孔雀の舞う楽園

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 家内が「こんなのあるわよ。」と言って、「孔雀の舞う楽園」と題するパンフレットを持ってきた。上半分はタイ式の寺院、下半分はきらびやかな踊りである。「雲南省シーサンパンナの少数民族歌舞公演」とある。その裏には、このようなことが書かれている。

 「日中友好会館主催の『中国文化之日』は、中国各地の文化を日本に紹介することを目的とし、1990年より毎年秋に開催しています。29回目となる今年は雲南省シーサンパンナ(西双版納)タイ族自治州に暮らす少数民族の歌舞をご紹介します。

 雲南省最南端に位置するシーサンパンナには、中国唯一の熱帯雨林が広がり南国情緒が溢れています。楽園のようなこの地では、古くから多くの少数民族がそれぞれの文化を育み尊重し合いながら暮らしてきました。 本公演では、水のように柔らかいタイ族、炎のように情熱的なハニ族、お茶の栽培に長じるプーラン族等の歌舞を紹介します。煌々と輝くタイ族宮廷舞踊や無形文化遺産承継人による象脚鼓(象の脚の形をした太鼓)の演奏、華やかなファッション・ショー等、シーサンパンナの魅力がぎっしりと詰まった1時間をお楽しみください。」


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 私はたまたま、先月のチャイナ・フェスティバルで、中国北方の少数民族である黒竜江省同江市赫哲族の民族舞踊を見たばかりなものだから、今度は南方の少数民族かと思って興味がわき、俄然行く気になった。ただ、今回は「日中友好協会」と「雲南省シーサンパンナ・タイ族自治州文化と旅遊局」主催のちゃんとした舞台公演なので、気楽にカメラで写真を撮るというわけにはいかない。

 前売り券の価格はわずか千円で、インターネットを通じて購入し、セブンイレブンで券をもらった。比較的早く予約したから、席はB列と、2列目だった。雨のそぼ降る夕方だったが、金曜日の初回公演に日中友好会館に行ってみた。地下のホールである。椅子の上に置かれていたパンフレットを引用しながら、公演の様子を再現したい。

 まず、このパンフレットの表紙の写真を見ると、広がる青空に高く白い雲が散らばり、その下には長く伸びた椰子の木、タイ風の金ぴかの寺院があり、その前を日傘をさしたロングドレスの婦人たちがゆったりと歩いている。これはまさに、タイの風景である。

 プロローグは、ジノー族伝統楽器「奇科(キーカー)」。中国56番目の少数民族ジノー族の伝統楽器で、竹の半分以上を半割にして、そうした長さの違う竹を並べて木のバチで叩いて音を出す。もちろん素朴な音だが、昔は狩りに成功すると竹を叩いて村の仲間を呼び寄せて分け合った。そのときに獲物の大きさによって竹の音程を変えていたから、この楽器が生まれたという。

 最初は、「孔雀の舞」という女性群舞。いきなり、クライマックスを持ってきたようなもので、これは素晴らしい踊りだった。黄色い衣装を身に付けた女性の踊り手が、クルクルと舞いながら時々止まり、長いスカートの裾を持ち上げて片手を天に向けて指し伸ばしてポーズをとる。すると、実に優雅に見える。これを称して「孔雀はタイ族の幸福の象徴です。その美しい姿に誰もがシーサンパンナにあこがれを抱きます、高く舞い上がる孔雀はタイ族の向上心と情熱、よりよい生活を求める願いを表しています。」とある。ちなみに、これがインドであると衣装の色は間違いなく緑と青の孔雀色だが、そうしないで黄色にしたのは、いかにもタイ族らしいと思った。

 2番目の演目は、「鼓舞神(音偏に「均」の字の旁)」(グーウーシェンユン)という男性群舞。タイ族を象徴し、これなくしてタイ族の舞踊は成立しないとまで言われる「象脚鼓」(その形が象の脚に似ている)を駆使して、舞台狭しと叩いて踊り回る。その合間に蹴り飛ばす足、神経を使った指の動き、二本の剣のさばき方など、見どころが多い。こういうのを見ていると、タイ族は、南国の楽園でのんびりした民族というよりは、結構、剽悍な民だったのではないかと思う。また、そうでなければ東南アジアのタイからはるか離れて、こんな中国の一角にまで進出してくることはなかっただろうと思う。

 3番目は、「水の中のあなた」と題するタイ族の女性群舞。「タイ族は、古くから水と共に暮らし、綺麗好きな民族として有名です。また、水浴びを好み、『水のように柔らかい民族』や『水の民』などと言われています。穏やかで美しいタイ族女性の特徴が表れた舞踊です。」とあるが、女性たちが銀色の水の容器を持って、(表現はあまりよろしくないが、要は)くねくねと踊るものである。今、「くねくね」と表現したが、それが非常に優雅で、洗練されている。時々、観客に水を掛ける動作をする。そういえば、タイ歴で新年を迎える直前の毎年6月24日から、水掛け祭りが始まる。昔、悪魔を退治した時に水を使って穢れを取り除いたという言い伝えから、水を掛けたり浴びたりすると幸せになるそうだ。

 4番目は、タイ族の楽器「フルス」の独奏である。フルスは、雲南省に暮らす少数民族に伝わる楽器で、上は瓢箪そのもので、その下に2本の竹がぶら下がっていて、おそらくその効果で、音響が良くて、楽器の語源になっている通り、絹を震わすような繊細な音色が出ている。

