アート・アクアリアム

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 この夏は、まだ始まったばかりだというのに、猛烈な暑さである。7月の平均気温は平年より2.8度も高い。一時は絶対値で40度もあったほどだ。ということで、せっかくの土曜日だから、出掛けるにしても、暑くないところと考えて、日本橋の三井ホールで行われている「アート・アクアリウム 2018」に行くことにした。

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 入場すると、廊下の天井に格子があって、その一つ一つに琉金が入ってゆらゆらと動いている。背景に立体的な鏡があるので、その姿があちこちに反射して、何尾もいるように見える。江戸時代に、紀伊国屋文左衛門という目端の効いた商人が、大火で焼け野原になった江戸の町へ、木曽の木材を運んで大儲けした。大金持ちとなった文左衛門は、その屋敷の天井にギヤマンつまりガラスを張って、金魚を浮かべて悦にいったと聞いたことがある。それはこういうものだったのかと思ったのだが、この展示は、まさにその話をヒントにしたようだ。

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 会場に入ると、全体に暗くしてあって、色々な形の水槽があり、そこに当たる光の色が刻々と変わる。オレンジ色、紫色、青色、緑色、赤色、昼光色と、様々で、もちろんそれに応じてその色を反射する金魚や緋鯉の見え方も変わっていく。写真を撮る時はこれがカメラマン泣かせで、昼光色の光が当たっていないと、色がめちゃくちゃになってしまう。例えば、真っ赤な模様のはずの金魚が、何とまあ、真っ黒な模様に写ってしまうのである。そんな中で何とか写すことができたのが、別途の写真である。

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 ちなみにこの会場に入る時に確かめたところ、ビデオやフラッシュによる写真だけが禁止されていて、あとは良いという。インスタ映えを狙っているのだろう。「花魁」のイメージが元に作られた不思議な形の水槽などは、インスタグラムに写真を載せれば、確かに見栄えがする。

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 最初に、緋鯉が立派なのには驚いた。それもそのはずで、これらは緋鯉の本場である山古志村の産だという。値段を言うのも品がないかもしれないが、一匹が何百万円もしそうだ。

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 金魚は、2000年ほど前に、中国南部の鮒の一種(ヂイ)から偶然に赤い個体が生まれ、それが代々にわたって飼育され、新品種が選び抜かれて今日に至っている。日本に渡来したのは今から1500年ほど前の室町時代である。その時は、今でいう「和金」つまり流線形をした赤い小さな魚だったという。それが、今では多くの品種に分かれている。

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 「水泡眼」は、ほっぺたが膨らんで、ゆらゆらと揺れている珍しい金魚だ。「琉金」は、口が突き出た卵で尾が短めのスカートをはいているように見えるありふれた金魚だが、観ていて飽きない。「蘭鋳」は、まるで卵に飛行機の尾翼を直接くっつけたような金魚だ。よくこんな姿で泳げるものだ。

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 黒の「出目金」は、横から見るとまるで怪獣映画に出てきそうな剣呑な顔つきをしている。紫色の照明に照らされて、ますます不気味に感じる。ところが、水槽を上から覗き込むと、印象は全く変わって、よちよち歩きの幼児のように可愛い。その次のスマートな流線型で尾びれが長いのは、いわゆる「コメット」だ。欧米に渡ってからその地で作出された品種らしい。

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 琉金タイプの金魚にも、色々ある。赤白黒の色の派手な金魚は「キャリコ」である。頭に何か被り物をしているように見える金魚は「オランダ獅子頭」だ。その泳ぎ方を見ていると、実に可愛いのである。最後は、頭だけが赤くて、後は真っ白の「丹頂」である。一見して涼やかで、凛々しい。

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 私などは、こうして緋鯉や金魚の種類だけを鑑賞して十分に楽しんでいる方だが、このアート・アクアリウムは、更にまた水槽の形や照明で飾ろうとする。これを「アート」というのか、魚にとっての「迷惑」というのか、私にはよくわからない。






 アート・アクアリアム(写 真)


(2018年8月 4日記)

