初冬に銀座から日比谷を歩く

01 日比谷公園の鶴の池


 もう12月に入ったので、都内のあちこちでクリスマスの飾りつけが始まった。その一方、紅葉の季節の最期の頃でもある。家内とともに、中心街をひと回りして来ようと思って、家からまず上野に歩いていった。動物園の真ん中を抜ける都道は、このところ歩道の整備が続いていたが、それがほぼ出来上がって、とても歩きやすくなった。我々は、上野に食事に行くときは、風月堂へ行くのが常だったが、つい最近に行われた改装で以前のイメージとは違ってしまったので、それ以来、新しいレストランを開拓中である。この日も、ここはどうかと思って、とあるホテルのレストランのメニューを見ていたら、中からウェイトレスさんが顔を出して「すみません、11時半からなんです。」という。「では、後からまた来ます。」と言って、外へ出た。

02 キヤノンのプリンターに使うカラーインク



純正品ではない紛い物のカラーインクを使って印刷した年賀葉書


03 純正品ではない紛い物のカラーインクを使って印刷した年賀葉書


 実は、この数日間は、キヤノンのプリンターを使って年賀状印刷の真っ最中なのだが、裏面の印刷に使うカラーインクが切れた。そこで、アマゾンで直ぐに持って来てくれるインクをネットで注文したところ、昨晩それが届いた。ところが、純正品ではなくて、紛い物だったらしくて、それを使ったら色味がどうにもしょうがないほど悪くて、年賀状としてはとても使い物にならない。安物買いの銭失いだったかと反省し、やはり純正品でなければと思ったことを思い出した。そこで、そのレストランを出た後、ヨドバシカメラに立ち寄った。するとサードパーティ製の840円に対して、純正品は1、700円もする。ネットで私が購入したのは、840円どころか、もっと安かったので、これは仕方がないと納得して、純正品を買った(ちなみに、後刻、帰宅してそれを使ってみたところ、色鮮やかに仕上がった。)。

キヤノンの純正品のカラーインクを使って印刷した年賀葉書


04 純正品のカラーインクを使って印刷した年賀葉書。色彩の出が明らかに違う。



 その買い物を済ませて、先ほどのホテルのレストランに戻った。ウェイトレスさんが覚えてくれていて、席に案内してくれる。そのウェイトレスさんの様子を観察していると、たくさんのお客さんが入ってきても客さばきが上手く、しかも常に愛想良く、そつなく、正確に処理している。中には、中国人の団体客も混じっているが、そういう人たちにも辛抱強くメニューを説明して、手早く注文を取っている。「この人は、とても有能だね。この人がいないと、店は回らないだろう。」と家内に言うと、「本当に。お店の人というのは、人の顔を覚えて、その傾向や気持ちを汲んで仕事をしないと、務まらないわね。きっとこの人は、そういう家庭で育ったのかも。」と語る。今日は、良い人に出会ったものだ。

05 GINZASIXの入口


06 GINZASIXの店内


 レストランを出て、銀座線で銀座に出る。銀座駅の地下から銀座コアビルの地下に出てそのまま地下伝いに行こうとしたら、以前の銀座松坂屋時代であればそのまま行けたのに、GINZASIXへと建て替わったら、途中で地下通路が閉じられて行けなくなってしまった。仕方がないので、いったん地上に出てから、GINZASIXへと向かう。といっても、僅かワンブロック歩くだけだ。エスカレーターで建物に吸い込まれるように入る。この建物は、地上13階で、今年の4月にオープンしたばかりだ。エスカレーターに乗って5階までのファッション・フロアを見る。吹き抜けになっていて、水玉模様のバルーンが下がっている。これは、草間弥生さんの作に違いない。それにしてもどこかで見た風景だなあと思ったら、六本木ヒルズや表参道ヒルズと同じ趣向だ。しかし、シンガポールやマレーシアの巨大なショッピングモールを見慣れた目で見ると、このGINZASIXの規模はまただまだ小さく、まるで箱庭のように感じる。むしろ、ようやくこれらの国の水準に少し近づいたというべきか。あらかた見終わったが、特に買いたいものもないので、建物のテラスに出てみた。すると、雪だるまが置かれている。しかし、雪だるま自体よりも、その周りに置かれたメルヘンチックな建物の模型の方が可愛い。今は昼間だが、夜になると、雪だるまに向かって吹き付けられるスノー・パウダーに光が当たって、さぞかし美しいものと思われる。

07 GINZASIXの雪だるま


 銀座通りから有楽町方面へと向かう。西銀座で大勢の人の列を見たが、きっと年末宝くじを買うためのものだろう。年末の風物詩である。JRの高架下を通り越して歩いて行くと、喫茶店の「集(しゅう)」がある。ここで休もうということになって、地下降りて行くと、幸い直ぐに座ることができた。家内と私も、ショートケーキを頼み、お茶を飲むことにした。ここは、ケーキもコーヒーも美味しいから、我々が好きな喫茶店の一つである。ただ、注文を取りに来てくれたウェイトレスさんは、何を聞いてもはかばかしく答えられない。先ほどの上野のホテルのウェイトレスさんとは大違いだ。これは、慣れというのもあるのだろうが、やはり能力の差なのだろうと思う。我が身を振り返って心すべきことで、幾つになっても、能力を磨くことは大切である。

08 帝国ホテルの花


次に、帝国ホテルに向かう。息子が結婚してからというもの、先方のご両親にも来てもらって17階の「サール」というレストランで、よく家族会を開いたものだ。というのは、このホテルの中でサールだけが、小さな子供がいても、受け入れてもらえたからだ。そういう思い出とともに中へと入る。帝国ホテルにはどんなクリスマス・ツリーがあるのかと思ったら、確かに大きいものの、意外とありきたりなものだった。その反面、正面の階段を降りたところにあるお花のモニュメントは、丸い真っ赤なもので、なかなか良かった。その脇で、新郎新婦さんが、幸せそうに写真の被写体となっていた。

09 日比谷公園での匝瑳市植木職人の実演


10 匝瑳市植木職人の作品


 帝国ホテルから、日比谷公園に行った。正面の噴水広場の一角で、「植木のまち匝瑳」のデモンストレーションが行われていた。「匝瑳市(そうさし)」というのは、日本難読地名の一つなので、たまたま私も知っていたが、どこの県かと思ったら、千葉県だった。北東部に位置し、北は香取市、東は旭市に接し、南は太平洋に面している。JRの駅は八日市場駅で、黒潮の影響を受けた温暖な土地であることから、全国でも有数の植木の生産地だそうな。植木生産農家の数は700軒、マキ、クロマツなど生産樹木の数は300種とのこと。その匝瑳市植木組合から職人さんたちがやってきて、庭園樹(造形樹)つまり「庭師が人工的に造形美を作り出す鑑賞用の樹木」の実演をしている。目の前の2本の木があり、一方は枝が格好良く左から右へとスーッと伸びて、まるで大きな盆栽のような木である。ところが、もう一つの木はありきたりな形にしていて、そこに職人さんたちが数人取り付いて仕事をしている。どういう作業をしているかという図面があった。それによると、曲げたい木の枝の繊維に沿って縦に浅い切り込みを何本か入れて、それをよじって「木を殺さないように」曲げる。曲げた後はその部分をきつく巻き上げ。傷口の癒合を図る。これを繰り返して、思い通りの形に仕上げるのだそうだ。最近では輸出に力を入れていて、特に中国では、縁起物の龍を思い出させるような樹木の人気があるという。

11 日比谷公園内の松本楼


 日比谷公園内の松本楼の周りには、立派な銀杏の木がある。それを横目に見て、鶴の噴水の池に向かう。大きな紅葉の木が池の上に掛かり、黄色く色づいた銀杏の葉が池面に映えて、実に美しい。これぞ日本の風景だと言いたいところである。藤棚のところから写真を撮っていると、タイ人女性の2人連れからシャッターボタンを押すように頼まれた。赤い大きな紅葉の木を背景に、溢れるような笑みを浮かべた2人の写真が撮れた。これで、日本に良い印象を持って帰ってもらえると思う。ところで、家に帰ったら、本日の歩数は、ちょうど1万歩となった。