 5番目は、「糸を紡ぐ娘たち」と題するハニ族の女性群舞。「ハニ族女性は、糸車などの機械を使わず手紡ぎで糸を作ります。糸車を使うと、糸紡ぎをする場所や時間が限定されるからです。彼女たちは、市場に行く途中などの時間を使い、歩きながらせっせと糸を紡ぎます。そんなハニ族の勤勉さや、明るく情熱的な民族性を表しています。」とのこと。だから、踊り手たちは、糸車を持って縦横無尽、かつ天衣無縫に踊っていた。また、ミニスカート姿だったが、これは、狭い棚田でも動ける機能的なスタイルらしい。

 6番目は、「水を汲む娘」と題するタイ族の女性独舞。「タイ族の人々は水に対して特別な思いを持っています。水はタイ族文化の源だからです。娘が一人、水辺で踊っています。そのたおやかで美しい姿は、母なる河の優しさを思い起こさせます。演者の王叫国は、2016年水掛け祭りの『美少女コンテスト』でグランプリを獲得しました。」とのこと。手脚の長い痩せ型の美しい女の子が、銀色の水の容器を持ち、まるでそれをボールのように使った新体操のごとく演じる。それに、タイ舞踊独特の手の繊細な動きが加わって、なかなか良かった。

 7番目は、「長甲舞(チャンジャーウー)」と題するタイ族の宮廷舞踊。「タイ族の信仰する上座部仏教(小乗仏教)では、古来より黄金の長い付け爪を装着した女性が、宮廷の祭典で舞踊を披露してきました。黄金に輝く艶やかな姿に美しい音の調べ。古来より今に伝わる悠久の文化です。」とある。1番目の「孔雀の舞」が優雅そのものであるのに対し、この「長甲舞」は、宮廷の舞らしく、まさに豪華絢爛という名にふさわしい。黄金色の衣装に冠を身に付け、黄金の長い付け爪が微妙に動いて、実に繊細な踊りである。これを見ただけでも、今日は来た甲斐があったというものだ。

 8番目は、タイ族伝統武術で、拳法、剣術、象脚鼓舞である。なかなか勇壮な踊りだった。しかも驚いたのは無形文化遺産承継人で、一見若々しいが、56歳とのことで、既に17歳の時から弟子をとって名人の道を歩んできたとのこと。

 9番目は、プーラン族の歌舞「祝福」で、「プーラン族は長い歴史を持つ少数民族です。独自の言葉、服装、歌や踊り、習慣を現在まで口承により伝えてきました。『歌で気持ちを伝える民族』と言われるプーラン族の明るく軽快な音楽をお楽しみください。」とのこと。惜しむらくは、少しでも、個々の歌詞の意味がわかればなと思った。

 10番目は、タイ族の演唱「章(口偏に合旁)」(ジャンハー)で、「ジャンハーという言葉には『歌手』又は『曲芸表現の一つ』という意味があり、タイ族の人々にとって欠かすことのできない娯楽の一つ」という。旋律があるというよりは、詩の読み上げのようである。


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 エピローグは、少数民族衣装ファッションショーで、シーサンパンナで暮らす13の少数民族のそれぞれの民族衣装の違いがよくわかった。要は、お互いに、全然違うのである。相互に影響を受けたという形跡もない。むしろ、独自性を更に強めた感がある。

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 さて、公演が終わり、会場出口で、出演者と観客が触れ合う場が設けられた。出演者の皆さんは、やはりその道のプロらしく、笑顔を絶やさず、サービスに努めてくれていた。





(2019年10月18日記)


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徒然303.湯島梅園の鴨鍋

湯島梅園


 夕方、会食があって湯島の料理屋「梅園」に出かけた。自宅から歩いて行ける距離だが、この日の気温は日中36度、夜になっても30度近くと、尋常ならざる暑さだ。来年のこの時期は東京オリンピックが開かれているので、来年もこんな調子では日射病と熱射病で倒れる人が続出しないかと心配になる。本日の料理屋は、歩いて20分で行けるとはいえ、着いて汗だくになっているのも困るので、わずか一駅だが地下鉄に乗り、湯島駅で降りて坂を上って行った。

 「梅園」は、同じく鳥料理屋の「鳥よし」の陰にあるし、駐車場の脇にあるから、一見すると非常にわかりにくい。ただ、玄関は、なかなか趣きがある。昭和51年の創業だそうだ。さっそく、名物の鴨鍋コースを注文する。すると、醤油味か塩味かと聞かれた。私は、さっぱりした塩味も悪くないと思うのだが、若い人は醤油味が良いと思って、それを注文した。


湯島梅園の鴨鍋の始まり



 お通しとか色々と出てきた後に、メインの鴨鍋として持ってこられたのが、次の鍋だ。あまりのユニークさに、一瞬ギョっとする。よく見ると、こんもりと鴨が盛り付けてあって、真ん中からエノキ茸が傘のように四方八方に広がる面白い造形だ。うーんと唸るしかない。これこそ奇観と言って良い。これでは鴨肉が煮えないではないかと思うのだけど、実は小山の中心がキャベツで出来ていて、煮え立ってくるにつれて高さが低くなってくる。その間、2回ほどご主人がやってきて、鴨肉と野菜の小山をときほぐす。そうすると、次のような普通の鍋になる。それを取り分けて、美味しくいただいた。鴨肉だからいささか脂っぽいが、栄養満点だ。鍋は冬という先入観念があったが、この暑さでこういう物を食べると、夏バテ防止になる。

湯島梅園の鴨鍋の食べごろ







(2019年8月2日記)


