<< 北東北への旅 (7.八甲田の山々、 8.青森ねぶたの里) | main | ボストン美術館浮世絵展 >>
北東北への旅 (9.三内丸山遺跡、 10.エピローグ)
三内丸山遺跡

三内丸山遺跡と青森の写真は、こちら


9.三内丸山遺跡 

 次にバスは、
三内丸山遺跡に着いた。平成に入ってから、ここが発見されたときには、大センセーションを巻き起こしたことを覚えている。一考古学ファンとしては、以前から来てみたかったところである。平成12年11月には国の特別史跡に指定された。

 ここは今から約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡で、竪穴住居跡、大人や子どもの墓、掘立柱建物跡、貯蔵穴、ごみ捨て場、大きな道路跡が見つかっている。とりわけ、数年前には、クリの人工的栽培が行われていることが、クリのDNA分析でわかって、縄文文化は採集文化だったというそれまでの縄文観を一挙に覆した。クリだけでなく、ヒョウタン、ゴボウ、マメなども栽培していたらしい。それに、ごみを調べると、いろいろな種類の魚やクジラ、うさぎの骨なども出てきているらしい。食生活は、とても豊かだったようである。

 この遺跡が発見されるまでは、縄文人というのは、あたかもアフリカのブッシュマンのごとく山野を駆け巡る原始的な狩猟民で、定住や栽培などをしているはずがないというのが常識だった。私などは、中学校で、弥生時代になってようやく農耕が始ったと習ったものだが、そういう考古学的常識は、とんでもない誤りだったことがわかった。ここのごみ捨て場からは、そうした食生活に関する考古資料のほか、ヒスイなどの装身具も出土しているが、なんとそれらは、はるか遠くの新潟県糸魚川の姫川の産物であるから、間接的にせよ、あれだけ遠い土地とも交易があったことになる。


三内丸山遺跡の鐘楼のような建物


 現在、三内丸山遺跡は小高い丘の上にある。こんなところになぜ遺跡があったのかと思うところだが、縄文時代の海は、もっと高いところまで来ていたらしい。近くの川までつながっている広い道路があるのは、船着場までの道だったようである。鐘楼のような建物は、見張り台だったようで、ロシアから持ってきた大きなクリの木で復元されている。

三内丸山遺跡の巨大な大型竪穴住居跡


 巨大な大型竪穴住居跡に入ってみた。思ったより大きくて、皆さんとともに「わあ、大きい!」と言ったほどである。ただ、生活は厳しかったようで、大人の墓250ほどに対して、子どもの墓は800余りと、とりわけ、子どもの生存には厳しい環境だったようだ。子どもは、小さな土器に入れて埋葬されている。その中には、こぶし大の石がひとつふたつ、入っていたという。これで遊びなさいという、おもちゃを入れるような感覚だったのだろうか。早くに亡くなった子を思う親心の現れだと解したい。

 この寒い中、地元のボランティアのおじいさんに案内をしていただいた。青森弁を聞かせてもらい、青森県住宅供給公社職員の男とアニータ嬢の話など、ちょっと脱線したものの、なかなか面白かった。深く感謝したい。寒い中、本当にありがとうと申し上げた。

10.エピローグ

 さて、三内丸山遺跡から青森駅までは、すぐ近くて、電車の時間まで、小一時間以上もあった。駅の近くの港の方をふと見ると、懐かしい青函連絡船が繋留されている。その名も、八甲田号ではないか。実は私、今から40年以上前の学生時代に、この青函連絡船に乗ったことがある。それを見て、寒い冬の夜、青森に列車が着いたとたん、皆が走りだしたことにびっくりしたことを思い出した。そのときは私もつられて走って連絡船に乗り込んだが、どうやら皆は、ゆっくり寝る場所を確保したかったようだ。日本全体が貧しく、生き残り競争が激しかった時代のことである。

 そんなことを思い出しつつ、それを家内に話しながら、その繋留されている連絡船を眺め下ろす展望台に上がり、港内を見渡そうとした。ところが、低すぎてあまり見えない。そこで、港を横切るベイ・ブリッジの根元にある歩道橋に上がる階段を上がっていって、見た。確かに、見晴らしはよくなったが、やっぱり寒い。早々に降りて、駅に戻っていった。


青森駅前の海鮮丼と蟹の味噌汁


 まだ時間はたっぷりあるので、時間は少々早いが、食事をしようということになり、駅近くのビルで、地下に海産物を売っている建物に入り、その中にあった寿司屋のようなところに入った。メニューのお勧めは、一番高い2600円の海鮮丼。うむ、これはいいと、頼んでみた。しばく経って、出された海鮮丼と蟹の味噌汁は、本当においしかった。海鮮丼の中に剥きエビがあり、それをおいしく食べて、頭と足を皿の上にそっと置いたところ、それがぞろぞろと動き出したのには、たまげた。まだ、生きているエビを食べたらしい。新鮮も、いいところだ。

 満腹状態で、青森駅を午後5時16分に立ち、八戸駅で新幹線に乗り換えて、東京駅に9時30分、我が家に10時すぎに戻ってきた。わずか5時間で、本州最北端から我が家に帰ることができたということになる。これは早い。本当に便利な世の中になったものである。

 それにしても、あわただしい旅行だった。確かに、著名な観光地と施設はすべて回ったが、ゆっくり見る時間がなかった・・・などと考えながら、旅行のパンフレットを見た。すると、その最初のところに「コースはどれも見どころがぎゅっと詰まったものばかりです」という文句が目に飛び込んできた。そして、今回の旅行の次のページには「奥入瀬ゆったりコース」というものがあるではないか。つまり今回の旅は、いわば雑誌の目次のようなもので、じっくり味わいたいなら、あとからそのところだけをまたいらっしゃいということだと思い知った・・・うまくなっている。ところで、我々が帰って来た翌日の4日には、青森は吹雪で、初雪だったという。一日違いで、助かった。しかし、地元の方は、これから毎日が、これなんだろうなぁ・・・大変そうだ。

最後に、余談をひとつ

 ええっ、何ですと? 「世の中、アメリカ発のサブプライムローンに端を発した株価の急落と大幅な円高の進行、それに景気の後退で世間は大騒ぎなのに、のんびり旅行などしている場合か」だって? 家内の話によると、ウチは日本がバブルだったときもまったく関係なくつましい生活をしていたし、たとえ不景気となっても、そういった低空飛行の生活は相変わらずということらしい。



(2008年11月8日記)
カテゴリ:エッセイ | 21:26 | - | - | - |