12 日比谷公園内の鶴の噴水の池









 初冬に銀座から日比谷を歩く(写 真)




(2017年12月2日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:40 | - | - | - |
湖東三山 紅葉の旅

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  1 金剛輪寺(湖東三山)
  2 西 明 寺(湖東三山)
  3 百 済 寺(湖東三山)
  4 永 源 寺(臨 済 宗)


 土曜日に名古屋に用があったので、それを済ませ、その日は金山駅近くに泊まって、翌朝、名古屋駅から東海道新幹線で米原駅に向かった。ちょうど紅葉のシーズンだから、湖東三山などの名刹に行って、紅葉に囲まれたお寺の写真を撮るのが目的である。ちなみに私は、滋賀県、特に琵琶湖の東部地区には、先日、彦根に泊まった以外はここ何十年も行ったことがない。今回、米原駅で降りてまずびっくりしたのは、駅とその周辺にはほとんど何にもないことだ。レストランはなくても、せめて喫茶店くらいあるだろうと思ったが、それすらない。寂れているどころかそれ以上で、これが日本の鉄道路線の中で最も賑わっている東海道新幹線の駅の一つなのだろうかと、思わず駅の表示を見てしまったほどである。外にいると寒いので、これから乗ろうとする湖国バスの待合室で待とうと思って、その事務所をやっと見つけた.しかし、誰もいないし、まるでうさぎ小屋の類いのごく小さな建物で、待合室など望むべくもない。呆然とその場に佇んでいると、脚が寒くなって来た。そこで、また自由通路に戻って外気に当たらないところで待ち、時間になったので、再び事務所に行った。その前に突っ立っていると、やっとバスが来た。乗り込む前に、バスガイドさんに湖東三山コースであることを確認し、料金8000円を支払う。このガイドさんは、なかなか愛想が良いし、話すテンポと内容が面白い。これは良いガイドさんに当たったと思った。


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 出発してまず松峯山金剛輪寺(こんごうりんじ)に着いた。いただいた資料では「金剛輪寺 国宝の本堂は、鎌倉時代の代表的な和洋建造物である。堂内には、秘仏本尊聖観音をはじめ14の仏像が安置され、三重塔及び二天門も重文指定である。」とある。風車を持った小さなお地蔵さんが、聞くところによると2000体もあって、独特な雰囲気がある。赤と黄色の紅葉が美しい。二天門に大きな草鞋が掛かっている。すごい急坂を我慢して登りに登って、ようやく本堂に達した。途中の参道の苔の緑が美しく、目にしみるようだ。本堂には血染めの紅葉なるものがある。確かに、真っ赤だ。写真に撮ったが、この真っ赤から赤色が褪せていくグラデーションの感じがなかなか出ない。腕の問題かカメラの限界か。たぶん、その両方のせいだと思う。

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 次は、龍應山西明寺(さいみょうじ)で、参道を登っていく途中やはり苔が美しく、あたかも京都の西芳寺を思い出す。その上に赤い紅葉が落ちているのは、一幅の絵画に勝る。ところでここは「鎌倉時代に建てられた本堂と三重塔は、いずれも国宝に指定されている。中でも三重塔内部の仏像壁画は見事である。参道の途中にある庭園は浄土を表現した池泉回遊式。」とある。話によると、平安時代に創建され、室町時代に最盛期を迎えて、一時は17の諸堂、300の僧坊があったと伝えられるが、戦国時代に織田信長が比叡山を焼き討ちした際、同じ天台宗だということでこの西明寺も焼き討ちされた。ところが、本堂(国宝)、三重塔(国宝)、二天門(重文)は、山の奥まったところにあるから、焼失を免れた。その背景には、当時の僧侶が機転を利かせて、手間にたくさんあった僧坊などに自ら火を付けて一見全山が燃えているように見せかけて本堂などを守ったからだと言われる。なるほど、それはそれは大変な功績である。でも、織田の軍勢も、そんな小細工で簡単に騙されるものだろうかと、いささか疑問に思うが、話としては大そう面白いではないか。ところで、その「奥まった」本堂などに上がって行くのはなかなか大変である。大小様々な石でできた階段はもちろんあるが、規格が揃っていないので非常に登りにくい。しかも昨夜の雨で泥がある。それをよいしょよいしょとばかりに無理矢理登っていくと、なるほど、織田の軍勢もこんな山奥には何もないと判断したのは本当かもしれないという気にもなってくる。そういう大変な思いをして、やっと着いた。本堂もさることながら、その脇の三重塔が紅葉に囲まれて、実に品があって優美な姿をしている。赤色と黄色の紅葉を重ね合わせて、少しでもその美しさが出るような写真を撮るように心掛けた。それから今来た道を下っていき、そこで食事をした。あれこれとある和食だったが、お肉も入った野菜鍋のスープがなかなかの味だった。中に近江牛が入っていたらしく、ガイドさんが「持ち上げてかざすと、向こうが透けて見えるような」と表現したから、笑ってしまった。

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 釈迦山百済寺(ひゃくさいじ)は「聖徳太子が百済寺からの渡来僧のために健立。織田信長によって全山を焼失したが、江戸時代、井伊氏の寄進で再建。湖東平野が一望できる庭園は自然を借景した鑑賞式庭園である。」とある。話によると、このお寺は、平安時代に天台宗が開創されると天台宗の寺院となって規模が大きくなった。やがてお寺全体を山城のように要塞化するとともに僧兵をたくさん抱えて大変な武力を誇り、「湖東の小叡山」といわれたほどだったそうな。ところが織田信長に抗した佐々木義治を支援したため、比叡山と同様に信長の焼き討ちに遭い、全滅したばかりか石の土台に至るまで徹底的に破壊しつくされた。織田勢は、この山城のような百済寺から石垣を抜いて運び出し、それを安土城の土台としたらしい。そのような歴史を知ると、いにしえの戦火による悲劇を思わざるを得ない。そういえば、本堂に向けて登って行く途中で山中のあちらこちらに空き地がある。かつての僧坊跡だそうだ。池泉式庭園も、狭い空間なのにそれを感じさせない作りである。そこを過ぎて坂をやっと登り切って「遠望台」に達すると、近江平野が一望でき、まるで領主の気分を味わえる。昔は、百済人達がここから遥か遠くの故郷を眺めていたのだろうか。

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 湖東三山はこれで終わって、次に臨済宗瑞石山永源寺(えいげんじ。永源寺大派本山)に行った。こちらは「愛知川の右岸の崖沿いに建つ寺院。600年前に開山したが、兵火に遭い荒廃。江戸時代、彦根藩の援助を受けて復興。葭葺の大方丈、元光像を祭る開山堂、法堂、含空院など今も大伽藍が立ち並び、元光の墨跡などの寺宝も多い。」とある。湖東三山とは、どこか雰囲気が違う気がした。一言でいうと、拝観者のためのサービスが手厚いのである。例えば、外国人のためにQRコードによる案内がある。夜にはロウソクによる幻想的なライトアップがある。紅葉が美しいのは当然であるが、そうした工夫で、夜も観光客を誘致している。ともあれ、一味違うお寺さんである。

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登っていく途中にある十六羅漢像は、一見すると石山に溶け込んでいるようで区別しにくいが、よくよく眺めていると、それぞれの表情がとても豊かである。また、ポツンと離れて眼鏡を掛けたお地蔵さんがあるが、これは十代の半ばで亡くなった息子の供養のために、ご両親が寄進されたものだという。

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 というわけで、四つのお寺の拝観と紅葉を鑑賞してきた。しかし、近年にないほど山道の階段の登り降りをしたので、米原駅に着いたときには、膝が笑っているような感覚を覚えた。明日以降に響かなければよいのだが・・・。



