしいスポーツカーのように見受けられた。

M1−TECH


K−WAGON


 それから、三菱自動車のブースがあった。ここは3年前に日産グループになってしまった。気のせいか、2年前まではこのモーターショーでの宣伝は、もっと派手だったような記憶があるが、今日はとても大人しい。M1−TECH(マイテック)というコンセプトモデルがあった。小型電気自動車で、しかもオープンカーだ。とても格好が良い。K−WAGONもコンセプトモデルで、なかなか渋いスタイルをしている。でもこれは、軽自動車だ。

(2)ヤマハ

ヤマハ自動二輪


電動の車椅子


 自動二輪車が並んでいる。色目は、ブルーが基調である。あれ、あそこに変わったモデルがある。何だろうと思って近づいてみると、電動の車椅子だ。それも自走式で、しかも折り畳める。これはかなりコンパクトである。リチウムイオン電池だと最大8時間は持ち、市価は45万円だという。将来、家内か私がお世話になるかもしれないので、覚えておこう。

(3)カワサキ

カワサキ自動二輪


 こちらは同じく自動二輪車のメーカーだが、緑色を基調としている。まるで、会社ごとにシンボルカラーがあるみたいだ。しかも、うち1台のモデルの名前が「NINJYA」というから、マンガチックだ。しかし、デザイン的には、いずれの自動二輪も空力特性を考慮した美しい流線型で、非常に優れていると思った。

(4)ホンダ

ホンダNSX


 まず印象に残ったのは、NSXである。若い頃は、スポーツカーとしてこれ以上のものはないと思って乗りたいなと憧れたものだ。ところがうまくしたもので、買いたかった若い頃にはお金がなく、歳をとってお金ができた頃には若さがなくなっていた。こういうものは、買いたいなと思ったときに無理して買わないと、意味がない。

FITベイシック


FITクロススター


 ところで、FITは、ハッチバック式の小型車であるが、ベイシック、ネス、クロススターなどと、色々な種類がある。それからアコードがあった。ホンダを代表する車種で、東南アジアにいたときには、現地の人がとても欲しがっていた。前のライトが細長くて流れるようなデザインだ。

アコード



(5)スズキ

ハスラー


ハスラー


舞台上のお姉さん


 一番の注目を浴びたのが、ハスラーの新型である。ワゴンとSUVを軽自動車で融合したモデルで、ますます力強いデザインとなった。舞台上のお姉さんも、力を入れて宣伝を熱演していた。

アルト


アルト


 ああ、アルトがあった。これは懐かしい。我が家が最初に所有した車である。まるで郵便局の車のように真っ赤に塗られていたが、非常によく走ってくれて、関東各地や中部地方の観光地に子供を連れていくのに重宝した。

(6)三菱ふそう

スーパーグレート


 大型トラック「スーパーグレート」があった。ステアリング、アクセル、ブレーキ制御を自動化し、ドライバーをサポートする技術を搭載しているというのが売りだったが、運転席を覗いてもさっぱりわからなかった。

普通の路線バスを2台連結したバス


普通の路線バスを2台連結したバス


 普通の路線バスを2台連結したバスがあった。中に入ってみると、運転席も座席もそのままに、ずっと後ろまで繋がっている。2台のバスの連結部は、蛇腹である。なるほど、これは道路事情さえ許せば、運転手不足の折には、良い考えかもしれない。

(7)いすゞ自動車

 基幹モデルの「ギガ」が置いてあった。説明によれば、「ドライバーへの疲労軽減装備を拡充し、歩行者や自転車も検知するプリクラッシュブレーキを備えるなど最新のテクノロジーが満載」だそうだ。

ギガ



(8)UD

風神


雷神


 このメーカーはネーミングセンスが非常に良くて、実験車両のトラックに「風神」、「雷神」と名付けている。このうち風神は、レベル4の自動運転技術実験車で、雷神はハイブリッド実験車である。とりわけ風神は、なかなか難しい近未来の技術であるが、高速道路の上だけでも実現できれば、安全運転、省エネルギー、運転手不足などに大きな効果がある。早く市販にこぎ着けてもらいたいものだ。

