確定申告の季節

国税庁の確定申告作成コーナー


 2月に入り、北陸地方は何十年ぶりの大雪で、国道8号線には1,400台もの車が立ち往生して、60時間も掛けてようやく解消したそうだ。そのような中で、今年も確定申告の季節が到来した。私の場合、去年は歯医者に行ったから医療控除を受けられるし、家内の国民年金基金への一括払い掛金もあるので、そちらの控除もある。また、昨年の投資信託の解約で若干の損失が出たから、それを繰り延べしないといけない。そういうわけで、帳票原本が集まるのを待って確定申告書類を作ろうとした。

 何しろ私は新しもの好きなものだから、電子申告が始まったばかりのときに、早速やってみた。それ自体は便利なものだけど、一方で控除を受ける証明書などを5年間も保管しておかなければならない。スキャナーで写したり写真を撮ったりした電子形式のものではなくて帳票原本だと、嵩張る上にいざという時なかなか見つからないこともあり得る。だからそれが面倒になって、3年ほど前からパソコンで確定申告を作成した後、それをPDF形式の紙にして印刷し、書類で提出することにしている。いわば先祖返りしたというわけだ。

 今年も、自宅のパソコンから国税庁の確定申告作成コーナーに入って、コツコツとデータを打ち込んでいった。途中、源泉徴収票の内容を入れていき、(1) 給与の支払金額、(2)源泉徴収税額、(3)社会保険料等の金額を入れたところで、動かなくなった。(まさか源泉徴収票に問題があるなどとは疑いもせず)、数回繰り返しやってはみたものの、前に進めない。困ってしまったが、一計を案じて、(3)社会保険料等の金額を源泉徴収票とは切り離して入力するという荒業で、この問題を回避することができた。これで30分間も時間を浪費してしまった。でも、ともあれ作成できたから良しとしよう。結果をみると、医療費控除よりも、家内の国民年金基金への一括払いの効果が大きくて、何十万円かの単位で還付金がある。

 これは良い、それにしても申告書類をこのまま手元に置いておいても仕方がないので早めに提出することにした。善は急げというわけだ。確定申告の期間は2月16日から始まるが、還付金がある申告なので、それまででも受け付けてもらえる。そこで、書類一式をとりまとめ、2月6日に税務署に持って行った。税務署は、自宅から片道15分もかからない近いところにある。行ってみると待っている人は誰もいなくて、直ぐに受け付けてもらえ、「控」に受け付け印を押してもらって帰ってきた。

 その次の日のことである。勤め先の人事から、「実は源泉徴収票の中に間違いがあり、源泉徴収税額が5万円ほど少なかったので、訂正後の源泉徴収票を渡します。」という連絡を受けた。単純なミスなら仕方がないが、「できればもう一日早く言ってくれれば、誤った確定申告をせずに済んだのに」と内心思ったものである。私は、給与所得をもらうようになってから優に40年を超えるが、源泉徴収票が間違っていたというのは、初めての経験である。文字通り、「まさか」の世界だ。なるほど、国税庁の確定申告作成コーナーでつっかえた理由がわかった。というのは、この訂正後の源泉徴収票でやってみると、何の問題もなく作成できたからである。

 ところがこの時、人事担当者から受けた示唆がまた間違っていた。いったん提出した確定申告については、「更生の請求」なるものをすべきというのである。国税庁のホームページで探すと、なるほど「更生の請求」なる書式が出てきた。そこで、それ以上調べないままに、その書式に書き込んでいった。狭い欄なのに、結構書かなければならないことがある。しかも今時珍しい手書きだ。真ん中辺りまで書いたところで、数字を書き間違えた。あららと思ったがもう遅い。書き直しである。そういうことで、四苦八苦して書き上げ、それに訂正後の源泉徴収票と家内の国民年金控除証明書を貼ってようやくお仕舞い、出来上がりである。ふと時間を見たら、2時間も経過していた。楽しかるべき夕方のひと時が台無しだ。いやはや、税理士にならなくて良かったと思った。こんな書式、パソコンで書けるようにしてほしい。そうすれば、途中で間違えてもその部分を直すのは簡単だ。


更生の請求


 というわけで、翌日の早朝、その成果物を持ってまた税務署に行ったのだが、何とまあ、係員の人から「まだ確定申告の期限が来ていないので、更生の請求ではなくて、訂正申告です。」と言われてしまった。「では、どうするの」と聞くと、「最初の確定申告と同じものを作って、また出してくれれば良いです。最初のページに『訂正』と書いてあれば、わかります。」とのこと。「何だ、そんなことならもう作ってある。」と思ったものの、手元にない。やむを得ず、出直す羽目となった。

 これは、ひょっとして最初から電子申告でしたのなら、送信するだけで済み、また出向くという必要はなかったのではないかとも思った。しかしながら、それにしても大事な原本を5年間も自宅に保管するというのは、職業柄もあってか私の趣味には合わない。どこか銀行の貸金庫を借りて、この季節になると5年前の書類を取り出して廃棄し、新しくその年の書類を入れるというやり方にするのも一案だ。しかし、今回のようにかなりの金額が還付される年ならばともかく、貸金庫を開けてみれば病院の領収書ばかりという一方でその貸金庫代自体が馬鹿にならないという年もあるだろうから、コストパフォーマンスが悪すぎる。それまでは、税務署まで往復30分の道のりを、運動を兼ねて歩いて行くことにしよう。

 ところで、この問題、個人の電子申告についても、帳票原本の電子化(PDF化)と、その送信を認めれば解決できる。確か法人の申告では何年か前にそうなったはずだから、それと同じことである。だいたい、本体の電子申告を認めておきながら、それを裏付ける帳票原本の保管を個人に5年間義務付けるという現行の制度は、割り切り過ぎの反面、納税者からすると中途半端なのである。

 例えば、家内の国民年金基金の一括支払いで、100万円を超えたという場合の控除証明書は、他に紛れたりすると、何十万円かの還付金に影響する。こういう帳票原本たる紙は、税務署に保管しておいてもらいたい。ところが、一件当たりせいぜい数千円の病院の領収書の束は、嵩張る割には確定申告の金額にあまり影響がないことから、そのほとんどは要らない。ところが稀には歯のインプラントの領収書のように100万円を超えたりするものがあるから、こういうものは自宅でより税務署の方で大事にとっておいてもらいたい。それが困るなら、PDFでの保管を認めるべきである。病院の領収書の束を見るたびに、そう思っている。

 もっと大きな視点でみれば、今やマイナンバーの時代なのだから、そもそもサラリーマンの給与の源泉徴収票などは、税務署と給与の支払事業所とを回線で結んでそちらから申告させるようにするべきだ。税務署と社会保険事務所との間も同様である。ついでに言うと、税務署と病院の間もそうしてほしいが、その前提としてレセプト請求が電子化されないといけないから、これはなかなか難しい課題だろう。もっとも、そういう時代が来るまでには、私はすっかり仕事からリタイアして、ご隠居さんをやっているかもしれないので、以上述べたことは、私についてはまるで必要がなくなり、あたかも犬の遠吠えのようなものかもしれない。




(2018年2月16日記)


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ドラム式洗濯乾燥機が壊れた

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 確かまだ7年しか経っていないと思うのだけど、サンヨー製のドラム式洗濯乾燥機が壊れてしまった。型式は、「AQUA のAWD-AQ4000」である。写真は、次の通りである。そもそもサンヨーという会社はもうなくなってしまって、今は吸収合併先のパナソニックが修理交換の問合せ先となっている。2年前に、その乾燥フィルターが壊れたので、パナソニックのサイトから、このドラム式洗濯乾燥機の交換部品を取り寄せたことがある。これからもわかるように、ちゃんと製品と修理の引き継ぎがされているのは、結構なことだと思っていた。

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 ところで、今回壊れたというのはどういう状況かというと、冒頭の写真にあるように、回転ドラムの真ん中にあるプラスチック製の丸い部品が、あたかも「もう疲れた」とばかりにポロリと落ちてきたのである。よく見ると、プラスチックが破断している。ここはまさにドラム式の中核部分なので、そんなところが落ちてくるとはどういうことだと言いたいところだが、会社が潰れてしまっていては、致し方ない。このままだと、乾燥時など高速回転をするときに危ないと思い、買い替えることにした。加えて、前回購入できた乾燥フィルターも、もはやパナソニックのサイトにも売っていないので、がっかりしたという事情もある。だから、もう買換えの潮時なのだろうと自ら納得することにした。

 こういう時、私は勤め先に近い家電量販店に行くことにしている。昔々、上京して勤め始め、しばらくして結婚したときには、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどの家電製品一式を買うために秋葉原の家電量販店に行ったものだ。ところが、秋葉原はいつのまにかパソコンとゲームとオタクのメッカとなり、家電を探すどころではなくなった。その代わりに、ビックカメラやヨドバシカメラなどの全国チェーン店で家電を買うようになった。それが今やアマゾンなどの通販が急速に台頭してきたことから、ネットでかなりの用を足せることになった。「かなり」というのは、照明器具やせいぜいテレビなどは通販でよいのだけれど、洗濯乾燥機の場合は、果たしてあの狭いスペースに入るだろうかとか、洗濯物の仕上がりとか、その他家電リサイクルの手続などがあるため、店員さんのいる対面販売の方がいいと思って、店舗に行ったというわけである。

 すると、洗濯機のコーナーは、かつてとは様変わりしていた。昔は、洗濯乾燥機といえば東芝、松下、サンヨー、日立などのメーカーが乱立気味だったが、私の買いたい価格帯のものは、今やパナソニック(松下)か日立かという二択しかない。まあいいかと思って一つ一つ見ていく。予算は、20万円である。実は、壊れた洗濯乾燥機で一番気に入っていたのは、乾燥した後の衣類の肌触りの良さである。これで乾燥しないで部屋干したりすると、肌着もタオルもゴワゴワとなる。特に今は冬なので乾燥しやすく、肌着がまるで板のようになる。だから乾燥機能の良いものを選びたい。ただし壊れた洗濯乾燥機で妙だったのは、普通の「乾燥」モードにすると、仕上がった直後に焦げ臭いにおいがしたことだ。温度が高過ぎて繊維が焦げているのは明らかである。だから、「低温乾燥」というモードで使っていた。これだと、ちょうどいい。ただし終わるのに5時間近くもかかるのが難点である。もっとも、動く音がとても静かなものだから、夜の寝ている間に動かしていた。

 次に気に入っていたのは「洗剤ゼロ」 モードである。驚くことに、洗剤がなくても汚れがとれるし、洗剤がある場合とほとんど遜色がない。オゾンを発生させて汚れを取っているらしいが、洗剤を使わないから環境に良いかと思って、洗濯物があまり汚れていないときに、ときおり使っていた。今から思うと、オゾンが人体に悪影響を与える可能性もあったのだろうが、扉を開ける時には、その度にオゾンが排出されていたので、さほど神経質になることもないと思っていた。

 そういうわけで、売り場の洗濯乾燥機を見て回ったのだが、いずれも帯に短し襷に長しで、希望通りのものがない。まず、サイズは、どれも我が家の置き場所に入りそうだし、我が家の水栓の位置もこれでよい。しかし残念ながら、オゾンを使って洗剤ゼロという商品はもうなくなっていた。乾燥機能は、色々とお題目は並んでいるものの、使ってみないことには分からない。どれにするか大いに迷うが、意外なことに、ドアを左右どちらの開きにするかということと、納期の短さで、一つの機種に絞られてしまった。日立の「BD-NX120BL」である。つまり、この他にこれが良いなと思ったら、希望する左開きのものがない。直ぐに欲しいと思っても、人気機種だから納期は1か月後だとか、そういう調子である。その欲しかった機種は、いわば前々年のモデルで、それなら20万円で予算にちょうど合うのだけれど、持って来てもらうのに1か月もかかるというのでは、今回のような急場の役に立たない。そこでやむを得ずに納期が3日後という4か月前に発売されたばかりの最新モデルにした。何と、お値段は28万円強で、かなりの予算オーバーだが、仕方がない。ただし、家電リサイクル料金のサービスや5年保証と、3万円のポイント付きだから、実質24万円くらいである、ネットでみると、25万円から26万円だから、まあそんなところだ。


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 さて、約束の日曜日に持って来てくれた。その前に壊れた洗濯乾燥機を持ち出さないといけない。洗面台の向かいの狭い洗濯機用スペースに収まっていて重たそうなのだけど、係の人は何の苦もなくグッと持ち上げて、運び出して行った。新しい洗濯乾燥機は、前のものより縦に短く横に3センチほど長い。この長さが邪魔して入らないのではないかと心配したが、浴室に通じるドアを開け、そこに器用に身体を入れて持ち込み、防水パンの上にすっぽりと乗せてくれた。ホースを水栓に繋ぎ、試運転をしてみると、ちゃんと動いた。その時、「水栓から少し水が漏れています。この部分の中部が錆びついているので、水道屋さんを呼んで早めに取り換えた方がよろしいです。」との御宣託があった。

 お礼を言って帰ってもらった後、家内に聞くと、「この部分はTOTOの製品で、以前来てもらってパッキンを取り換えたことがある。」というので、またお願いすることにした。その作業が終わって、家内が言うには、意外なことが分かったという。TOTOの修理担当者は、「この水栓そのものは、書いてあるようにTOTO製ですが、この錆びた部分だけは、TOTO製ではない。」と言ったという。下の写真の「L」字様の金属部分である。「ええっ。これ全体がTOTO製ではないのですか?」と聞くと、「工務店かマンションの販売会社かはわかりませんが、少しでも安い材料を使って安く上げようとしたのでしょう。よくあることですよ。」という。そんなことは、初めて知った。ちなみに、このマンションの水回りを担当した会社の仕業だろうが、ケチくさいことをしたものだ。案の定、この会社はもう潰れているそうだ。いずれにせよ、TOTO製の部品に替えてもらうことにした。次の写真の上がサードパーティ製で、下がTOTO製の部品である。


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 洗濯乾燥機の買い替えから始まって、意外な手抜きの事実まで判明したものである。ともあれ、新しい洗濯乾燥機の使い勝手はどうかというと、まあ順調に動いてくれている。洗濯の時間は以前の機種とほぼ同じで約30分だが、乾燥に要する時間は以前の5時間近くから大きく改善して2時間からせいぜい3時間となり、乾燥終了後の乾き具合と肌触りは共に満足するレベルである。ただし、乾燥機能を使うたびに、エア・フィルターの掃除が必要であるし、その構造は以前のものと比べて、はるかに複雑なものとなっている。

