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徒然105.日米の融合
 東芝が、アメリカの原子力企業ウェスティングハウスの株式の過半数を取得してその支配権を握ったのは、わずか2年前の2006年のことである。昨日のNHKの番組で、日本企業がアメリカ企業を支配していく過程とその難しさを紹介していた。いうまでもなく東芝は、日本では著名な電気機器メーカーのひとつであるが、アメリカではノートパソコンの草分けとしてその方面ではそれなり知られているものの、原子力機器メーカーとしては全くの無名である。日本では、いくつかの原子力発電所でタービンを受注して稼働させているようであるが、アメリカでの納品実績はひとつもない。そういう中で、なぜ原子力分野で対米進出を始めたかといえば、日本国内の原子力発電所の受注が先細りで、このままではもはや事業の大幅縮小が避けられないとみたからである。

 その番組で、東芝の西田社長の英語を聞いていると、決して流暢とはいえないまでも、それなりに通じる話し方である。また、ウェスティングハウスの役員会に出席している東芝出身の副社長は、「東京に出張して西田社長のコメントをもらってきたが、今期の業績にはたいへん満足している・・・」などと語り、それをアメリカ人の役員らは神妙に聞いている。ウェスティングハウスには東芝から10人の社員が出向していて、こちらの英語は失礼ながら、片言レベルの人もいるが、それを駆使して、両社の企業文化の融合に懸命である。また、東芝は原子力機器販売の国際ネットワークを持ってはいないのに対し、ウェスティングハウスはそれが世界の主要国にある。これを利用して、たとえば、フィンランドでの受注活動を行えるようになった。東芝の社員とウェスティングハウスの現地代理店が一緒に原子力サイトを訪れて、営業活動を行っている。こんなことは、従来は考えられなかったことである。

 他方、少し前になるが、日本の自衛隊とアメリカ軍との密接な協力関係も、NHKで取り上げられたことがある。それによると、たとえばイージス艦「あたご」によるミサイル撃墜訓練ひとつを見ても、両者が非常に密接な関係を築いてきていることがわかる。特に海上自衛隊とアメリカ海軍との間では、戦術情報のデータリンクが進んで、外部的脅威に関する情報の共有が行われているという。

 ひとことでいえば、日本とアメリカが、民主主義という土壌の上に立って共通の価値観を形成しつつ、経済的、軍事的に融合し始めているのではないかと思う。アメリカ人の大好きな大リーグでの野茂選手やイチロー選手などの活躍、それに全米に広がる「寿司」や「醤油」などの和風文化の定着ということも、こうした経済面や軍事面での融合に役立っているものと考えられる。

 私が若い頃に直面した日米摩擦が激しかったときのことを思えば、こうした融合が成立するなど、まったく考えられなかった。昭和45年頃の日米繊維交渉、その直後のテレビ輸出問題、昭和50年前半の鉄鋼ダンピング問題と牛肉オレンジ輸入問題、昭和50年代半ばの日米自動車交渉、昭和60年代に入ってからの日米半導体交渉、平成元年の日米構造協議など、実利の上でも感情の上でも相当反発し合い、それは激しかったし、とげとげしいものであった。思えば、アメリカからすれば当時の日本は、ちょうど今の中国のように、膨大な外貨を貯め込み、失業を輸出する一方でみずからの市場を閉ざす異邦国家という感覚ではなかったか。

 私も、鉄鋼のダンピングや半導体交渉で末席を占め、アメリカの関税裁判所に行ってみて、担当者がたったひとりのこんな仕組みで鉄鋼のダンピングかどうかが決まるのかとびっくり仰天したこともあるし、半導体交渉では、名うてのUSTRと相対し、アメリカのやり手の弁護士というものはいかに汚い手を使うのかを垣間見たりしたこともあるが、今ではそれぞれがはるか遠い昔の思い出となっている。

 ところが、こうした貿易摩擦を契機に、日本のメーカーの対米進出が始まる。まずホンダが現地生産を開始し、それから腰が重かったトヨタがGMとの合弁で乗用車の生産を始め、さらに日産、三菱自動車と続き、日本のほとんどのメーカーが北米に進出した。私が、うまいなぁと感心したのは、たとえばトヨタの進出方法である。進出先に部品メーカーがないので、それを自前で育てなければならない。そこで、日本から部品メーカーを連れてきて現地生産をさせるというのが手っ取り早いのだけれども、敢えてそうしないで、現地の有力者に技術を伝授して、それに生産してもらうという手を使うのである。これだと、現地の人は自然とトヨタに協力的となる。

 今回も、東芝はウェスティングハウスの買収に当たって、こんな手を使った。ウェスティングハウスは原子力産業の草分け的な企業なので、安全保障の観点から買収に横やりが入る可能性が大いにあった。そこで東芝はまず、コンサルタントとしてハワード・ベーカー元駐日大使に問題の処理を依頼し、ホワイトハウスやアメリカ議会に根回しをしてもらった。その一方、東芝自体も、アメリカの草の根レベルの支持を得ようと、各地で子供発明コンテストを開いて、その優勝者たちとともにキャピトル・ヒル(アメリカ議会)へ行って、選挙区から出ている議員に会ってもらうという試みをしている。もう15年ほど続けているというが、こういう地道な活動が、東芝という企業イメージを向上させたと自負しているらしい。その通りだと思う。