カテゴリ:エッセイ | 21:29 | - | - | - |
上野動物園の初夏

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 実は、7月の終わりのこの週末は、能登半島の先端の松波で行われる予定の「松波人形キリコ祭り」を見に行くつもりで、飛行機と宿を手配していた。能登半島では、7月から8月にかけての週末に、どこかの町でキリコ祭りが行われる。こちらの能登町松波の各町内から出るキリコは、「金箔を施した総漆塗り、前面には人形を飾る」ということで、他のキリコとはまた別の趣があるから、是非行きたい思ったわけである。ところが、たまたま台風12号が発生し、その進路予想によるとちょうど週末に東京から能登に抜けるということになっていた。だから、ひょっとして飛行機が飛ばないかもしれないと懸念していた。そうこうしているうちに、前々日の木曜日になって、ANAからメールが入った。要は、「天候が悪いので、日程の変更か払戻しをお勧めする」というものである。この進路予想からして、やむを得ないと思い、インターネットで解約をした。手数料は不要だった。それから、泊まる予定だった宿と、空港に来てもらう予定だったタクシー会社にキャンセルの電話をした。その上で、2〜3日間は籠城できる水と食糧があることを確認して、自宅にいた。隅田川花火大会も、土曜日は中止となった。

 そうしたところ、何のことはない。台風の進路が関東直撃の予想だったものがそれて、実際には東海道沖の海岸に沿って東から西へと進み、三重県に上陸して大阪から瀬戸内を経由して九州方面へと行ってしまった。まさか台風がこの場所から西へ進むとは、常識では考え付かない逆行現象である。唖然としてしまった。特に瀬戸内地方ではつい最近、豪雨に見舞われて大変な被害をこうむったが、またこの台風で災害を重ねなければよいがと心配する。それはともかくとして、結果的には羽田空港から能登空港へ飛べたし、松波キリコ祭りも開かれたようだから、予定通り行っていればよかったのにという気もする。まあしかし、台風に閉じ込められるというリスクを冒すこともないと、自ら納得した次第である。そういうことで、週末に行くところがなくなってしまった。そこで、昨日のしながわ水族館のウミウシに続いて本日は、パンダのシャンシャンを見に近くの上野動物園へ行くことにした。


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 パンダ舎の前には行列ができていて、40分待ちの表示があった。そこに並んでいると、天幕の一部が上げられていて、パンダの様子がチラリと見える。なかなか良い仕掛けである。そこから覗いていると、木の上に白い丸いものが見える。1歳になったばかりの赤ちゃんパンダのシャンシャンが、木の上でだらりと寝ているのだ。2メートルはありそうな木の上だから、危なくないのだろうかと思うが、平気で器用に寝入っている。そこから、更に20分ほどして、いよいよ私たちの番になり、パンダ舎に入った。最初に父親のリーリーがいる。上向きでだらしなく寝ている。次に母親のシンシンがいて、これはうつ伏せに寝ている。シャンシャンはというと、先ほどと全く同じ姿勢で、微動だにせずに寝ている。連日40度前後のうだるような暑さだから、よく寝たくなるのも、わからないわけではない。でも、なんともはや、張り合いのないパンダ見物となった。

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 せっかく来たからというので、まずタイガーを見に行った。ライオンと違って、タイガーはしょっちゅう動き回っている。この日もそうで、あっちへ行ったりこちらに来たりで忙しい。連日の40度を越すほどの猛暑で暑くてたまらないせいか、タイガーが池の水の中に入っている珍しい写真が撮れた。ライオンは、雄を撮りたかったが、雌しか見当たらなかった。こちらも、相変わらずゴロゴロとしている。

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 西ローランドゴリラの方に行った。そういえば、かつては孤高の哲学者のような風情を見せていた「ムサシ」は、もう亡くなっている。その代わり、雄として、「ハオコ」がいる。シルバーバックだから、今が男盛りなのだろう。目つきを見ると、まあ普通なので、よいお父さんなのだろうと思う。大人の雌として、「モモコ」がいる。いたずらっぽいような目つきをしているこのゴリラが、そうかもしれない。まだ子供のゴリラで、雄の「リキ」がいるはずだ。頬杖をついているこの子がそうだろうと思う。

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 バードハウスに入ると、「ルリゴシボタンインコ」というオレンジと黄緑のスズメ大の可愛い鳥がいた。愛らしく動作も機敏なので、見ていて飽きがこない。「カンムリエボシトリ」という鳥は、すっきりした感じで、なかなか品が良い。

