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下村博士の泥臭い作業
 昨日、日本人4人のノーベル賞の話をしたが、その中で下村脩博士の弁ということで、「ノーベル賞の受賞は東大や京大卒の人が多いが、(長崎医科大学付属薬学専門部から苦学した私のように)地方の大学の人にとっては励みになるのかな」と目を潤ませたという(10月9日付け読売新聞)ことが伝えられた。事実、下村博士は、10数年かけてクラゲを85万匹も採取し、、それは重さにして100トンを超した由。これには、二人の子供を含めて家族全員も手伝ってくれたとのこと。桟橋に30個のバケツを5メートルほどの間隔で並べ、流れてくるクラゲをネットで掬ってバケツに入れたという。ちなみに、研究費の潤沢な教授の場合は、何十人という人を雇って大々的な研究ができたが、下村博士の場合は、クラゲの採取を行ってくれたのは、家族の他は、ほんのわずかの数の助手だったというのである。

 私は、これを聞いて、思わず、白川 静博士(1910年4月9日〜2006年10月30日)のことを思い出した。京都在住の白川博士は、立命館大学専門部の夜間を卒業し、中学校教諭を経てご苦労の末、相当のお歳で同大学の教授となった漢文学者である。この方は、漢字の起源について、従来の通説に挑み、その実証のために膨大な数の甲骨文字を、ひとつひとつ、紙になぞって書いていったという。そして、京都大学の伝統的ないわば「インテリ」学派ではとうてい成し得なかった漢字の起源を解き明かし、それを『字統』(1984年)、『字訓』(1987年)及び「字通」(1996年)の漢字学三部作として、まとめ上げた。

 下村博士が、85万匹ものクラゲをくる日もくる日も採取するような、いわば泥臭い体を張って行った作業の末に、ノーベル賞級の成果を上げたのであるが、この白川博士も、膨大な数の甲骨文字を自らの手に覚えさせて偉大な学術的成果を上げた。いずれも、青白いインテリの理論派にはできなかったことなのである。



(2008年10月10日記)
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