徒然293.神田祭 2017年

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 私の家は根津権現から歩いて数分のところにある。湯島天神も地下鉄で一駅行ったところだし、そこから更に少し歩くと神田明神に着く。このうち、根津権現は、秋祭りもあるが、それより毎年5月の躑躅祭りが有名である。その季節になると、境内の片面が、紫、赤、白などの原色で埋め尽くされる。見事だ。湯島天神は、何といっても受験の神様として、そのシーズンになるとお参りする受験生や両親で境内が一杯になるし、そのほか、梅まつりという催しも、なかなか見ごたえがある。

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 神田明神は、2年に1回、斎行される神田祭(神幸祭)は、いつもすごく賑わっているなと思う程度で、全体をじっくり見たことがない。それもそのはずで、1週間にわたって行われるし、神幸祭の巡行は、丸1日をかけて神田、日本橋、大手町、丸の内、秋葉原という広い地域を回るし、御神輿の宮入は、1日半もかけて200基が行うという、大変なスケールのお祭りだからだ。それでも今年は、少しは写真を撮ろうと思っていたが、残念ながら巡行が本番の土曜日は、1日中、雨が降り続いて寒かったこともあり、行く気がなくなってしまった。参加していた人たちは、雨に濡れてさぞかし大変だったろうと思う。ただ、翌日曜日は晴れたので、お昼を食べに出たついでに、少しだけ写真を撮りに行った。

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 神田明神正面の鳥居の脇にいて、これから宮入をする御神輿を撮り、更に境内の中に入って行って、御神輿を中心に人また人で溢れかえる境内の様子を見物してきた。神田祭といえば、御神輿ばかりと思っていたのだが、立派な人形山車があって、しかもそこで神田囃子を奏でていたので、意外だった。ところが、その場でいただいた「加茂能人形山車」というパンフレットを読んで、よくわかった。そこから転載すると、次のとおりである。

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「加茂能人形山車は、江戸時代『天下祭』に曳き出された姿を忠実に再現した、魚河岸会自慢の山車です。『天下祭』は、神輿の渡御よりも、山車行列が呼び物でした。参加各町は、威信をかけて立派なものを出したといいます。行列は江戸城中に繰り込み、時の将軍の上覧に浴したそうです。天保9年(1838年)には、参加町160、巡行した山車の数45台という記録があります。加茂能人形山車は10番目に曳き出されたとの番付が残っています。城門を通過するために『江戸型山車』は、何層かの可動構造を持つのが特色でした。江戸型山車の多くは明治維新とともに、関東近県に買われていき、年を経て壊れてしまい、残っていたものも、関東大震災・戦火を受けて、殆どが無くなってしまいました。加茂能人形山車も、先代は震災で失われましたが、明治15年頃に作られた10分の1大の精巧な模型が継承されていたことから、それをもとに、昭和30年に復元製作されたのが現在のものです。三層構造は中空で、上段が人形部分、中段は『四方幕』で、下段後部の幕(見返り幕)に囲まれた部分に上・中段がすっぽりと収納できるようになっています。人形は能楽『加茂』の後シテ、別雷神(ワケイカズチノカミ)で、赤頭に唐冠、大飛出の面を付けます。衣装は紺地に赤丸龍模様の狩衣、赤地に稲光電紋模様の半切で、右手に御幣を持っています。四方幕は、四面とも緋羅紗に加茂の競馬の騎馬人形、楓が配され、下段の見送り幕は、加茂の流水に青金二葉葵が、いずれも重厚な刺繍で織り出されています。現代の加茂能人形山車は『水神祭』に曳き出されます。平成2年10月1日には黒牛『とき姫号』に曳かれて、35年ぶりに巡行し、喝采を浴びました。」という。

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 先日、私は飛騨の高山祭に行って、その「動く陽明門」といわれる23基の見事な山車に、ほとほと感心して帰ってきた。江戸・東京のお祭りでも、実はあのような山車が主体だったらしいのである。神田明神のHPによると、明治17年の最盛期には、46本の山車が巡行されたらしい。それが、明治の末期には、電線の敷設や不景気が重なって、山車が曳かれなくなって、各町に備え付けていただけになったらしい。大正時代に入って、神社の神輿が渡御する形へと変遷していったそうだ。なるほど、だから私たちは神田祭といえば、威勢良く大人数が御神輿を担ぐ祭りだと思っていたのかと納得した。また、川越祭り、飯能祭り、佐原祭りなどの関東近辺のお祭りで曳かれる山車のいくつかは、日本橋などから買われてきたものだというが、これでその背景がよくわかった。