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 シロクマ館に入って、北極から来た白熊くんを撮ろうとした。まず空中に出ている顔を写そうとしたが、ガラスが曇っていて、うまく撮れない。そこで、水中の白熊を撮るしかなかったが、潜るのに夢中でなかなかこちらを向いてくれない。それでも、水中ではとても身軽に動いていると思った。そうでないと、アザラシ猟などできないからだ。本来の生息地である北極では、温暖化のために氷面が縮小して海面が広がりつつある。そうすると北極熊は狩りができないらしい。だから絶滅が心配されている。

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 そこを出て、蓮池の方に行き、今が盛りの蓮の花を撮り、ペンギン、フラミンゴ、ハシビロコウを見て帰って来た。ハシビロコウは、相変わらずじーっと立っていて、その顔を見るとユーモラスで面白い。上野公園に一時、パンダがいなかったとき、パンダに代わる人気者だったそうだ。




 上野動物園の初夏(写 真)


(2018年7月29日記)

カテゴリ:エッセイ | 20:01 | - | - | - |
しながわ水族館の海牛

アオウミウシ


 先々週は西日本で大変な災害に見舞われたと思ったら、先週は連日摂氏40度になろうとする猛暑が続いた。そうしたところ、今度は関東圏から中部圏そして近畿圏にまたがって台風が直撃した。異常気象も、ここに極まれりというわけだ。そういう中、涼しくて大雨にも大丈夫な「しながわ水族館」に行ってきた。前回は2010年に行ったから、8年ぶりとなる。

 実は今回は、「ウミウシ」特別展が開催されている。これが、行ってみようと思った動機である。ウミウシ(海牛)というのは、「後鰓類」という巻き貝の一種であるが、元々持っていた貝殻が縮小していたり、体内に埋没していたり、甚だしいのは消失していたりする種だ。そうすると外敵に対して防護手段がないのではないかと思うのだけれど、どういうわけか、鮮やかな色合や模様を呈しているものが多い。そのため、シンデレラとか、ハナオトメなどという派手派手しい名前がつけられている。色鮮やかだから、被写体としては最適だ。私は、アオウミウシが気に入って、しばらく眺めてから、写真を撮ろうとした。


アオウミウシ


 ところが、なかなか撮れない。まずは大方のウミウシが余りにも小さくて、数cm以下だ。しかも、それが水槽の中にいるものだから、ただでさえ撮りにくい。次に、水面近くを這い回っていたり、隅っこにいるものだから、これまた撮りにくいのである。うっかりしてマクロレンズを持っていなかったこともあり、四苦八苦しながらどうにか何枚かを物にした。

ハナオトメウミウシ


テヒダイボメウミウシ


 それにしても、妙な動物である。ピンク色、白と黒のブチ模様、白い身体にオレンジ色の玉模様、青と黄色の縞模様など、まさに色々だ。でも、どれにも共通なのは頭の上に2本の角、お尻のところに尻尾みたいなものが付いている。ノロノロと動いている。まるでナメクジそのものだ。なぜ襲われないのだろうと調べてみたら、まず全然美味しくないらしいし、それだけでなく、中には有毒なものを食べてその毒を蓄積しているものもいるらしい。フグのような生き残り戦略である。

クリオネ


クリオネ


 同じく貝殻の退化した後鰓類で、北方の海中で天使の翼のようなヒレで遊泳するのが、クリオネ(ハダカカメガイ)である。「裸殻翼足類」というそうだ。これも展示してあって、体が半透明でオレンジ色の頭や内臓が見えるが、頭に角のような2本の可愛い突起があり、小さな三角形の翼を広げたり閉じたりして美しく優雅に泳いでいる。背景を青くしてあるから、泳ぐ姿がはっきりと見える。つくづく眺めていると、本当に不思議な生き物だ。いつぞやのテレビ番組で見たが、エサを獲るときは、この頭が割れて6本の突起が出、それで押さえ込んで力づくで捉える。まるで天使が一瞬にして悪魔になったように感じたものである。何でも、見かけで判断してはいけないということだろう。

