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北東北への旅 (7.八甲田の山々、 8.青森ねぶたの里)
八甲田山中の山の紅葉

八甲田・ねぶたの里の写真は、こちら


7.八甲田の山々 

 次の舞台は、
八甲田の山々である。確かに日程を見ると、八甲田山脈を突っ切って、青森に出ることになっている。バスのガイドさんによると、この道はもう、明日から閉鎖されるということになっているらしくて、本当のシーズン・オフになるようである。

八甲田山中のブナの木の両脇を通り過ぎるバスのガイドさん


 国道103号という青い標識に沿って、バスは本当に、山の中をどんどんと走っていく。いやまあ、これはすごい。ホントに山の中そのものだ。奥入瀬の石ヶ戸から、蔦温泉に出たと思ったら、すぐに紅葉の林となり、その間から、蔦沼がちらりと見えた。そこを過ぎてトンネルをくぐったら、風景は一変してしまった。紅葉どころか、葉をすっかり落として白骨のようになったブナの木ばかりが続く。やや不気味な感じである。やがて、猿倉温泉を抜けて傘松峠へ。ここは標高1040メートルとのこと。行き交う車などなく、我々のバスだけだ。ホントに大丈夫かいなと、心配になってくる。右手には、八甲田の山々の一部が見えてきて、高田大岳、硫黄岳、小岳などと続く。それがブナの白骨林の切れ目から、見えたり見えなかったりする。あたりに人家の気配など全くない。ひたすら走り続ける。天候も、雨がザアーッと降ってきたかと思うと、青空となったり、くるくると変わる。

八甲田山のひとつ高田大岳


 地獄沼というところに至り、酸ヶ湯温泉という前を通り、八甲田ロープウェイの間近に来たようだが、ガスでよくみえない。日露戦争直前の1902年(明治35年)に、この辺りの山の向こう側で、日本陸軍の雪中行軍による遭難があったところである。210名中199名が死亡したという。私も昔、新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」でその顛末を知った記憶がある。例のとおり、旧陸軍の無謀で無計画で非合理的な性格が表れた事件として描かれていた。その実情はともかく、今となってはただ、合掌するのみである。

雲谷温泉のホテル・ヴィラシティから一望する青森の市街


 さてそこから、バスは再びどんどんと走って、雲谷温泉のホテル・ヴィラシティに至った。ここで、ホテルの前を一望して、その絶景に息をのむ思いである。眼下には、青森の市街地が広がっている。あまつさえ、その向こうには、北海道が見えるではないか。本当に雄大な風景であり、この旅行中で一番、忘れ難いところである。

ねぶたの里


8.青森ねぶたの里 

 雲谷温泉の景勝にびっくりしたところで、あっという間に、青森に着いた。向かったのは、
ねぶたの里である。まあ、驚くような、大型ねぶた8台と弘前ねぶた1台、それに大きな仏様が一つ鎮座している。ひとつひとつ見ていくと、何というか、棟方志功のような力強さをひしひしと感じる。ねぶたは、そのお祭りの数日間が終われば解体されるが、それではもったいないので、知事賞や市長賞をとった優秀作品をこうやって展示しているとのこと。結構なことである。それにしても、こんな巨大なもの、どうやって作るのかと思ったが、基本的には、針金と和紙だけというから、これまた驚いた。

ねぶたの里


 うれしいことに、ねぶたに触らせてくれる・・・といっても、皆でねぶた台の下に潜り込んで、えいやーっと、押したりするだけである。いざやってみたところ、御神輿を考えると、意外のほか軽かったというのが正直なところだが、実際には、これに発電機を載せたりするので、もっと重くなるらしい。

 それが終わると、ねぶた囃子を演奏してくれた。そのあまりの音の大きさに、家内はびっくりしていたが、すぐにその太鼓と笛の音に慣れてきた。出発するときとか、引き回すときとか、少し調子が異なるらしい。確かに、出発するときのものは、さあ行くぞという感じ、ねぶたを引きまわすときは、しっかり力を入れろよーっと言っているみたいに聞こえるから、面白い。

 そして次に、派手な格好をしたハネトという踊り手に扮して、皆が輪になって踊る。2回ぴょんぴょんと片足を跳ねて反対側の足を蹴る仕草をするという単純な動きなのだけれど、本番ではこれを2時間あまりもやるので、それは大変なようだ。そうして踊っていると、そのバックでは、先ほど皆で押し出したねぶたが、左右に動いくれて本番の雰囲気を出している。いやいやこれは、アイデア賞ものである。面白かった。最後に、そのねぶたを元の位置に戻して、おしまいである。


ねぶたの里



(2008年11月7日記)
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