【後日談】  

 その夜遅くに東京の自宅に帰り着いた私は、家内から「そういうときは下半身の温水浴をするといいわよ。」と聞いて、お風呂で身体を洗った後、お腹から下を温いお湯に浸けて20分間、気持ち良くのんびりと過ごした。すると、あらまあ、その効果があったのか、翌日になっても、足は少しも痛くない。それは、良かった。でも、どういうわけか、首と両肩が痛くてたまらない。別にリュックなどを担いだわけでもない(バスの中に置いて登った)。だから、もしかするとこれは、カメラのせいかもしれないと、思い当たった。レンズと合わせて、わずか1.5kgくらいの重さしかないのだが、まさかそんなものが響くとは・・・。





 湖東三山 紅葉の旅(写 真)




(2017年11月19日記・20日追記)

カテゴリ:エッセイ | 07:27 | - | - | - |
東京モーターショー 2017

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1.EVとAIの時代

 東京モーターショー 2017に行ってきた。今年は、EV(電気自動車)とAI(artificial intelligence,人工知能)がテーマである。しかし、EVの外観はますます普通の自動車の外見になっているし、AIに至っては「運転者の性格に合わせて自動運転をします」などと言われても、それを実感しようもない。だから、表面を見るだけの何ともよくわからないモーターショーだったが、後から振り返ってみると、意外とこういう年が、実は時代の転換点だったということなのかもしれない。


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 トヨタのブースには、「コンセプト愛」というシリーズがあり、最先端のAIを使った「YUI」と称するもので、人を理解し、記憶を蓄積し、能動的に働きかけるものだという。具体的には、「ドライバーの性格や感情をも認識して、自動運転技術との組み合わせによって安全性能が強化され、エージェント技術によって会話や提案を行う。この3つの柱が有機的に機能することで、ドライバーの表情や動作から疲れを感知したら運転を代わってくれたり、好みの音楽を流してくれたり、時にはジョークを言って笑わしてくれたりする。」と言うのだが、説明がいかにも日本的というか、あまりにも情緒的で、こんなことで良いのかと、逆に心配になってきた。

 今やトヨタは最強の世界的自動車メーカーとして君臨している。例えば、HV(ハイブリッド自動車:エンジンと電気モーターで動く自動車。)、PHV(プラグインハイブリッド自動車:電気自動車に補助的にエンジンを備えて、家庭用電源からコンセントプラグで電気モーター用の電池に直接充電できる。)、FCV(燃料電池自動車:電気化学反応によって水素などの燃料から電力を取り出す燃料電池を備えた自動車)などの開発を続け、HVでは世界を席巻し、FCVでは世界の先端を走っている。

 ところが、今年に入ってイギリス、フランス、中国、インドが国の自動車政策として、将来のガソリン車の販売禁止に言及するなど、EVを重視する方針に大きく転換することを明らかにした。アメリカでは、かつてのプリウスに代わってテスラの高級電気自動車が評判となり、HVはもはや環境に優しい省エネルギー車ではなくなっている。現在、市場に出ている電気自動車は、例えばあるモデルでは、航続距離が200km程度で充電に8時間程度を要するなど、まだまだ性能は不満足なものである。しかし、最近では400km、急速充電だと30分という製品も出始めており、侮れなくなってきた。私は、このままで行くと、あと10年もしないうちに、世界の自動車市場の半分が電気自動車になってしまうのではないかと思うのである。にもかかわらず、トヨタは相変わらずの路線で、HVはともかく、FCVといった全く見当違いの方向に向かっている。全固体電池を開発して2020年には発表したいというが、いまだ海のものとも山のものともわからない。これが上手くいかないと、トヨタの命運は尽きるということになるだろう。他のメーカーや他の国々も、HVでトヨタにしてやられた失敗を、EVで取り戻そうとしているからだ。そういうことで、事ここに至っては、ガソリン高級車レクサスなどにかまけているときではないと思うのだが・・・まさに経営者の力量が試されている。

 それにつけても、思い出されるのが日本の電機メーカーの蹉跌である。エアコン、電気冷蔵庫、電気洗濯機、電子レンジに至るまで、高級化路線に明け暮れて毎年毎年の開発競争で消費者には全く要らない機能を積み込み過ぎて馬鹿馬鹿しい値段となってしまい、新興国メーカーとの競争に負けてしまったことや、携帯電話がガラパゴス化してiPhone対Androidという世界の競争にも参戦できなくて消えてしまったことなどは、まだ記憶に新しい。製品がいかに高級だ、高性能だといっても、それが市場を読み違えたり、力づくの大量生産による低価格競争に付いていけなくては、もうおしまいなのである。文化的に高度な西ローマ帝国が、侵入してきた蛮族ゲルマン人にあっけなく滅ぼされてしまったのと同じことだ。そう思って、トヨタのブースを見渡すと、高級車レクサスばかりが目立つ。それはそれで立派だが、今や誰がこんなものを買うのだろうという気がしてならない。商品政策が、全くズレているのではないかと思う。

 更に思うのは、AIについてである。これはEVよりも早く、あと5年もすればレベル5つまり完全な自動運転時代が来ると思われる。自動運転技術は、グーグルのような先端技術企業が相当、先行していると思うが、トヨタなどの日本の自動車産業が本腰を入れて取り組んでいるとは、どこからも聞こえて来ない。こんな調子だと、自動車産業は、日本企業が総負けに負けたパソコン産業と同じことになりはしないかと、本気で心配になる。つまり、パソコンの時は、製品や規格が乱立する状態から、まず部品がIBM仕様になって標準化され、次いで肝心要のOS(オペレーション・システム)もマイクロソフトのウインドウズに統一されて、誰でも参入できるようになってしまった。それから、コモディティ化が一気に進み、生産コストの安い国との競争に負けて、先進国から大きなパソコンメーカーがほぼ消えてしまった。自動車も、今はエンジンがあるから容易には参入できないが、電気自動車になると、構造は簡単になり、誰でも参入できるから、必ずコモディティ化が進む。現に、電気掃除機のメーカーだと誰もが思っていたダイソンも、自動車生産に参入する意思を明らかにしている。ほとんどの電機メーカーも、モーターの技術はお手の物だから、車台と足回りの部品さえあれば、簡単に生産できるだろう。AIも、グーグルなどの企業から買えばよい。

 そんな時代に、トヨタは本年に入ってマツダと提携した。エンジン技術を磨き上げるためだそうだ。マツダのガソリンエンジンを扱う技術には、定評があるのは確かである。しかし、今はエンジンに力を入れる時代ではない。そんなことより、電気自動車の要である、電池の技術開発に力を入れるのが、先ではないか。必要なら、その圧倒的な資金力に物を言わせて、M&Aで大手電池メーカーを強引に買収するなどの手が打てないものかと思う。自動車メーカーではないが、パナソニックは時代の先を読んで、テスラと組んでアメリカに電池工場を作るために1000億円を投資するそうだ。実に、正しい経営判断である。かくして世の中は、ガソリンエンジンから時代が一挙に飛んで、電気自動車の時代になりつつある。馬車から蒸気機関車、更にはエンジン搭載車へと百年ごとに時代は大きく変化してきた。それが電気自動車へと向かうのである。

 こうした流れに取り残される人たちが、必ずいる。例えば、現在、エンジン関連の部品を作っている協力企業は、一体どうするのかと心配になる。トヨタ系だと、デンソーなどの大企業から始まって町の小さな二次・三次下請け企業に至るまで、特にエンジン部品関係は、仕事がなくなる。ここに至って将来についての危機感を持たない経営者は、平凡を通り越してよほどのボンクラだろう。併せて、国としての日本自体についても心配になる。貿易黒字のうち自動車関連のものによるのはその半分近いのではないか。加えて、自動車メーカーのみならずその部品メーカーを含めて広い意味の自動車産業によって食べさせてもらっている国民の割合は、おそらく1割くらいなのではないか。そうすると、虎の子である自動車産業がいったん転ければ、国民全体に悪影響が及ぶのである。これは、杞憂でも取り越し苦労でもない。現実として、10年以内に始まる事態である。しかし、自動車業界にも政府にも、危機感が全く感じられない。それこそ、現在進行中の事態の本質を現わしていると思うのである。