グレートバリアーリーフ


ナポレオン・フィッシュ


 ところで、この品川水族館の売りのひとつは、イルカ・アシカのショーなのだが、1週間ほど前にバンドウ・イルカのチィナが出産したので、この日は中止となった。もうひとつは、トンネル水槽で、アオウミガメが非常に印象的だった。こちらは、以前とあまり変わりがない。ともかく、繁殖に成功しておめでたいことである。そのほか、グレートバリアーリーフの熱帯の海は相変わらずきらびやかなお魚が泳いでいたし、ナポレオン・フィッシュは堂々としていた。ニモとして有名になったカクレクマノミは、実に可愛い。オオカミウオは、よく見ると、結構トボけた顔をしていて面白い。クラゲは、いくつか展示してあったが、どれも小型であまり印象に残らなかった。近く、クラゲ専門の鶴岡市立加茂水族館から援軍が来るてくれるそうだ。そういう交流で、切磋琢磨してくれれば良いと思う。

カクレクマノミ


オオカミウオ


クラゲ








 しながわ水族館(写 真)


(2018年7月28日記)

カテゴリ:エッセイ | 19:09 | - | - | - |
浜松への旅

浜松城


 私は、東海道新幹線に乗って通過するたびに気になっていたのが、浜松駅前にある特徴的な高層ビルである。一見して200mを超えるレンガ色のハーモニカのような形のビルで、同じ静岡県でも県庁所在地である静岡駅には、こんなに高い建物はない。これは、いったい何だろうと思っていたからである。ところがこのほど、機会があって、浜松を訪れることができた。いつものように、あまり時間がない忙しい旅なので、楽器博物館、浜松城、ジオラマパーク、そしてこの高層ビル(アクトシティ浜松)を見てきた。このほか時間があれば、井伊家の菩提寺である龍潭寺と、地元の自動車メーカーであるスズキ歴史館にも行きたかったのだが、それぞれ、車で片道45分もかかるとか、事前の予約が必要とか言われて断念した。

楽器博物館


 まずは、楽器博物館に行った。イヤホンを貸してくれて、その楽器の前に行って掲示してある番号を押すと、音楽や解説が聞こえてくるという仕組みだ。解説はもちろん有り難いが、それ以上に、目の前の楽器からはこんな音が聞こえてくるのかと納得できるのがよい。だいたいが見かけ通りの音だったが、中にはその武骨な外観とは想像ができないほどに繊細な音が聞こえてきて、面白い。係りの人には、全部を聴いて回ると、2時間かかると言われた。

楽器博物館 アジアや中近東の民族楽器


楽器博物館 バリ島のガムラン


楽器博物館 タイの楽器


 1階には、アジアや中近東の民族楽器が展示してある。入り口から入って正面にあるのは、ジャワとバリ島のガムラン音楽の楽器である。打楽器だが、お鍋そのもの並んでいるような楽器もある。また、私が先年バリ島に行ったときに観た「バロン劇」に出てくる善の神バロンのようなものまであった。まさかこれは楽器ではないだろう・・・日本で言えば、お獅子のようなものである。そうかと思えば、近くに仏像と象が表に彫られた不思議な楽器があった。これはタイのものかと思ったら、やはりそうだった。更に先へと進む。おやこれは、古代中国の曾侯乙墓から出てきた「編鐘」のレプリカだ。昔、東京国立博物館で開催された特別展「曾侯乙墓」で見たことがある。大中小の数多くの青銅製の鐘が、青銅の支えがある3段の木枠に並べられた楽器だ。このように、どうも私は、音楽や楽器よりもむしろ民族文化に、ついつい興味が向いてしまう。

楽器博物館 編鐘


楽器博物館 楽器の東西伝播ルート


 地下1階に降りると、まずは中南米やアフリカの楽器が置いてある。弦楽器の伝播の地図がある。中近東のペルシャで生まれた「バルバット(?)」が、西へ渡って西アジアの「ウード」になり更に西の欧州の「リード」になった。そのバルバットは、東へ渡って中国の「ビバ」に、それが日本に伝来して「琵琶」になったそうな。平家物語の引き語る琵琶も、シルクロードの伝来物だったとは知らなかった。 それから、アフリカの楽器もある。これらは、音色はともかく太鼓を叩く姿などその素朴な生活を表す造形が面白い。また、木琴のような打楽器の下を覗くと、色々な大きさの瓢箪が付けられていて、共鳴器のように使っていた。