(9)スバル

レヴォーグ


 基幹車であるレヴォーグが非常に素晴らしい。精悍で力強いフォルム、これで実際に走ってみたいと思わせる車だ。世の中に根強いスバル・ファンがいるのは、さもありなんという気がする。

(10)トヨタ

トヨタ


トヨタ


 トヨタは、市販モデルを並べるのではなくて、未来のコンセプトに繋がるモデルを用意したというのであるが、素人にはあまりに先端すぎて、何が何だかよくわからなかった。これに対してトヨタグループのダイハツの車は、そのまま野菜を売りに行けそうなものなど生活に身近なもので、わかりやすかった。


3.その他メーカー

(1)AGVとNCV

AGVと天野浩教授


 濃い青の小型のスポーツカーがあった。その脇に見たことがある人の全身写真があって、にこやかに笑っている。どこかで見たことがある人だと思ったら、青色LEDに関する研究でノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学の天野浩教授ではないか。書かれていたものを書き写すと、「AGV(All GaN Vehicle)は、低酸素モビリティ社会を実現するため、次世代半導体材料GaN(窒化ガリウム)を電動化技術に適用したコンセプトカーです。平成29年度よりGaNインバータやコンバータなどの研究開発に着手し、CO2排出量20%削減を目標として、電動化部品開発、車両性能評価、CO2削減効果などの評価・検証に取り組みます。

 駆動システムとして、後輪にインホイルモーターとGaNトラクションインバータに配置、さらにGaNを適用したコンバータ、車載充電器、レーザーハイビームランプなど省エネルギーGaNエレクトロニクス・システムを採用。」
とある。なるほど、電気自動車でも、シリコン型半塔体に替えて、次世代半導体材料のGaN(窒化ガリウム)を使って、CO2排出量20%削減を目指す。その研究を天野教授が行っているというわけだ。

NCVとミス日本みどりの女神


 そうかと思うと、ガルウィングの小型スポーツカーがあり、その隣に「ミス日本みどりの女神」というミスコンテストの優勝者らしきお嬢さんがにこやかに微笑んでいる。その説明には、「NCV(ナノ・セルロース・ヴィークル)、木からつくる自然なクルマへの挑戦。環境省セルロース・ナノ・ファィバー(CNF)等の次世代素材活用推進事業」とある。そして、

 「今、自動車が大きく変わろうとしてします。CO2排出量を大幅に減らすための電動化と軽量化です。軽量化には、軽くて強い材料が必要になります。その材料として注目を浴びているのが、植物を原料としたナノレベルの強化繊維:セルロース・ナノ・ファィバー(CNF)です。環境省では、そのCNFを使った車(NCV)っくりに挑戦しています。」と書かれていた。

 へーぇ、環境省はこんなことまでやっているのか。なになに、ボンネットは100%CNFで作っている。ドアトリムとスポイラーはPP−CNF製、インテークマニホールドはPA6−CNF製だという。これらはプラスチックとCNFとの複合材料だろう。このうちPPはポリプロピレンだから、これに植物のセルロースから作ったCNFを混ぜて強化プラスチックとするようだ。気泡ができたり、成形がうまくいかなかったり、強度が足りなかったりと、色々と問題山積だったと思うが、それを乗り切って作ったのだろう。これらを活用して、車全体で10%以上の軽量化を達成したそうだ。

 それにしても気になるのは、こうした材料は、鋼板のように再利用出来ないのではないだろうか。それに加えて、車が軽くなって燃費は上がるかもしれないが、プラスチックとCNFを作ったりこれらを混ぜて成形したりするエネルギーを計算して鋼板を使うケースと総合的に比較しないと、本当の答えは分からないのかもしれない。

(2)澤藤電機

澤藤電機のブース


 最後にもう一つ、印象に残った展示がある。それは「澤藤電機」のプラズマを用いた水素製造装置「プラズマ・メンブレン・リアクター(PMR)」である。要はアンモニアから水素を得てこれを燃料に使うシステムだ。