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徒然302.東京五輪のチケット落選

全て落選


 東京オリンピック2020のチケット21枚、10セッションを申し込んだが、何とまあ全て落選し、全滅してしまった。

 5月24日に申し込んだのだが、その時はどの競技をいつ申し込むかとかなり綿密に検討した。その結果、確率を上げるために平日の予選を中心とし、また暑いのでなるべく室内競技とすることにした。もちろん、室外であってもどうしても見たい競技や行事、例えば、開会式、閉会式、サッカー、テニスは、例外的に申し込むことにした。それから、日時が重複してはいけないので、その点も抜かりなく考えて、上記の競技に加え、新体操、体操競技、水泳(アーティスティックスイミング)、バスケットボール、トランポリンを申し込んだ。合計10セッションの21席である。申し込んだときは、「これが全部当選すると何十万円か支払わなければならなくて困るが、まずそういうことはないだろう。しかし、本当に当たったら困るから、申し込むなら10競技で十分だ。」と思っていた。


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 ところが、その見通しは甘かった。抽選結果が発表される本日の早朝、待ちきれずに東京2020組織委員会のサイトを覗いてみた。私の前に百数十万人もいる。それでも辛抱強く2時間近く待ってやっと私のマイページを確認したら、なんとまあ・・・10競技全部が「落選」となっている。

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 引き続き組織委員会から来たメールは、次のようなものだった。

 「東京2020オリンピック観戦チケットの抽選に申込いただきありがとうございます。厳正なる抽選を行いました結果、誠に残念ながら、申込いただいたチケットをご用意することができませんでした。

【今後の東京2020観戦チケットの販売について】
 東京2020組織委員会では、東京2020オリンピック・パラリンピック観戦チケットの販売を今後も予定しております。詳細が決まり次第、東京2020公式チケット販売サイト等でご案内いたさせていただく予定です。」


 いや、それにしても全部が落選するとは思いもしなかった。こんなことなら、100競技くらいを申し込めばよかったと反省している。

 なお、本日付けの朝日新聞夕刊にも私と同じように全滅した人が載っていた。この人は都内のIT会社経営サイトの経営者で、60枚申し込んだのだが、その全ての「落選」を確認した。独自の試算で、当選確率は1ないし2%と見込んでいたという。

 これから、今年の秋には先着順の販売があり、来年春にもチケット発売所が都内にできるし、リセールのサイトもあるそうだから、これらのチャンスに掛けてみたい。




 申し込んでいた競技(全て落選)

申し込んでいた競技(全て落選)






(2019年6月20日記)


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徒然301.いまどきのチューリップは凄い

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 立川の国営昭和記念公園でチューリップ(242品種、22万球)が満開と聞いて、カメラを片手に出掛けて行った。西立川口から入ったところ、チューリップはそこからさほど遠くない「渓流広場」の周辺に植えてあった。

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 まずもって、その高度な展示の技術に感心した。ともかく、池の周辺の芝生の傾斜地のあちこちに設えてある花壇は、チューリップの美しさを余すことなく伝えている。同じ色と同じ種類が、帯状に、あるいは半月状にと幾何学模様を描いて植えてあるので、その整然とした美しさがまず頭に入る。しかも花の色自体が、赤色、黄色、オレンジ色、濃い紫色、白色、ピンク色、それらが混ざった色などと実に様々であるのに加えて、基調は原色そのものなのでくっきりと印象に残る。池に近い花壇だと、それらが池面に反射して本当に綺麗だ。見ていると、うっとりする。

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 それだけでなく、近づいて一つ一つの花を見ていくと、これがまた「すごい」の一言だ。チューリップといえば昔は丸い卵型と決まっていて、それが花弁を開いてしまうと、もう盛りを過ぎたと思われたものだ。ところが、今は花の造りからして全く異なる。昔のような一重の花はもちろんあるが、それだけでなく八重桜のような八重咲きの花もある。これなどは、まるで牡丹かベゴニアのようで「あなた、本当にチューリップか?」と聞きたくなるほどだ。また、花弁自体が長い三角形の花もあるし、それどころか花弁の周囲がフリルのようになっている花すらある。これはフリンジ咲きというらしいが、私は初めて見た。加えて、一部の花に近づくと、良い香りがする。ややくどいほどだ。チューリップはもともと百合の仲間の花なので、さもありなんという気がする。

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 ということで、チューリップを撮りに撮っていると、さすがに飽きてきた。そこで、チューリップ以外の花に目をやると、ムスカリという青い葡萄の房のような花があった。なかなか可憐な佇まいを見せている。チューリップには青い色はないので、ムスカリの花がチューリップの中に混じると、ちょうどいいアクセントになる。

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 それから、別の場所だが、青いネモフィラの花があった。ただ、未だ満開ではないようで、花はまだ疎らではあるが、もう少し経ったら、国営ひたち海浜公園のようになっているかもしれない。国営ひたち海浜公園ネモフィラの写真を見ると、なだらかに続く丘という丘がネモフィラの青い色に染まり、青い空の色と見分けがつかないほどだ。撮り終わったので、ネモフィラの丘から離れようとしたら、ウェディング・ドレス姿の新婦が、新郎と並んでネモフィラの花に囲まれて記念写真を撮っていた。こんな所でという気がしたが、話す言葉は中国語だったので、中国から観光で来たカップルらしい。これを機会に、日本贔屓になってくれると良いのだがと思った次第である。






 昭和記念公園のチューリップ(写 真)






(2019年4月21日記)


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徒然300.平成から令和の時代へ

新しい元号「令和」



 平成に代わる新しい元号が「令和」に決まり、2019年4月1日午前11時半過ぎに政府から発表された。5月1日の新天皇の即位の日から施行される。大化改新の大化以来、令和は248番目の元号だそうだ。元号はこれまで中国の漢籍からとられていたが、今回初めて、日本の古典である万葉集からとられ、お陰で本屋から万葉集の普及本が売り切れてなくなった。