楽器博物館 アフリカ


楽器博物館 アフリカ


楽器博物館 エチオピア


 地下1階の奥の部分には、とりわけピアノの歴史がよくわかるようになっていて、その原型のチェンバロから、これに音の強弱を付けられるようにしたピアノの先祖に当たる「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」に始まり、現代のピアノに至るまで技術的改良が加えられてきた経緯が良く分かる。感心したのは、アクション(鍵を押し下げるとハンマーが連動して弦を叩く仕組み)の改良の歴史で、アップライト型ピアノの時代とグランド型ピアノの時代への移行と、アクションがウイーン式、フランス式、最後にイギリス式へ進化していく過程を、実際にその模型で知ることができる。音を出してみて、よくわかった。

楽器博物館 ピアノの原型


 こうしてピアノはもちろん、そのほか管楽器も含めて、どうしてこれほどまでに体系的に揃っているのかと思ったら、同博物館のHPによると、「楽器収集家であったアメリカ人、ロバート・ローゼンバウム氏のコレクションが中心で、18〜19世紀の管楽器がそろっています。T.スティンズビーSr.作のイギリスのオーボエや,プロイセン王国フリードリヒ大王ゆかりのフライヤー作クヴァンツ型フルート、フランス ブルボン王朝の王室御用達楽器製作家F.E.ブランシェ2世作のチェンバロなど,世界的名器も含まれています。ウィーンのワルターやシュトライヒャー、ロンドンのブロードウッドなど名工の手による19世紀のピアノ(フォルテピアノ)は圧巻です。A.サックス自身の作のサクソフォーン、19世紀イギリス製のミンストレル・バンジョーも世界的に貴重なコレクションです」とのこと。なるほどと納得した。

浜松城天守閣


 次に浜松城に向かう。当時の遺構は野面積みの石垣だけで、天守閣そのものは戦後のコンクリート造りであるから文化財としての価値はない。しかし、なんと言っても徳川家康の根拠地であったし、その後に江戸幕府が成立してからも、藩政300年の間に歴代浜松城主が25代もころころと代わったが、水野忠邦などその多くが幕府の重役に出世した。老中に5人、大阪城代と京都所司代に各2人、寺社奉行に4人という具合で、「はま松は 出世城なり 初松魚」(松島十湖)と詠まれたという面白いお城である。

浜松城天守門


 浜松城の天守門を140年ぶりに復元し、加えて今年は天守閣の再建60周年記念だそうだ。天守閣そのものは3層構造で、他の城の天守閣を見慣れた目には、非常に小さく見えるが、登ってみると、見晴らしは非常に良い。ただ、最上階の周囲を金網で覆っているために、写真が撮れないのは、誠に残念である。手を伸ばして金網の上から数枚を撮ったが、疲れる。管理者の方で、金網のところどころに、写真用の穴を開けてくれればと思った次第である。

家康が三方ヶ原の合戦直後に絵師に描かせたという自らの憔悴した姿


 かねてより観てみたいと思っていたのが、家康が三方ヶ原の合戦直後に絵師に描かせたという自らの憔悴した姿である(本物は、たしか徳川美術館にあった)。言い伝えによると、家康はこれを見て常に自分を戒めたという。なるほど、油断したり奢ることなく、いつも自省しつつ慎重に行動するというのは、いかにも家康らしい。ところで、その脇にあった「徳川家康公400年記念事業として制作された30歳前後の等身大家康像。 『手相・しわ・毛穴』まで再現され、今までにない家康公の姿を披露しています。」には、そのあまりの迫真さにビックリした。

徳川家康公400年記念事業として制作された30歳前後の等身大家康像


 三方ヶ原の合戦(元亀3年:1572年)は、家康の生涯で最大の敗戦で、南下して通過しようとする武田信玄の騎馬軍団2万7千に対し、家康が1万2千(8千という説もある)で挑んで一蹴された戦である。この戦いについては、次のような色々な伝承がある。曰く、

 (1) 「小豆餅」「銭取」という地名の由来である。家康が三方ヶ原で敗戦の直後に逃げてきたところ、ある茶店に小豆餅を売っていた。それを口にしていたところ、武田氏の軍が追いかけてきた。そこで家康は、代金を払わないまま逃げ出した。茶店番の老婆はこれを数キロも追いかけて、遂に支払ってもらったという。その茶店があったところが「小豆餅」(あずきもち)と、代金を払ってもらったところが「銭取」(ぜにとり)というらしい。いずれも現存している。