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 神田祭 2017年(写 真)



(2017年5月14日記)




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徒然292.人たらしの術


(果物の王様のドリアン)



 世の中は、何かをしようとすると、快く賛成してくれる人はあまり多くなくて、むしろ何やかやと反対したり、ケチをつけたりして足を引っ張る人の方が多い。だから、そういう人に対して、いかに話を付けて、自分の意向を押し通すかが問題である。私は、何につけ不器用なものだから、誰かを説得しようとすると、正攻法しかできない。つまり、まず理屈を考えて、何通りかのシナリオを作り、そのどれかで行けるという見込みを立てたら、後はひたすら何回も関係者のところへ通ってそれを説き、納得してくれるまで押し通すということをやって来た。今から振り返ると、説得される相手としては、随分と迷惑なことだったと思う。

 ほとんどの人は私の作り上げたシナリオのどれかで納得してくれたが、中には最後まで首を縦に振ってくれない人もいた。それでもなお諦めずに通ったら、「よし、私は黒い猫だと思うが、君がそんなに白い猫だと言うなら、白い猫だと思うことにする。」という不思議なことをつぶやき、現に本番では反対しなかったという人もいた。そういうわけで、私は事前に思い付く限りの完璧な準備をして事に臨み、後は押しに押すというものだ。ところが、私とは全く正反対というと言い過ぎかもしれないが、「そんなこと、とても私にはできない」ということを思い付いて、しかもやってしまうというタイプの人がいるので驚いた。

 あるパーティーの席で、知り合いの偉い人に久しぶりに会った。私は、その人が最近、反対派が強硬に反対してきた非常に難しい問題を、鮮やかに解決したことを思い出して「あれは、一体どうやって説得したのですか」と、何の気なしに問うた。すると、

 「あれはですねぇ。人間のちょっとした心理を使ったのですよ。つまりね、人間って、眠気から覚めたばかりのときに、あまり頭を使わないで、素直になるでしょ。それですよ。」という。私は、よく意味が分からずに「というと?」と更に聞くと、こんなことを語っていた。

 「相手のところに言って難しい書類をたくさん渡し、わざと眠たくなるように、お経を読むような平板で抑揚のない話し方をするんですよ。それで、相手はこっくりこっくりと舟を漕ぐようになるでしょ。それを見計らって、突然、大きな声で『ということでございます。よろしいですね。』と言うんですよ。すると、たいていの相手は、目を開けたばかりだから『おお、わかった』と言ってくれますよ。」

 私は驚いて「へぇーっ。そういうものですかねぇ。」と言って、思わずその人の顔を見てしまった。これまで、色々な人の様々な仕事のやり方を見てきて、たいていのことは知っているつもりだったが、まさかそういう幻術のような手を使う人がいるとは、思いもしなかった。これも、その人の人生を渡る上で独自に開発したノウハウ「人たらしの術」なのだろう。でも、私にはとてもできないことだと思った。




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(蟹のチリソース甘辛煮)




(2017年5月10日記)


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徒然291.歳をとってからの怪我

神代曙


駿河桜


小松乙女


 つい2日前に東京の桜の開花宣言が行われて、いよいよ来週には東京の各地で染井吉野の桜が咲き誇る姿が見られそうだ。あちこちで色々な桜の美しい写真を撮りたいと腕がなる。早速であるが冒頭の3つの桜は、本日現在は三分咲きの国立劇場(千代田区隼町)の桜である。上から順に、江戸彼岸の仲間でありピンク色の濃い美しい花を咲かせる「神代曙」、白っぽくて花びらが大き目の「駿河桜」、白とピンク色の絶妙なバランスやその儚げな姿から、いつまでも見ていたくなるような「小松乙女」である。

国立劇場(千代田区隼町)の桜


 話は変わるが、もう60歳代の後半に入ると、同級生の会合では、再就職や孫の話題は終わり、病気や怪我、親の介護などの健康の話が多くなる。先日は怪我の話だった。昔から眼鏡をかけている人が、「最近は眼鏡が合わなくなったせいか、階段を降りるときに足元が見えづらくなってきた。特に最後のステップがあるのを見落として、もう平地に着いたと思って足を出すと地面がなくて、バランスを崩して大きく転んでしまった。」などという。幸い、膝を擦りむいた程度で済んだそうだから良かったものの、危ないところだった。

