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石見銀山
世界文化遺産 石見銀山 龍源寺間歩


石見銀山と昔の町並みの写真は、こちら


 ツアーの二日目となり、この日は去年7月に、ユネスコの世界文化遺産に登録されたという石見銀山を訪ねた。この地区は、江戸時代に開発され、一時は世界の銀生産の3分の1も産出したという。とても暑い夏の日差しの中を山道やら坑内やらを延々と歩き、疲れて閉口した。ついでにはっきりいうと、我ながら、まあモノ好きにも、なんでこんなところに来たのだろうというのが見学後の感想である。

 この地区では、これまでに600もの坑道が掘られた。そのうち現在見学できるのは、龍源寺間歩(「間歩=まぶ」とは坑道をいう)を含む3つのみ。その龍源寺間歩は、1715年の開発で、代官所直営の五山のひとつ。江戸時代にはすでに600メートルも掘られて、良質の銀鉱石が採れた。ここを閉じたのは昭和18年(1943年)というから、実に228年もの長きにわたって開発されてきた歴史がある。坑道の内部は、高さが1.6メートルからせいぜい2メートル、幅が0.9ないし1.5メートルというもので、ノミによる手掘りの後が生々しく残っている。こんなところをよく掘り進んだものだという感じで、当時の坑内労働の厳しさを物語っている。ガイドさんによれば、たとえば「萎え」といって、酸欠で坑夫がよく倒れたそうで、30歳まで生き残っていたら、それだけで祝福されたという。そんな坑夫たちを中心に、一時は20万人もの人口が、この地にいたというのである。


ノミによる手掘りの後が生々しい。



 鉱山に至る川筋には、当時の面影を今に残す家々・・・武家、商家、それに社寺などが立ち並んでいる。川の上流に行くほど空家が多いが、中下流にはもちろんまだ人が住んでいたり、商売をしている。清水寺前というところで降りて、山道をしばらく歩く。そうすると、古色蒼然とした「史跡 石見銀山遺跡 龍源寺間歩」という石碑が出現し、その奥手にひっそりと坑道の入口がある。そこから、中に入って行くのだが、私の背にとっては坑道の天井が低すぎて、身をかがめなければ前へ進めない。あちらこちらに、枝道のようなところがあり、そこからも掘って行ったようだ。当時の灯りは、サザエの殻に油を満たして芯に火をともしたものだったらしい。坑道が深くなると、空気も当然通らなくなるので、手で空気を送る仕掛けもあったという。それにしても大変な環境である

 その龍源寺間歩をほうほうの体でやっと抜け、再び地上に出た、太陽がまぶしかったが、その時ばかりは救いの神のような気がしたものである。それからは、銀山川に沿って下りの一途となる。川の左岸には比較的人家が多いが、カンカン照りである。しかし、右岸は遊歩道となっていて、森林の中を歩けるようであるが、文化的価値のある場所はあまり見当たらない。家内とどちらにしようかと話し合ったが、涼しい方を歩こうと意見が一致して、遊歩道をとった。結果的にこれは正解で、摂氏31度にもなった夏の日差しを避けつつ、順調に下りて来られた。左岸をとった人のなかには、暑さでやられた人もいたらしい。途中、左岸コースと右岸コースとは合体するが、銀精錬遺跡、身代わり地蔵を安置するお寺、武家屋敷、大店の商家、代官所など、江戸時代を思わす町並みがそのまま保存されていた。


当時の面影を今に残す家々



 地元の方々が実に熱心で、町並みの保存や世界文化遺産の登録運動などを繰り広げられて実を結び、現在では無料ガイドを引き受けてくださっているなど、頭が下がる思いではある。しかし、こんなことを言ったら地元の方たちに叱られるかもしれないが、たった数時間の滞在では、その良さというか素晴らしさがどうもよくわからず、こんなところの何が良いのだろう???と、今だに疑問のままである。誰かご教示いただければ幸いである。



(2008年9月9日記)
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