 今回の番組を見て抱いた、もうひとつの感想は、海外での日本のメーカーの立場が強くなったということである。ほんの20年ほど前、日本のメーカーは至って内弁慶で、こういう海外での活動を苦手としていたからである。具体的には、役員レベルはもちろん社員はまず英語が話せないし、そもそも外国人相手にどうやって交渉してよいかもわからない様子だったし、だいたいメーカーの社員で海外に行ってやろうという人材がいなかった。そういうことは、全世界に支店を張り巡らせた商社が、そのネットワークと人材を生かし、独壇場だったという時代である。そんなことを覚えている私としては、日本のメーカーの実力が上がったなぁというのが新鮮な驚きである。そもそも、社長が英語をしゃべるなんて、私が海外にいたころには考えられなかった。このエピソードひとつをとっても、時代が変わったものだと実感した次第である。

 さてそれで、このまま行くとどうなるか・・・。はるか先には、まったく想像もつかない世界になっているかもしれない。たとえば、あと1世紀もすれば、日米関係は、現在のような文化的、経済的、軍事的な融合に加えて、おそらく政治的な融合も進んでいるに違いない。今のままの速度で融合が進展していくと、そのうち、ひょっとすると日本は、アメリカの52番目の州となっているかもしれないとすら思う。もちろん、天皇制の維持と英語をどうするかという大きな問題はあるが、それはそれとして、案外、これが正夢となっていたりして・・・。ええっ! 何ですって? アメリカは50州しかないって? もちろん、51番目はイギリスに決まっている。少なくとも英語の問題はないからである。


【日米経済関係年表(1970年代〜1999年)】

 1970年 ・日米繊維交渉開始
 1972年 ・日米繊維協定調印、日本、第二次鉄鋼自主輸出規制(72.1〜74.12)
 1973年 ・GATT、東京ラウンド交渉開始
 1977年 ・日米カラーテレビOMA(市場秩序維持)協定締結
 1978年 ・牛肉・オレンジ交渉決着(輸入枠拡大へ)
 1979年 ・GATT、東京ラウンド交渉終結
 1980年 ・NTT調達取決め策定(99年に失効)
 1981年 ・日本、対米自動車自主輸出規制実施(81.4〜84.3)
 1985年 ・中曽根・レーガン合意、MOSS協議(市場志向型分野別協議)開始
(エレクトロニクス、電気通信、医薬品・医療機器、林産物、輸送機器の各分野)
米半導体工業界、日本の半導体市場の閉鎖性等を理由に301条提訴
 1986年 ・MOSS協議(エレクトロニクス、電気通信、医薬品・医療機器、林産物の分野)決着GATT、ウルグアイ・ラウンド交渉開始  9月 日米半導体取極締結
 1987年 ・日本、工作機械の対米輸出自主規制実施(87〜93.10)
 1988年 ・牛肉・オレンジ交渉最終決着(輸入割当撤廃へ)
 1989年 ・6月 移動電話交渉決着 
     日米構造協議(SII)開始  日本側: 貯蓄投資パターン、土地利用、流通機構、価格メカニズム、系列、他的取引慣行  米 側: 貯蓄投資パターン、企業の投資活動と生産力、政府規制、輸出振興
     USTR、日本の建設市場(301条)、電気通信(88年包括通商法1371〜1382条)、人工衛星政府調達(スーパー301条)、スパコン政府調達(スーパー301条)、木材の輸入に関する技術障壁(スーパー301条)を標的に(建設、電気通信は最終的に94年、その他は89〜90年にかけて合意決着)
 1990年 ・SII最終報告
 1991年 ・6月 新たな日米半導体取極締結(期限96年7月末)
 1992年 ・日米工作機械交渉最終決着
 1993年 ・クリントン・宮沢総理間で日米包括経済協議開始につき合意 →94年 8月、知的所有権分野決着 10月、政府調達、保険分野決着、12月、板ガラス分野決着(99年末で措置終了)
 1995年 1月、金融サービス分野決着
     6月、投資・企業間関係分野及び自動車・同部品協議決着(2000年6月で措置終了)
 1996年 12月、保険問題最終決着
 1994年 3月、移動電話(89年合意違反)決着
     4月、GATT、ウルグアイ・ラウンド妥結
 1995年 ・1月、WTO設立
 1996年 ・8月、半導体問題決着
 1997年 ・6月、橋本・クリントン間で、日米規制緩和対話につき合意(「規制緩和及び競争政策に関する日米間の強化されたイニシアチブ」)
 1998年 9月、NTT調達取決めの改善、延長
 1999年 ・5月、橋本・クリントン会談で日米規制緩和対話に関する共同現状報告発表
     ・5月、小渕・クリントン会談で規制緩和対話に関する第2回共同現状報告発表
     ・7月、NTT再編に伴い、NTT調達取決めが失効、簡素化された措置の2年実施で決着
(以下 略)

(出典)外務省HP


(2008年10月27日記)
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