 昔々、私が小学生の頃の洗濯機は、一つの槽しかなくて、それで洗ったら上下2つのローラーの間を通して水を切ったものだ。それからしばらくして出た二槽式洗濯機は、一方の槽でぐるぐると水で洗い、他方の槽で洗濯物を脱水したものだ。ちなみに私の母は、まだそのタイプを使っている。それが今の最新の機種は、同じ洗濯槽で洗い、脱水し、乾燥までしてくれる。その乾燥も、機械が複雑になった反面、確実に性能は上がっている。一般に機械器具というものは、文明そのものと全く同じで、時間が経つにつれて、ますます複雑でややこしくなるもののようだ。進歩して止まないというのは、良いことではあるけれども、どこかで飽和点に達してご破算となるのではないかという気もしないではない。その結果、まるきり新しいものにとって代わられるか、あるいはまたゼロから始めるかのどちらかだろう。




(2018年2月14日記)


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若草山焼きと京都四社巡り

若草山焼き






 若草山焼きと京都四社巡り( 写 真 )


1.若草山焼き

 奈良の若草山焼きを見物に行ってきた。一度は見てみたかったのだが、何しろ寒い季節に行われるし、加えて例年その頃は仕事が忙しい時期に当たり、なかなか行く機会がなかった。ところが今年は体調はよろしいし、幸いにして十分に時間があったので、それでは見物して来ようと思ったのである。現地の状況がある程度事前に見当のつく行事なら、往復の交通機関の切符と宿、そして有料観覧席があるならその切符を手配してから行くようにしている。ところが、今回は寒い季節に行われる夜のイベントでもあり、風邪をひいたり転んで怪我でもしてはかなわないので、安直にツアーに乗ることにした。そのパンフレットの写真によると、漆黒の空の下、若草山の上空に花火が上がり、ライトアップされた寺社の建物の背景に、山焼きの紅蓮の炎が浮かんでいる。こんな写真が撮れたらいいなというわけだ。それだけでなく、山焼きの翌日には、京都で4つの社寺を訪れるそうだ。青龍、朱雀、白虎、玄武の、都を守るいわゆる四神である。このうち、八坂神社と上賀茂神社はよく知っているが、松尾大社と城南宮には行ったことがない。だから、面白そうだという気がしたのも事実である。ところが問題は、新幹線なら楽なのに、バスで行くツアーだったことだ。まあ、この冬の寒い季節だから、道路はそれほど混まないだろうと期待して、申し込んだ。

 当日朝、新宿に集合して8時半にバスに乗り込んで出発した。私は、中部・関西方面に行くにはもっぱら新幹線を使っているので、新東名高速道路は通ったことがない。だから、バスの旅を楽しみにしていた。東名高速道路を順調に走る途中で仰ぎ見る真冬の富士山には、真っ白な冠雪がある。それが折からの快晴の青い空を背景に輝いて見え、文字通り感動するほどに美しい。期待通りだ。御殿場を過ぎたところで、いよいよ新東名高速道路に入る。道路は新しいし、ドライブイン内はまるでスーパーのように商品で溢れている。30年ほど前のこと、私は小さい車に家内と子供たちを乗せて高速道路を走り、当時はまだ粗末な設備のドライブインでよく休んだものだが、その時代とはまるで大違いだ。バスは更に進み、名古屋市中心部を通らずに、伊勢湾岸自動車道に抜ける。巨大な吊り橋をどんどん走って、左手に昔は長島スパーランドと呼んだ娯楽施設が、まだあるではないか。でも、ジェットコースター中心のようで、昔とは様変わりだ。新名神高速道路に入り、甲賀の山を越える。その辺りで雪になる。これが奈良まで続いて山焼きが中止になったりすると、目もあてられないなという考えも一瞬、頭の中をよぎるが、「いやいや、私は晴れ男だから」と思ってそういう考えを振り払う。


東大寺の大仏さま


 さて、バスは奈良市内に入り、東大寺南大門脇の駐車場に停車する。雪がちらついているが、大したことはなくて、安心する。時刻は午後4時である。5時から若草山麓の「古都屋」で早目の夕食をいただいた後、その前で繰り広げられる山焼きを見物し、バスには7時20分に戻ってきてほしいとのことである。私は、せっかくだから、この際、東大寺の大仏さまを拝んで来ようと大仏殿に入った。そして大仏さまを正面から拝んで裏に回り、更に例の四角い穴が空いている柱をくぐる人を「あっ、やっている」とばかりに眺めて、直ぐに出てきた。それから手向山神社の方へと階段を上がっていき、そこから右手に曲がって若草山の裾野に出た。夕食会場の「古都屋」は、すぐその前だ。天候は曇りで、花火直前には雲一つない青空が見えてきた。これは良い。

雲一つない青空の若草山焼きの直前


 現地でいただいた若草山焼き行事実行委員会作成のガイドブックによると、「若草山三重目の頂上には巨大な前方後円の鶯塚古墳があります。その昔、ここから出る幽霊が人々をこわがらせるという迷信が長く続いていたらしく、しかもこの山を翌年1月までに焼かなければなにか望ましくないことが起こるといったことで、通行する人が放火し、東大寺境内に火が迫る事件が再三起こりました。1738年12月に奈良奉行所は若草山に放火停止の立て札を立てましたが、その後も誰ともわからないまま放火が続きました。近隣社寺への延焼の危険が絶えず、江戸時代末期には若草山に隣接する東大寺・興福寺、奈良奉行所が立ち会って山を焼くようになりました。このように山焼きの起こりは、山上古墳の鶯塚に葬る霊魂を鎮めるための祭礼というべきものであり、供養の為でもあったと言えます。」とあった。

 その他、ネットでは、「若草山一帯の春日大社・興福寺と、東大寺との領地争いから始まった」とか、「早春にしばしば行われる原始的な野焼きに由来する」などという話もあった。上の実行委員会パンフレットの説では、春日大社が出てこない。ところが、当日の式次第では「春日の大どんど」より御神火が発したり、神事一切を春日大社が行っているし、そもそも春日大社の宮司さんがこのパンフレットに一文を寄せているので、むしろ興福寺や東大寺の影は薄い。わずかに「三社寺にゆかりの深い温食」として、名前が挙がっているのみである。真実のところはどうなのか、聞こうにも適当な人はいなかった。それでもパンフレットをよくよく見ると、「春日大社、興福寺、東大寺の神仏が習合し、先人の鎮魂と慰霊、さらには奈良全体の防火、世界の人々の平安を祈ります」とある。長い間に色々と変遷があったのだろうが、今では、春日大社が前面に出て、それを奈良県と消防団が支える観光行事となっているようだ。当日の式次第は、次のようになっている。

 午後4時45分 御神火奉戴祭「春日の大どんど」より御神火をもらい受けます。」

 午後5時05分 聖火行列出発「御神火が金峯山寺の法螺貝に先導され、山焼きに関係の深い三社寺と奈良奉行所の役人など総勢40名の厳粛な時代行列により、山麓にある野上神社まで運ばれます。」

 午後5時15分 松明点火「春日大社の御神火を松明に点火します。」

 午後5時40分 山麓中央の大かがり火に点火 「御神火は野上神社到着後かがり火に点火され、山焼き行事の無事を祈願する祭礼が行われます。続いて法要として、東大寺・興福寺・金峯山寺の読経の中、山麓中央の大かがり火に点火します。

 午後6時15分 大花火打ち上げ

 午後6時30分 山焼き一斉点火「奈良市消防団員が山麓中央の大かがり火から松明に火を移し、法螺貝、ラッパの合図で一斉点火します。

 夕食会場の古都屋から出てきたのは、午後5時50分頃である。そのまま古都屋の前で見物する人も多かったが、私の場合はカメラを載せる三脚を広げるので、そんなことをすると通行の邪魔となる。それではどこか適当な場所はないかと見渡して、若草山の麓にもっと近づいて、その柵を越えたところで三脚を構えることにした。幸い、この日は柵の中に入ってよいし、適当な場所も見つかった。その間、風に乗って法螺貝の音や読経の声が聞こえてくる。気温は零度を下回っているようなので手先が寒い。手袋をした。午後6時15分になり、花火が打ち上げられた。打ち上げ場所が近いので、花火がシューッと上がり大輪の花を咲かせた瞬間、ドーンという音と身体に響く振動を感じる。


大花火打ち上げ


 さて、愛用のキヤノンのカメラを構えて、「B」(バルブ)、つまりシャッターを常時開放にし、それにケーブル・レリーズを接続する。これのボタンを押している間だけ、シャッターが開くという仕掛けである。我々人間が花火を見ると、一瞬の残像が繋がって美しい像となる。ところが、カメラで数十分の1秒間だけシャッターを開けても、ほんの一瞬の点にしか見えない。そこで、バルブ状態でレリーズを使うのだが、手でやるものだからあまり短いと点になり、長すぎると火の玉のようになる。そこで、適当に手動ですることになる。その他、バルブを使わずに2分の1秒などの長いシャッターにすれば良いのだが、本日の花火は僅か15分間なので、試行錯誤している暇はない。私が以前持っていたオリンパスのカメラの場合は素人向けの製品だったから「花火モード」というものがあって、単にシャッターを押すだけで綺麗な花火が撮れた。ところがこのカメラは少し高度なものだから、そういう素人向けの便利なモードはない。私も、花火は年に1回、撮るかどうかというところだから、全く慣れていない。でも、この際、適当にやるしかない。

大花火打ち上げ


 花火が始まり、そんな心許ない状態で、撮り始めた。暗い中だし、次の花火が大空の中でどのくらい広がるのかを想定してレリーズを押さないといけない。でも、やってみると何とか写っている。順調である。そう思ったその瞬間、とんでもないことが起こった。押し込んだレリーズのボタンが元に戻らないのである。やっとのことで元に戻した。その間、シャッターが開きっぱなしになるから、写った写真はまるで太陽のような火の玉となってしまった。こんなことがあるのかと思ったが、翌日、試してみたところ、1回も起こらなかった。原因は、零度を下回る低い気温のせいだったのかもしれない。とにかく、そうこうしているうちに、15分間の打ち上げは終わった。皆が盛り上がったのは、奈良公園の鹿を模したスターマインだったが、残念ながら写真はうまく撮れなかった。

若草山焼き


 それから、若草山に左右から火が放たれて、山頂に向けて燃え広がった。漆黒の空に、炎が揺らめく。幻想的な風景である。顔が少し暖かくなる。壮大な焚き火である。写真を撮るが、今度は幸いなことに、レリーズがフレーズしない。撮っているうちに30分ほどであっけなく終わってしまった。でも、山に近すぎて全体像が上手く撮れない。少し離れた春日野園地や、もっと遠くの若草山の南側に位置する高円山から撮るべきだったと思った。その他、奈良県庁の屋上という手もあった。ただし、県庁は予約が必要だそうだ。あるいは、平城京跡で行われる「奈良大立山祭り」の闇夜に浮かぶ巨像とともに写すという方法があったようだ。

 なお、この若草山焼きは、一昨年は乾燥していて、普通なら30分は燃えるはずのところ、たった3分しかもたなかったそうだ。昨年は牡丹雪が降って湿っていて、ちっとも燃えなかったという。こうなると、もう笑い話の類いだ。では今年はどうかというと、前日から晴れて適度に乾燥し、雪もちらついて気温が低く、点火から30分、普通に燃えてくれたそうだ。

 それは良かったのだが、そもそもこのツアーのパンフレットにあった「若草山の上空に花火が上がり、ライトアップされた寺社の建物の背景に、山焼きの紅蓮の炎が浮ぶ」というのは、実は合成写真だったのだ。現実には花火を打ち終わってからの山焼きだし、その炎のごく近くにあんな大きなライトアップされた寺社の建物があるはずがない。もしあったら、今頃は燃えてしまっているだろう。騙されたようなものだが、翌日の日経新聞を見ると、(1)山焼き、(2)花火、(3)ライトアップされた寺社の建物の3点セットの写真が載っている(下に掲げた2枚の上の写真)。全く見事に合成したものだが、読者を騙しているようなものだ。その点、朝日新聞大阪版を見ると、「燃え上がる若草山。手前は興福寺五重塔」という題名で「午後6時13分から7時31分までの17枚を合成」と、ちゃんと書いてある(下に掲げた2枚の下の写真)。こちらの方が正直だし、花火は合成の対象にはしていない。


日経"


朝日"





2.京の四社巡り

(1)八坂神社(青龍)

八坂神社


 八坂神社は、東大路通と四条通との交差点に向けて建っている京都のシンボルのような社で、祇園祭の本拠である。私は、桜の季節になると、その裏手にある円山公園にはよく行って枝垂れ桜を愛でたものだが、1月に行ったのは初めてで、「いとすさまじきものかな」という感じである。

美御前社


 しかし、今回発見したのは、八坂神社には実に色々な「祇園さんの神さまたち」がおられるということである。素盞嗚尊を祀る厄除けの本殿のほか、例えば、 美御前社(お参りすると身も心も美しくなる)、疫神社(無病息災)、大国主神社(縁結び)、太田社(諸芸上達)、北向蛭子社(商売繁盛)、刃物社(刃物を扱う人の守り神であり、開運)などである。時代背景によって、庶民の色々な需要に応えようとしたものだろう。

八坂神社本殿にお参りするプロサッカーチーム


 今回、プロサッカーチームが、外国人監督以下揃って八坂神社本殿にお参りに来ていたのには驚いた。日本の神様の懐が深いのか、それとも外国人サッカー選手たちの唯一神信仰がいい加減なのか、私にはよくわからない。

知恩院の駐車場





(2)上賀茂神社(玄武)


上賀茂神社の神馬舎


 別名「賀茂別雷神社」(かもわけいかづちのかみじんじゃ)で、9年前に家内と訪れた思い出の神社である。神社の一ノ鳥居の緋色が映えて美しい。広い境内を進んで行くと、右手に手作り製品のマーケットをやっている。そこを過ぎると、神様の使いである白馬がいる「神馬舎」があり、子供が人参を食べさせていて、それが誠に可愛い。外国人観光客を含めて、参拝客皆がニコニコしながら見守っている。

神前結婚式の御一行


 二ノ鳥居の前まで来たら、神主さんと巫女さんに先導された神前結婚式の御一行のお通りだ。新郎新婦さんの幸せそうな顔が通り過ぎて鳥居をくぐり、神域に入る。そして直行したのが「細殿」である。これは、400年の歴史ある建物だそうだ。もちろんその前には、上賀茂神社を特徴づける立砂(円錐形をした二つの砂の山)が置かれている。その裏手に回ると、本殿に通じる緋色が美しい楼門がある。それをくぐると、権殿と本殿だ、家内と来た9年前はあと7年で式年遷宮を迎えるというので桧皮葺用の桧皮を寄進したが、もうそれが使われているのだろう。何しろ時間が限られているバス旅行だから、のんびり感慨にふける間もなく、次の社に向かう。

上賀茂神社を特徴づける立砂





(3)松尾大社(白虎)


松尾大社の絵馬


 次は松尾大社で、私はこれまで来たことがなく、これが初めての参拝となる。一言で松尾大社を評すると、「いかにも昔ながらの神社らしい渋い神社」である。上賀茂神社のような派手な緋色の楼門や鳥居などは一切なく、檜皮葺の地味な社がひたすら並んでいる。この日はまだ1月だったので、正面に色鮮やかな戌年の大きな犬の絵馬が飾ってあったものの、それ以外は誠に平凡な印象である。