 「令和」の出典となったのは、万葉集の梅花の歌三十二首である。8世紀、大伴旅人が太宰府の長官として赴任していたときのこと、正月に仲間を館に招いて梅花の宴を催したときの「序」で、 「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」 のうち、前半の令月と風和からとったものだという。

 辞典を引くと、「令月」とは、「何をするにもよい月、めでたい月、よい月」とあるから、「令」はとても良きイメージがあるポジティブな漢字とのこと。そういえば、深窓の嬢、夫人という言葉もあるくらいだ。ところが、「令」には命令、法令という意味もある。一般には、こちらの意味がよく知られているから、今回の元号の発表に際して街頭のテレビインタビューで初めて「令和」と聞かされた小学校高学年の男の子が「命令されるようで、イヤだ。」という感想を述べたのも、また宜なるかなと思う。

 しかしながら、まあ、「令和」、「令和」、「令和」・・・と、何回か口ずさんでいると、最初はそういう違和感が例えあったとしても、いつの間にか薄れて馴染んでいくものである。ちなみに書家によれば、「令」の字の下半分の縦棒は真下に下ろしてもよいし、あるいは「マ」の字のように左上から右下へ「チョン」と書いてもよいという。そういう変幻自在さも気に入った。


「令」をいかように書いても結構



 ちなみに私は、昭和、平成、令和の3つの時代を生き抜くことになる。いやもう、歳をとるわけだ。ともあれ、来るべき令和がよい時代でありますようにと願いつつ、新元号の誕生と新天皇の御即位を心からお祝いしたい。






【後日談 1】 画竜点睛を欠く

 4月2日の朝日新聞によれば、「外務省は、新元号を決定した直後、政府が承認している195カ国・国際機関に対して、新しい元号が「令和(REIWA)」に決まったことをファクスで一斉に通知した。その通知では、平成への改元時と同じ表現を用いて、英語で「the new Japanese Era(新しい日本の元号)」「令和」と決まったことを伝えた」そうで、今後外交ルートを通じ、元号の意味も説明していくという。

 ところが、この通知で新元号の英語の意味を書かなかったことが無用な混乱を招いたようで、一部の海外通信社の報道では、「「令和」「order and peace」(命令と平和)と訳されてしまった。そこで外務省は、「令和」「beautiful harmony」(美しい調和)を意味すると発表したが、時既に遅しの感が拭えない。せっかく対内的には完璧とも言える新元号の選定と公表のプロセスだったのに、対外的には気が回らなかったのか、いささか画竜点睛を欠くことになってしまった。

「令和」の公定英訳は「order of peace」ではなく「beautiful harmony」


 将来への教訓として、この問題を振り返ってみたい。先の記事からすると、「平成への改元時と同じ表現を用いて」とあるように、平成の時の前例を踏襲し昔の発表文をそのまま引っ張り出して「令和」に置き換えただけのように思える。それに、「今後外交ルートを通じ、元号の意味も説明していく」とあるので、外務省の念頭には、広報対象として外交ルートしかなかったようだ。

 確かに平成の年号が決まった31年前は今ほど通信やネットが発達していなかったから、広報はそれこそ「のんびりと」やっていても別に不都合はなかったのかもしれない。ところが今は、SNSなどを通じて、どんな些細なことでもあっという間に全世界に情報が伝わり、しばしば「炎上」事件が起こる時代である。あらゆる場面を想定して、慎重に対応しなければならない。加えて今回は、本文で述べた小学校高学年の男の子が感じたように、「令」という命令をも意味する文字がたまたま含まれていたのが、要らぬ誤解を招く元となった。

 逆に言えば、前例にそのまま従うのではなく、しっかり自らの頭を使って小学校高学年の男の子でも思い付くようなことまでを思い付き、それで対処すべきだったということになるのかもしれない・・・いや、確かにそうなのかもしれないが、これはこれで、そう容易なことではない。いずれにせよ、広報というのは、結構、頭と気を使う仕事なのである。内閣官房にはそういう人材が数多いるはずなのだけれど、ただ今回は、発表前に新元号が漏れないよう「保秘」があまりにも徹底してされていたので、新元号の英語の意味まで検討する時間と人手が足りなかったというのが本当のところだと思う。完璧さが、かえって抜かりを呼んだという皮肉な例かもしれない。もって他山の石としたい。



【後日談 2】 「霊」と「令」

 新元号「令和」が広がるにつれ、各メディアに興味深い記事が見受けられるようになった。先日、これは面白いと思ったのは、日経新聞(4月7日朝刊文化欄)に漢字学者の阿辻哲次さんが書かれた「すばらしきかな『令』」と題する記事である。それには、「令」の語源について、要約すると次のように書かれていた。

 「『壺坂霊験記』という浄瑠璃があったり、敬虔な信仰に対して神仏が示す不思議な験(あかし)を『霊験』といったり、また『霊峰』や『霊薬』ということばがあるように、『霊』という漢字には『はかりしれないほど不思議な』とか『神々しい』『とても素晴らしい』という意味がある。

 しかし『霊』の旧字体である『靈』は二十四画もあって、書くのがはなはだ面倒だ。それで早い時代から、『靈』と同じ発音で、ずっと簡単に書ける『令』があて字として使われた。こうして『令』に『よい・すばらしい』という意味が備わり、やがて『令嬢』とか『令息』といういい方ができた。」