 これまでのシステムで水素を得る方法は、

  ・ 水の電気分解から
  ・ 天然ガスなどの化石燃料から
  ・ 森林資源や廃材などのバイオマスから
  ・ 製鉄所や食塩電解などの工場で発生するガスから

の4択だったが、今度は「アンモニアから」という新たな選択肢ができたというわけだ。

 なぜこの技術が注目すべきかというと、将来この装置が小型化して車に積めることができれば、常温で液体のアンモニアの形でトヨタのミライなど既存の「燃料電池車(FCV)」にそのまま積載してこれを走らせることができるからだ。というのは、従来のシステムでは、工場で水素を製造してから運搬するのに絶対温度に近い零下253度に冷やさないといけない。こうすれば体積を800分の1にすることができる。そうした上で、これをガソリンスタンドに相当する「水素ステーション」に運ぶ。そこでは、燃料電池車に充填するのであるが、従来は200気圧程度の高圧水素タンクが使われていて、最近はその倍以上の気圧のタンクが普及しつつあるものの、高圧になればなるほど取扱いが難しい。もしこれが、この澤藤と岐阜大学のシステムでアンモニアから水素を発生させて代替できるとなれば、こうした問題は全てなくなる。なぜなら、アンモニアは常温では液体なので扱い易く、その分、効率が上がるからだ。

 では、どういう仕組みかというと、「プラズマを用いた水素製造装置『プラズマ・メンブレン・リアクター(PMR)』を用いた水素製造装置は、水素分離膜(高電圧電極を兼ねる)、石英ガラス管、接地電極、プラズマ電源で構成されています。PMRにアンモニアを供給し、プラズマ電源から3万ボルトの電圧を印加すると、アンモニアが水素原子(H)と窒素原子(N)に分解されます。水素分離膜は水素原子のみを透過させるので、水素原子と窒素原子を分離することが出来ます。水素分離膜を透過した水素原子は結合して水素(H2)になり、高純度水素として外部に取り出すことが出来ます。また、残りの窒素原子は結合して窒素(N2)になり、大気へ排出されます。

 改良型PMRには、プラズマとアンモニアの接触時間を長くする目的で、電極間(水素分離膜と接地電極の間)に、吸着剤を充填しています。この吸着剤の効果により、プラズマによる水素原子の生成が促進され、水素分離膜を透過する水素原子の量を増加させ、従来と比較して、2倍の水素製造量300NL/h が得られるようになりました。」
とある。

 その説明は、石英ガラス管の中にアンモニアを入れ、管の中の水素分離膜に高電圧をかけると、水素原子だけを分離することができ、その水素原子は結合して水素分子となって取り出すことができる。そして今回の改良は電極間に吸着剤を充填したことにより、その効果で製造量を倍にしたということらしい。目標は、更にその倍にすることを目指してようだから、水素の流通と利用を大きく変える可能性を秘めている。是非とも頑張っていただきたい。





(2019年10月25日記)


カテゴリ:エッセイ | 22:19 | - | - | - |
孔雀の舞う楽園

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 家内が「こんなのあるわよ。」と言って、「孔雀の舞う楽園」と題するパンフレットを持ってきた。上半分はタイ式の寺院、下半分はきらびやかな踊りである。「雲南省シーサンパンナの少数民族歌舞公演」とある。その裏には、このようなことが書かれている。

 「日中友好会館主催の『中国文化之日』は、中国各地の文化を日本に紹介することを目的とし、1990年より毎年秋に開催しています。29回目となる今年は雲南省シーサンパンナ(西双版納)タイ族自治州に暮らす少数民族の歌舞をご紹介します。

 雲南省最南端に位置するシーサンパンナには、中国唯一の熱帯雨林が広がり南国情緒が溢れています。楽園のようなこの地では、古くから多くの少数民族がそれぞれの文化を育み尊重し合いながら暮らしてきました。 本公演では、水のように柔らかいタイ族、炎のように情熱的なハニ族、お茶の栽培に長じるプーラン族等の歌舞を紹介します。煌々と輝くタイ族宮廷舞踊や無形文化遺産承継人による象脚鼓(象の脚の形をした太鼓)の演奏、華やかなファッション・ショー等、シーサンパンナの魅力がぎっしりと詰まった1時間をお楽しみください。」