松尾大社本殿


 ところが、その中でひとつだけカラフルなお酒の樽が並んでいる一画があった。何かと思ったら、この社は、お酒の神様なのだそうだ。というのは、5世紀頃に朝鮮から「秦氏(はたし)」の一団がこの地に入植した。その秦氏が得意としていた技術の一つが、酒の醸造だったからだという。ちなみに、飛鳥から奈良、平安時代にかけて上賀茂神社一帯にいた豪族は賀茂氏といい、桓武天皇が平安遷都に踏み切った後は、松尾社の秦氏とともに、皇室を支えたとされる。よって、「当社(松尾大社)と賀茂神社とを皇城鎮護の社とされ、賀茂の厳神、松尾の猛霊と並び称されて、ご崇敬はいよいよ厚く加わるに至りました。」(同社HP)とのこと。

松尾大社の酒樽


 ちなみこの日は、赤ちゃんの初宮参り(産土参り)を、3組も見かけた。この零度近い中、生まれて僅か1月ほどの赤ちゃんと連れ回して大丈夫かと思ったが、両親と双方の祖父母が笑顔で写真を撮り合っている。微笑ましい風景だ。なお、重森美玲作の庭園「松風苑」があったようだが、残念ながら観る時間がなかった。また次回にしよう。


(4)城南宮(朱雀)


城南宮の神苑


 京都の伏見にある城南宮については、私は全く知らなかったが、鳥羽伏見の戦いの舞台だったようだ。そのHPには、「明治維新を決定づけた鳥羽伏見の戦いは、城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲が轟いて始まったのであり、錦の御旗が翻って旧幕府軍に勝利すると薩摩の軍勢は城南宮の御加護によって勝利を得られた、と御礼参りに訪れました。」とある。

城南宮の神苑


 「都の守護と国の安泰を願って、平安遷都の際に京都の南に創建されてから1200年。城南宮は、引越・工事・家相の心配を除く「方除(ほうよけ)の大社」と仰がれています。家庭円満や厄除や安全祈願、また車のお祓いに全国からお見えです。また古くより、住まいを清める御砂や方角の災いを除く方除御札を城南宮で授かる習慣があります。そして曲水の宴が行われる神苑は、しだれ梅、椿、桜、藤、躑躅、青もみじ、秋の七草や紅葉に彩られ安らぎの庭になっています。巫女神楽の鈴の音が毎日響く城南宮をお訪ねください。」とある。

城南宮の神苑


城南宮の神苑


 その神苑に入ってみた。なるほど、梅や桜、曲水の宴の時期にはさぞかし美しかろうという風情であるが、残念ながらこの日は真冬の気温が低い時期だったので、まさに「すさまじき」景色であった。ただ、鳥羽伏見の戦いを描いた絵巻物のある建物は、とても良かった。外の景色を見るより長い時間をかけて、絵巻物を覗き込んだ。

城南宮の神苑の鳥羽伏見の戦いを描いた絵巻物





(5)京都五社巡りのいわれなど

 城南宮の「京都五社めぐり ー 四神相応の京(みやこ)」の説明によると

「千年にわたって続いた京の都は、「四神相応」と讃えられています。方角を司る「四神」、すなわち玄武(北)、蒼龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)が守護する土地として、ここに都が造営されたのです。
 うらうらと朝日が昇る東山の麓に八坂神社、広々とした桂川を渡った西に松尾大社、水清き鴨川が流れ出る北に賀茂別雷神社(上賀茂神社)、鴨川と桂川が出会う南に城南宮、そして、平安神宮の建物は、平安京の大極殿さながらに建てられ、東に「蒼龍楼」、西に「白虎楼」がそびえます。  古来より人々は都の要所要所に鎮まるお宮に祈りを捧げ、それに応えて神々は人々の暮らしを守り、願いを聞き届けて来られました。四季の祭礼行事と美しい自然に彩られた京都のお社を巡れば、神々の息吹きに触れ、清々しい気持ちになります。元気をもらいに平安京にゆかりの深い神社にお出かけください。そして神様のご加護の印の御朱印を集めてみてはいかがですか。」
とあって、「五社めぐり四神色紙」なるものを勧めている。

 ああ、なるほど、そういう仕組みだったのかと、やっと納得した。そういえば、各社で僅か40分間しかない参拝時間で、どうやって御朱印をもらおうかと腐心している人がおられた。ちなみに私の場合は、もう物には一切こだわらないので、そういう一種の「物欲」には無縁である。残すとしたらデジタルの形式にしている。そうすると、誠に清々しい気分になる。例えば、昨年はアルバムにして20数冊分の写真をデジタル化してすっきりした。今年は、書類と本のデジタル化に手を付けようかと思っている。そして最終的には、ハードディスク1個になるのが理想である。




(2018年1月28日記)


カテゴリ:エッセイ | 22:04 | - | - | - |
iPhoneのバッテリー交換

アップルによるiPhoneのバッテリー交換プログラム


 昨年来、ネット上で、「動作が遅くなった古いiPhoneのバッテリーを交換したところ、駆動時間が伸びただけでなく、アプリがサクサクと動いて、購入した直後のような快適な状態に戻った。」ということが話題になった。これは、iOSのせいではないかと疑いの目で見られ、それに答える形でアップルが、「バッテリーが経年劣化した古いiPhoneの速度を状況により意図的に落としていたことは事実であるが、その目的は不意にシャットダウンすることを防ぐためだった」と回答したことから、騒ぎが広がった。これは、古いiPhoneを買い換えさせるためではないかという邪推(?)まで生み、各国で訴訟騒ぎまで起きたほどである。

 iPhone7plusを使っていた私も、昨年秋頃から、どういうわけかアプリの動きが鈍くなった上に、電池容量が18%と、まだ少しあるはずなのに突然シャットダウンしてしまって、困ったことがしばしば起きるようになった。だから以上のような経緯により、要はアップルがiOSを勝手にいじくって、こういうことになったのかと、ようやく納得した。一方、アップルは、こうした状況に対応して、2018年1月20日、「iPhoneのバッテリーとパフォーマンス」という文書を発表した。その一部を引用すると、

 「バッテリーの充電残量が少ない、化学的経年劣化が進んでいる、周囲温度が低いといった状況下では、突然のシャットダウンが起きる可能性が高くなります。極端な場合は、シャットダウンが頻繁に起こり、その結果、デバイスが不安定になって使えなくなることもあり得ます。iOS 10.2.1 (2017 年 1 月リリース) には、旧モデルの iPhone でこういった突然のシャットダウンが起きるのを防ぐための機能改善が盛り込まれました。これには、iPhone 6、iPhone 6 Plus、iPhone 6s、iPhone 6s Plus、iPhone SE で、パフォーマンスの瞬間的なピークをダイナミックに管理し (ただし必要な場合のみ)、デバイスが突然シャットダウンするのを防ぐ機能が含まれています。この機能は、その後、iOS 11.2 を搭載した iPhone 7 や iPhone 7 Plus にも拡大されました。(ところがその結果、次のような問題が発生した。)

 ・ App の起動に時間がかかるようになった。
 ・ スクロール中のフレームレートが低くなった。
 ・ バックライトが暗くなった (コントロールセンターで設定の変更が可能)。
 ・ スピーカーの音量が小さくなった (最大でマイナス 3dB)。
 ・ 一部の App でフレームレートが徐々に低下する。
 ・ さらに極端な場合は、カメラのフラッシュがカメラの UI に表示されているにもかかわらず使用できなくなった。
 ・ バックグラウンドで更新されるはずの App が起動中に再読み込みされる場合がある。」


 要するに、純粋に技術的なバッテリー対策であって、悪気はなかったというのである。ところでアップルは、この文書中で、「バッテリーの化学的経年劣化が相当進んでいる場合は、電源管理がもたらす変化が長期間続くことがあります。これは、充電式バッテリーはすべて消耗品であり、その耐用年数に限りがあり、最終的にはサービスかリサイクルが必要になる性格のものであるからです。お使いの iPhone に上記のような変化が見られ、そのパフォーマンスをもっとよくしたいとお考えの方は、バッテリーの交換をご検討ください。(中略)バッテリー交換をご希望の方は、こちらからサービスオプション (配送修理または持ち込み修理) をお選びになってお手続きをしてください。」として、「バッテリー交換プログラム」を公表した。Web上でそれを開いてみると、希望があればバッテリー交換をする、保証期間内なら無料、それ以外なら3,200円というのである。同じWebサイト中で近くのアップル・ショップ(アップル製品修理センター)の位置まで検索できて、空いている日と朝10時から夕方7時頃までの予約時間が示されて、その場で予約もできた。

 その予約日時となり、アップル製品修理センターに行ってみた。ビックカメラの中にある。受付番号を引いて待つと、直ぐに案内された。私は、自分の名前で2台契約しており、そのうち1台を家内に使ってもらっている。だから、2台のバッテリー交換するつもりで行ったが、「iPhone7plusのバッテリーがそもそもあまりないし、1回に1個しか交換しない。」と言われた。そんなことは、どこにも書いていなかったが、そう言われればやむを得ないので、とりあえず使わないもう1台については出直すことにして、家内に使ってもらう256GBを先に交換してもらった。まず、診断ソフトでチェックしてもらうと、バッテリーの健全度97%(だから、劣化度3%)、これまでの充電400回と出た。使った期間は約1年半だから、そんなものだ。係員は、「普通なら、交換する必要はないですね。交換基準は、健全度80%なのですからね」と言う。私が「これはもう1年半くらい使っているけど、そうすると何回充電すれば交換しなければいけないことになりますか」と聞くと、「500回か600回ですね」と言うので、「ではあと少しということだから、この際、替えて下さい」と頼むと、何か、色々と言う。まるで、断念させるための説明のようだ。

 一番妙だった説明は、「可能性は1%もないと思いますが、万が一、バッテリーの取替えで何か事故があったら、(この端末はアップルケアの保証が切れているので)38,000円の修理代金がかかります。」と言ったことだ。私が「しかし、取り替える過程で事故があったのなら、それは修理した人の瑕疵担保責任の範囲内で、そういう修理上の危険を持ち主に負わせるのは、筋が通らない。」と理屈を言うと、(これはかなわないと思われたせいか)「アップルの正規ショップなら、多少は融通性が利きますが、ウチは代理店なもので」などと訳の分からないことを言う。私が「代理店だろうがなんだろうが、例えばバッテリー交換の途中で画面が割れてしまったら、そういう危険まで依頼主に負わせるのは、おかしいでしょう。」などと言うと、「そうですね。」と言いながら、(断念させることを諦めたのではないかと思ったが)それ以上の話はしないで、交換のためにiPhone本体を持って奥に引っ込んだ。

 10分もしないうちに戻ってきて、交換が終わったようだ。それで私の目の前でパソコン本体と繋いで、チェックを始めた。画面のチェック、音のチェックなどと、時間がかかる。途中で、色々な話をしたが、中でも面白かったのは、「交換したのが新しい電池にもかかわらず、充電率が17%と、なぜ低いのかというと、かつてサムスンのスマホのリチウムイオン充電池が発火して以来、航空会社は充電率が30%以下のものしか受け付けてくれないから、そうなっているのです。」とのこと。また、最近のiPhone修理依頼の8割が、このプログラムによるバッテリー交換だそうだ。先ほどの「ウチは代理店なもので」という言葉の裏を読むと、まるでアップルの正規ショップに直接、行ってくれとでも言わんばかりである。

 それやこれやで、単なる交換だから10分もかかわらず終わると思っていたが、実際には終わった時点で時計を見たところ1時間も掛かっていた。支払いは、3,456円。まるで語呂合わせのようだが、3,200円に消費税を足すと、確かにそうなる。最後には、修理完了のペーパーをくれた。加えて、もう1台のiPhone7plusのバッテリー交換のための注文書もくれたが、それから1週間経つというのに、何の連絡もない。こんな調子では心配なので、しばらく待って連絡がなければ、銀座のアップルショップに直接行こうかと思っている。なお、iPhoneXのバッテリー交換も気になるが、こちらの方は今月購入したばかりだから劣化とは無縁だし、今年12月まで交換してくれるようなので、当面このまま使うことにして11月頃までに交換すればよいと考えている。なお、こちらの方は、アップルケアに入っているので、無料のはずである。




【後日談】もう1台のiPhone7plusもバッテリー交換終了

 上記のように、「しばらく待って連絡がなければ、銀座のアップルショップに直接行こうか」などと考えていたところ、そういう日に限ってタイミングよく連絡が入るものだ。「では、直ぐに行きます。」と返事してその日のうちに予約をとって、交換に行った。すると、2台目ということもあって、無駄な説明は全くなしに淡々と取り替えてくれて、45分ほどで完了した。バッテリーの交換そのものは10分もかからないが、交換前後の動作確認にそれ以上の時間がかかる。御礼を言って帰ろうとすると、同じようにバッテリー交換を求めるお客が2組も待っていた。





(2018年1月25日記)


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iPhoneXへ機種変更

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1.私は、iPhoneを7年半も使い続けて、もはやこれが仕事や趣味に不可欠というほどになっているのだけれど、その心臓部を動かすソフトウェアであるOS(オペレーション・システム)が、iOS11に切り替わることで、問題が発生した。これは、64ビットで動くという。そうすると、従来の32ビットで動くアプリケーション(ソフトウェア)を、64ビット環境に合わせなければならない。しかし、私が最もよく使っている最重要アプリである「i手帳」が、64ビットに対応してくれていないのである。その他、対応していないアプリとして、年齢・年号計算アプリ、英語辞書アプリなどいくつかあるが、それらは代わりのアプリがあるからまだよい。ところがi手帳の場合は、これに代わるアプリがなかなか見つからないのである。調べてみると、どうやらその作者が交通事故で亡くなったという噂があった。それが本当であれば誠にご愁傷さまなことであるが、後継者がいなければ、いつまで経ってもiOS11に対応してくれないことになる。道理で、iTunesストアからデータが消されているわけだ。仕方がないので、iOS11に転換せずに当面はiOS10のまま、使うことにした。昨年10月のことである。ただ、そうすると「iOS11に転換せよ」という表示がいつも出てきて、なかなかうるさい。いつかは替えることになるからと、「i手帳」に代わるものがないかとネットで調べたところ、「スケジュールストリート」というアプリがあった。スケジュール管理と日記が合わさっていて、写真、メモ、録音も保存できる。一覧性は、「i手帳」ほどではないが、まあ使える。毎日の日記の保存は、画像にして「Evernote」に入れればよい。ELECOMという会社がやっていて250万ダウンロードだそうだから、長続きしそうだ。そういうわけで、これに決めた。ただ、毎日の日記にかかわることだから、スケジュールストリートの使い勝手をみなければと思って、昨年10月以来、i手帳と同時に使い続けてきた。それで、ほぼ同等のことができると確認し、本年1月1日をもって、iOS11に転換した。