 これを読んで、大いに納得した。専門家の知識は、なるほど大したものである。しかし、それに続いて、「友人夫婦が結婚披露宴にまねかれたところ、奥さんが指定された席に『令夫人』と書かれたカードが置いてあった。そのカードをしばらく見ていたわが友は、『そうか、いつもおれに命令ばかりしているから、女房を『令夫人』というのか』とさとったという。まことにユニークで秀逸なこの解釈を掲載する辞書は、どこかにないものか。」という冗談には、笑ってしまった。してみると、4月1日のエイプリルフールの日に流された本文中の外国通信社の誤訳は、あれはジョークだと受け流すべきだったのかもしれない。

 かくして、いよいよ令和元年5月1日を迎える。その字義通り、とても素晴らしく、全てが調和に満ち満ちた平和な時代になるように、心から願っている。そういえば、私は本年、第二の退職を迎えるが、引き続き法曹の一員として会社、知財、行政法などの分野を中心に仕事を続け、社会に貢献していきたいと思っている。







(2019年4月1日記。3日及び18日追加)


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徒然299.青い種なんて初めて

板橋熱帯環境植物館にて


 板橋熱帯環境植物館で見かけたこの真っ青の物体は、実は植物の種である。如何にも人が着色したのではないかと思えるほど鮮やかな青なので、その正体を聞いたら、誰もが驚くだろう。しかも、その植物というのは、私の好きな木だというから、また驚いてしまった。

 というのは、私はシンガポールにはもう何十回も旅したことがあるが、その最初の頃に由緒あるホテルを試そうとして、ラッフルズホテルに泊まってみたことがある。これは、19世紀初頭にシンガポールを創設したイギリス人の名を冠したクラシックなホテルである。今はもう建て替えられて以前の面影はないが、私が泊まった頃は昔ながらのコロニアル風の風情ある建物であった。

 ホテルに着いてみて、いたく気に入ったのは、その正面に植えてあった「旅人の木(学名:Ravenala madagascariensis)」である。全体は、扇を展開したというか、孔雀がその羽を広げたような形をしている。構成する葉は、一本一本が、まるで櫂のような形をしていて実に美しい。下の写真は、先月たまたま訪問したベトナムのホイアンのものであるが、このベトナム独特のランタンを除いて考えると、私が見たラッフルズ・ホテルの旅人の木は、まあこういう雰囲気であった。


ベトナムのホイアンにて


 下の写真は、新宿御苑の大温室の中にある旅人の木である。東京で旅人の木を見るには、これが最も見に行きやすいところにあると思う。ただし、この木を人の手のひら(パーム)に例えるとすると、パームの開き方がまだまだ足りない。本来ならこんな程度ではなく、少なくとも上の写真の程度には、左右に大きく広がるはずである。

新宿御苑の大温室の中にある旅人の木


 熱帯の植物の中では、蘭(カトレア、パフィオペディラムなど。次の写真)、睡蓮、ハイビスカス、ブーゲンビリア、ヘリコニア、アンスリウムなど色鮮やかな花が多くて、私はいずれも大好きだが、花ではなくて植物そのものの姿の美しさとしては、この旅人の木に勝るものはないと思っている。

カトレア


パフィオペディラム


 ちなみに、なぜ旅人の木(Traveler's Palm)というのかと現地の人に聞いたら、(第1説)喉が渇いた旅人が、この木を見つけてその幹に傷を付けてそこから湧き出る水が飲めるからだという人が多かったが、そうではなくて(第2説)この木の扇は東西に広がるので方向がわかるからだという人も僅かながらいた。でも、近接したところにあった数本を私がじっくり観察したところでは、かならずしも扇の方向が一致しているとは思えなかった。だから、第1説が有力だと考えている。

夢の島熱帯植物園にて


 その旅人の木の種がこの青いものというのも、なかなか信じ難い話ではあるが、インターネットを見ると、現にこの種を植えていたのだから、間違いない。それにしても、どこが原産地なのだろうかと思ったら、学名に現れている通り、マダガスカルだった。マダガスカル島はインド大陸とアフリカ大陸に挟まれていた部分が恐竜の絶滅の頃に分離して、今に至っている。だから、動物ではキツネザル、植物ではバオバブの木など、他に類を見ないものが多い。旅人の木も、そういうものだったのだろう。それにしても、青い種とは、変わっている。

夢の島熱帯植物園にて










 板橋熱帯環境植物館( 写 真 )


(2019年1月14日記)


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徒然298.土壌汚染対策

土壌汚染対策の講義


 私の出身高校は名古屋にあるのだけど、進学校だったせいか、東京の大学を出てそのまま東京の会社などに勤めて首都圏に在住の人が多い。別に統計があるわけではないが、実感として私のクラスの少なくとも3分の1は東京在住であろうと思う。名古屋に残ったクラスメートも、一番多いのは医者、その他地元企業であるJR東海やトヨタ系列の会社員、それから家業を継いだ人、大学や高校の教員などが目立っている。

 そのせいか、同窓会活動、特に生涯学習に対する意識が高くて、単に寄り集まる会合を開くだけでなく、名古屋と東京の2箇所で、それぞれ毎月の講演会を開いている。講師はもちろん、同窓生の手弁当であり、東大の教授、経験豊かな医者、金融の専門家、中央省庁事務次官、豪華客船の船長、著名な版画家までバラエティに富んでいて、それはもうありとあらゆる話が聞け、こんな有益な会はないと思っている。しかも講演の内容は、後日、同窓会報にも載せられるので助かる。かくして私も、東京と名古屋で1回ずつ、講師として話をさせてもらったことがある。