 すると、別の人が、ニューヨークの街角で、歩道の段差につまずいて、顔から突っ込んでしまったという失敗談をし始めた。普通なら片手を無意識に出して「かばい手」をするところだが、両手はそれぞれ荷物を下げていて、ふさがっていたという。歩道に顔から激突した結果、顔はあちこち傷だらけで、眼鏡は粉々に割れたそうだ。しかもその直後に講演の約束をしていたので、顔中、絆創膏だらけの姿で会場に行って講演をしたというから、大したものだ。


小松乙女


 実は私も、6年ほど前に真冬にテニスをしているときに、怪我をしたことがある。試合中に短く打たれたボールを拾おうと前へダッシュした際、肉離れを起こしたのである。病院で診てもらったら、脚の太腿の裏の下腿三頭筋の上部付け根付近を損傷したそうだ。アキレス腱ではなくて良かったが、それでも6週間ほど、脚全体を包帯でぐるぐる巻きにされて、日常生活に不自由したことがある。

小松乙女


 また別の同級生だが、東京駅でエレベーターに乗っているときに、落ちてきた重たいスーツケースに当たってしまい。大怪我をして、数ヶ月入院した人がいた。帰省途中の女子学生が落としたそうだが、全く運が悪かったとしか言いようがない。とりあえず、彼は治ったものの、以前と比べて全般的に元気がなくなったのが気になる。

小松乙女


 いずれにせよ、歳をとってからの怪我というものは、回復に時間がかかるだけでなく、元のように戻る保証もない。だから、怪我をしないに越したことはない。それにしても、近頃、街を歩くと、歩きながら前を見ずに携帯やスマホの画面に見入っている人が多い。どうかすると、猛スピードで走る自転車に乗っていても、画面から目を離さない輩がいる。これなどは非常に危なくて、事故を起こすのは早晩必定だと思うのだが、本人は実際に起こすまで、全く気が付かないかもしれない。そういう事故に巻き込まれないよう、とりあえず気をつけたい。





(2017年3月26日記)


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徒然290.根津神社つつじ祭り 2016年

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 今年も恒例の根津神社つつじ祭が始まり、やや早めと真っ盛りの2回に分けて撮影をした。あまり早いと、向かって右側の早咲きの品種が咲いているだけで、撮るものがない。ところが、真っ盛りの今は、つつじの山を下から見上げても良し、歩いて小高い丘から見下ろしても良し、つつじを手前に置いて弁柄色の楼門を撮っても良しで、なかなか趣がある。

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 あれあれ、つつじの花に揚羽蝶がとまって花の蜜を吸っている。目の前に来た。慌ててそれを撮ったから、ピントが合って写っているか・・・と思って見てみたら、大丈夫なようだ。それにしても、蝶を撮るのは、昨年秋の向島百花園以来である。

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 それにしても、つつじの花そのものにはあまり個性がないが、鮮やかな色で一斉に咲くのが、何ともいえないほどにインパクトのある風景である。この神社を普段の遊び場としている孫に、この写真を見せたら、「えっ、今こうなっているの?」と驚いていたほどだ。たった1週間でこれだけ一挙に咲いてしまったのだから、驚くのも無理はない。

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 入場するのに、若干の寄進料を収めるが、そのときにいただいた券の裏には、「ご寄進まことに有難うございます。この浄財は全て神域の整備事業に充てさせていただきます。根津神社が宝永3年千駄木の旧地より当所に遷座してから、去る平成18年でちょうど300年になりました。神社ではこれを記念して、重文の社殿と楼門の漆塗修理を始め、順次神域の整備を進めております。今後とも何卒ご支援下さいますようお願い申し上げます。」とあった。

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 確かにこの10年で、社殿と楼門の色は鮮やかになったし、楼門の前には池が作られて、それを跨ぐようにお太鼓橋が作られた。その欄干が弁柄色でなくて緑色なのは少し気になるが、それはともかく、楼門の前の風景がそれなりに整ってきたのは結構なことだ。この楼門は、江戸時代の絵地図にも載っている由緒深いものなので、地域を挙げて末永く守っていきたいものである。

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 八重桜の花びらが、もう散っている。これからは、つつじと藤の季節だ。

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 根津神社つつじ祭り(写 真)




(2016年4月25日記)