2.日本車の展示内容


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 トヨタの次から、各社の展示内容を見ていこう。ニッサンは、EVのリーフを実際に販売しているから、その新車と、「ニッサン・インテリジェント・モビリティ」という一種のAIを展示していた。これは、3つのものから成り、第1は「インテリジェント・ドライビング」で、「高性能レーダーやカメラ、レーザースキャナなどを搭載した360度センシング中長距離の対象物を感知し、距離や対象物を正確に認識。AIと組み合わせることで危険を早期に検知して運転をガイドするなど、将来の完全自動運転を見据える。」。第2は、「インテリジェント・パワー」で、「新開発のEV専用プラットフォームにより、・・・航続距離600kmというかつてない走行性能の達成を目指す。」。2020年までには発売するそうだ。第3は、「インテリジェント・インテグレーション」で、無人で駐車場に移動して自動駐車をしたり、太陽光発電のバッテリーに蓄えたり、VPP(仮装発電所)として機能したり」するらしい。ちなみに、EVの新しいリーフ(LEAF NISMO Concept)の外観も、いかにも電気自動車という野暮ったい形から、なかなかスポーティで素敵なものになっている。

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 三菱自動車は、数々の不正問題を起こして経営が不安定になり、結局ニッサンの傘下に入ったのだが、今度はそのニッサン自体が完成検査を無資格者に行わせていた法令違反問題で揺れているのは、皮肉なものである。それはともかく、三菱自動車は、今回、「得意とするEV技術やSUV技術で培った四輪制御技術を大きく進化させたクロスオーバーSUVタイプのハイパフォーマンスのEV」である「MITSUBISHI e-EVOLUSION CONCEPT 」を展示する。SUVなのでEVでもアウトドアでもどこでも飛び出して行けることを売り物にしている。また、ドライバーの意思や感情を読み取るAIをも搭載しているという。最近、「あおり運転」や「付け狙い運転」が問題となっているが、ドライバーがカーッとなったりすると、それを抑えてくれるような機能も必要かもしれない。



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 SUBARUは、「将来の自動運転社会を見据えた高度自動運転支援技術を磨きながら、運転の愉しさを追求する」として、従来の「アイサイト」にますます磨きをかけているようだ。これは、自動運転技術そのものだから、そのうちAI全盛時代の主役になるだろうと思う。スポーツセダンのVIZIVコンセプトモデルは、なかなか格好がよい。思わず、買いたくなるセダンだ。ただ、ニッサンと同様にこちらも完成検査を無資格者に行わせていた法令違反問題がつい最近に発覚し、気のせいかあまり元気がないようだ。

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 ホンダはEVのコンセプトモデルを展示していたが、その車は、漫画チックな丸目を持つやや「とっぽい」形をしている。「スポーツマインドを昇華させたコンセプトモデル。レスポンスに優れた電動パワーユニットを搭載し、モーターならではの力強く滑らかな加速と静粛性、低重心による優れた運動性能を実現。更に独自のAI技術を組み合わせ、ドライバーの嗜好を学習したり感情を読み取りながらドライビングを快適にサポート。先進のEV性能とAI技術で人とクルマが一体となったような未体験の運転感覚を味わえる」そうだ。しかし、私の見るところ、こんなとっぽい形で、そういう未体験の運転感覚を味わえるものかどうか、素人目には疑問に思うところだ。せめて外見は、「賢そうな」ものにすべきだろう。まあ、このアンバランス感は、いかにもホンダらしいと思うけれど・・・。

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 スズキが、その雑草のような社風を生かして、かなり頑張っているように感じた。クロスビーやスペーシアなど、小さな車体に面白いデザインをよく詰め込んでいる。展示の目玉は、未来のコンパクトSUV「e-survivor 」で、4つのモーターによる四輪独立駆動の4WDだという。ただ、デザインは遊園地の乗り物に近い。

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 マツダは、ガソリンエンジン技術と、美しいデザインの両方で特色を出していた。次世代ガソリンエンジン「SKYACTIV-X」は、火花点火制御圧縮方式(SPCCI:Spark Controlled Compression Ignition)で、ガソリンエンジンでありながらディーゼル機関のような圧縮着火を制御する技術を世界で初めて実用化したものである(ガソリンエンジンの伸びの良さにディーゼル機関の優れた燃費、トルク、レスポンスといった特徴を融合させた夢のエンジンに一歩近づいた)。これを搭載したものが、次世代商品コンセプトモデルの「魁(カイ)」で、スタイルは、非常に綺麗である。


3.外国車の展示内容

 外国車で最も目立っていたのは、ポルシェとメルセデス・ベンツである。ポルシェは、その非の付けどころのない完璧なデザインと力強いマシンで、元から人目を惹く存在であるが、この日も大勢の見物人が押し寄せてきた。値段は、一見したところどこにも書いていないので、よく分からなかった。後からインターネットで調べると、中には700万円程度のものがあるが、それならともかく、モデルによっては3600万円という値段を知れば気が遠くなるかもしれない。


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 メルセデス・ベンツは、さすがに商品構成が多様である。「Mercedes-AMG Project ONEは、F1マシンに搭載される1.6リットル、V6ガソリンエンジンをほぼそのまま使い、それに4つのモーターを組み合わせたハイブリッドターボエンジン。これにより・・・200km/hまではわずか6秒、最高速度350km/hオーバーという性能を実現している。」という。あるいは、ベンツのEV専用ブランド「Concept EQAは、2個のモーターにより最大合計出力272hpを発揮するパワートレーンを持ち、バッテリーコンポーネントは拡縮が可能なので、希望の出力や航続距離をユーザーが選択できる点も先進的。最大航続距離は400km。また、急速充電を利用すれば10分の充電で100kmの航続距離が得られる。」とのこと。

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 シティビークルとして人気のあるベンツの「smart」は、なかなか可愛い車である。完全自動運転で、ステアリングやペダルがなく、車自体がユーザーの希望する場所に迎えに来てくれたり、使っていないときは自動で充電ステーションに動いて行って自ら充電するらしい。

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 Audiも、AI化が相当進んでいるようだ。Audi Elaineは、「フロント1基、リア2基の計3モーターを車軸上に収めた電動SUV。人工知能と電動化を売り物にしているだけでなく、その最高出力は435ps、ブーストモード時は515psにも達し、非常にパワフル。・・・航続距離は500km以上とし、EVでありながら、エンジン車の匹敵するロングドライブが可能」という。しかも、「クルマが自ら学び、状況を先読みしてくれる高い知能と共感力が鍵」だとのこと。しかし、目の前にあるのは単なる車体なので、そのAIの本当の能力は、謎である。

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 フォルクスワーゲンは、ディーゼル機関の燃費の不正で大問題になったのは、まだ記憶に新しい。その痛手から立ち直ったかどうかはわからないが、電動化にも力を入れているらしい。「I.D. BUZZ」は、2022年の市販予定で、動力源はバッテリーの完全なEV、完全自動運転機能を備え、運転席は180度回転する。航続距離は600km。その他、従来からあるGOLFでも、e−GOLFというEV版ができるようだが、航続距離は300kmと、短い。


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4.部品会社の展示内容

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 今回、見物した部品会社の中で、いくつか記憶に残ったものがある。まずは日立オートモティブシステムズである。これから自動車がEVとAIの時代を迎えると、その鍵となるのはこうした会社が作る自動車電装品モジュールだから、前途洋々といったところだろう。ただ、なぜフォーミュラカーのスポンサーをやっているのか、本業とどういう関係にあるのか、どうもよくわからない。普段は部品という目立たない分野の会社だから、少しは目立つようになりたいという思いなのかもしれないが、力の入れ方が若干違うような気がする。

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 三菱電機も、工場のオートメーションで最近目立っている会社であるが、やはり自動車がEVとAI化の時代の波に乗りそうである。日本の天頂衛星みちびきによるGPSの精度が上がって、誤差が現在の10m以上という大雑把なものから、僅か6cm程度になるというから、ますますAIが誘導しやすくなるだろう。私が数年前にこの三菱電機のブースで天頂衛星みちびきのGPS電波受信器を見たら、パソコンくらいの大きさがあってびっくりしたことがあり、これでは実用化は当分先の話だと思った。ところが今回見た受信器は、ずーっと小さくなっていたから、安心した。

