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金沢文庫と八景島



 たまたま、家内と話をしていて、「そういえば、北条氏が作った金沢文庫と、その近くの八景島シーパラダイスというところには、行ったことがないね」ということになり、それではと、さっそく出かけてみた。金沢文庫というのは、その名のとおり、京浜急行の金沢文庫駅にあり、その地の称名寺というお寺の中にあるらしい。

 金沢文庫駅に降り立ち、近辺の地図を見る。駅の南には、泥亀という地区があり、思い返してみると、私が社会に出たころの先輩のひとりが、ここから通っていたなと、35年ぶりに記憶が鮮やかに甦った。デイキと読むらしい。金沢文庫はそちらの方向ではなくて、東にある。道が曲がりくねっているし、暑い盛りでもあるので、タクシーに飛び乗った。スイスイッと走ってお寺の門のようなところに着いた。確かに「称名寺」という額がかかっているが、赤いベンガラが塗られて、しかもそれが剥げかかっている寂しい門である。そこを通ると、なにやら両側に古い商家が立ち並んでいる。今は相当に零落しているが、昔はそれこそ参拝客で引きもきらない繁盛した門前通りだったように思える。「赤門将棋」というぼろぼろの古びた看板が時代を感じさせ、懐かしくも悲しい。

 石畳なのにどういうわけか車が通るその門前通りの突き当たりに、確かに称名寺の山門があり、そこから寺の境内に入った。正面には大きな池があるが、残念ながら、修理中で本殿には行けない。京都の寺社を見慣れた目には、どこもかしこも、相当に荒れ果てていて、痛ましい。その池に沿って時計回りに進んでいくと、ぽっかり開いた短いトンネルがあり、そこを抜けると、目指す金沢文庫があった。

 金沢文庫というのは、正式には「かねさわぶんこ」というようだが、今では「かなざわぶんこ」と呼び習わされている。もともと、鎌倉時代にここ金沢の地を収めていた北条氏、つまり金沢北条氏が武家の文庫として集めた万巻の書が元になっている。当時この金沢の地は、金沢八景と称された八つの海岸の風景(注)が実に見事であったばかりでなく、鎌倉幕府を支える重要な港湾だったようだ。宋の船などが入港して大いに栄えたそうな。そういえば、時代がずっと下って、徳川家康が豊臣秀吉から江戸の地を授かったときのこと。家康一行が江戸に到着したとき、今の皇居つまり当時の江戸城の近くの民家といえば、わずかに日比谷の十数軒の漁師町しかなかったので驚いたという話が伝わっている。ということは、鎌倉時代の東京湾の奥には、何もなかったわけだ。だから、今の感覚ではずーっと外れのこの地が、戦略的な港だったというのは、確かに頷ける話である。

 元寇を契機に衰退するようになった鎌倉幕府には、北条貞顕というこの金沢北条氏出身の執権も出たようだが、その貞顕時代に、1333年、足利尊氏や新田義貞などの攻撃を受けて北条氏は滅んだ。ところが、金沢北条氏が収集した書物は、北条氏の菩提寺であるこの称名寺に収められて大切に保管されてきた。一時は衰退のきわみにあったが、1930年に神奈川県がそれを収める文化施設を作り、1990年に改装されたのが、ここにある金沢文庫だという。

 なんとも、前置きがとても長くなってしまったが、実はこの話は、これでおしまいに近い。金沢文庫に入ったのだが、常設展は、称名寺の本尊のレプリカである。たまたま徒然草展というのを催していたのだが、中世と近世の兼好法師像が異なるというポランティアさん説明には、どうも納得しかねるところもあり、もやもやとした感覚が残った。ただ、仁和寺の僧が戯れに被った鼎が抜けなくなったという話をわざわざ書いたのは、仁和寺が持明院統の巣窟で、兼好が属している大覚寺統と反目し合っていたからだというのは、知らなかった。

 そういうわけで、その万巻の書というのは、少しも拝む機会はなかったし、仮にあってもさっぱりわからなかっただろうからどうでもよいのだが、せっかくあこがれて行ってみても、がっかりされられることは、これだけではあるまい。

 ・・・ということで不完全燃焼のままこの称名寺の境内を抜け、第二の目的地、八景島シーパラダイスに向かった。ちなみに、かつて来日した宋の僧侶が絶景と称した金沢八景は、その後、埋め立てられたり、架けられた橋が原因で砂が堆積して陸地になったりして、今やその面影はまったくなくなってしまったが、唯一、この八景島がその生き残りらしい。





 さて、その八景島シーパラダイスは、作られてから13年がたっているらしい。関東近辺の行楽地には、子供連れでほとんど行ったことがあると自負していたので、これでやっと行った記憶がないわけがわかった。出来た当時は子供が高校生だったからだ。園内を歩いたり、船に乗ったりしたが、ここは、学齢期前の子供連れに良いところかもしれない。園内では、モモイロペリカンたちが、愛嬌ある仕草で人気を集めていた。孫ができたら、連れてくると喜ぶだろうと話し合った。





 この写真はイルカさんの風船の売り子さんたちである。それにしてもこんなに沢山の風船、どうやって選り分けて売るのだろうと思っていると、片手であれだけの風船の糸の束を持ちつつ、もう一方の手を長く伸ばして、糸をひとつひとつ、束からはずしていた。なかなかの名人芸である。感心してしまった。


(注) 金沢八景と称された八つの海岸の風景

 洲崎晴嵐、瀬戸秋月、小泉夜雨、乙艫帰帆、平潟落雁、野島夕照、内川暮雪、称名晩鐘

(2008年8月20日記)
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