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徒然289.熱海梅園

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 もう梅の季節も終わるという頃、まだ熱海梅園で梅が残っているかもしれないと思って行ってみたら、予定より1週間も早く、梅まつりが終わっていた。今年の冬は暖かくて、梅が咲くのが早かったらしい。満開の梅が見られなかったのが残念だったのみならず、途中で雨が降ってきたりもした。それでも、ごく少しだけど梅が残っていたし、中山晋平記念館に入ったり、孫と足湯に行って両足をお湯に浸けて楽しんできた。

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 中山晋平さんというのは、「雨降りお月」、「波浮の港」、「東京音頭」などを作曲した人らしい。その住居を移築したとのこと。典型的な和風建築で、床の間、違い棚、欄間、縁側など、昔の日本家屋を思い出して、とても懐かしい。あれあれ、孫が備え付けのノートに、何か書いている。いたずら描きだと困るなと思って覗くと、自分の名前と「8才」(実は7才なのに、サバを読んでいる)を書いた後に「アタミをだいすきになりました。またきたいです。」などど、まともなことを書いていたので、驚いた。いつの間に、覚えたのだろう。

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 韓国庭園というのがあって、なるほど朝鮮式の建物があり、その脇で朝鮮料理を売っていた。金大中大統領がこの梅園を訪れたのを記念して作られたそうだ。

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 梅園五橋のうち、駐杖橋という橋は、赤く塗られていて優雅な形をしている。その近くの句碑には、「錦浦観潮 夏すでに漲る汐の迅さかな」(武田鶯塘)とあった(漲る=みなぎる)。このほか、

「梅が香にのっと日の出る 山路かな」(松尾芭蕉)

「月光は 流れに砕け 河鹿なく」(波多野光雨)

「梅園や 湯あみの里の 出養生」(石田春雅)

「三界の さとを出あるく 頭巾かな」(斧 三休)

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 梅見の滝というのがあって、11月中旬から12月中旬にかけての紅葉の頃がよさそうだし、6月には蛍鑑賞の夕べがあるという。そうした季節に、また行ってみようと思う。

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 熱海梅園(写 真)





(2016年3月6日記)


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徒然288.浜離宮恩賜公園の春

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 浜離宮に菜の花が満開だと聞き、ぽかぽか陽気に誘われて、行ってみた。いただいたパンフレットによれば「ここは徳川将軍家の庭園で、海水を引き入れた潮入りの池と2つの鴨場を備えた江戸城の出城としての役割を果たしていた。承応3年(1654年)、徳川将軍家の鷹狩場に。4代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が海を埋め立て甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てた。その後、綱重の子の綱豊(家宣)が6代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍の別邸となり『浜御殿』と呼ばれるようになった。以来、歴代将軍によって幾度かの造園と改修工事が行われ、11代将軍家斉の時代にほぼ現在の形となった。明治維新ののちは皇室の離宮となり、名称を『浜離宮』と変えた。関東大震災や戦災によって御茶屋など数々の建造物や樹木が損傷し、往時の面影はなくなったが、昭和20年に東京都に下賜された。」とのこと。

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 この日は、お花畑にたくさんの菜の花が植えられていて、あたり一面が鮮やかな黄色に彩られていた。余りにたくさんあるので、写真にははまりにくい。それでも、汐留の高層ビルを背景に撮ると、それなりの趣きがある。菜の花に近づくと、甘い春の香りがする。

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 さらに入っていくと、紅梅と白梅が咲いていて、とても美しい。梅の花にカメラを向けると、たまたま小さなメジロがやって来た。でも、花を撮るためにシャッター速度を遅くしていたので、それを変えて早くする暇がなかった。だから、やっと1枚写真が撮れたものの、メジロの体がややブレてしまったのは、非常に残念だった。

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 それから進むと、新樋の口山という少し盛り上がっているところがあり、そこからはレインボーブリッジが見えた。水上バス発着場を横に見て歩いていくと、潮入りの池に出る。その岸に沿って行くと、木の橋(お伝い橋)がある。これは中島の御茶屋につながるもので、そこを渡って行った先の中島の御茶屋は、なかなか瀟洒な建物で、昭和58年に再建されたもののようだ。そこからさらに橋を渡ると、松の御茶屋と燕の御茶屋があり、それぞれ平成22年、27年に復元された。