 というのが前置きであるが、先日は土壌汚染対策の話を聴きにいった。講師の方は、高校の期を聞いてみると、私より15年も若かった。いや、講師が若いというより、私の方が歳をとっているのかもしれない。現に、当日の20人余りの聴衆の中では、私が最年長だったようだ。

 本日の講師は、原子力工学を専攻した後、大手のゼネコンに長年勤めて、途中から土壌汚染対策の会社の設立に関わって、それ以来の専門家らしい。日本で、土壌汚染対策法が成立したのは平成14年であり、爾来、この種の専門処理会社ができて育っていったようだ。実は、私は、たまたまこの法律が生まれるときに関わったことがあるので、その後この法律がどのように世の中の役に立ち、育てられてきているかを知りたくて、この講演会に臨んだというわけである。ちょうど、かつての教え子が、どういう風に活躍しているのか知りたいというような気持ちである。

 講師が、分かりやすく説明するという配慮であろうが、いくつか実例を挙げていた。その一つの例として、大阪の国有地払下げに際してゴミが見つかったために値引きを余儀なくされた案件についての説明には驚いた。なぜかというと、その土地の来歴に関する徹底的なデータベースを持っていて、それでゴミの由来を完璧に追跡していたからである。

 例えば、現在の衛星写真を元に、当該土地にゴミが埋められていた場所を特定して、そこを黄色い線で囲う。そのすぐ北には隣接するように道路が走っていて、その外側には住宅などが密集している。南側もそういう住宅密集地だ。次に画面が変わって、今から20年前のその場所の航空写真を示す。道路はまだなかったように思う。黄色い一画の南の方にはポツポツと建物があるが、その北には、広大な田圃が広がっている。更に40年前の航空写真には、黄色い一角は川のような水路の一部となっている。北は田圃のままで、南の方にも建物はほとんどない。もっと遡ると昭和30年代の地図がでてきて、その水路は、その辺り一帯の田圃を大きく四角に取り囲む運河の南の一片だったことが見てとれる。

(注)以上の数字は、単に模式的に示したものに過ぎず、正確なものではない。

 また別の文献から、この辺りは洪水がよく起こったので、この運河は田圃を守るために建設された。ところが、やがて暴れ川の治水が功を奏したことから不要になった。そこで次第に埋め立てられていき、南の一辺つまり黄色い一角があるところが運河の一部として最後まで残っていたが、それもやがて埋め立てられたということがわかった。要するに問題のゴミは、その埋め立てがゴミによって行われたから、今に至るまでそのまま残存していたのであった。それが危険なものかどうかは、ゴミのサンプルを取って分析すればわかるという。

 ついでに言えば、日本の土壌汚染の種類には、重金属、農薬、その他化学物質、放射能があるとのこと。これらは、その土地の来歴を地図(衛星写真、航空写真を含む)と文献で追跡すれば、かなりのことがわかるという。しかも、そのデータベース化がほぼ終わっているらしい。なるほど、高度情報化社会らしくなってきた。これからは、土地を買う前に、こういう会社に相談して、その土地の来歴を徹底的に調べておくべきだと思ったし、現にそういう受注案件が増えているという。

 土壌汚染の場合の対策は、要はその汚染土を剥ぎ取って、そのために凹んだ所に新しい土を運び込んで入れ替えるということらしい。最後に、東京電力の福島第一原子力発電所の事故で飛び散った放射能を帯びた汚染物質の処理について話をされた。セシウムなどのこうした汚染物質は土地の表層に溜まるので、汚染が酷いところではそれを剥ぎ取って一箇所に集める。そうでもないところではお好み焼きをひっくり返すように、土地の上の汚染された土と内部の汚染されていない土との「天地返し」をするということをやっているという。

 説明を聴いて、私は疑問に思ったことを一つ質問した。「放射能以外の普通の土壌汚染の場合、土壌汚染対策で剥ぎ取った表層の土は、そのあと、どのように処理されるのですか。」てっきり、専用の処理施設で無害化された後、人里離れた産業廃棄物処理施設で永遠の眠りについているものと思い込んでいたが、そういう施設のことなど全く聞いたことがないと気がついたので、質問したわけである。ところが、これに対して返ってきた答えには驚いた。

 何と、セメントの原料にしてしまうのである。確かに、セメント協会のHPによれば「 セメント1tの製造に必要な原料は、おおよそ石灰石1,100kg、粘土200kg、その他原料100〜200kgです。セメントの主要成分(CaO、Al2O3、SiO2、Fe2O3)を含む物質は、原料として使用可能なことから、製鉄所からの副産物である高炉スラグ、石炭火力発電所の石炭灰や、各種の廃棄物の有効利用を進めており、その量は約2,900万t/年にも及びます。これら多種多様な副産物、廃棄物を使いこなしながら、安定した品質のセメントを生産することはやさしい技術ではありません。設備の改善、運転管理技術の向上を中心にたゆまぬ努力を続けています。」とある。汚染土は、このうちの「粘土」になるという。

 そうすると、製品として出来あがったセメントも、原料と同様に、これまた汚染されているのではないかと思うところである。しかし講師の説明は、セメント原料に占める粘土の割合は重量換算で15%にとどまるし、その全部が汚染物質ではないのはもちろんであるから、要は、希釈されてしまうという意味で無害なものとなるというのが、本当のところらしい。もちろん、出来上がったセメントの品質検査をして、無害なものかどうかを確認しているそうだ。いずれにせよ、建物のコンクリートは我々が日々目にするものであるけれども、その一部に、まさかそうした汚染土が堂々と使われているなどということは、およそ考えもつかなかった。


