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徒然116.茶馬古道
  NHKハイビジョン特集番組で、「茶馬古道 もうひとつのシルクロード」というビデオを見た。3月に放送されたものの再放送である。その中で印象深かったシーンをふたつほど、とりあげてみたい。辺境とはいえ、こんな生活が本当にあるのかと、心底驚いたからである。

 この茶馬古道(ちゃばこどう)とは、雲南省で取れた「お茶」を、キャラバンを組んで延々と山中を歩いてチベットまでたどりつき、そこの産物である「馬」と交換したことから名付けられた、古代からの交易路である。唐の時代にはすでにあったというから、そのルートを開拓した人は、本当に冒険心に富んでいたのではないだろうか。何しろ、道中はチョモランマ級の高山がいくつも連なり、何千メートルもの渓谷やら湿地帯やらが連なっている。だから5千メートルを優に超える峠をいくつも越えていく必要があるし、場所によってはロープ一本で急流を渡らなければならないという、山中の難関ルートなのである。

 チベットより先は、インドやイラン方面とも繋がっていたというから、まさに南部のシルクロードといえる道で、中国ではそけなりに知られていたらしいが、国際的には、これまで無名の存在だったようである。ウィキペディアによると、茶馬古道は、「主な交易品は雲南地域より塩、茶、銀製品、食料品、布製品、日用品など。チベット地域より毛織物、薬草、毛皮など。チベットを経由してインド・ネパールで生産されたの物資も雲南に届いたと言う。茶馬古道の要衝といわれる有名な都市にラサ、徳欽、迪慶、麗江、大理、思茅などがある。」とのこと。

 この番組のクルーが同行したチベット族のキャラバンは、50頭の馬に、村の近くで採れたキノコをゆでて塩漬けにしたものを交易品としている。それを一頭の馬に重さ60キロを目安に、左右に振り分け荷物として積む。村人がその馬たちを追いながら、つづら折りの急峻な斜面を這い上がり、断崖絶壁に穿たれた道を通り、泥道を通過し、5000メートル級の峠を通る。それはもう、たいへんなことで、その途中では、馬が崖から転落したり、人が落石にあって命を落としたりすることもある。艱難辛苦という言葉は、まさにこのためにあるようなものだと、よくわかった。そうやって1〜2ヶ月かかって、ようやく交易の相手の街にたどりつく。そして交易品を売り、そのお金で日用品を買い込み、それから来た道を再びたどって帰っていく。私も、生まれどころを間違えていたら、このキャラバンの一員だったかもしれないと思うと、いささか複雑な思いがする。

 ところが、このキャラバンの一行が、唖然とする一幕があった。それは、この山奥の僻地にも、道路という文明の産物が迫ってきていることだった。急峻な斜面に造られたつづら折りの道に、発破がかけられ、ドーン、ドーンという音がして、斜面がパラパラと崩れていっている。それを見る、キャラバンの面々の驚いた顔と顔・・・。あと10年もすれば、こういうキャラバンという存在そのものが、消滅しているかもしれない。近代文明というものは、こういう昔ながらの生活様式を、その痕跡も残さずに、いくつもいくつも押し流し、今日に至っているのだろう。


 次は、メコン川の最上流の瀾滄江地域に位置する「塩井」という村で、桃花塩を作る若い女性の話である。この村の風景と、その22〜3歳の女性の話を聞いて、これはもう、本当に心底から驚いた次第である。まず、この村の景色が、一見すると、とても不思議なのである。泥川の瀾滄江の両岸に広がる村には、もちろん普通の家々が並んでいるが、これとは別に、崖のところにちょうどシイタケみたいなキノコのようなものがたくさん、崖の上の方にまで広がっている。あれあれ、これは何だろうと思っていると、女性が天秤で運んできた二つの樽の水をその中にぶちまけている。なみなみと湛えられた水面が風に吹かれてしばらく時間が経つと、あら不思議、水が飛ばされた後に白い粉が残り、それをせっせと集めている。

 ああ、これは塩を作っているのだとやっとわかった。たくさんあったキノコのようなものは、つまりは塩田なのである。それにしても、ここは雲南省の山中の高原なのに、なぜ、塩水があるのだろうと、ますますもって理解しがたく思えてくる。解説によれば、ここはヒマラヤ山脈と同じく、元々は海中だったのだけれども、インド大陸が北上してきてぶつかった。それがヒマラヤ山脈を作る一方、その間に海水も閉じ込められて、こうして湧いてくるのだという。川の端っこには、このような海水が湧いて出てくる井戸があり、それをこうした方法で乾燥させて「桃花塩」といわれる塩を作るのが、何百年にもわたるこの村の歴史なのだという。

 そして、この海水をその井戸からくみ上げ、そして塩田に運んで塩を作るという重労働は、伝統的にすべて女性の仕事だとのこと。これはたいへんな仕事で、井戸でくみ上げて一回に運ぶ重さは20キログラム、それを1日で何百回も行う。そして、塩集めと袋詰めも女性の仕事となっているそうな。この女性は、足が悪い母を助けて13歳の頃がこうした重労働を始め、もう10年近くも続けているそうだ。ああ、これは女工哀史どころではない。現に、この女性には弟がいるが、塩づくりには全く関知していないという。

 それでは、この弟を含めて、村の男性は何をしているかといえば、女性の作った塩を、キャラバンを組んで、なるべく遠い村へと売りに行くのが仕事だそうだ。なぜ遠い方がよいかといえば、それだけ高く売れるからである。かくして女性は家にあって来る日も来る日も倦むことなく塩水を汲んで塩田にばらまき、男性は塩の袋を積んだロバを引き連れて延々と歩くという生活である。いかに何百年も続く家業、いや村の生業とはいえ、こんな過酷な生活が現代にまだあるとは、思いもしなかった・・・。



(2008年12月26日記)



 塩井村に行った「写真集 異国の風景」さんの写真は、こちら。






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