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 ここにも、鴨場がある。私も宮内庁の埼玉や千葉にある鴨場での鴨猟に参加したことがあるが、これがまた非常に面白い伝統的な猟だ。池と繋がっている「引堀」という水で満たされた細長い溝を設けて、そこに野生の鴨をおびき寄せる。そんなところに野生の鴨などが来るはずがないと思うが、それがこの猟の巧妙なところである。アヒルを囮に使い、稗や粟などの雑穀をまく。そうすると野生の鴨も警戒感が薄れるのか、引堀の奥の方まで入って来る。それを引堀の突き当りにあるのぞき穴から見て、十分に鴨が入って来たと思うと、合図がされる。身を隠しつつ待ち受けていた我々が、引堀の土手の両脇に、大きな網(二股に大きく分かれた部分に、絹糸で網をこしらえ、そこに柿渋を塗ったもの)を抱えて進出する。再び合図があるので、一斉に飛び立とうとする鴨をその網をふるって空中で捕まえるという手順である。鴨が多いと、面白いように獲れる。

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 しかしながら最近は、地球温暖化の影響か、こういう東京の近場に飛んで来る野生の鴨の数が減ってきており、それに連れて鴨場で捕獲される鴨が少なくなりつつあるようだ。もっとも、かつてはそうして捕まえた鴨をそのまま食べていたようだが、さすがに最近の自然保護の精神の下では、そのようなかわいそうなことはしない。標識を付けて、すぐに放鳥することになっている。

 そうすると、中には毎年のように何度も捕まる鴨がいるというから、そういう鳥は運が良いのか悪いのか、それとも学習しない性格なのか、あるいは餌にありつけるという意味では実はとても賢いのか・・・何ともいえない。でも、もしその鴨が人間の言葉を理解するなら、是非とも聞いてみたい気がする。





 浜離宮恩賜公園の春(写 真)




(2016年3月5日記)


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徒然287.アイス・カチャン

アイス・カチャン


 アイス・カチャンとは、南国の「かき氷」である。日本の「かき氷」とは、全く別物といってよい。「カチャン」とは、マレー語で「豆」を意味するとおり、かき氷の中に、ピーナツ、小豆その他もろもろの豆が入っているし、それから赤色、緑色、黄色、乳白色の柔らかい丸いもの・・・たぶんヤシのでん粉から作ったものだと思うが・・・そういう派手派手しいものも入っている。さらに、緑色のゼリーやコーヒー・ゼリーのような四角いものまである。その全体に、赤やら緑色のシロップや、コンデンスミルクなどが振りかけられている。最後のトッピングとして、この写真では、アイス・クリームが乗っている。

 初めてマレーシアに行ったとき、レストランのデザートとして見かけ、一体これは何だと思った。興味を持たなくもなかったが、そのあまりに派手な外観に警戒感を催し、こういう国で氷を口にするのは食あたりの原因になるかもしれないと、手が出なかった。ところが、しばらく住んでみると、皆おいしそうに食べているし、食あたりをしたという話を聞いたことがない。では、自分が入ったレイク・クラブのものは信じられるだろうと、それからこの社交クラブのアイス・カチャンを食べだした。

 すると、これがまた絶品で、トッピングにコーンが乗っているし、黒糖が掛けられていたり、中にマンゴーが入っているものもあり、それが美味しいのなんのって、すぐに虜になった。ただ、これは量が多い。急いで食べたりすると、日本のかき氷と同じで、頭の芯が痛くなる。だから、家内と二人で両側からつついて食べ崩すのがちょうど良い。そういうわけで、これが暑い熱帯の国で我々が暮らす楽しみの一つとなった。

 ところで今回、カンボジアでの仕事の帰りにマレーシアに立ち寄ったとき、泊まっているホテルのメニューの中に、そのアイス・カチャンを見つけた。あまりの懐かしさに、胸が一杯になった。このホテルなら、氷を食べても問題がないだろうと思い、ためらいなく注文した。かなり待たされた末、ようやく持ってきてもらったのが、冒頭の写真のアイス・カチャンである。カラフルな外観は、私の記憶のままである。スプーンを使って食べ始めると、誠に美味しい。どんどん食べていくと、現れる豆がピーナッツから小豆に変わったり、緑色のゼリー(チェンドル)が出てきたり、甘いシロップがいつの間にか黒糖味になったりと、その味や外観の千変万化の具合を楽しめた。しかも、ぬるいお湯も一緒に持ってきてくれたので、頭が痛くならなかった。なかなか、気が利いている。