スケジュールストリート


 ところがそうなると、今度はiOS11の性能を生かせる機種がほしくなった。私は1年3ヶ月前に買ったiPhone 7plus 256GBを使っている。ところが、iPhoneX(テン) なるものが2ヶ月前に発売されたというので、いつもの新しもの好きの性向もあり、その256GBのモデルに機種変更することにした。1月4日に御茶ノ水のauショップに行き、iPhone 7plus をiPhoneXに機種変更し、今まで私が持っていたiPhone 7plus 256GBを持ち帰って家内(同じiPhone 7plus の32GBモデル)に使ってもらおうという算段である。家内の従来機種は、32GBのため、いつもデータ容量不足に見舞われているからだ。


2.auショップでは、こういう内容の契約だった。

  仝酋眸稜箍然複隠苅,400円のところ、分割支払金は135,600円(頭金10,800円。分割の方が安い。)、分割支払金は月2,825円(なぜこんなに安いのかと思ったら、何と支払回数48回で支払い期間が50ヶ月となっていた。)まあ、2年ほどしたら再び新しい端末が出て、それへと乗り換えさせられる形で割引がありそうだから、それで良いと納得した。

 ◆。腺陦le Care+とau端末サポートが月1,285円で、故障や損傷の修理代金が少し安くなるほか、紛失盗難保証が4年で2回まで利用可能だそうだ。(Apple電話番号:0120-925-050、受付時間:09:00から20:00まで、年中無休)

  ビデオパスというものに自動的に入会させられた。月562円だそうだが、「そういう趣味はないから要らない」と言うと、「では自分で退会せよ」と言うので、帰ってから忘れないうちに、auのアプリを通じて退会した。簡単に終えられた。

 ぁ…命プランについては、現在、私は月5GBの電話かけ放題というプランである。今はこれで十分なのであるが、それが、「auフラットプラン20・かけ放題」となる。つまり、データ使用量が20GBもある。「私はビデオを見ないから、要らない」というと、「プランはこれしかないし、次のイ韮蕋丕瓧笋閥ν僂任る」というので、納得した。その月額利用料は、7,500円(内訳:月額基本使用料が2,400円+データ定額料が4,720円+LTE NETが300円)。 ちなみに、面白いのは、アップグレート・プログラムで、月390円を払っていると、私の場合は48回返済なので、端末購入から25ヶ月目に機種変更すると、残債はすべてauが負担するという。つまり、本体代金が半分になるということを意味する。更に、乗換え時の今回の負担を軽くしようとするのか、ビッグニュース・キャンペーンとして、最大12ヶ月、毎月1,000円を割り引くという。

 ァ,修譴如∨莊遒了拱Гい蓮■蕋丕茖錚遑紕悗世韻如確か月12,000円強になる。「そこで」と言って係員が出してきたのは、「加えて、iPadに新しく3年契約すると、iPhoneXの方も割り引かれて、合わせて月13,000円ほどですが、いかが?」という。しかも、その分のデータ使用量は、iPhoneX本体で契約する20GBの中に含まれる、つまりiPhoneとiPad間で共用できるということだ。私は、数年前に買ったiPadを実に便利よく使っている。これはもう、iPhoneXとペアで必要不可欠なものと言って良い。特に新聞や雑誌を読むのに使っている。1年ほど前に2年の契約期間が切れたので、その際にSIMカードを抜いてWiFi専用とし、外ではiPhoneXのテザリングを利用していた。だから、iPadに再びSIMカードを入れるなら、テザリングは不要となるから、その費用は節約になる。ということで、またiPadを買うことにした。ややこしいことに、これは3年契約である。


新しいiPad


3.これで契約が終わり、家にiPhoneXと新しいiPadを持ち帰った。

  〜案に、私と家内のiPhone 7plusを私のパソコンのiTunesに暗号付きでバックアップした。ちなみに暗号付きでないと、全てのパスワードや設定をやり直す必要があるからである。次に

 ◆_汎發忙箸辰討發蕕Δ燭瓠∋笋使っていた iPhone 7plus 256GBをまずリセットした。それは、端末の「設定」から簡単に出来る。その上で電源を入れると、「こんにちは」から始まって、使う言語の設定、自宅WiFiの設定(2Gと5Gの二つ)に次いで「新しいiPhoneXとして設定するか、iCloud又はiTunesにある既存のバックアップから復元するか」という選択肢があり、

  最後者の復元を選ぶと「iTunesに繋いで」という指示がある。それに従ってライトニングコードをパソコンに繋ぐと、どのバックアップかという選択肢が示されるので「iTunes中の家内のバックアップ」を選ぶと動き出したが、途中で「残り6時間」などと、とんでもない時間が示された。32GBでこの調子では、私のiPhoneXで256GBをバックアップする場合は何時間かかるのだろうという気になる。

 ぁ,箸海蹐、家内のiPhone 7plus 32GBのバックアップを私の256GBへと復元する試みは、失敗した。3回やっても同じ。指示通りパソコンを再起動しても同じ。しかも「容量がない」という表示がパソコン画面中に出たので、てっきりiPhoneXの容量のことかと思ったら違った。容量不足は、パソコンなのである。500GBあるはずのCデレクトリーの余りが、驚いたことにあと6GBとなっていた。そこで慌てて容量の大きいデータをDデレクトリーに動かして48GBを空けた。それからまた復元を試みたが、やはり失敗した。よくよく調べてみると、家内のバックアップの複製がCデレクトリー中に4個も作られている。これでは容量が足りなくなるはずだ。理由はよく分からない。そこで、当初の計画は一時的に棚上げとして、家内にはとりあえず、引き続き32GBを使ってもらうことにした。パソコン中のバックアップは削除してしまった(注1・2)

 ァ〇笋裡蕋丕茖錚遑紕悗法■沓陦譯s256GBのデータのバックアップを試みたら、一発で成功した。支障なく使えている。

 Α,箸海蹐如古いiPad(これまではWiFiかテザリングで使用)をiTunesにバックアップし、それを新しいiPadに復元しようと思ったら、「古すぎて復元できません。」と出た。「OS11にしてあるのに」と思ったが、仕方がない。こちらは、諦めることにした。幸い、主なデータはiPhoneやiCloud上にあるので、手による復元には、さほどの手間はかからない。むしろ、既存のアイコンが整理できて、かえって都合がよい。


4.それから、iPhoneXと新iPad(第五世代)を10日ほど使ってみた感想であるが、まずiPhoneXの大きさは、7plusシリーズと比べれば再び元に戻ってひと回り小さくなったが、字の大きさが自由に調整できるので、さほど気にならない。むしろ、シャツのポケットに楽に入るから、持ち歩きやすい。それに加えて、顔認証は非常に便利であり、これほどのものかと、つくづく感心した。最初の認証画面だけでなく、パスワード付きの個々のアプリでも、開いたとたん、自動的に顔を見てIDとパスワードを入れてくれる。これだけでも、価値があると思う。また、速度が速くなった気がする。実感としては、2割ほど早いかなという感じだ。しかし、ディスプレー画面は液晶ではなく有機で美しいという触れ込みだったので期待していたのだが、確かに美しいものの、以前ラティーナ・ディスプレイが出てきたときに驚いた時のような感激はなく、iPhoneファンには申し訳ないが、あまり差がわからない。なお、写真の圧縮方式を変えたそうだが、私は「互換性重視」として、引き続きJPEG又はPNGで使うつもりである。美しい写真が撮れるということだが、確かにそうかもしれない。ワイヤレス充電ができるというが、そのための専用充電機器は、まだ発売されていない。新iPadの方は、画面は美しいし、前のものより動きが断然に早い。やっと、設定を終えた。アプリの並べ方は、なるべくiPhoneXに似せるようにした。また、本や書類に紛れることが多いので、目立つようにと、派手な色目(ローズゴールド)のカバーにした(注3)。


派手な色目(ローズゴールド)のiPadカバー


 この際ということで、色々なアプリでパスワードを変更した。困ったのは、JR東日本関係で、「えきねっと」、「Suica」、「Suicaポイント」、「びゅー」、「大人の休日」など、たくさんあり、中にはあまりに古くて、もうパスワードの記録も見つからないというのがあった。それまでは、「My JR−East」の連携IDで入っていたから実用上は問題がなく、従って個々の古いパスワードは忘れてしまっていた。ところが今回の機種変更で、その連携を再びやり直す必要があり、そのためには10年以上も前の昔のパスワードを思い出さないといけない。これには困ったが、何回か失敗して、やっとパスワードが通ったときの嬉しさは、格別だった。でも、考えてみたら、誠にばかばかしい話で、JRが最初から一括してウェブサイトを作ってくれていれば、こんなことはなかったのにと思った次第である。その他、特に銀行関係は、一部独自な認証方式のところを除いて、すべて顔認証でやってくれる。「Keeper」も、顔認証だし、今回、パスワード付きのバックアップから復元したので、いちいち連絡しなくとも、そのまま新iPhoneXと新iPadで使えた。また、この両者で月20GBの容量を使えるし、使い勝手も良くなったので、新iPadをかなり使うようになった。

 その他、家内のiPhone 7plus 32GBと、古いiPadは、まだ十分に使えるので、こんな中古品でよければ誰か若い人にあげようと思ってSIMロックを解除しようとした。そうすると家内のものはネット経由で簡単に解除できたが、残念ながら古いiPadは解除できない機種であることが判明した。WiFiで使うなら別だが、電話回線で使うならauの回線を持っている人にしか、差し上げられない。また、iPhoneXのカバーは、auショップで売っているブック型の単純なものにした。画面保護フィルムは、前回同様に、係員に貼っていただいた。とても、上手である。




(注1) iTunesバックアップの削除方法

 検索バーに「%appdata%」と入力。「return」キーを押す。「Apple Computer」>「MobileSync」>「Backup」の順に各フォルダをダブルクリックすると、バックアップファイルが見つかる。そこで、全て削除してしまった。結局、全部で280GBほどもあった。


(注2) バックアップに再度挑戦

 数日経って、前回バックアップが失敗した理由が分からないので、再びやってみることにした。まず、_汎發裡蕋丕茖錚遑 7plus 32GBについて、パソコンのiTunesでバックアップを取り(もちろん、パスワード付き)、その間、私のiPhone 7plus256GBをリセットする。⊆,い如⊂紊裡貝↓と同じ要領でやると、小1時間ほどで復元ができた。32GBから256GBになったので、これ以降、家内は容量を気にせずに使うことができる。


(注3) 新iPadのカバー(ローズゴールド)

 ESR 新型 iPad 9.7 2017 ケース 超軽量 極薄レザー 三つ折スタンド オートスリープ機能 スマートカバー 2017年春発売のiPad 9.7インチ(第五世代)のみ対応(モデル番号A1822、A1823) 全10色(ローズゴールド) 販売: ESR Case JP Store





(2018年1月14日記)


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マカオへの旅

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  目 次

 1.歴史地区(上)民政総署
 2.歴史地区(下)媽 閣 廟
 3.カジノとマカオタワー


1.マカオと香港とを比べると

 マカオの通貨は「パタカ」というが、香港ドルがそのまま使えるし、パタカ本体より流通量が多いのではないかと思う。タクシーやバスの運転手は、広東語しか話さない。英語が全くといって通じないし、日本語のガイドブックにあるカタカナ名を言ってもダメだった。例えば、「セナド広場」と言っても通じない。そこで、手持ちのスマホに保存してある写真を見せて、やっと理解してもらった。また、おつりをくれないので、これは酷いと思ったが、そういうものらしい。試しにバスに乗ってみたら、非常に便利で、地下鉄と違って外の景色が見えるのがよい。こんな狭い坂道をと思う所まで、ずんずんと遠慮なく走っていく。ただし、道は曲がりくねって方向が分かりにくい上に、見慣れない漢字で書かれているから、事前に憶えておかないとなかなか判読できない。事前にダウンロードしたグーグルの地図と、iPhoneのコンパスの組合せがとても役に立った。街中のレストランなどでは、WiFiを無料で提供していた。これは、香港と同じである。


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 食事は、私は広東料理、特に飲茶が好きなので、朝食兼昼食にはほとんどそればかり食べていたが、探せばポルトガル料理もある。また、四川、北京、潮州、客家など中国各地の料理店を見かけて、夕食はそのどれかに入ったが、味はなかなか良い。中には、「東北菜館」というのがあった。これはさすがの私も食べたことがなかったから、試しに入ってみたところ、やはり中国東北部、つまり旧満州の料理で、非常に素朴な味がした(上の図)。

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 再び飲茶に話を戻すと、マカオ名物の「エッグ・タルト」なるものを勧められたので食べてみたら、これがまた非常に美味しいものだった。要するに、卵を使ったタルトなのだけど、表面に焦げ目が付いていて、それが香りと味を引き出していて、一口噛むと、ジューシイな黄色い卵の黄身がとろりと出て来る。人気だというのも、むべなるかなと思った。時間があれば、その老舗である「マーガレット カフェ・エ・ナタ」に行くつもりだったが、ついに行きそびれた。ついでに申し上げておくと、今どきマカオで流行るものとして、「ハウス・オブ・ダンシング・ウオーター」というショー」がある。私も見てみたいと思ってチケットを購入しようとしたが、年末で混み合っていて、確保できなかった。次に行く機会があれば、再度チャレンジしてみたい。

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 香港と同じくマカオでも、中国本土に返還されてから、不動産価格が高騰し、小さなマンションでもかつては1000万円もしなかったものが、一時は20倍つまり2億円にもなったという。習近平の反腐敗運動で最近の価格は少しは下がったものの、それでも庶民には全く手が届かない状況が続いているという。大枚の現金を持ってやってくる中国人のせいで、ホテルの周りの店は、かつては土産屋が多かったが、それに代わって、今では貴金属屋、不動産屋、高級漢方薬の店ばかりになってしまったとのこと。なるほど、一般大衆から賄賂という形で巻き上げたお金を不動産や貴金属に変えるという点では、香港と全く同じ状況だ。しかし大きく違うのは、ここマカオでは、その収賄中国人からカジノがまた巻き上げている点である。そう思うと、いささか笑えてくる構図である。


2.マカオ歴史地区

 マカオ歴史地区(Historic Centre of Macau )は、世界遺産に登録された建物、広場などが目白押しということで、真っ先に行ってみた。なお、各世界遺産の説明は、マカオ観光局のものが要を得て簡潔なので、以下では、【 】中に青い字でそれを引用させていただいた。ただし、「ですます調」を「である調」に直してある。