【後日談】

 12月中旬、発売されたばかりの週間新潮(12月20日号)のページをめくっていると、「セメントが日本を救う」という一般社団法人セメント協会の広告があった。その中に張られていたネット検索をたどっていくと、村岡嗣政 山口県知事と山本謙セメント協会副会長(宇部興産株式会社 代表取締役社長)との間で、次のような対談があった。

 村岡知事「・・・直近の国の調査では、平成27年度に 発生した廃棄物等が5億6千万トンあり、そのうち45%の2億5千万トンが循環利用されているということです。その循環利用量の約3分の1をセメント産業と、製紙産業 、鉄鋼業が担っていますが、例えば製紙業では紙屑を再利用する、鉄鋼業では金属屑を再資源化するのに対し、セメント産業は、燃え殻とか、鉱滓とか、汚泥とか多様な廃棄物を再資源化することができる。セメント産業は循環型社会を形成していくうえで不可欠な産業であると言って良いでしょう。・・・

 山本副会長「・・・セメント産業は今や資源循環型社会を根本から支えている産業だと自負しています。セメントの場合は廃棄物の利用法が二つあります。 一つは焼却灰のようなものを、副原料、すなわち通常使う粘土とか珪石の代わりにできます。もう一つは、摂氏1450度もの高い温度で焼成しますので、その熱源の一部として廃タイヤや廃プラスチックなどを使う場合があります。さらに大きな特徴はセメントを作るときに、二次廃棄物をほとんど出さないことです。ここがほかの産業と違うところです。全国のセメント工場で年間約2800万トンの廃棄物、副産物の受け入れをしており、現在1トンのセメントを作るのに471キログラムの廃棄物を使っています。環境省の統計では、 廃棄物の最終処分場の余命があと約16年となっていますが、もしセメント工場が廃棄物の受け入れをやめてしまったら、セメント協会の試算では10年くらい寿命が縮まり、処分場の余命はあと5年か6年です。我々の貢献度は大きいと思っています。・・・

 知事がこんな専門的で細かいことまでご存知なのだろうかと思わないわけでもなかったが、元々ご関心があったのか、あるいは地元の有力な立地産業のことなので折に触れてお聞きになっていたのか、それとも、セメント協会の脚色が強すぎたのかもしれない。いずれにせよ、なるほどそういうものなのかと、セメント産業に関する認識を新たにした。






(2018年12月11日記)


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徒然297.「bed」の意味

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1. 私は、今年の夏は、東南アジアに滞在している。友達と会い、ドリアンと美味しい中華料理を味わい、少し贅沢なホテル・ライフを楽しむためである。現地でタクシーに乗ってよもやま話をしていたら、私のことを「日本人か?」と聞くので、「そうだ。」と答えると、笑いながらこんな話をしてくれた。シンガポールのチャンギ空港から市内に向かうタクシーの運転手仲間の間で、近頃こういう小話が交わされているそうだ。

 あるとき、妙齢の日本人女性が、空港からタクシーに乗り込んだ。そして、いきなり曰く「I want to go to bed.」

 その運転手は、心底たまげて「be...bed?」と聞き返したそうだ。するとその女性は、「Yeah! I wanna bed.」という。運転手は、まさかと思ってバックミラー越しにその女性を見ると、多少の怒りが加わってか、妙に色っぽく見えた。

 運転手は、あるいは本当かと思うようにもなったが、やはりまさかと思って、「Which hotel are you going?」と聞くと、ますますご機嫌を損ねたようで、「I said “bed”.」と言われてしまった。

 いや、これは困ったと思った運転手は、地図はあるかと尋ねたら、ハンドバックの中を探し始めた。しばらく経って、クシャクシャになった紙を出してきた。それにはシンガポールの地図が描かれていて、「Bedok(ベドック)」に、赤い丸が打たれていたそうな。


 ちなみに、ベドックは、チャンギ空港からほど近いところで、大型ショッピングモールや駐在員用のコンドミニアムが多くあるベッドタウンである。元は、水源地があったところだ。全く知らない人のこととはいえ、同胞の話であるから、顔が赤くなる思いであるが、英語の発音には気をつける必要があるという一例である。

2. 話は変わるが、昔々、やはり「bed」の話で、赤面したことがある。職場関係の研修所で、夜間に泊まり込んで、英語の授業を受ける機会に恵まれた。受講生は男女を交えて10人ほどで、講師はやや皮肉屋のイギリス人である。

 その晩の授業が終わり、まず、男性の受講生が立ち上がり、礼を言って教室から出ようとした。次に女性の受講生も同じようにしたので、講師が、「これからどうするの?」と気楽に尋ねた。

するとその女性は、「I’m going to bed. 」と答えたので、私は「ああ、教科書通り言ってしまった。」と、恥ずかしくなった。講師の方を見ると、これまたびっくりしたようで、固まっている。後から聞いてみると、やはり「この二人は出来ているのか」と思ったそうだ。

 確かに我々が中学生の頃に習った英語の教科書には、「I’m going to bed. 」というのは、単に「これから部屋で寝ます。」という程度の意味しかなかった。しかしその表現が確立してから時が経ち、話すシチュエーションによっては、そんな単純な意味ではなくなったのである。

3. また話は変わるが、同じようなことが、私が高校時代に習った「土砂降りの雨」を表す「It rains cats and dogs.」という表現にも見受けられる。その時は、「猫や犬がなんで土砂降りと関係あるんだ?」と思わないわけでもなかったが、何しろ教科書にも載っている表現だからと丸暗記した。