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 また、タイヤメーカーの住友ゴム工業(ダンロップ)が、空気を使わないエアレスタイヤ(ジャイロブレイド)を提案していた。自転車のタイヤで例えると、スポークの代わりに半円形のプラスチックでゴムタイヤを支える構造だ。これだと、乗り心地は非常に悪いと思うが、新しい試みだから、最期まで粘って完成するように努めてもらいたい。完全自動運転の時代を迎えると、タイヤの空気圧管理のメンテナンス意識が低下することを見越しての開発だそうだ。説明のお姉さんが熱心だったので、つい一枚、写真を撮らせていただいた。






 東京モーターショー 2017(写 真)






(2017年10月27日記)


 
カテゴリ:エッセイ | 20:58 | - | - | - |
潜水艦の見学

海上自衛隊潜水艦ずいりゅう(左手)


1.4回の見学の対比

 実は私は、これまで3回、潜水艦の中を見させていただいたことがある。それと4回目の今回を合わせると、次のようになる。

 第1回 見学年1986年 型式U−1 第1次世界大戦前の潜水艦第1号 大きさ42.2mX3.8m 最大速度水上10ノット(水中5ノット)、航続距離278km 乗員12名。ミュンヘンのドイツ博物館にて。

 第2回 見学年1981年 型式U−505 第2次世界大戦時の大型潜水艦 大きさ76.8mX6.9m 最大速度水上19ノット(水中7ノット)、航続距離47,450km 乗員48名から56名。シカゴの科学産業博物館にて。

 第3回 見学年2008年 型式ゆうしお 海上自衛隊潜水艦あきしお(2004年3月除籍) 大きさ76.2mX9.9m 最大速度水中20ノット 乗員75名。海上自衛隊呉資料館にて。

 第4回 見学年2017年 型式そうりゅう 海上自衛隊潜水艦ずいりゅう 大きさ84.0mX9.1m 最大速度水上水中20ノット 乗員70名。横須賀の第2潜水艦群司令部にて。


2.潜水艦U−1

 私は、1986年に、ドイツのミュンヘンにあるドイツ博物館の見学に行った。そこで見たのが、型式U−1、ドイツ海軍潜水艦第1号である。第1次世界大戦前の1906年に就航し、同大戦中には訓練用に用いられたという。ともかく小さくて、丸木舟に毛が生えた程度ではないかと思ったが、石油エンジンと電動モーター、魚雷発射管など、今日の潜水艦の要素をすべて備えている。


潜水艦U−1


潜水艦U−1


潜水艦U−1





3.潜水艦U−505

 1981年にシカゴを訪れたとき、シカゴ科学産業博物館を見学した。そのときの展示の目玉が、第2次世界大戦時のドイツの大型潜水艦U−505である。これは、連合国が拿捕してドイツの暗号機エニグマを入手したことで有名になった。まるでおもちゃのようなU−1に比べれば、その圧倒的な大きさに驚いた記憶がある。


潜水艦U−505


潜水艦U−505





4.潜水艦あきしお

 2008年に広島県呉市の大和ミュージアムを見学に行ったことがある。すると、道路を隔ててその反対側に、大きな潜水艦が鎮座しているから驚いた。これは、海上自衛隊呉資料館(愛称:てつのくじら館)に置かれている本物の潜水艦あきしおで、現役として18年間活躍し、2004年3月に除籍になったものである。同資料館3階から艦内に入ることができて、発令所、艦長室、士官室を見学することができる。発令所では、潜望鏡を上げ下げする体験ができた。なお、外に展示して誰でも見られるので、機密性の高いスクリューだけは、本物を取り外してイミテーションのものに付け替えたという。


潜水艦あきしお





5.潜水艦ずいりゅう



潜水艦ずいりゅう(左手)


潜水艦ずいりゅう(右手)


 今回は、横須賀市の在日米軍基地内にある第2潜水隊群に属する「潜水艦ずいりゅう(瑞龍)SS505」を見学した。諸元は、全長84m、最大幅9.1m、基準排水量2,950トン、水中速力20ノット、主機関ディーゼル・スターリング電気推進、乗員数70名である。ちなみに、これは「そうりゅう型」といわれるタイプで、2009年1月からの就役で、現在8隻ある。海上自衛隊の潜水艦26隻中では最新の型式で、これに至るまで、次の2つの型式がある。

 「はるしお型」7隻。1990年11月から就役。「水中行動能力、索敵及び攻撃能力が向上し、静粛性も相当進歩した。7番艦はスノーケルが自動化され試験的にスターリング・エンジンを搭載した。」。ちなみに、スターリング・エンジンとは、シリンダー内のガスを加熱・冷却しで回転力を得る形の熱機関である。静粛で熱効率が高いので、潜水艦に搭載してそのバッテリーに充電する用途には最適とされている。しかし、最新型でも11mと大きいので、その分、潜水艦の居住部分が小さくなる。加えて、液体酸素タンクを備えているので、万が一それが漏れ出しすと大爆発を起こしかねないという問題がある。

 「おやしお型」11隻。1998年3月から就役。「船型がこれまでの涙滴型から葉巻型になった。新たにソーナー・アレイが装備され索敵能力が向上した。船体やセイルはステルス性を考慮した形状となり、吸音タイルが装着され極めて高い隠密性が達成された。」


スターリング・エンジン搭載の潜水艦


 「そうりゅう型」8隻。2009年1月から就役。「おやしお型を発展させ、スターリング・エンジンを搭載したAIP潜水艦である。艦尾舵をX舵としたことにより、運動性能が大幅に向上した。新たに非貫通潜望鏡を搭載し索敵能力が向上した。」。ちなみに、AIPとは、「非大気依存推進(Air-Independent Propulsion)」の略で、原子力推進の潜水艦を持たない国において、潜水艦に搭載して電池を充電するエンジンとして、閉サイクル・ディーゼルエンジン、スターリング・エンジン、燃料電池などのシステムを総称するものである。

潜水艦ずいりゅう内部


 桟橋に停泊している潜水艦ずいりゅうを見ると、確かにその艦尾の舵がX型らしく、水面に出ている部分がV字形をしている。これまで、潜水艦の艦尾といえば十字形だと信じていたのに、これには驚いた。しかし、この方が水中での回転などの運動性能が上がるらしい。さて、ずいりゅうのハッチから艦内に入るのだけど、最初から大変だ。6mほど垂直に垂れ下がっている梯子を下って行くのである。床に着いて、我々のグループはまず発射管室を見学した。その区画に行くには、丸い狭い穴でつながっている。両足を先に入れ、身体を斜めにしてようやく通り抜ける。すると、左右に2本、真鍮色の魚雷があった。触ると、ひやりとして冷たい。その前方には発射管があって、いざという時にはその蓋を開けて油圧で魚雷を入れ、管内を海水で満たして発射するという。この89式魚雷は重さが1.76トンで全長6m、エンジンで走行し、有線誘導方式だという。魚雷といえば旧海軍の酸素魚雷が有名であるが、89式も日本製だ。潜水艦によっては、米国製のMk魚雷もあるという。私は、魚雷というものは、てっきり船の横腹に穴を開けて沈めるものだと思っていた。ところが、それは先の大戦の頃の話で、最近は目標の船の真下で爆発させて持ち上げ、そこに真空を作り出して落とすことによって、船のキール(竜骨)を折って構造を破壊するものだそうだ。このほかの装備として、米国製のハープーン・ミサイルも備えている。

 次に発令所に入ると、狭いところにたくさんのスクリーンが並んでいる。船の操縦、ソナー、通信、戦術などに分かれている。中央に艦長席がドーンとあるのかと思っていたが、そんなものはない。何のことはない、発令所の片隅で、パイプ椅子に座っているらしい。しかも、普段はその椅子が片付けられているというから、いかにも日本の船らしい。どうにも可笑しくて、思わず笑いたくなる。船の操縦が、2つのジョイ・スティックで行われている。それがまるでゲーム機のようで、場にそぐわないと思って、これも何となく妙な気がする。でも、現代の戦闘は、まるでコンピューターゲームのような仕組みで戦われるものなのかもしれない。