 (2) 「白尾」というのは、三方ヶ原の敗戦で、白い尾の馬に乗って辛くも逃げてきた家康が、八幡神社の楠木の洞穴に逃げ込んだ。ところが白い尾が出ているので、村人がそれを指摘したことから、難を逃れた。家康は恩賞としてその村人に「白尾」(しらお)という苗字を与えた。

 (3) 「小粥」というのは、三方ヶ原の敗戦で逃げている途中の家康が空腹になり、とある農家に逃げ込んだ。ところが食べるものといえば、粥しかない。それを何杯も食べた家康は、お礼として後に「小粥」(おがゆ)という苗字を与えたという。

いずれも話としては面白いが、どれも出来過ぎていて、眉唾物である。


浜松ジオラマファクトリー スターウォーズ


浜松ジオラマファクトリー スターウォーズ


浜松ジオラマファクトリー 「天空の城ラピュタ」に出てくるロボット


 さて、そこから少し歩いて、ザザシティという建物の中にある「浜松ジオラマファクトリー」というところに行った。こちらは、山田卓司さんという地元のジオラマ作家の作品を常時展示しているところで、駄菓子屋さんの一画を借りている風である。スターウォーズやゴジラなどの日本の怪獣もの、スタジオジブリの「天空の城ラピュタ」に出てくるロボットなどがある。それに、郷愁をそそる「昭和シリーズ」(主に昭和30年代が描かれている。)、例えば、扇風機の前で気持ちよく寝入っている男の子、アイロンがけのお母さん、セミ採りの男の子などがある。そしてこれは一般からの応募作品らしいが、農家の嫁入りや卒業を描いた作品もあった。

浜松ジオラマファクトリー 扇風機の前で気持ちよく寝入っている男の子


浜松ジオラマファクトリー アイロンがけのお母さん


浜松ジオラマファクトリー セミ採りの男の子


 最後に、高層ビル(アクトシティ浜松)に行ってみた。そのHPによると、「大・中ホールやコングレスセンターなどを持つAゾーン、オフィスやホテル、専門店街のあるアクトタワーのBゾーン、展示イベントホールのCゾーン、楽器博物館・研修交流センターのあるDゾーンの4つのゾーンに分かれており、Bゾーンは民間が管理する民間施設、その他は浜松市から管理委託を受けて公益財団法人浜松市文化振興財団が管理する市施設となっております。アクトシティの象徴でもあるアクトタワーは、地上 45階、高さ212.77mの超高層ビル。 低層部にはガレリアモールとショッピング街・レストラン街で構成される『アクトプラザ』、中層部はオフィス、高層部には『オークラアクトシティホテル浜松』があり、人と環境の融和への配慮が随所に生かされた魅力的な都市空間となっております。
 浜松市の施設は、日本初の4面舞台を持ち、本格的なオペラや歌舞伎も上演できる大ホール、フランス・コワラン社のパイプオルガンを備えた音響の優れた中ホール、国際コンベンション等多用な利用が可能なコングレスセンター・研修交流センターの会議室、広さ3500平米を有し展示会や様々なイベントを開催できる展示イベントホールの貸出施設と、公立では全国で初めての楽器専門の博物館である『楽器博物館』、そして音楽の人材育成を図る『アクトシティ音楽院』から構成されております。」
という。

 何のことはない。最初に行った楽器博物館は、アクトシティ浜松の一部だったのだ。交差点のはす向かいにあるから、分からなかった。それはともかく、ハーモニカに当たるアクトタワーの最上階には展望台があるというので行ってみたが、残念ながらこの日は雨模様の曇りで非常に視界が悪い。ちょうど夕食時だから、30階のレストラン、パガニーニに行き、そこで食事をした。ちょっとしたコースがあって、なかなか美味しく食べられた。ビルの谷間に、先程、訪れた浜松城が見えた。