 ところが、今時、アメリカ人にこんな表現を言っても、ポカンとするばかりである。それもそのはずで、これはアメリカ開拓時代の言い方なのである。当時のアメリカでは、屋根は粗末な板敷で、天井には家畜の餌の藁が置いてあり、しばしばそこに犬や猫が隠れていた。それが、大雨が降って屋根板に激しく打ち付けると、びっくりして天井から落ちて来たそうな。だから、こういう表現が出来たそうだ。

 そういうわけで、言葉というのは、そのときの時代背景や人々の感覚によって、いかようにでも変化していくものである。だから私も、「聞くのは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥」という精神で、これからも英語に立ち向かっていきたい。





(2018年8月22日記)


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徒然296.保活の苦労

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 就職しようとするときは「就活」、それが終わって良い縁に恵まれて結婚しようとするときは「婚活」、結婚したのになかなか赤ちゃんに恵まれないときは「妊活」、無事に生まれて子供を育てるときに直面するのが預かってくれる保育園探しで、これを「保活」というそうだ。それぞれが人生の一大イベントであり、どのハードルも上手くいくように願いたいところだが、そう思う通りにはいかないのが人生の常である。私の周囲でも、「妊活」に励んだがとうとう成功しなかったとか、あるいは「保活」には本当に苦労したという話を聞く。

 「妊活」は、所詮はコウノトリの気まぐれなので、努力しても功を奏しなかったら、私などは養子で良いと考える方だ。外国とりわけアメリカなどではそれがごく普通の考え方なのだけれど、日本では養子という選択肢を選ぶ人は極めて限られていて、むしろ夫婦2人だけの生活を選ぶカップルが圧倒的に多いと思う。なぜなのだろう。確かに子育ては大変だが、同時に夫婦揃ってやり甲斐があるし、自ら人間的にも成長するのにと、私などは残念に思うところである。まあしかし、そのカップルの人生の選択だから、外野からどうこう言うべきものではない。

 「保活」は、女性の社会進出に伴って、この十数年、特に深刻になってきた問題である。昔のようにおじいちゃん、おばあちゃん、他の兄弟、果ては未婚のおじさん、おばさんなどが同居していると、子供の世話は、誰か手の空いた人が見てくれた。ところが私が社会に出た頃から、そうした大家族主義が崩れて核家族化が進み、夫婦2人だけが子供の面倒をみる体制が一般化した。奥さんが専業主婦ならそれで良かったが、立派な仕事をしていると、頼りにするのは遠くにいるおじいちゃん、おばあちゃんか、あるいは近くの保育園か、ということになる。

 我々夫婦の場合は、娘一家がある日突然、同じマンションに越してきて、当時4歳になったばかりの初孫ちゃんの面倒をみる羽目になった。我々夫婦は体力的には疲れたものの、代わりに初孫ちゃんから元気をもらい、その成長を日々見守る幸せを感じることができた。しかし、こういう言わば恵まれたケースは例外的で、一般の方は近くの保育園だけが頼みの綱なのだろうと思う。それも、たった一本の綱なのである。ところが、それが希望者殺到で、なかなか入れないので、今や大きな社会問題となっている。

 最近、その「保活」で、とても興味深い話を聞いた。ある専門職の女性で、3年前に研究職の夫を東京に残して、5歳と0歳の子供2人を連れて関西に赴任したそうだ。そのときは産休明けなので、保育園に入る優先順位が高かったことから、何も苦労することなく、近くの公立保育園にすんなりと入れた。ところが昨年秋になって、再び東京に転勤で戻ってくることになった。人口が伸びている東京は、ただでさえ保育園の激戦区であるし、それだけでなく前回あった産休明けという錦の御旗もなくなってしまった。

 しかし、後顧の憂いなく自分の仕事に専念したい。そこで、関西にいながら、東京23区と周辺都市の情報を全部取り寄せて、待機児童の数、既存の保育園とこれからできる保育園、それらの評判、借りたい賃貸住宅、勤務先への通勤などを徹底的に調べたそうだ。その結果、白羽の矢を立てたのが、国分寺市だったという。それで、国分寺市役所を訪れて、係の人からどんな細かいことまでも徹頭徹尾聞き出し、その一方でストップウオッチを片手に借りるつもりの賃貸住宅と保育園の間を歩いてみて何分かかるか、途中危ないところはないかなど、あらゆることをチェックしたそうだ。

 それで、東京都への転勤が決まるや否や、その賃貸住宅を抑え、市役所への手続を終えて、無事に保育園が決まったという。いや、それはすごい調査能力と行動力だ。日頃から仕事が出来る人であることは聞いていたが、子育てにも、その類い稀な能力を遺憾なく発揮しているらしい。つくづく感心してしまった。





(2018年4月25日記)


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徒然295.六義園のお正月

六義園の池


 六義園は、五代将軍徳川綱吉から賜った駒込の地に、柳澤吉保がその造詣を存分に生かして造った典型的な大名庭園である。本日は、天気はよいものの寒風が吹き抜ける中、朝10時半から開演の目黒流貫井囃子保存会の景気の良いお囃子演奏と、小気味よい獅子舞を見物してきた。後半、獅子舞が客席を回って観客の頭を「がぶり」とやっているとき、お母さんに抱かれた1歳くらいの男の子が、近づいてきたお獅子の頭にまさにかぶりつかれようとしたその瞬間、見事なパンチでこれを撃退したので、皆からやんやの喝采を浴びていた。笑ってしまうが、小さくてもさすが男の子である。将来、有望だ。

目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



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(2018年1月3日記)


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