 潜望鏡は、昔の潜水艦は上げ下げして光学的に外を眺めていたものだが、現代の潜水艦は、そういう光学的なものではなく、船体殻を貫通させない潜望鏡だという。つまり、外の風景をカメラに撮って、それをデジタル映像として発令所のスクリーンに映し出すのである。これもジョイ・スティックであるから、視野をぐるぐる回せて、とても早い。良く見ると、画面の真ん中に縦に不思議な線が入っている。「これは何ですか。」と聞いたら、「海鳥の糞が付いたのではないですか。」という。「潜航すれば自然に落ちるが、今は停泊中なので、皆が帰ってから、潜望鏡を下げて洗い流します。」とのこと。やれやれ、飛行機へのバード・ストライクのようなもので、それほど深刻ではないが、それでも大変だ。

 科員食堂に入る。狭い狭い区画で、座るのが精一杯だし、テーブルがとても狭い。バナナがぶら下がっていたり、グレープフルーツが箱に一杯だったりして、どこか生活臭を感じる。6時間勤務で、1日4回、食事をするようだ。それでいて、乗組員の皆さんは、あまり太っていない。ところが、長い航海だと、本来は24時間であるべき身体のリズムが、18時間になってしまうという。潜水艦の乗組員は、何ヶ月も太陽を見られず、シャワーも浴びられないし、単調な生活が続くし、時には空調システムを止めるから艦内が暑くなり、どうにもならないらしい。とりわけ、音を出してはいけないので、器械を使う筋トレは厳禁となっているから、腕立て伏せ、読書、DVDの視聴、仲間内でのゲームというのが、唯一の楽しみだという。こうした勤務の過酷さからして、潜水艦乗組員の食事や報酬は、パイロット並みとまではいえないものの、それなりに優遇されているそうだ。

 艦体の梯子をよじ登り、やっと艦外に出てきた。船体を改めて眺めると、側面にソナーが並んでいる。なるほど、これまでは前面と曳行式のソナーだけだったところへ、両側面に、しかも並んで付けたことにより、能力が大きく向上したとのこと。一緒に行った友人と、1枚、パチリと記念写真を撮った。潜水艦の乗組員の皆さんは、こういう太陽の光も届かないところで何ヶ月も、家族と離れて音を出さない緊張した生活を過ごしている。本当にご苦労様という気がする。なお、AIPは、スターリング・エンジンから燃料電池に移行する研究が進められているというし、肝心の電池が大容量のリチウム・イオン電池へと切り替えられる方向にあるという。潜水艦の更なるグレードアップが図られるようだ。


6.参考資料

 最後に、案内をいただいたときのパンフレットの一部を掲載しておく。


第2潜水艦隊群資料より


第2潜水艦隊群資料より


第2潜水艦隊群資料より


第2潜水艦隊群資料より


第2潜水艦隊群資料より






(2017年10月15日記)


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奈良のお寺を巡る旅

平城京跡に立つ大極殿


1.弾丸ツアーを企画

 奈良の薬師寺で食堂(じきどう)が完成し、田渕俊夫画伯が「阿弥陀三尊浄土図」など全長約50メートルに及ぶ大壁画を奉納したそうだ。それを記念して、今年11月まで一般公開をしているという。また同時に、興福寺でも「興福寺国宝特別公開2017 阿修羅〜天平乾漆群像展」が開催されているとのことで、どちらも行ってみたくなった。特に阿修羅像は、学生時代に2度ほどお目にかかったものの、その後、何回か興福寺を訪れたが、他に出展中だったりして、ほとんど観る機会がなかった。だからこの際、奈良に行って観てこようと考えた。

 この2つなら、東京から行っても観るのに半日もあれば十分だ。しかし、問題は奈良での交通手段である。バスで行けないことはないが、それを待っていては、なかなか回れない。ツアーでは、今回のような見学は無理だ。そこで、タクシーを半日、借り上げることにした。すると機動性が増して、もっとお寺を回ることができる。費用は3万円だが、奈良ホテルに一泊したと思えば安い。ということで、まずタクシーをインターネットで予約した。東京から午前8時の新幹線に乗ると、京都に10時過ぎに着き、そこから近鉄特急に乗ると大和西大寺駅に午前11時に到着する。そこからタクシーに6時間乗っても、暗くなる前に回ることができる。

 そういうことで、奈良の地図を見ながら、大和西大寺駅 → 平城京跡 → 唐招提寺 → 薬師寺 → 興福寺 → 東大寺 → 春日大社 → 近鉄奈良駅、というコースを作って、タクシー会社にお願いした。近鉄奈良駅からは、特急で京都駅に行き、そこで食事をして帰京するというコースである。このスケジュールに従って、新幹線の切符(大人の休日倶楽部)、近鉄特急の切符を近鉄のHPでチケットレスのものを買い、京都駅近くのレストランを押さえて(ぐるなび)、手配が終わった。今から思うと、「奈良のお寺を巡る弾丸ツアー」と言ってもいいくらいだ。それにしても、個人でこれくらい簡単に、ほんの僅かな時間で手配できるのだから、そのうち旅行会社などは無くなってしまうかもしれないと思うほどである。

 ちなみに、私が最後に奈良に行ったのは、2009年7月だから、もう8年以上も前のことだ。そのときは、デジタル一眼レフを買って嬉しくて、初めて夜景を撮りに行ったものであるが、意外と美しく撮れたので、感激したことを覚えている。夜景は、春日神社の一ノ鳥居、浮見堂、仏教美術資料研究センター、東大寺南大門の金剛力士像、興福寺五重塔、猿沢池の柳を撮り、昼景は、春日神社、東大寺大仏殿、若草山を撮影したものである。それに比べて今回は、昼間のお寺を巡る旅なので、はてさて、どうなるのだろうか。いずれにせよ、大仏以外の仏様は、どれも撮影が禁じられているから、寺院の外観だけを写してくるほかない。


2.平城京跡

 さて、旅行当日、新幹線は順調に走り、京都駅に到着した。私の好きな八つ橋の「おたべ人形」が迎えてくれた。それから、中央改札口より近鉄に乗る。特急電車が走り出したと思ったら、もう大和西大寺駅に着いてしまった。例の、お坊さんのような少年の頭に鹿の角を生やしている「せんとくん」の像が迎えてくれる。これをどう贔屓目に見ても、私はあまり好きではないのだが、もはや奈良では定着しているようだ。駅の階段を上がると、約束していたタクシー会社の運転手さんが迎えてくれた。「目的は、写真を撮ることと、薬師寺食堂と興福寺展の見学で、後は付け足し程度と思ってください。」と伝える。


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 平城京跡は、延暦3年 (784) 年に都が長岡京に移転した後、長い間、忘れられていた。戦後になって特別史跡に指定されて、1998年には朱雀門が復元された。ここまでは、私も見たことがある。その後、平城遷都1300年の2010年に、更にそこから800m離れた所に太極殿正殿(冒頭の写真で、これを裏側から撮ったもの)が復元され、またそれらを囲む長い塀が整備されるなどして、形を整えつつある。私が学生時代の頃には、ここは近鉄電車がすぐ近くを通るだけの全く何もない原っぱだった。今回、それを見に来たのだが、問題は、周りに駐車場がないことである。そればかりか、道路は狭くて曲がりくねっているので、車を停めてゆっくり写真を撮る場所すらない。つまり、タクシー観光には最も不向きなところというわけだ。 もちろん、整備が完了すれば、そういうこともなくなるのだろうが、ともあれ、現状は何ともならない。だから、道の脇の僅かなスペースに停めて太極殿を撮影したり、朱雀門などは走る車の中から撮ったりという有り様になった。だから、この2つは、ただ撮っただけである。


3.唐招提寺

 唐招提寺に着いた。平城宮跡からほど近い。戒律の専修道場として、759年に創立されたお寺である。唐の高僧であった鑑真は、聖武天皇の願いによって日本に渡ることを決意し、5回に及ぶ難破のすえに失明しながらも、ようやく来日して我が国に戒律を伝えた。その経緯は、私が中学生のときに読んだ井上靖の小説「天平の甍」に詳しい。だから昔から、身近に感じているお寺だ。