(1) セナド広場

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 セナド広場はかなり大きく、足元には波のように優雅にうねった形のタイルが敷いてあり、そこに新年とクリスマスを祝う大きな飾りがあった。それを見下ろすように民政総署が建っていて、その反対側に真っ直ぐ行くと、モンテの砦に繋がる道である。広場の周囲には、土産屋さんが立ち並ぶ。ぶらぶらと歩く観光客でいっぱいだ。その真ん中に立って辺りを見回していると、中国人の観光客から2回も、広東語で道を聞かれて困った。私はそんなに広東人と似ているのだろうか。

【セナド広場は何世紀にもわたってマカオの街の中心であり、現在も公共のイベントや祝典が開催される最も人気のある広場。民政総署や三街会館(関帝廟)のすぐそばという立地は、地元の中国人社会が積極的に行政に関与していたことを物語っており、マカオ文化の多様性を知ることができる。広場はパステルカラーの新古典様式の建物に囲まれており、波形模様の石畳が調和のとれた雰囲気を醸し出している。】

(2) 民政総署


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 民政総署は、入口から中庭まで見学できるようになっていて、いわゆるパティオ形式の中庭にはクリスマスの飾り付けがされている。それでかえって見えなくなっているものの、周囲の窓、青と白を基調としたタイル、ポルトガルの詩人や文豪の胸像などは、いかにも古き良き時代を思い出させる。また、発掘された大皿などの陶磁器が展示されていて、16世紀から17世紀にかけてのものが多い。明王朝との貿易の最盛期だったのだろう。

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【1784年に建築された建物は、マカオ初の市議会所有のものであり、現在もその機能を果たしている。「レアル・セナド」(忠誠なる評議会)という名称は、1654年にポルトガル王ドン・ジョン4世がマカオを褒め称えた言葉「神の名の街マカオ、他に忠誠なるものなき」に由来する。民政総署は新古典様式で、壁、レイアウト、裏庭に至るまで当時のまま残されている。二階には公式行事などで使用される議事室と、ポルトガルのマフラ宮殿の図書館を模した重厚な図書館と、小さなチャペルがある。】

(3) 聖ドミニコ教会


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 聖ドミニコ教会は、明るい黄色の壁に白い枠の装飾が目立つ、実に美しい教会である。中に入ると、小ぶりながらも非常に落ち着いた雰囲気で、正面のイエス・キリスト像が優雅で、しかも脇にひっそり置かれている聖母マリア像が優しい。

【1587年、メキシコのアカプルコから来た3人のドミニコ会スペイン人修道士によって建てられた教会で、ロザリオの聖母が祀られている。1822年9月12日、ここで中国初のポルトガル語の新聞「A Abelha da China (「The China Bee」)」が発刊された。かつて建物の裏手にあった鐘楼は、小さな宗教芸術の博物館として改築され、現在は約300点の宗教的装飾品などを展示している。】

(4) 聖ポール天主堂跡


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 両脇に土産屋さんが並ぶ賑やかな狭い道を上がっていくと、正面に聖ポール天主堂跡が見える階段に繋がる、石畳の小さな広場に出る。観光客、土産屋さんの売り子などが入り乱れて混雑している。中国式ビスケット、干し肉、ジュースに氷水まである。そういえば、歩いてくる途中に、ドリアンまで売られていた。少し心が惹かれたが、猫山王という最高級のブランドに、原産地マレーシアの3倍以上の値が付いている。これは、とんでもない値段だ。こういうことになるから、産地の値段が高騰するわけだ。

 脇道にそれてしまったが、この大聖堂は19世紀に火事で焼けてしまい、正面のファサードだけが焼け残って、それ以来この姿だという。この頃には、イエズス会の宗教的熱狂が薄れてしまったか、あるいはポルトガルとマカオの力が衰えてしまったかで、もはや再建ができなかったのだろう。それも含めて、世界遺産なのかもしれない。

【聖ポール天主堂跡は、1602年から1640年にかけて建設され、1835年に火事で崩壊した聖母教会と教会の隣に建てられた聖ポール大学跡の総称。当時の聖母教会、聖ポール大学およびモンテの砦は全てイエズス会による建築物であり、マカオの「アクロポリス」のような存在だったと考えられている。近くには聖ポール大学の考古学的な遺跡が残っており、細密な教育プログラムを整備した東洋初の西洋式大学であった歴史を物語っている。今日では、聖ポール天主堂跡のファサード(正面壁)はマカオのシンボルとして街の祭壇のような存在となっている。】

(5) モンテの砦

 聖ポール天主堂跡の階段を登って右手の丘に、モンテの砦がある。昔、ここから大砲を放って、侵入してきたオランダ兵を退散させたという。今でも、当時の大砲が残る。

【1617年から1626年にかけてイエズス会の協力のもとに築かれたマカオ最強の防御施設。砦には大砲、軍部宿舎、井戸のほか、2年間の攻撃に耐えうるよう兵器工場や貯蔵庫もあった。砦は台形で、10,000屬傍擇咾泙后M弸匹了誘は防御能力を高めるために突き出すように設計された。】

(6) 媽閣廟


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 セナド広場地区から、最南端の媽閣廟一気に車で行った。着いてみると、ああ、これは仏教のような、道教のような、はたまた儒教のような要素が渾然一体となっている典型的な中国式の寺院である。中に入ると、煙がモクモクとすごくて目が痛くなるくらいだ。それというのも、中国式の線香の長さが30センチほどでしかも太いからだ。人々はそれを何本も抱えて火をつけ、身体の前後に大きく動かして拝む。なるほど、これくらいにしないと、神様に祈りが届かないのかもしれない。中国式の祈りの作法だ。また、大きな渦巻きの蚊取り線香のようなものがたくさんぶら下がっている。これも、神様に捧げるお線香である。

 ちなみに、ポルトガル人が初めて来た時に、この島は何というのかと地元民に尋ねたところ、その地元民がこの寺院の名を訪ねられたと思って媽閣廟(マーゴー)と答えたことから、この地をマカオと呼ぶようになったという説があると聞いた。

【媽閣廟は、マカオの街が形成される以前から存在していた。正門、中国式鳥居と4つのお堂で構成されている。媽閣廟のように単一の建築集合体の中に異なる神を祀る様々なお堂が存在するのは、儒教、道教、仏教および複数の民間信仰の影響を受けた中国文化の典型的な例だと言える。】

(7) 鄭家屋敷


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 鄭家屋敷は、媽閣廟から歩いていける。中国人の文豪にして大富豪の大邸宅である。個人の屋敷としては規模がものすごく大きい。昨年5月に、私はペナンに行って「プラナカン・マンション」という海峡中国人富豪の邸宅を見てきたが、この鄭家屋敷は、それを遥かに上回る規模の建物である。ただ惜しいかな、プラナカン・マンションには当時の家族とその生活を偲ばせるものがたくさんあったが、こちらにはそういうものが全くなくなってしまって、単なるだだっ広いがらんどうである。とても残念なことである。歴史というものは、その価値を認めてこれを守り維持していこうという人がいないと、自ずと消え行くものだということだろう。

【1869年以前に建てられた屋敷は、著名な中国の文豪・鄭観應の伝統的な中国式住居だった。複数の建物と中庭で構成されており、アーチ型の装飾に灰色レンガを使用したり、インド式の真珠貝の窓枠に中国式格子窓が取り付けられるなど、中国と西洋の影響による様式が混在している。】

(8) リラウ広場


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 鄭家屋敷のすぐそばに、リラウ広場がある。単なる小さな公園で、そう言われなければ気が付かないほど普通の佇まいである。実はここは、大航海時代のポルトガル人の水汲み場だったそうで、今でも公園の一角に泉が湧いている。

【その昔、リラウの地下水がマカオの天然水の供給源だった。ポルトガルの言い伝えに「リラウの水を飲んだ者はマカオを決して忘れない」とあり、これはリラウ広場に対する地元民のノスタルジックな想いを表したものである。このエリアはポルトガル人が最初に住み始めた地域の一つである。】

(9) 港務局庁舎


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 港務局庁舎というから、なぜそんな所が世界遺産なのかと思ったが、置かれていた説明書を読むと色々と面白い歴史が書かれていた。昔々、この地をヨーロッパ人の兵士に警備させていたら、この地は熱帯性気候でとても暑くてすぐに病気になってしまう。そこで、総督府は1873年にインドのゴアから暑さに強いムーア人の兵士を呼び寄せて、警備を担わせた。この庁舎は、イスラム教徒である彼ら200人のために、ムガール様式で建てられたという。ところがその後、密輸入や海賊の取締りのために海事警察が設立されて、1872年から取締りが行われるようになると、このムーア人宿舎は小高い所にあって、海峡の監視に都合がよいことから、1905年以降は、海事局と海事警察が使うようになったということである。

【1874年、マカオの警察部隊を補強するためにインド・ゴアから派遣された連隊の宿泊施設として建築された。現在は海事水務局として使用されている。建物はムガール帝国の建築要素を反映した新古典様式の建築。】

(10) ペンニャ教会


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 ペンニャ教会は、港務局庁舎から更に坂を上がった小高い丘の上にあり、とても見晴らしのよい所に立っている、小さくて「可愛い」と言ってもよいくらいの教会である。まるで、宮崎駿監督が描くアニメーション映画の世界に出てきそうだ。

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【最初の教会は1622年にオランダ人の襲撃から逃れた船員たちによって創設された。大海原へと出航する船乗りたちが祈りを捧げた。】

(11) ドン・ペドロ5世劇場


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 ドン・ペドロ5世劇場、通称オペラハウスは、外観が淡い緑色で白い枠が目立つ、いわゆるコロニアル風の美しい建物である。中はもちろん板敷きで、劇場に入ると、舞台客席がコンパクトにまとまっている。再び外に出て正面に回ると、太い幹の大きな熱帯樹がまるで建物を睥睨するかのごとくに枝葉を広げている。なるほどこれは、歴史ある建物である。

【1860年、中国で最初の西洋式劇場として300席を設けて建築された。地元マカオのコミュニティーにおける非常に重要な文化的名所として残っており、現在も重要な公共の催事や祝賀会の会場として使用されている。】


3.マカオタワー


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 マカオタワー(澳門旅遊塔)は、338mと、東京タワーより5m高い。58階の展望台からマカオ湾一帯を見下ろすことができ、対岸のタイパ地区のカジノホテル群、その反対側には中国本土を望むことができる。南灣湖、西灣湖が入り組んで美しい景色を作り出している。とっても良い眺望で、私がこれまで見た中では一番である。

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 びっくりしたのは、バンジージャンプができることで、見ているうちにも何人かが、飛び降りた。しかもその料金が高いことといったらない。4万6000円もする。動画を付ければ5万6000円だ。私などは「それだけの料金を払って怖い思いをするなんて、とんでもない、たとえお金をもらっても嫌だ。」と思うのだが、世の中はわからないものだ。近くにいた若い中国人観光客に聞くと、「お金があればやりたい。自分を試せる。」と語っていた。やはり若いということは、これも含めて何にでもチャレンジできるということなのだろう。展望台の中に、ジャンプする人の姿を映したスクリーンがある。それとは別に、私は、その落ちて行く姿を毎秒7コマ撮れるカメラで追いかけてみたが、そのうち3枚に写っていただけだった。最高時速は200kmらしい。この眺望とバンジージャンプは、一見の価値がある。

【2001年12月19日にオープンしたマカオ・タワーは高さ338m、展望デッキおよび高さ223mの展望レストランから、晴れた日にはマカオ全土と珠江デルタのパノラマが見渡せます。「スカイ・ウォークX」では、タワーの外側を歩いて楽しむことができます。タワーには4階建て地下2階のコンベンション&エンターテイメント・センターがあり、レストランやカフェ、映画館、ショップ、アウトドアプラザがあります。】


4.カジノ


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 マカオといえばカジノが有名で、マカオとその先に2本の高速道路で繋がっているタンパ地区にある。思い出してみると、私がカジノなるものを訪れたのは、40年ほど前のラスヴェガスと30年ほど前のゲンティン・ハイランド(クアラルンプール近郊)であるから、今回のカジノはそれ以来である。しかし、マカオにある現代のカジノは、もうかつての牧歌的なカジノの時代とは全く様変わりしていたので、とても驚いた。つまり、カジノそのものよりも、今ではそれを取り巻く噴水やらイルミネーションやら、果てはヴェネツィアやパリを真似た人工の世界を作り出して、まるでディズニーランドのような世界となっているのである。こうやって夢か現かわからないような非日常の世界を作り出して、ギャンブラーたちにどんどん賭けさせようということらしい。

 今は昔の話になるが、40年ほど前にラスヴェガスに行ったときは、何しろカジノなるものは初めてなものだから、物は試しと、先ずはやってみた。もちろん、素人にとってはやりやすいジャックポットである。コインを入れてガチャンとレバーを引き、目の前で 数字の7とか、林檎とかの同じ模様が横一線に並べば当たりで、 ガチャガチャと音を立ててコインがたくさん落ちて来るという機械である。普通の機械は、横一線に並んだらコインがもらえるという仕組みであるのに、そのときは入れるコインが3個なら、横一線に加えて左右の斜めも並べば、それも当たりという機械だった。私は、これの方が良いと思い、両替したコインを一杯に持って3個入れてはレバーをガチャン、また3個入れてはガチャンを繰り返していたのであるが、全く当たりそうにもない。ついに、残るコインがあと3個となってしまった。ここでまた3個使うと、それでお終いということだ。そこで私は突然、弱気になり、1個ずつ投入することにした。そして1個入れたとたん、なんとまぁ、斜めの線で3個並んだ。つまり、そこで弱気にならずに、もうこれでお終いでも構わないと引き続き強気を保って3個入れておけば、大当たりだったのである。要するにギャンブラーというものは、「最後の最後のコインに至るまで、すっからかんになるつもりで徹底的に賭けをしないと勝てないものだ」と悟った。そこで、「最後の一瞬で手堅く考える自分自身の性格は、ギャンブルには全く向いていないな」と思ったのである。

 次の経験は、30年ほど前のゲンティン・ハイランドでのことである。ここは、住んでいたクアラルンプールから、山の上に向けて1時間半ほど走ったところにあるカジノだ。ゴルフ場や子供の遊園地もあったので、何やかやと年に4回ほど通った。そこで、カジノにも立ち寄り、ごく少しだけ賭けをして、ルーレットやブラック・ジャックなどをやっていた。あるとき、ルーレットを楽しんでいたら、通常はあまり出ない「00」が2回続けて出た。3回目が続くことはさすがにないだろうと思って「00」を避けた。すると、また「00」が来た。これだけでも珍しいのに、驚いたことに次がまた「00」だった。4回も続くなんて、こんなことはまずあり得ないと思うのだが、それが現実に起こったのだ。一般にルーレットは、ディーラーがある程度操作できるということは良く言われていたが、それにしても偶然かどうかは知らないがこれは酷いと、そのときは憤ったものである。しかし、冷静になって考えてみると「こんなことで憤るのでは、ギャンブルはできない。一獲千金を常に追い求める世界なのだから、素人の常識は通じるはずがない。それならそれで、その世界に没入しなければ」と思った。ところが、私は、どこかで自らを客観的に観る傾向があってそういうことができないので、これまた、自分にはギャンブルの才能がないと思い知らされた出来事だった。