 今回は仕事なので一人で来ざるを得なかったが、できれば、家内と一緒にこれを両側からつついて食べたかった。




(2016年2月11日記)


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徒然286.ある日見たら片目が真っ赤

点眼薬


 ある日の夕方、左眼のまぶたの裏に、何やらゴロゴロとした異物感がある。あれ、おかしいなと思いつつ鏡を見たら、真ん中の虹彩部分は普段のとおりだが、白眼(結膜)部分の両端に少し血管が浮き出て見える。別に痛くはないが、まぶたを開け閉めしてもゴロゴロ感は変わらない。ゴミでも入ったかと思った。それなら、涙で自然に出てくるだろう。それなら気にしても仕方がない。

 それから予定通り、夜の室内練習場でテニスをしてお風呂で汗を流し、家に帰って午後10時頃にまた、ふと眼を見たら、あらら、これは大変なことになっている。左眼が真っ赤ではないか。こんなことは初めてだ。少し痛くなってきて、眼を開けていられなくなった。でも、こんな時間では医者にかかることもできない。救急の夜間診療をお願いするほどでもないから、やむを得ない。今晩は寝ることにして、明日の朝、眼科に行くとしよう。そう思って布団に入った。それにしても、なぜこうなったのかとつらつら思って、考えついたのが、その前々日の出来事だ。

 その日は、晴天だったが、風の強い日だった。お昼に食事に出て、蕎麦を食べた。ところがまだ時間があったので、その辺を一周することにした。オフィスの周りを40分近く歩いたのだが、道路のアスファルト上に落ちた枯葉がバラバラになって、時折り風で巻き上がる。それが、眼に入りそうになって、眼を閉じたことがしばしばあったが、それかもしれない。

 翌朝、目ヤニがあって左眼が直ぐには開けられなくてまごついたが、恐る恐る眼を開くと、視野が普通でホッとした。近所の眼科医院に行って看護師に症状を伝えたら、それは、『はやり目』つまりアデノ・ウイルス性の結膜炎かもしれませんから、万一それだと人に移りやすいので、こちらへ来てください。」と、他の患者から隔離されてしまった。これは大事(おおごと)だ。もう、何ということだ。

 診察室に入って女医さんに診てもらった。まず、下まぶたを見て「アデノ・ウイルスならここにイボイボが出来るのですが、あなたの場合はそれがないので、普通の細菌によって引き起こされる結膜炎です。念のため、角膜を見ましょう。」といって診てもらったところ、眼を気にされてこすったせいか、少し傷ついていますね。これを修復するお薬もだしましょう。」ということで、次の2種類の点眼薬を処方された。

 第1は、クラビット点眼液 1.5%で、「細菌のDNA複製を阻害し、増殖を阻害することにより、抗菌作用を示す」とのこと。第2は、ヒアレイン点眼液 0.1%で、「ドライアイやコンタクトレンズに伴う眼の表面の傷を治す」という。私は点眼薬なるものを使ったことがなかったので知らなかったが、点眼するときには先端を眉毛に触れさせてはいけないそうだ。そこから細菌が入るからだという。

 この二つを点眼していたら、もう翌日の夜には赤い部分がごく薄くなり、更に一晩過ぎたらすっかり良くなったから、驚いた。その後、数日間ほど点眼を続けていて、何ともないので、止めることにした。病状が出るのは急だったが、治るのもあっという間で、晩秋の珍事だった。




(2015年12月15日記)


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徒然285.エコノミー症候群

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 最近、私の友人で、ちょっとした企業の社長さんをしている人が、10日間ほど入院してしまった。普段からスポーツマンで、病気などするような人ではないと思っていたので、意外な気がした。原因を聞いてみると、これまた、びっくりしたのである。

 我々の年代になると、歩くことが健康を保つポイントで、太り過ぎや糖尿病予防になる。彼は、毎朝、1時間ほど歩いて7,000歩ほど稼ぎ、その後の歩きを入れれば1日に1万歩を達成していた。これは標準的な目標で、私も毎日1万歩を目指しているのだけれど、残念ながら、ほとんどの日が、7〜8,000歩にとどまり、1万歩は月に数回しかないという体たらくだ。それに比べれば、彼は目標はクリアしている。