唐招提寺の国宝である金堂


 国宝の金堂(8世紀後半)に近づいていくと、8本のエンタシスの柱が美しい。運転手さんが、「正面の2本の柱の間隔が、端の方の柱の間隔より狭いでしょう。遠近法で建物を大きく見せる工夫ですわ。うまく作らはりまんな。」と解説する。そういえば、そうだ。これまで何回もこの金堂を見ているが、こういう解説は初めてである。内部の写真は撮れないが、拝観すると、内陣には高さ3メートルの本尊である盧舎那仏坐像があり、こちらが宇宙の中心である。その左右に、薬師如来立像(現世の苦悩を救済する)、十一面千手観世音菩薩立像(理想の未来へ導く)がある。更に本尊の脇士として、等身大の梵天・帝釈天立像が、須弥壇の四隅に四天王立像があり、曼荼羅世界を現している。

拝観パンフレットより


 同じく国宝の講堂(8世紀後半)は、元々、平城宮の東朝集殿を移築したもので、宮殿建築そのものだそうだ。なるほど、こういう形でなければ、1200年も前の宮殿の建物が残ることはなかったろうと思う。本尊は弥勒如来座像(将来、必ず如来として出現し、法を説くとされる)で、持国天と増長天が併せて置かれている。この2天は、半世紀以上も前の中学校の美術の教科書にあった。

松尾芭蕉の一句


 運転手さんが、「鑑真大和上のお姿は御影堂にあるんやけど、毎年6月の三日間しか見せてもらえまへんよって、最近、こういうものができたんですわ。」と言って、御身代わり像という模造が置かれている。「平成御影像」として、2013年に落慶したそうだ。階段を登って近づいてみると、日焼け防止の青いガラスに遮られて、今ひとつよく拝むことができなかった。


4.薬師寺

 薬師寺は、私の学生時代には、立派な東塔とやや貧弱な金堂があっただけだった。度重なる戦乱や火事で、伽藍中の数多くの建物が失われていったかたである。ところが、この残った東塔だけは白鳳時代の白眉と言われた素晴らしい建物である。一見すると六重の塔のように見えるが、真ん中の小さな屋根は裳階(もこし)という覆いのようなもので、実際は三重の塔だということを習った記憶がある。なぜ覚えているかというと、高校入試の範囲に含まれていたからだ。美術は、高校入試の9科目(英数国社理、体育、音楽、技術家庭、美術)の一つだったのである。

 その後、伝説的な説教師である高田好胤師が出て、薬師寺は一変した。同師(その後、管主)は、特に修学旅行生に対する話術で名を上げ、次第に一般の方からも評判となった。ただ、いわゆる「受け」を狙った話し方をしたこともあったそうである。運転手さんによれば、御釈迦様の絵をわざわざ逆にして示し、それを見た生徒たちがざわめくと、「おっと失礼。これこそ『お逆さま』でした。」と言って笑いをとっていたから、眉を顰める向きもあったそうだ。ところが、その人間的な魅力で、金堂の復興のために浄財集めのお写経勧進に邁進し、遂に百万写経を達成して、金堂が出来上がった。それから、西塔、大講堂、食堂(じきどう)と、次々に整備されていった。


薬師寺金堂


薬師寺大講堂


薬師寺西塔 width=


 金堂には、国宝の薬師三尊が鎮座している。中央が薬師如来(東方浄瑠璃浄土の救主で、またの名を医王如来と言い、人々の身と心の病を救う。)、向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩の脇侍が控えている。いずれも光背が光り輝く金色であるのに対して、仏様の本体はブロンズ色で、どうもマッチしないなと思っていた。しかし運転手さんが言うには、薬師三尊は、本来は金箔が置かれた輝くばかりの仏様だったのだが、度重なる戦乱で焼かれて金箔が剥げ落ちて、このようなお姿になったのだそうだ。凛とした表情を見せながらも目ざしが優しい薬師如来に対して、脇侍の日光・月光菩薩は身体を自然に曲げて、見方によれば実に魅力的なお姿をしている。



拝観パンフレットより


 大講堂は、本当に大きな建物である。本尊は彌勒三尊で、国宝の仏足石があった。玄奘三蔵院伽藍には、故平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」が納められている大唐西域壁画殿があり、まるで砂漠やヒマラヤ山中を旅している気分になる。いずれも、非常に見事なものである。西塔の向かいの大きな覆いは解体修理中の東塔であり、10年間の予定で作業中で、2020年中頃に完成するだろうということだった。

玄奘三蔵院伽藍


 さて、私が今回の旅の一つの目的は、薬師寺食堂の「阿弥陀三尊浄土図」の見学である。食堂は非常に大きな建物で、その3面、計50mにわたって「仏教伝来の道と薬師寺」が並べられている。入って左手に、唐へ向かう遣唐使船とその帰ってくる姿が描かれ、写実的である。正面には阿弥陀三尊浄土図があり、いずれも誠に凛々しくて品のある仏様である。更に右手には、飛鳥川と大和三山の畝傍山らしき「うねび」、耳成山のような「みみなし」、そして香具山らしい「あまのかぐやま」と題する一連の絵で、奈良の街をやや斜め上空から見た鳥観図が、春夏秋冬に分かれて4枚、展示されている。私はこれらから醸し出されるほのぼのとした雰囲気に非常に感じ入って、しばらく立ち止まって眺めていた。最後の右手の壁には、碁盤の目が強調された平城京の街が、薄い緑色で描かれている。もちろんその中には、薬師寺もあるという趣向である。青葉が萌えるようで、非常に清々しい。これは、良い絵を見せてもらった。

絵の配置図。拝観パンフレットより







5.興福寺



興福寺五重塔。猿沢の池越しに見る。


 いよいよ興福寺に到着した。「阿修羅 天平乾漆群像展 興福寺国宝特別公開2017 興福寺中金堂再建記念特別展」と題するパンフレットをいただいて入場する。これは実に良く書けているので、以下、それを逐次、引用しながら感想を記しておきたい。正面におわしますのは、本尊の阿弥陀如来(西方極楽浄土の教主)である。「宣字形裳懸座に結跏趺坐し、左手は膝の上で掌を上に親指と人差し指で輪を作り、右手は曲げて掌を前方に向け、親指と人差し指で来迎印を結ぶ。平安時代後期に流行した定朝様式が踏襲されている。」と、難しく解説されているが、正面に立ち、ふと仏様を見上げると、仏様と目が合った気がした。



展覧の像の配置図


拝観券に描かれた阿修羅像


 何といっても、是非とも観たかったのが、阿修羅像で、阿弥陀如来像の向かって左手に安置されていた。高さは153.4cmだが、置かれているところが高いから、その顔が私のすぐ前にある。学生時代に2回、勤め始めてから1回、お目にかかっているから、4度目である。しかし、これほど間近に観るのは、初めてだ。なるほど、何回観ても、少年の顔そのものである。少年とは言っても、よくよく観ると、なかなかに憂いを含んだお顔をされている。それが、3つもあるとは・・・その内面には、非常に複雑なものがあるといえよう。解説には、「八部衆はインド神話に登場する神々で、仏教に帰依してその守り神となった。」とあり、阿修羅はその筆頭である。「阿修羅はインド神話に登場する戦闘の神で、・・・一般的には激しい怒り顔で3つの顔と6本の腕を持つ姿に表されるが、興福寺の像には怒りや激しさが見えず、表情は繊細で内向的であり、腕と体が細い少年の姿で表される。その表情には懺悔という仏教で重要な宗教行為が反映されているとも推定される。」とのこと。専門家にも、この像の解説は難しいらしい。