 この話には続きがある。あるとき、日本から客人がやってきて、仕事を終えた後の日曜日、カジノを見てみたいという。「ああ、いいですよ」と言って引き受け、飛行機が夕方なので、朝早くゲンティンへと車を運転して連れて行った。着いたのが午前9時前だった。カジノに入ったとたん、そこに同僚がいるのに気がついた。ブラック・ジャックのテーブルで、煙草をくゆらせ、目を血走らせてカードを繰っている。もちろん、周りに誰がいてどうなっているかなどには気が回るはずもない。ひたすらカードを眼をやっているばかりだ。ああ、前日の土曜日から徹夜でやっていたに違いない。普段は大人しい温厚な人なのに、まるで人が変わったみたいだ、「ははぁ、ギャンブルというのは、人柄まで変えてしまうのか。」と思った次第である。それやこれやで、私はカジノとはそもそも性格が合わず、従ってあまり興味を持たずに今まで来ている。いわば、ギャンブルに免疫が出来ているようなものである。


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 ということで、マカオに話を戻すと、今回はカジノに来ても、全くする気がなくて、ただ、カジノの部屋以外の全体像がどうなっているのかと、カメラを片手に見て回ってきたのである。一番感心したのは、「永利(Winn)」の噴水ショーである。テレサテンの甘い歌声に合わせて噴水が踊る。夜にこれを見ると、赤や青の色がついて、いやもう、その派手なことといったらない。ラスヴェガスでも同じことをやっているそうだが、こちらは通り掛かりの人も含めて誰でも見られるし、十分に楽しめる。



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 次に、こんなものがと笑ってしまったのが、「威尼斯人(The Venetian)」内のヴェネツィア運河である。2階のカジノと同じフロアの向かい側に、本当に河を作ってしまって、何と本物を模したゴンドラを浮かべて船頭が乗客を乗せて漕いでいるではないか。そのゴンドラ、運河に架かる橋、船頭さんのスタイルまで、いやもう本物に限りなく似ていて、驚きを通り越して呆れた。まるでディズニー・シーなどの遊園地も顔負けである。同じく、パリの街を模したといわれているのが「巴黎人(The Parisian)」で、エッフェル塔などがある。

Grand Risboa Hotel



 ちなみに、タイパではなくマカオ本土の方であるが、車で通りかかった「新葡京酒店(Grand Lisboa Hotel )」の形は、派手を通り越して全くの「威容」である。いや、「異様」と言った方が良いかもしれない。何しろ、全体が金づくめ、建物の下の形は繭のようで、上の形はどう表現するか迷うところだが、まるで密教の法具の独鈷を思い出す形だ。聞くところによると、蓮の花をイメージしたということだが、窓拭き屋さんがいかにも苦労しそうな建物である。初めて見る人は、びっくりするのは間違いないと思う。かくして、ありとあらゆる人目を惹く仕掛けが凝らされている。まるで人間の欲望の行き着く先を暗示するかのごとくである。でも、見るのは面白い。昔のアメリカ映画「バック・ツー・ザ・フューチャー」のパート2を思い出してしまう。

 ところで、日本にもカジノを作ろうというので、先頃それを認める議員立法が成立した。従来、日本ではカジノが認められて来なかったが、それに類する独自の文化としてパチンコがある。今でもこれに入れあげている人が多いことを思うと、新しくカジノが出来て、それに溺れる人が大勢出ないか心配である。そうならないように慎重な制度設計がされることを、切に願うものである。





(2018年1月1日記)


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年末の横浜を家内と散歩

ホテルニューグランド


 12月も中旬に入った。気温は10度ぐらいで少し寒いが、まだ寒さに震えるほどではない。天気が良いから、どこかへ行こうと思った。先週は、近場の銀座と日比谷だったから、今週は、遠出して横浜へ行き、とりあえずホテルニューグランドのスパゲティ・ナポリタンとケーキのサバランでも食べに行こうかということになった。ちなみに、そもそもこのホテルはナポリタンの発祥の地だし、ブランデーたっぷりの美味しいサバランをだしてくれる。いずれも、我々が好きなものだ。

 千代田線の明治神宮前駅で、副都心線のみなとみらい線直通の電車に乗り換える。家から1時間と十数分で、終点の元町・中華街駅に着く。そこから山下公園に面するホテルニューグランドまでは、歩いて僅か数分だ。港からの冷たい風を頬に受けながら歩き、ホテルのイル・ジャルディーノに行った。ところが、休日のために満員で、何と10組も待っている。係の人と相談して、サバランが食べられるザ・テラスに行くことにした。ただし、イル・ジャルディーノのサバランがブランデーたっぷりなのに対して、こちらのサバランは紅茶ベースとのこと。まあ、良いかと思ってそのメニューを見た。すると、アフタヌーンティーセットが目に入った。とっても、美味しそうだ。ナポリタン+サバランとは大違いだが、家内も、これで良いというので、注文した。こういう、行き当たりばったりの方が、休日の過ごし方だ。お茶は何にするかというので、それぞれミントティーとカモミールティーのハーブティーにする。他に、紅茶を頼んでも良いそうだ。

 それで、やっと周囲を見渡す余裕ができた。まず、我々の座っているのが、中世イタリア風のゴテゴテっとした装飾椅子で、濃紺のクッションと背もたれだ。身体を沈み込ませて休むのにはよろしいが、周りのおしゃべりがややうるさいので、何か話そうとすると、背中を背もたれから離して前かがみにしないといけない。一見優雅な椅子だが、こういう騒がしい環境では、良し悪しだ。我々の右隣はカップルで、星の誕生やら何やらという天文学の話をしている。左隣は、歳をとった母親とその娘たちらしい3人組だ。


アフタヌーンティーセット全体


アフタヌーンティーセット中段


 家内とたわいのない話をして待っていると、ハーブティーを持ってきてくれた。ミントティーはあの鋭い味がするし、家内が飲むカモミールティーのフレーバーの香りが誠によろしい。ひとしきりその話をしているうちに、優雅な手つきでウェィトレスさんがアフタヌーンティーセットを運んで来る。上段はフルーツ、中段はスイーツ、下段はサンドウィッチである。二人とも、何となく中段から手を出した。一口サイズのケーキなどがいくつか載っている。とても美味しい。それを話題に、また二人の話がはずむ。ハーブティーがなくなったので、ウェィトレスさんが、何か別のものはいかがと聞いてくれるので、別途メニューの中から好きな紅茶を選ぶ。家内はディンブラを頼んだ。あまり飲んだことがないからだという。私は、「憎っくき」アールグレイだ。なぜかと言うと、あるときロンドンのホテルで「アールグレイ」を頼もうとしたのだが、2回言っても通じなくて、往生したことがあったからだ。かなりの巻き舌にして3回目にやっとわかってもらった。30数年ほど前のことだが、若い頃のほろ苦い記憶である。ただ、「R」と「L」の発音を練習するきっかけとなったから、転んでもただでは起きなかったのが、唯一の救いかもしれない。それから、あたかも臥薪嘗胆のごとく、紅茶といえば、アールグレイを頼むこととしている。

アフタヌーンティーセット下段


 中段が終わり、下段のサンドウィッチに進む。しばらく食べていくうちに、サンドウィッチの上に、変なものが乗っていることに気がついた。どう見ても食べ物ではない。1cm四方ほどの厚手で黄緑色のプラスチック片だ。どうやら異物らしい。上の写真にも写っている。ウェィトレスさんを呼んで、「これが入っていましたよ」と告げると、調理場に一度報告に戻った後、「すみません。取り替えます」という。「そこまでしなくとも」と言うと、「いいえ、取り替えさせていただきます。」とのこと。そういうわけで、また持ってきてもらったが、おかげでサンドウィッチを1.5人前いただくことになった。

アフタヌーンティーセット上段


 それから、最後に残っている上段のフルーツを食べる。色んなフルーツをちょこちょこと切って、見た目良くプレートに乗せてある。冬だからフルーツに期待はできないが、それでも赤と濃紺色のベリーに、慣れ親しんだ味がした。これは、新鮮な証左である。その上、紅茶をお代わりして今度はウバのミルクティーを頼んだから、それを飲んでしまうと、いやもう、お腹がいっぱいになった。ちなみに、キーマン、ダージリンとともに、ウバが世界三大紅茶の一つということだ。

氷川丸


赤い靴をはいた女の子の像


公園内のインド門


 家内と「お腹がいっぱいだ。これは歩かなきゃ太りそうだ。」と言いつつ、山下公園に向かい、暮れなずむ公園内に足を踏み入れた。氷川丸が係留されている。港内には、夏には群れていた海鳥が、ほとんどいない。それはともかく、遠く海に目をやると、実に雄大な気持ちになる。赤い靴をはいた女の子の像が可愛い。それから、公園内のインド門の脇を抜け、山下臨港線プロムナードを「ぷかり桟橋」方向へ、ぶらぶらと歩いて行った。港に向かって突き出している「象の鼻パーク」に行き、大桟橋に停泊中の豪華客船を見ているうちに、だんだん暗くなってきた。ああ、あの客船は、「飛鳥II」である。聞くところによると、私の高校の同窓生が船長をしているようだ。煙突から煙が出ていると思ったら、午後5時になって出航した。名古屋に向けてワンナイトクルーズに行くらしい。それを見送って、ふと、プロムナードの左手を見ると、屋根の上の塔が四角い神奈川県庁(キング)、屋根の上の塔が丸くてなだらかな横浜税関(クイーン)があったが、横浜市開港記念館の塔(ジャック)は、残念ながらそこからでは見えなかった。

塔が四角い神奈川県庁(キング)


塔が丸くてなだらかな横浜税関(クイーン)


客船「飛鳥II」


横浜赤レンガ倉庫


 橋を渡ると、「横浜赤レンガ倉庫」である。短い方の棟の前にはスケートリンクが設けられている。そこを過ぎて、両方の建物の真ん中の大きな通りの両脇には、露店が軒を連ねている。それらの上には、サンタクロースやトナカイ、東方の三賢人に見守られたマリアとその赤ん坊のイエスキリストなどが据え付けられて、既にクリスマスのムードがいっぱいである。全体をドーム型に覆うように、大きな電飾が取り付けられて、その突き当たりには、巨大なクリスマスツリーがある。そこを二人連れ、家族、若者たちが行き交う。私と家内は、ノンアルコールのワインと、ドイツのクリスマス時のお菓子シュトーレンを買って食べた。どちらも甘くて、もう夕食は要らなくなったほどだ。クリスマスツリーのところまで行って、いまたどって来た道を振り返ると、両脇に赤レンガ倉庫、真ん中にツリー、その向こうに電飾が瞬き、気温は低いが、心まで暖まる気がしてくる。少し早いが、クリスマスだ。今年も、家内をはじめ、家族ともども幸せに過ごすことができた。感謝しなければならない。

横浜赤レンガ倉庫のクリスマスマーケット



サンタクロースとトナカイ


東方の三賢人に見守られたマリアとその赤ん坊のイエスキリスト


横浜赤レンガ倉庫


 さて、もう午後6時を過ぎた。桜木町駅や「みなとみらい21地区」に行くのはまた次回にして、馬車道駅から帰るつもりで歩き出した。しばらく行くと、右から横浜コスモワールドの観覧車、クイーンズスクウェア、ランドマークタワーが並んで見える橋まで来た。特に、大観覧車は、カラフルな色が次々に光り、見ていて飽きない。そのうち、中心から端に向けて、光が放射状に走るようになった。家内が「あれは、花火に見立ててあるのよ」という。なるほど、それは思いつかなかったが、確かにそのように見える。しばらく眺めて、ビデオを撮ったりした。それからほどなくして、馬車道駅に着き、東急線から千代田線に乗り継いで帰ってきた。

見かけた馬車


横浜コスモワールドの観覧車、クイーンズスクウェア、ランドマークタワー







 年末の横浜を家内と散歩(写 真)






(2017年12月10日記)


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初冬に銀座から日比谷を歩く

01 日比谷公園の鶴の池


 もう12月に入ったので、都内のあちこちでクリスマスの飾りつけが始まった。その一方、紅葉の季節の最期の頃でもある。家内とともに、中心街をひと回りして来ようと思って、家からまず上野に歩いていった。動物園の真ん中を抜ける都道は、このところ歩道の整備が続いていたが、それがほぼ出来上がって、とても歩きやすくなった。我々は、上野に食事に行くときは、風月堂へ行くのが常だったが、つい最近に行われた改装で以前のイメージとは違ってしまったので、それ以来、新しいレストランを開拓中である。この日も、ここはどうかと思って、とあるホテルのレストランのメニューを見ていたら、中からウェイトレスさんが顔を出して「すみません、11時半からなんです。」という。「では、後からまた来ます。」と言って、外へ出た。

02 キヤノンのプリンターに使うカラーインク



純正品ではない紛い物のカラーインクを使って印刷した年賀葉書


03 純正品ではない紛い物のカラーインクを使って印刷した年賀葉書


 実は、この数日間は、キヤノンのプリンターを使って年賀状印刷の真っ最中なのだが、裏面の印刷に使うカラーインクが切れた。そこで、アマゾンで直ぐに持って来てくれるインクをネットで注文したところ、昨晩それが届いた。ところが、純正品ではなくて、紛い物だったらしくて、それを使ったら色味がどうにもしょうがないほど悪くて、年賀状としてはとても使い物にならない。安物買いの銭失いだったかと反省し、やはり純正品でなければと思ったことを思い出した。そこで、そのレストランを出た後、ヨドバシカメラに立ち寄った。するとサードパーティ製の840円に対して、純正品は1、700円もする。ネットで私が購入したのは、840円どころか、もっと安かったので、これは仕方がないと納得して、純正品を買った(ちなみに、後刻、帰宅してそれを使ってみたところ、色鮮やかに仕上がった。)。

キヤノンの純正品のカラーインクを使って印刷した年賀葉書


04 純正品のカラーインクを使って印刷した年賀葉書。色彩の出が明らかに違う。



 その買い物を済ませて、先ほどのホテルのレストランに戻った。ウェイトレスさんが覚えてくれていて、席に案内してくれる。そのウェイトレスさんの様子を観察していると、たくさんのお客さんが入ってきても客さばきが上手く、しかも常に愛想良く、そつなく、正確に処理している。中には、中国人の団体客も混じっているが、そういう人たちにも辛抱強くメニューを説明して、手早く注文を取っている。「この人は、とても有能だね。この人がいないと、店は回らないだろう。」と家内に言うと、「本当に。お店の人というのは、人の顔を覚えて、その傾向や気持ちを汲んで仕事をしないと、務まらないわね。きっとこの人は、そういう家庭で育ったのかも。」と語る。今日は、良い人に出会ったものだ。