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 私はたまたま、先月のチャイナ・フェスティバルで、中国北方の少数民族である黒竜江省同江市赫哲族の民族舞踊を見たばかりなものだから、今度は南方の少数民族かと思って興味がわき、俄然行く気になった。ただ、今回は「日中友好協会」と「雲南省シーサンパンナ・タイ族自治州文化と旅遊局」主催のちゃんとした舞台公演なので、気楽にカメラで写真を撮るというわけにはいかない。

 前売り券の価格はわずか千円で、インターネットを通じて購入し、セブンイレブンで券をもらった。比較的早く予約したから、席はB列と、2列目だった。雨のそぼ降る夕方だったが、金曜日の初回公演に日中友好会館に行ってみた。地下のホールである。椅子の上に置かれていたパンフレットを引用しながら、公演の様子を再現したい。

 まず、このパンフレットの表紙の写真を見ると、広がる青空に高く白い雲が散らばり、その下には長く伸びた椰子の木、タイ風の金ぴかの寺院があり、その前を日傘をさしたロングドレスの婦人たちがゆったりと歩いている。これはまさに、タイの風景である。

 プロローグは、ジノー族伝統楽器「奇科(キーカー)」。中国56番目の少数民族ジノー族の伝統楽器で、竹の半分以上を半割にして、そうした長さの違う竹を並べて木のバチで叩いて音を出す。もちろん素朴な音だが、昔は狩りに成功すると竹を叩いて村の仲間を呼び寄せて分け合った。そのときに獲物の大きさによって竹の音程を変えていたから、この楽器が生まれたという。

 最初は、「孔雀の舞」という女性群舞。いきなり、クライマックスを持ってきたようなもので、これは素晴らしい踊りだった。黄色い衣装を身に付けた女性の踊り手が、クルクルと舞いながら時々止まり、長いスカートの裾を持ち上げて片手を天に向けて指し伸ばしてポーズをとる。すると、実に優雅に見える。これを称して「孔雀はタイ族の幸福の象徴です。その美しい姿に誰もがシーサンパンナにあこがれを抱きます、高く舞い上がる孔雀はタイ族の向上心と情熱、よりよい生活を求める願いを表しています。」とある。ちなみに、これがインドであると衣装の色は間違いなく緑と青の孔雀色だが、そうしないで黄色にしたのは、いかにもタイ族らしいと思った。

 2番目の演目は、「鼓舞神(音偏に「均」の字の旁)」(グーウーシェンユン)という男性群舞。タイ族を象徴し、これなくしてタイ族の舞踊は成立しないとまで言われる「象脚鼓」(その形が象の脚に似ている)を駆使して、舞台狭しと叩いて踊り回る。その合間に蹴り飛ばす足、神経を使った指の動き、二本の剣のさばき方など、見どころが多い。こういうのを見ていると、タイ族は、南国の楽園でのんびりした民族というよりは、結構、剽悍な民だったのではないかと思う。また、そうでなければ東南アジアのタイからはるか離れて、こんな中国の一角にまで進出してくることはなかっただろうと思う。

 3番目は、「水の中のあなた」と題するタイ族の女性群舞。「タイ族は、古くから水と共に暮らし、綺麗好きな民族として有名です。また、水浴びを好み、『水のように柔らかい民族』や『水の民』などと言われています。穏やかで美しいタイ族女性の特徴が表れた舞踊です。」とあるが、女性たちが銀色の水の容器を持って、(表現はあまりよろしくないが、要は)くねくねと踊るものである。今、「くねくね」と表現したが、それが非常に優雅で、洗練されている。時々、観客に水を掛ける動作をする。そういえば、タイ歴で新年を迎える直前の毎年6月24日から、水掛け祭りが始まる。昔、悪魔を退治した時に水を使って穢れを取り除いたという言い伝えから、水を掛けたり浴びたりすると幸せになるそうだ。