レストラン、パガニーニのコースの一部


レストラン、パガニーニのコースの一部



 ところで、このアクトシティ浜松について調べてみると、バブル経済の最後の1991年に着工されて1994年に完成した。市有の大中ホール、コングレスセンター、博物館、研修センターと、私有の複合商業ビル(アクトタワー)から成る。アクトタワーは高さが212m、45階である。静岡市で最も高いビルが葵タワーの125m、25階であるから、これを超えて静岡県で最も高いビルとなっている。静岡市への対抗意識からか、それにしても浜松市は頑張ったものだ。当初の事業主体は、浜松市と第一生命、三菱地所である。現在の運営主体は、市有施設は浜松市文化振興財団、私有施設はオリックス傘下の子会社である。市有施設は、音楽コンクールやサーカスの公演などの文化施設の運営がうまくいっているそうで、税金による赤字補てんはないようだ。私有施設については、いったんはバブル崩壊によって不良債権化しかけたことから、当初の施主の第一生命がオリックスの子会社に売却したようだ。しかしその後、浜松市が政令指定都市となったことなどから稼働率は回復し、今では入居率が95%と、過去最高を記録しているという。結構なことである。また、アクトタワーにあるホテルオークラ浜松は、当初はホテルオークラの直営であったが、2004年にオークラの名前を残しながらオリックスの運営になっているとのこと。ただ、レストランは、桃花林、さざんか、山里など、ホテルオークラ東京と同じ名前のため、私には馴染みがあるものの、運営主体が違っているとまでは思わなかった。レストラン・パガニーニの料理とサービスは、なかなか良かった。






 浜松への旅(写 真)




(2018年7月 7日記)

カテゴリ:エッセイ | 22:10 | - | - | - |
毛呂山の花蓮と睡蓮

毛呂山の花蓮


 私の家の近くには不忍池があり、毎年7月には、それはそれは見事な「蓮(はす)」の花が咲く。説明によると数種あるらしいが、一番多いし目立つのがいわゆる「古代蓮」である。この蓮は、東京大学農学部の大賀一郎博士によって、弥生の遺跡から「実」が発掘されて2000年ぶりに花を咲かせたということで、非常に有名になった。それは、鮮やかなピンク色をした、いかにも蓮らしい蓮である。清楚で清潔でありながら艶やかで、じーっと見つめていると、まるでその中に吸い込まれるような魅力的な色をしている。しかも、咲き始めて僅か4日で儚く散ってしまう運命にある。私はこの大賀蓮が大好きで、毎年のように朝早く起きて不忍池に撮りに行っている。

毛呂山の花蓮


 ところが、人間というのは贅沢なもので、たまには大賀蓮以外の蓮の花を撮ってみたくなった。白い蓮の花も良いし、できれば花弁の先がほんのりピンク色をしている蓮の花も撮りたい・・・先日、静岡のとあるお寺さんで見かけた蓮の花だ。そういう場所はないかと思って探してみたら、埼玉県毛呂山町で育てているという。それが意外なことに、少子化で使われなくなった町営の「流れるプール」で栽培されているそうだ。行田市から古代蓮など20種類以上の蓮の花をいただいて、苦心惨憺の末にようやく定着させることができた由。

 これは行かなくてはと思って、朝早く5時過ぎに起きて出掛けることにした。蓮の花は、夜明け頃に咲いて、お昼頃になると、もうそのほとんどが花を閉じてしまうからだ。文京区の私の家を発ったのが朝の6時半前、池袋から東武東上線で川越駅からJRに乗換え高麗川駅(こまがわ)に降り立った。そこからバスで直行できるはずだったが、どういうわけか終点の埼玉医大に来てしまった。仕方がないので、そこからタクシーで毛呂山総合公園に行った。着いたのは8時半だから、家を出て2時間もかかってしまったことになる。


毛呂山の花蓮


毛呂山の花蓮


 現地でいただいたパンフレットは、なかなか詩心(うたごころ)のある方が作ったとみえて、随所にその片鱗がうかがえる。まず、その題名が良い。「悠久のしらべ 花蓮の光明」とある。そして、次のように続く。

毛呂山の花蓮


毛呂山の花蓮


「悠 − 古代より命を繋ぐ蓮、美しさと生命力の強さをあわせ持つ
  根からも種からも繁殖する強さで泥のなかで根を張り巡らせる
  葉の上の露は宝石のようにキラキラと輝き
  天に向かって伸びた花は、命の輝きを水面に映す」


 確かに、 仏教では蓮は昔から西方浄土に咲く花として珍重されてきたし、泥の中でもこんなに美しく咲くことができるのだから、人間も見習うべきだなどというお坊さんの説教の題材にもなっていた。