 また、阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の金剛力士像が、誠に素晴らしい。中学生の頃、美術の教科書に乗っていたこの像を見て、まるで鍛えられた力士像のような写実性に驚嘆してしまった。今回の説明でも、「金剛力士は、口を開いた阿形と口を閉じた吽形が1組となり通常は仁王門などに安置されるが、奈良時代には堂内の須弥壇上に置かれる場合が少なくなかった。この1対は・・・鎌倉初期彫刻の特色である写実性、激しい動き、力強さが顕著で、それに加えて強い風が意識され、筋肉が凹凸をもって隆起し、血管が浮き上がるなど、迫真的な鎌倉彫刻の真髄をみることができる。」というのが解説である。このうち、「強い風」というのは、あるいは「強い作風」の間違いではないかと思うが、筋肉や血管に着目しているのは、正にその通りである。


興福寺東金堂


興福寺東金堂と五重塔





6.東大寺



東大寺の鹿


南大門に向かう


 これで、今回の旅の目的はほぼ達成した。まだ午後4時前なので、残りの寺社を回れる限り回ってみることにした。東大寺に着いたが、タクシーを停めたのは大仏殿の脇である。運転手さんが、「せっかく来られたのやから、仁王さんたちを見て来まひょ。」と言って、南大門の方へ案内してくれる。鹿が食べ物をくれるかと思って擦り寄ってくるし、観光客の流れも反対なのでそれに逆らって歩いていった。運転手さんが「奈良公園では、芝刈りの必要がないんですわ。鹿がねえ、食べてくれるから。」。それで私が、「奈良公園の鹿で感心したのは、例えば鹿煎餅を売る屋台があったとすると、お客さんがそこで煎餅を買ったとたん、鹿がそのお客さん目掛けて殺到するんだけど、決して屋台そのものには、鹿はやって来ない。ダメなことをちゃんと分かっているんですね。」。「そうそう。鹿はよく、分かっていまんねん。」

口を閉じた阿形


口を開けた吽形


 さて、しばし歩いて、東大寺南大門に着いた。同寺のHPによれば、「天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊した。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人が再建したもの」とある。相対して置かれているのが金剛力士立像(国宝)で、 建仁3年(1203年)の創建。運慶と快慶が中心となって作られた。右手に口を閉じた阿形、左手に口を開けた吽形の仁王さんである。運転手さんが、「この一対の阿形と吽形は、普通の置き方とは反対に置かれていて、そのせいで視線が集まるのは、ホレ、ここ(と言って門の真ん中の木げたを指す。)ですわ。それに、あの顔は、普通より大きいですねん。下から見上げて、自然に見えるでしょ。ああ、それから、この柱にいくつか穴が開いているでしょ。これは、昔の鉄砲の弾痕ですねん。」と、こともなげに言う。調べてみると、永禄10年(1567年間)の三好三人衆と松永弾正との戦さで放たれた弾の痕らしい。

三好三人衆と松永弾正との戦さで放たれた弾の痕


 さて、南大門から大仏殿の方へと引き返し、大仏殿の寺域へ入った。相変わらず雄大な姿の建物で、屋根の端が空に向かってやや反っているのが、何とも優雅である。中国の寺院などにもこういう「反り」が見られるが、反りの程度が強すぎてあまりに人工的な感がする。その点、日本の建物の反りは、自然で無理なく受け入れられるので、私は好きである。

東大寺大仏殿


盧遮那仏


盧遮那仏と傍の仏様


 大仏殿の建物内に入る。視野いっぱいに青銅色の大仏様が迫る。ああ、この感激は、昔々に感じたのと同じものである。盧遮那仏は、752年の開眼以来1265年間、ほぼこのお姿でここに鎮座されている。途中1180年と1567年の2回にわたって火災により大仏殿とともに焼失したが、いずれも再建されて今日まで伝わっている。奈良の昔、これだけ大きな大仏様が、今の光背のように目が眩しくなるほどの金色に輝いていたというから、実に美しくきらびやかなものだったかが偲ばれる。しばしお参りした後、時計回りに見学して行った。寄進の瓦があったが、そういえば私も前回来たときに、寄進した覚えがある。柱の穴くぐりは、まだ行われていたが、今は半数が外国人となっている。


7.春日大社

 タクシーは東大寺から春日大社の二ノ鳥居に向かう。そこで降りて、表参道を登っていった。参道の両脇に昔から奉納されてきた燈籠が数多く建てられている。運転手さんが、「ほれ、あの燈籠には全て紙が貼ってありますやろ。毎年、張り替えるんでっせ。3000円ですわ。」。私は、「ええっ。あの燈籠の窓に貼られた四角い紙は、元々の燈籠の寄進主とは違うんですか。」と聞いた。「全く関係ありまへん。年に1回、募集して、きちきちっと張り替えますんや。」と言う。燈籠に近づいてよく見ると、なるほど、全く関係なさそうな大阪在住のおばちゃんの住所と名前が書かれている。私が「その通りですね。あれあれ、穴が開いて破れているのや、完全になくなっているのもある。」と言った。すると、運転手さんは、「穴が開いているのは子供や観光客のいたずらで、鹿も食べちゃうから、そういうときには紙が完全になくなってしまうこともあるんです。」


春日大社の参道


燈籠の窓に貼られた四角い紙


 商魂の逞しさと鹿の食欲に驚きつつ、参道を引き続き登っていると、春日大社の南門に着いた。朱色の神社と、周囲の藤の木の葉の緑色との対比が鮮やかである。春日大社については、最近のNHKの番組「ブラタモリ」で取り上げられていた。要は、藤原氏を祀った神社であること、寄進の釣り燈籠の中で最も大きいのは藤原一族である近衛家のものであること、だから御神木が藤の木であること、後ろの山そのものが御神体であることなどが紹介されていた。

春日大社の南門


大宮特別参観図。拝観パンフレットより


 藤の花のかんざしを付けた巫女さんからパンフレットをもらい、国宝御本殿の大宮の特別参拝に入れていただいた。中にたくさんの神社がある。数えてみたら、16もあった。それらを順路に従い、階段を上がったり下がったりしながら、一つ一つお参りをしていく。途中にずらりと並ぶ釣り燈籠が荘厳な雰囲気を与える。運転手さんが「ここは、面白いでっせ。前はなかったんですけどなあ。」と言って、暗いカーテンで仕切られた「藤浪ノ屋」という部屋を指さす。何でも、春日大社全体で3000基の灯籠があるそうで、2月の節分と8月の半ばには、それらを全部灯す「万燈籠」という行事がある。それを体験してもらおうと作られたそうだ。部屋に入ると、暗い中に燈籠が灯されて、ずらりと並んでいて、なるほど幽玄な雰囲気である。これが暗闇の中で3000も揺らめくのは、さぞかし宗教感が研ぎ澄まされることだろうと思う。外に出ると、運転手さんが「砂ずりの藤」(樹齢800年)と「大杉」(同1000年)を指し示してくれる。それぞれ、古い記録に残る神木である。

春日大社の燈籠


徳川綱吉寄進の燈籠




8.二月堂

 春日大社を出て、運転手さんが「まだ、時間があるようだから、二月堂に行きますか。」と聞く。もちろん、それは願ってもないことだと思って、行くことにした。東大寺に着き、同じところに車を停めて、二月堂まで早足で歩いていった。お堂に登ると、なるほど、ここでお水取りの行事が行われるのかと感じ入る。だいたい、こんな貴重な国宝の建物内で、松明とはいえ、あれほど盛大に火を使って良いものかと思うのであるが、8世紀以来、続けられている伝統行事である。ただ、「寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物」だという。建物に登って、テラスに出るまでに、ふと天井を見ると、焦げ跡のようなものが見える。


二月堂


二月堂から眺めた不思議な風景


 テラスに出た。ここは小高いところにあるので、テラスからは奈良盆地がずーっと見渡せる。空を見上げると曇り空だが、空の真ん中が大きく四角に割れている。その中の雲が薄くなっていて、青い部分が見えたりする。不思議な風景である。しばしそれを眺めていたら、どういうわけか気持ちがすっきりして、今度は早く帰りたくなった。運転手さんに若干の御礼をして別れ、近鉄奈良駅から京都に出て、そこで鴨鍋を食し、早々に帰京の途に着いたのである。



(2017年10月8日記)


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