05 GINZASIXの入口


06 GINZASIXの店内


 レストランを出て、銀座線で銀座に出る。銀座駅の地下から銀座コアビルの地下に出てそのまま地下伝いに行こうとしたら、以前の銀座松坂屋時代であればそのまま行けたのに、GINZASIXへと建て替わったら、途中で地下通路が閉じられて行けなくなってしまった。仕方がないので、いったん地上に出てから、GINZASIXへと向かう。といっても、僅かワンブロック歩くだけだ。エスカレーターで建物に吸い込まれるように入る。この建物は、地上13階で、今年の4月にオープンしたばかりだ。エスカレーターに乗って5階までのファッション・フロアを見る。吹き抜けになっていて、水玉模様のバルーンが下がっている。これは、草間弥生さんの作に違いない。それにしてもどこかで見た風景だなあと思ったら、六本木ヒルズや表参道ヒルズと同じ趣向だ。しかし、シンガポールやマレーシアの巨大なショッピングモールを見慣れた目で見ると、このGINZASIXの規模はまただまだ小さく、まるで箱庭のように感じる。むしろ、ようやくこれらの国の水準に少し近づいたというべきか。あらかた見終わったが、特に買いたいものもないので、建物のテラスに出てみた。すると、雪だるまが置かれている。しかし、雪だるま自体よりも、その周りに置かれたメルヘンチックな建物の模型の方が可愛い。今は昼間だが、夜になると、雪だるまに向かって吹き付けられるスノー・パウダーに光が当たって、さぞかし美しいものと思われる。

07 GINZASIXの雪だるま


 銀座通りから有楽町方面へと向かう。西銀座で大勢の人の列を見たが、きっと年末宝くじを買うためのものだろう。年末の風物詩である。JRの高架下を通り越して歩いて行くと、喫茶店の「集(しゅう)」がある。ここで休もうということになって、地下降りて行くと、幸い直ぐに座ることができた。家内と私も、ショートケーキを頼み、お茶を飲むことにした。ここは、ケーキもコーヒーも美味しいから、我々が好きな喫茶店の一つである。ただ、注文を取りに来てくれたウェイトレスさんは、何を聞いてもはかばかしく答えられない。先ほどの上野のホテルのウェイトレスさんとは大違いだ。これは、慣れというのもあるのだろうが、やはり能力の差なのだろうと思う。我が身を振り返って心すべきことで、幾つになっても、能力を磨くことは大切である。

08 帝国ホテルの花


次に、帝国ホテルに向かう。息子が結婚してからというもの、先方のご両親にも来てもらって17階の「サール」というレストランで、よく家族会を開いたものだ。というのは、このホテルの中でサールだけが、小さな子供がいても、受け入れてもらえたからだ。そういう思い出とともに中へと入る。帝国ホテルにはどんなクリスマス・ツリーがあるのかと思ったら、確かに大きいものの、意外とありきたりなものだった。その反面、正面の階段を降りたところにあるお花のモニュメントは、丸い真っ赤なもので、なかなか良かった。その脇で、新郎新婦さんが、幸せそうに写真の被写体となっていた。

09 日比谷公園での匝瑳市植木職人の実演


10 匝瑳市植木職人の作品


 帝国ホテルから、日比谷公園に行った。正面の噴水広場の一角で、「植木のまち匝瑳」のデモンストレーションが行われていた。「匝瑳市(そうさし)」というのは、日本難読地名の一つなので、たまたま私も知っていたが、どこの県かと思ったら、千葉県だった。北東部に位置し、北は香取市、東は旭市に接し、南は太平洋に面している。JRの駅は八日市場駅で、黒潮の影響を受けた温暖な土地であることから、全国でも有数の植木の生産地だそうな。植木生産農家の数は700軒、マキ、クロマツなど生産樹木の数は300種とのこと。その匝瑳市植木組合から職人さんたちがやってきて、庭園樹(造形樹)つまり「庭師が人工的に造形美を作り出す鑑賞用の樹木」の実演をしている。目の前の2本の木があり、一方は枝が格好良く左から右へとスーッと伸びて、まるで大きな盆栽のような木である。ところが、もう一つの木はありきたりな形にしていて、そこに職人さんたちが数人取り付いて仕事をしている。どういう作業をしているかという図面があった。それによると、曲げたい木の枝の繊維に沿って縦に浅い切り込みを何本か入れて、それをよじって「木を殺さないように」曲げる。曲げた後はその部分をきつく巻き上げ。傷口の癒合を図る。これを繰り返して、思い通りの形に仕上げるのだそうだ。最近では輸出に力を入れていて、特に中国では、縁起物の龍を思い出させるような樹木の人気があるという。

11 日比谷公園内の松本楼


 日比谷公園内の松本楼の周りには、立派な銀杏の木がある。それを横目に見て、鶴の噴水の池に向かう。大きな紅葉の木が池の上に掛かり、黄色く色づいた銀杏の葉が池面に映えて、実に美しい。これぞ日本の風景だと言いたいところである。藤棚のところから写真を撮っていると、タイ人女性の2人連れからシャッターボタンを押すように頼まれた。赤い大きな紅葉の木を背景に、溢れるような笑みを浮かべた2人の写真が撮れた。これで、日本に良い印象を持って帰ってもらえると思う。ところで、家に帰ったら、本日の歩数は、ちょうど1万歩となった。

12 日比谷公園内の鶴の噴水の池









 初冬に銀座から日比谷を歩く(写 真)




(2017年12月2日記)


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湖東三山 紅葉の旅

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  1 金剛輪寺(湖東三山)
  2 西 明 寺(湖東三山)
  3 百 済 寺(湖東三山)
  4 永 源 寺(臨 済 宗)


 土曜日に名古屋に用があったので、それを済ませ、その日は金山駅近くに泊まって、翌朝、名古屋駅から東海道新幹線で米原駅に向かった。ちょうど紅葉のシーズンだから、湖東三山などの名刹に行って、紅葉に囲まれたお寺の写真を撮るのが目的である。ちなみに私は、滋賀県、特に琵琶湖の東部地区には、先日、彦根に泊まった以外はここ何十年も行ったことがない。今回、米原駅で降りてまずびっくりしたのは、駅とその周辺にはほとんど何にもないことだ。レストランはなくても、せめて喫茶店くらいあるだろうと思ったが、それすらない。寂れているどころかそれ以上で、これが日本の鉄道路線の中で最も賑わっている東海道新幹線の駅の一つなのだろうかと、思わず駅の表示を見てしまったほどである。外にいると寒いので、これから乗ろうとする湖国バスの待合室で待とうと思って、その事務所をやっと見つけた.しかし、誰もいないし、まるでうさぎ小屋の類いのごく小さな建物で、待合室など望むべくもない。呆然とその場に佇んでいると、脚が寒くなって来た。そこで、また自由通路に戻って外気に当たらないところで待ち、時間になったので、再び事務所に行った。その前に突っ立っていると、やっとバスが来た。乗り込む前に、バスガイドさんに湖東三山コースであることを確認し、料金8000円を支払う。このガイドさんは、なかなか愛想が良いし、話すテンポと内容が面白い。これは良いガイドさんに当たったと思った。


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 出発してまず松峯山金剛輪寺(こんごうりんじ)に着いた。いただいた資料では「金剛輪寺 国宝の本堂は、鎌倉時代の代表的な和洋建造物である。堂内には、秘仏本尊聖観音をはじめ14の仏像が安置され、三重塔及び二天門も重文指定である。」とある。風車を持った小さなお地蔵さんが、聞くところによると2000体もあって、独特な雰囲気がある。赤と黄色の紅葉が美しい。二天門に大きな草鞋が掛かっている。すごい急坂を我慢して登りに登って、ようやく本堂に達した。途中の参道の苔の緑が美しく、目にしみるようだ。本堂には血染めの紅葉なるものがある。確かに、真っ赤だ。写真に撮ったが、この真っ赤から赤色が褪せていくグラデーションの感じがなかなか出ない。腕の問題かカメラの限界か。たぶん、その両方のせいだと思う。

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 次は、龍應山西明寺(さいみょうじ)で、参道を登っていく途中やはり苔が美しく、あたかも京都の西芳寺を思い出す。その上に赤い紅葉が落ちているのは、一幅の絵画に勝る。ところでここは「鎌倉時代に建てられた本堂と三重塔は、いずれも国宝に指定されている。中でも三重塔内部の仏像壁画は見事である。参道の途中にある庭園は浄土を表現した池泉回遊式。」とある。話によると、平安時代に創建され、室町時代に最盛期を迎えて、一時は17の諸堂、300の僧坊があったと伝えられるが、戦国時代に織田信長が比叡山を焼き討ちした際、同じ天台宗だということでこの西明寺も焼き討ちされた。ところが、本堂(国宝)、三重塔(国宝)、二天門(重文)は、山の奥まったところにあるから、焼失を免れた。その背景には、当時の僧侶が機転を利かせて、手間にたくさんあった僧坊などに自ら火を付けて一見全山が燃えているように見せかけて本堂などを守ったからだと言われる。なるほど、それはそれは大変な功績である。でも、織田の軍勢も、そんな小細工で簡単に騙されるものだろうかと、いささか疑問に思うが、話としては大そう面白いではないか。ところで、その「奥まった」本堂などに上がって行くのはなかなか大変である。大小様々な石でできた階段はもちろんあるが、規格が揃っていないので非常に登りにくい。しかも昨夜の雨で泥がある。それをよいしょよいしょとばかりに無理矢理登っていくと、なるほど、織田の軍勢もこんな山奥には何もないと判断したのは本当かもしれないという気にもなってくる。そういう大変な思いをして、やっと着いた。本堂もさることながら、その脇の三重塔が紅葉に囲まれて、実に品があって優美な姿をしている。赤色と黄色の紅葉を重ね合わせて、少しでもその美しさが出るような写真を撮るように心掛けた。それから今来た道を下っていき、そこで食事をした。あれこれとある和食だったが、お肉も入った野菜鍋のスープがなかなかの味だった。中に近江牛が入っていたらしく、ガイドさんが「持ち上げてかざすと、向こうが透けて見えるような」と表現したから、笑ってしまった。

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 釈迦山百済寺(ひゃくさいじ)は「聖徳太子が百済寺からの渡来僧のために健立。織田信長によって全山を焼失したが、江戸時代、井伊氏の寄進で再建。湖東平野が一望できる庭園は自然を借景した鑑賞式庭園である。」とある。話によると、このお寺は、平安時代に天台宗が開創されると天台宗の寺院となって規模が大きくなった。やがてお寺全体を山城のように要塞化するとともに僧兵をたくさん抱えて大変な武力を誇り、「湖東の小叡山」といわれたほどだったそうな。ところが織田信長に抗した佐々木義治を支援したため、比叡山と同様に信長の焼き討ちに遭い、全滅したばかりか石の土台に至るまで徹底的に破壊しつくされた。織田勢は、この山城のような百済寺から石垣を抜いて運び出し、それを安土城の土台としたらしい。そのような歴史を知ると、いにしえの戦火による悲劇を思わざるを得ない。そういえば、本堂に向けて登って行く途中で山中のあちらこちらに空き地がある。かつての僧坊跡だそうだ。池泉式庭園も、狭い空間なのにそれを感じさせない作りである。そこを過ぎて坂をやっと登り切って「遠望台」に達すると、近江平野が一望でき、まるで領主の気分を味わえる。昔は、百済人達がここから遥か遠くの故郷を眺めていたのだろうか。

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 湖東三山はこれで終わって、次に臨済宗瑞石山永源寺(えいげんじ。永源寺大派本山)に行った。こちらは「愛知川の右岸の崖沿いに建つ寺院。600年前に開山したが、兵火に遭い荒廃。江戸時代、彦根藩の援助を受けて復興。葭葺の大方丈、元光像を祭る開山堂、法堂、含空院など今も大伽藍が立ち並び、元光の墨跡などの寺宝も多い。」とある。湖東三山とは、どこか雰囲気が違う気がした。一言でいうと、拝観者のためのサービスが手厚いのである。例えば、外国人のためにQRコードによる案内がある。夜にはロウソクによる幻想的なライトアップがある。紅葉が美しいのは当然であるが、そうした工夫で、夜も観光客を誘致している。ともあれ、一味違うお寺さんである。

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登っていく途中にある十六羅漢像は、一見すると石山に溶け込んでいるようで区別しにくいが、よくよく眺めていると、それぞれの表情がとても豊かである。また、ポツンと離れて眼鏡を掛けたお地蔵さんがあるが、これは十代の半ばで亡くなった息子の供養のために、ご両親が寄進されたものだという。

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 というわけで、四つのお寺の拝観と紅葉を鑑賞してきた。しかし、近年にないほど山道の階段の登り降りをしたので、米原駅に着いたときには、膝が笑っているような感覚を覚えた。明日以降に響かなければよいのだが・・・。



【後日談】  

 その夜遅くに東京の自宅に帰り着いた私は、家内から「そういうときは下半身の温水浴をするといいわよ。」と聞いて、お風呂で身体を洗った後、お腹から下を温いお湯に浸けて20分間、気持ち良くのんびりと過ごした。すると、あらまあ、その効果があったのか、翌日になっても、足は少しも痛くない。それは、良かった。でも、どういうわけか、首と両肩が痛くてたまらない。別にリュックなどを担いだわけでもない(バスの中に置いて登った)。だから、もしかするとこれは、カメラのせいかもしれないと、思い当たった。レンズと合わせて、わずか1.5kgくらいの重さしかないのだが、まさかそんなものが響くとは・・・。





 湖東三山 紅葉の旅(写 真)




(2017年11月19日記・20日追記)

カテゴリ:エッセイ | 07:27 | - | - | - |
東京モーターショー 2017

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1.EVとAIの時代

 東京モーターショー 2017に行ってきた。今年は、EV(電気自動車)とAI(artificial intelligence,人工知能)がテーマである。しかし、EVの外観はますます普通の自動車の外見になっているし、AIに至っては「運転者の性格に合わせて自動運転をします」などと言われても、それを実感しようもない。だから、表面を見るだけの何ともよくわからないモーターショーだったが、後から振り返ってみると、意外とこういう年が、実は時代の転換点だったということなのかもしれない。


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 トヨタのブースには、「コンセプト愛」というシリーズがあり、最先端のAIを使った「YUI」と称するもので、人を理解し、記憶を蓄積し、能動的に働きかけるものだという。具体的には、「ドライバーの性格や感情をも認識して、自動運転技術との組み合わせによって安全性能が強化され、エージェント技術によって会話や提案を行う。この3つの柱が有機的に機能することで、ドライバーの表情や動作から疲れを感知したら運転を代わってくれたり、好みの音楽を流してくれたり、時にはジョークを言って笑わしてくれたりする。」と言うのだが、説明がいかにも日本的というか、あまりにも情緒的で、こんなことで良いのかと、逆に心配になってきた。