毛呂山の花蓮


「清 − 泥に染まらず凛として、それでいて儚く、切ない・・・
  わずか3日の儚い命・・・4日目に散りゆくその姿は、悟ったように潔い
  大きく膨らんだその蕾は、ためらうように恥じらうように花開き、艶やかで気品ある姿で魅了する」


 いやまあ、確かにそういう感じなのだが、「ためらうように恥じらうように」とか、「艶やかで気品ある」とかというのは、若い女性をイメージしてのことのようで、私にはとてもとても思い付かない表現である。


毛呂山の花蓮


「慈 − 蓮は永遠の愛とやすらぎのシンボル、すべてに行き渡る広大無辺の愛
  誰にも優しく、心安らげる場所 − そんな公園でありたいと願う
  蓮が花開く以上のやりがいがここにある。」


 この公園を作って世話していただいている皆さんの合言葉のようなものであろう。ここに至るまでには、相当なご苦労があったようである。「毛呂山町の花蓮育成は、行田市より古代蓮の根を株分けしていただいたところから始まりました。はじめは、プール跡地での育成に四苦八苦しましたが、福田夫妻のたゆみないご尽力と多大なるご協力の下、大輪の花を拝むことができました。」という。


毛呂山の花蓮


「祈 − 夏の夕べ、竹灯籠が幻想的な世界を作り出す
  蓮の花は泥から出てきたとは思えない清らかな花を咲かせます。たとえ汚濁と混沌に満ちた世の中であっても、清らかに生きることの大切さを私たちに教えてくれているかのようです
  また、蓮はその美しい花ばかり注目されますが、美しい花が咲くのも、根がしっかりと育っているからこそです。泥中の 根は、見えないところで広く深く成長しますが、肥料を与え過ぎると根腐れを起こします。
  根本の手入れを怠ることなく、基礎をしっかりと築くことでようやく美しい花を咲かせることができるのです。何もものをいわない蓮ですが、香ばしい花を咲かせるたび、人の生き方、あり方について示唆しているかのようです。」


 今年の7月7日七夕の夕刻に、「花蓮 光明まつり」がここで行われるそうだ。蓮や睡蓮の中に、竹灯籠に火が灯され、その暖かい光が水に反射して、さぞかし美しいことだろうと思う。


毛呂山の花蓮


「憩 − どこまでも青く澄んだ空、緑深い山々、癒しの空間で自然を奏でる」

 確かに、この毛呂山総合公園のかつての流れるプールは、かなり山深いところにあるから、そういう風に表現できるのは間違いないが、「癒しの空間で自然を奏でる」どころか、たまたま行ったのは32度を越す猛暑日だったので、日射病になりそうだった。


毛呂山の花蓮


 蓮の花の中心にある、まるでシャワーヘッドのようなものは「花托」である。花が咲き終わって花びらが全て落ちると、これだけが残り、やがて成熟してたくさんの実を付ける。そこに、蜻蛉が留まっていた。小さい頃は、近くの神社の池で、よく追いかけたものだ。とても懐かしい。しばし、写真を撮ってその場に留まったが、かなり長い間、蜻蛉は微動だにしなかった。今や、蜻蛉を獲ろうという子供がいなくなったということか。

毛呂山の睡蓮


毛呂山の睡蓮


 ところで、蓮の花ばかりが注目されているが、同時に植えられている睡蓮(すいれん)の花も、なかなかのものだった。睡蓮の花は、新宿御苑夢の島熱帯植物館神代植物園のそれぞれの温室や明治神宮で見たことがある。しかし、こうして屋外で咲いているのを見たのは、ほとんどない。先日、明治神宮の花菖蒲を見に行った時に、たまたま黄色い睡蓮を目にしたくらいである。ここ毛呂山に植えられている睡蓮は、種類が多くて、花の色だけでも、赤色、ワインレッド、黄色、紫色など、様々なものがあった。赤色と黄色が半々のキメラのような睡蓮があったのには、驚いた。

毛呂山の睡蓮


毛呂山の睡蓮


 こうして、蓮も睡蓮も見終わって満足して帰ろうとしたところ、たまたま凌霄花(のうぜんかずら)のオレンジ色の花が目に入った。初夏にふさわしい元気な花で、見ていると力が湧いてくるようだ。

毛呂山の凌霄花









 毛呂山の花蓮と睡蓮( 写 真 )






(2018年7月 2日記)


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