 4番目は、タイ族の楽器「フルス」の独奏である。フルスは、雲南省に暮らす少数民族に伝わる楽器で、上は瓢箪そのもので、その下に2本の竹がぶら下がっていて、おそらくその効果で、音響が良くて、楽器の語源になっている通り、絹を震わすような繊細な音色が出ている。

 5番目は、「糸を紡ぐ娘たち」と題するハニ族の女性群舞。「ハニ族女性は、糸車などの機械を使わず手紡ぎで糸を作ります。糸車を使うと、糸紡ぎをする場所や時間が限定されるからです。彼女たちは、市場に行く途中などの時間を使い、歩きながらせっせと糸を紡ぎます。そんなハニ族の勤勉さや、明るく情熱的な民族性を表しています。」とのこと。だから、踊り手たちは、糸車を持って縦横無尽、かつ天衣無縫に踊っていた。また、ミニスカート姿だったが、これは、狭い棚田でも動ける機能的なスタイルらしい。

 6番目は、「水を汲む娘」と題するタイ族の女性独舞。「タイ族の人々は水に対して特別な思いを持っています。水はタイ族文化の源だからです。娘が一人、水辺で踊っています。そのたおやかで美しい姿は、母なる河の優しさを思い起こさせます。演者の王叫国は、2016年水掛け祭りの『美少女コンテスト』でグランプリを獲得しました。」とのこと。手脚の長い痩せ型の美しい女の子が、銀色の水の容器を持ち、まるでそれをボールのように使った新体操のごとく演じる。それに、タイ舞踊独特の手の繊細な動きが加わって、なかなか良かった。

 7番目は、「長甲舞(チャンジャーウー)」と題するタイ族の宮廷舞踊。「タイ族の信仰する上座部仏教(小乗仏教)では、古来より黄金の長い付け爪を装着した女性が、宮廷の祭典で舞踊を披露してきました。黄金に輝く艶やかな姿に美しい音の調べ。古来より今に伝わる悠久の文化です。」とある。1番目の「孔雀の舞」が優雅そのものであるのに対し、この「長甲舞」は、宮廷の舞らしく、まさに豪華絢爛という名にふさわしい。黄金色の衣装に冠を身に付け、黄金の長い付け爪が微妙に動いて、実に繊細な踊りである。これを見ただけでも、今日は来た甲斐があったというものだ。

 8番目は、タイ族伝統武術で、拳法、剣術、象脚鼓舞である。なかなか勇壮な踊りだった。しかも驚いたのは無形文化遺産承継人で、一見若々しいが、56歳とのことで、既に17歳の時から弟子をとって名人の道を歩んできたとのこと。

 9番目は、プーラン族の歌舞「祝福」で、「プーラン族は長い歴史を持つ少数民族です。独自の言葉、服装、歌や踊り、習慣を現在まで口承により伝えてきました。『歌で気持ちを伝える民族』と言われるプーラン族の明るく軽快な音楽をお楽しみください。」とのこと。惜しむらくは、少しでも、個々の歌詞の意味がわかればなと思った。

 10番目は、タイ族の演唱「章(口偏に合旁)」(ジャンハー)で、「ジャンハーという言葉には『歌手』又は『曲芸表現の一つ』という意味があり、タイ族の人々にとって欠かすことのできない娯楽の一つ」という。旋律があるというよりは、詩の読み上げのようである。


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 エピローグは、少数民族衣装ファッションショーで、シーサンパンナで暮らす13の少数民族のそれぞれの民族衣装の違いがよくわかった。要は、お互いに、全然違うのである。相互に影響を受けたという形跡もない。むしろ、独自性を更に強めた感がある。

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 さて、公演が終わり、会場出口で、出演者と観客が触れ合う場が設けられた。出演者の皆さんは、やはりその道のプロらしく、笑顔を絶やさず、サービスに努めてくれていた。





(2019年10月18日記)


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