 今やトヨタは最強の世界的自動車メーカーとして君臨している。例えば、HV(ハイブリッド自動車:エンジンと電気モーターで動く自動車。)、PHV(プラグインハイブリッド自動車:電気自動車に補助的にエンジンを備えて、家庭用電源からコンセントプラグで電気モーター用の電池に直接充電できる。)、FCV(燃料電池自動車:電気化学反応によって水素などの燃料から電力を取り出す燃料電池を備えた自動車)などの開発を続け、HVでは世界を席巻し、FCVでは世界の先端を走っている。

 ところが、今年に入ってイギリス、フランス、中国、インドが国の自動車政策として、将来のガソリン車の販売禁止に言及するなど、EVを重視する方針に大きく転換することを明らかにした。アメリカでは、かつてのプリウスに代わってテスラの高級電気自動車が評判となり、HVはもはや環境に優しい省エネルギー車ではなくなっている。現在、市場に出ている電気自動車は、例えばあるモデルでは、航続距離が200km程度で充電に8時間程度を要するなど、まだまだ性能は不満足なものである。しかし、最近では400km、急速充電だと30分という製品も出始めており、侮れなくなってきた。私は、このままで行くと、あと10年もしないうちに、世界の自動車市場の半分が電気自動車になってしまうのではないかと思うのである。にもかかわらず、トヨタは相変わらずの路線で、HVはともかく、FCVといった全く見当違いの方向に向かっている。全固体電池を開発して2020年には発表したいというが、いまだ海のものとも山のものともわからない。これが上手くいかないと、トヨタの命運は尽きるということになるだろう。他のメーカーや他の国々も、HVでトヨタにしてやられた失敗を、EVで取り戻そうとしているからだ。そういうことで、事ここに至っては、ガソリン高級車レクサスなどにかまけているときではないと思うのだが・・・まさに経営者の力量が試されている。

 それにつけても、思い出されるのが日本の電機メーカーの蹉跌である。エアコン、電気冷蔵庫、電気洗濯機、電子レンジに至るまで、高級化路線に明け暮れて毎年毎年の開発競争で消費者には全く要らない機能を積み込み過ぎて馬鹿馬鹿しい値段となってしまい、新興国メーカーとの競争に負けてしまったことや、携帯電話がガラパゴス化してiPhone対Androidという世界の競争にも参戦できなくて消えてしまったことなどは、まだ記憶に新しい。製品がいかに高級だ、高性能だといっても、それが市場を読み違えたり、力づくの大量生産による低価格競争に付いていけなくては、もうおしまいなのである。文化的に高度な西ローマ帝国が、侵入してきた蛮族ゲルマン人にあっけなく滅ぼされてしまったのと同じことだ。そう思って、トヨタのブースを見渡すと、高級車レクサスばかりが目立つ。それはそれで立派だが、今や誰がこんなものを買うのだろうという気がしてならない。商品政策が、全くズレているのではないかと思う。

 更に思うのは、AIについてである。これはEVよりも早く、あと5年もすればレベル5つまり完全な自動運転時代が来ると思われる。自動運転技術は、グーグルのような先端技術企業が相当、先行していると思うが、トヨタなどの日本の自動車産業が本腰を入れて取り組んでいるとは、どこからも聞こえて来ない。こんな調子だと、自動車産業は、日本企業が総負けに負けたパソコン産業と同じことになりはしないかと、本気で心配になる。つまり、パソコンの時は、製品や規格が乱立する状態から、まず部品がIBM仕様になって標準化され、次いで肝心要のOS(オペレーション・システム)もマイクロソフトのウインドウズに統一されて、誰でも参入できるようになってしまった。それから、コモディティ化が一気に進み、生産コストの安い国との競争に負けて、先進国から大きなパソコンメーカーがほぼ消えてしまった。自動車も、今はエンジンがあるから容易には参入できないが、電気自動車になると、構造は簡単になり、誰でも参入できるから、必ずコモディティ化が進む。現に、電気掃除機のメーカーだと誰もが思っていたダイソンも、自動車生産に参入する意思を明らかにしている。ほとんどの電機メーカーも、モーターの技術はお手の物だから、車台と足回りの部品さえあれば、簡単に生産できるだろう。AIも、グーグルなどの企業から買えばよい。

 そんな時代に、トヨタは本年に入ってマツダと提携した。エンジン技術を磨き上げるためだそうだ。マツダのガソリンエンジンを扱う技術には、定評があるのは確かである。しかし、今はエンジンに力を入れる時代ではない。そんなことより、電気自動車の要である、電池の技術開発に力を入れるのが、先ではないか。必要なら、その圧倒的な資金力に物を言わせて、M&Aで大手電池メーカーを強引に買収するなどの手が打てないものかと思う。自動車メーカーではないが、パナソニックは時代の先を読んで、テスラと組んでアメリカに電池工場を作るために1000億円を投資するそうだ。実に、正しい経営判断である。かくして世の中は、ガソリンエンジンから時代が一挙に飛んで、電気自動車の時代になりつつある。馬車から蒸気機関車、更にはエンジン搭載車へと百年ごとに時代は大きく変化してきた。それが電気自動車へと向かうのである。

 こうした流れに取り残される人たちが、必ずいる。例えば、現在、エンジン関連の部品を作っている協力企業は、一体どうするのかと心配になる。トヨタ系だと、デンソーなどの大企業から始まって町の小さな二次・三次下請け企業に至るまで、特にエンジン部品関係は、仕事がなくなる。ここに至って将来についての危機感を持たない経営者は、平凡を通り越してよほどのボンクラだろう。併せて、国としての日本自体についても心配になる。貿易黒字のうち自動車関連のものによるのはその半分近いのではないか。加えて、自動車メーカーのみならずその部品メーカーを含めて広い意味の自動車産業によって食べさせてもらっている国民の割合は、おそらく1割くらいなのではないか。そうすると、虎の子である自動車産業がいったん転ければ、国民全体に悪影響が及ぶのである。これは、杞憂でも取り越し苦労でもない。現実として、10年以内に始まる事態である。しかし、自動車業界にも政府にも、危機感が全く感じられない。それこそ、現在進行中の事態の本質を現わしていると思うのである。


2.日本車の展示内容


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 トヨタの次から、各社の展示内容を見ていこう。ニッサンは、EVのリーフを実際に販売しているから、その新車と、「ニッサン・インテリジェント・モビリティ」という一種のAIを展示していた。これは、3つのものから成り、第1は「インテリジェント・ドライビング」で、「高性能レーダーやカメラ、レーザースキャナなどを搭載した360度センシング中長距離の対象物を感知し、距離や対象物を正確に認識。AIと組み合わせることで危険を早期に検知して運転をガイドするなど、将来の完全自動運転を見据える。」。第2は、「インテリジェント・パワー」で、「新開発のEV専用プラットフォームにより、・・・航続距離600kmというかつてない走行性能の達成を目指す。」。2020年までには発売するそうだ。第3は、「インテリジェント・インテグレーション」で、無人で駐車場に移動して自動駐車をしたり、太陽光発電のバッテリーに蓄えたり、VPP(仮装発電所)として機能したり」するらしい。ちなみに、EVの新しいリーフ(LEAF NISMO Concept)の外観も、いかにも電気自動車という野暮ったい形から、なかなかスポーティで素敵なものになっている。

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 三菱自動車は、数々の不正問題を起こして経営が不安定になり、結局ニッサンの傘下に入ったのだが、今度はそのニッサン自体が完成検査を無資格者に行わせていた法令違反問題で揺れているのは、皮肉なものである。それはともかく、三菱自動車は、今回、「得意とするEV技術やSUV技術で培った四輪制御技術を大きく進化させたクロスオーバーSUVタイプのハイパフォーマンスのEV」である「MITSUBISHI e-EVOLUSION CONCEPT 」を展示する。SUVなのでEVでもアウトドアでもどこでも飛び出して行けることを売り物にしている。また、ドライバーの意思や感情を読み取るAIをも搭載しているという。最近、「あおり運転」や「付け狙い運転」が問題となっているが、ドライバーがカーッとなったりすると、それを抑えてくれるような機能も必要かもしれない。



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 SUBARUは、「将来の自動運転社会を見据えた高度自動運転支援技術を磨きながら、運転の愉しさを追求する」として、従来の「アイサイト」にますます磨きをかけているようだ。これは、自動運転技術そのものだから、そのうちAI全盛時代の主役になるだろうと思う。スポーツセダンのVIZIVコンセプトモデルは、なかなか格好がよい。思わず、買いたくなるセダンだ。ただ、ニッサンと同様にこちらも完成検査を無資格者に行わせていた法令違反問題がつい最近に発覚し、気のせいかあまり元気がないようだ。

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 ホンダはEVのコンセプトモデルを展示していたが、その車は、漫画チックな丸目を持つやや「とっぽい」形をしている。「スポーツマインドを昇華させたコンセプトモデル。レスポンスに優れた電動パワーユニットを搭載し、モーターならではの力強く滑らかな加速と静粛性、低重心による優れた運動性能を実現。更に独自のAI技術を組み合わせ、ドライバーの嗜好を学習したり感情を読み取りながらドライビングを快適にサポート。先進のEV性能とAI技術で人とクルマが一体となったような未体験の運転感覚を味わえる」そうだ。しかし、私の見るところ、こんなとっぽい形で、そういう未体験の運転感覚を味わえるものかどうか、素人目には疑問に思うところだ。せめて外見は、「賢そうな」ものにすべきだろう。まあ、このアンバランス感は、いかにもホンダらしいと思うけれど・・・。

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 スズキが、その雑草のような社風を生かして、かなり頑張っているように感じた。クロスビーやスペーシアなど、小さな車体に面白いデザインをよく詰め込んでいる。展示の目玉は、未来のコンパクトSUV「e-survivor 」で、4つのモーターによる四輪独立駆動の4WDだという。ただ、デザインは遊園地の乗り物に近い。

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 マツダは、ガソリンエンジン技術と、美しいデザインの両方で特色を出していた。次世代ガソリンエンジン「SKYACTIV-X」は、火花点火制御圧縮方式(SPCCI:Spark Controlled Compression Ignition)で、ガソリンエンジンでありながらディーゼル機関のような圧縮着火を制御する技術を世界で初めて実用化したものである(ガソリンエンジンの伸びの良さにディーゼル機関の優れた燃費、トルク、レスポンスといった特徴を融合させた夢のエンジンに一歩近づいた)。これを搭載したものが、次世代商品コンセプトモデルの「魁(カイ)」で、スタイルは、非常に綺麗である。


3.外国車の展示内容

 外国車で最も目立っていたのは、ポルシェとメルセデス・ベンツである。ポルシェは、その非の付けどころのない完璧なデザインと力強いマシンで、元から人目を惹く存在であるが、この日も大勢の見物人が押し寄せてきた。値段は、一見したところどこにも書いていないので、よく分からなかった。後からインターネットで調べると、中には700万円程度のものがあるが、それならともかく、モデルによっては3600万円という値段を知れば気が遠くなるかもしれない。


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 メルセデス・ベンツは、さすがに商品構成が多様である。「Mercedes-AMG Project ONEは、F1マシンに搭載される1.6リットル、V6ガソリンエンジンをほぼそのまま使い、それに4つのモーターを組み合わせたハイブリッドターボエンジン。これにより・・・200km/hまではわずか6秒、最高速度350km/hオーバーという性能を実現している。」という。あるいは、ベンツのEV専用ブランド「Concept EQAは、2個のモーターにより最大合計出力272hpを発揮するパワートレーンを持ち、バッテリーコンポーネントは拡縮が可能なので、希望の出力や航続距離をユーザーが選択できる点も先進的。最大航続距離は400km。また、急速充電を利用すれば10分の充電で100kmの航続距離が得られる。」とのこと。

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 シティビークルとして人気のあるベンツの「smart」は、なかなか可愛い車である。完全自動運転で、ステアリングやペダルがなく、車自体がユーザーの希望する場所に迎えに来てくれたり、使っていないときは自動で充電ステーションに動いて行って自ら充電するらしい。

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 Audiも、AI化が相当進んでいるようだ。Audi Elaineは、「フロント1基、リア2基の計3モーターを車軸上に収めた電動SUV。人工知能と電動化を売り物にしているだけでなく、その最高出力は435ps、ブーストモード時は515psにも達し、非常にパワフル。・・・航続距離は500km以上とし、EVでありながら、エンジン車の匹敵するロングドライブが可能」という。しかも、「クルマが自ら学び、状況を先読みしてくれる高い知能と共感力が鍵」だとのこと。しかし、目の前にあるのは単なる車体なので、そのAIの本当の能力は、謎である。

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 フォルクスワーゲンは、ディーゼル機関の燃費の不正で大問題になったのは、まだ記憶に新しい。その痛手から立ち直ったかどうかはわからないが、電動化にも力を入れているらしい。「I.D. BUZZ」は、2022年の市販予定で、動力源はバッテリーの完全なEV、完全自動運転機能を備え、運転席は180度回転する。航続距離は600km。その他、従来からあるGOLFでも、e−GOLFというEV版ができるようだが、航続距離は300kmと、短い。


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4.部品会社の展示内容

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 今回、見物した部品会社の中で、いくつか記憶に残ったものがある。まずは日立オートモティブシステムズである。これから自動車がEVとAIの時代を迎えると、その鍵となるのはこうした会社が作る自動車電装品モジュールだから、前途洋々といったところだろう。ただ、なぜフォーミュラカーのスポンサーをやっているのか、本業とどういう関係にあるのか、どうもよくわからない。普段は部品という目立たない分野の会社だから、少しは目立つようになりたいという思いなのかもしれないが、力の入れ方が若干違うような気がする。

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 三菱電機も、工場のオートメーションで最近目立っている会社であるが、やはり自動車がEVとAI化の時代の波に乗りそうである。日本の天頂衛星みちびきによるGPSの精度が上がって、誤差が現在の10m以上という大雑把なものから、僅か6cm程度になるというから、ますますAIが誘導しやすくなるだろう。私が数年前にこの三菱電機のブースで天頂衛星みちびきのGPS電波受信器を見たら、パソコンくらいの大きさがあってびっくりしたことがあり、これでは実用化は当分先の話だと思った。ところが今回見た受信器は、ずーっと小さくなっていたから、安心した。

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 また、タイヤメーカーの住友ゴム工業(ダンロップ)が、空気を使わないエアレスタイヤ(ジャイロブレイド)を提案していた。自転車のタイヤで例えると、スポークの代わりに半円形のプラスチックでゴムタイヤを支える構造だ。これだと、乗り心地は非常に悪いと思うが、新しい試みだから、最期まで粘って完成するように努めてもらいたい。完全自動運転の時代を迎えると、タイヤの空気圧管理のメンテナンス意識が低下することを見越しての開発だそうだ。説明のお姉さんが熱心だったので、つい一枚、写真を撮らせていただいた。






 東京モーターショー 2017(写 真)






(2017年10月27日記)


 
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