 だから、彼は健康を保っているはずなのだけど、最近どういうわけか、息が切れるようになったそうだ。たとえば、ゴルフに行って、ボールを打つ。そのボールが丘の上に行ってしまったら、それを追いかけて、坂を駆け上がる。そのとき、頂上に着いた途端に、息も絶え絶えになる。それだけでなく、オフィスで社長室から出て、2階上の会議室に階段を駆け上がって着いた途端、息が上がって一瞬発言ができなくなるそうだ。

 これはさすがにおかしい。心臓病ではないかと思って、その道の専門医に診てもらったそうだ。ところが、心臓には全く問題がない。太鼓判を押されてしまった。すると、循環器系かもしれないということになり、CTで肺を調べたところ、あった、あった。肺につながる血管が90%も閉塞していたそうだ。あともう少しで、肺塞栓となって危ないところだったらしい。その原因については、お医者さんが「もしかすると、あれかもしれない。」といって、両脚の血管を調べたところ、静脈に血栓ができていたという。つまり、エコノミー症候群だったのである。

 それで、お医者さんから、何か思い当たることはないかと聞かれ、「朝は1時間も歩いているから運動不足ということはないはずだし・・・でも、昼間は社長室にいるから動いていないといえばそうかもしれない。」というと、「どれくらい?」と聞かれ、「8時間くらいですかね。」答えた。すると、「それそれ、それが原因です。」と言われたそうだ。つまり、1日8時間、社長室で動かないでいたから、エコノミー症候群になってしまったというわけである。社長室でなるとは、なんとまあ、皮肉なことか。

 このままでは危ないというので、直ちに入院させられたそうな。切迫しているから、本来なら静脈フィルターで血栓が飛び散らないようにするところだけれど、血管の形がうまく合わないということでそれは断念し、代わりに血栓を溶かす薬を入れて、自然に溶解するのを待つことにしたそうだ。10日間の退院直後にまた調べたところ、90%の閉塞が40%に改善していたとのこと。思わね入院騒ぎだったが、それにしても、大事に至らなくて良かった。



(注) 最近、連日35度の猛暑日が続く中、家の近くのレストランまで歩いて行き、メニューを見たら、ふと「フルーツ氷」なるデザートが目にとまった。それが表紙の写真であるが、実はこれ、桃の味で、見た目も美味しそうなのだけれど、実際には、見た目どころか想像していたよりも、はるかに美味しかった。
(ちなみに、本文とは、何の関係もない。)





(2015年7月29日記)


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徒然284.箱根・山のホテルつつじ祭り

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 箱根の芦ノ湖畔に、山のホテル(小田急系)があり、そこの庭園でつつし・しゃくなげフェアが行われて観光客を惹きつけている。つまり、ちょうど躑躅と石楠花が満開なのだが、それと背景の富士山が同時に見られて、何とも美しい風景なのである。また、反対方向に目を転ずれば、ホテルの建物とともに芦ノ湖を一望することもできて、これまた美しい。躑躅は人の背丈以上にもなって、こんもりとしているし、石楠花も木の丈いっぱいに花を咲かせている。これは別格の庭園だと思ったら、それもそのはずで、岩崎家の別邸だったところで、明治の頃イギリスから苗を取り寄せたという。ホテルだけでなく庭園自体も、最近、改修されて歩き回りやすくなった。

 さて、また富士山と躑躅に話を戻すと、赤、白、ピンク、紫などの躑躅のこんもりとした木々に背景に白い雪を被った頂を見せる富士山は、何回見ても素晴らしい。加えて、視界の左手にある三本の木がまた、風景全体にアクセントを添えている。また、庭園の右奥に上がっていくと、たくさんの石楠花の木があって、これまた白、ピンク、紫などの花を咲かせている。それらに目を奪われていると、どこからか「ホーホケキョ」と鶯の鳴き声がして、何とも風情がある。しばし滞在し、お昼は和食処で食事を済ませた。それから、芦ノ湖畔の散策道を元箱根の方向へと歩いて行った。新緑の季節なので緑がまぶしいくらいである。箱根神社あたりで湖の方を見ると、遊覧船、特に海賊船が大忙しで、着いたと思ったらもう乗客を乗せて元来た航路を戻っていった。湖畔の料理屋兼休み処に入ると、お客の半分以上は欧米系の外国人で溢れ返っていた。でも、店員さんが片言の英語でちゃんと対応している。日本も、なかなか捨てたものではない。



















 山のホテルつつじ祭り(写 真)




(2015年5月17日記)


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