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ぜんざい後日談 〜 一休善哉の日
出雲ぜんざいと袋


 先日、ぜんざい発祥の地は出雲であるという説を支持した。ところがその後、1月25日だったと思うが、テレビのニュースで、京田辺市に「酬恩庵一休寺」という寺があり、「一休善哉の日」を年中行事として行っているという報道があった。その一休寺のホームページには、こう書いてあった。

 
「平成17年より1月最終日曜日を『一休善哉の日』として、その一年間の各人毎の誓いの言葉を奉納してもらいます。その一年の自分自身の目標を新たにし、一年間その言葉を持って、生きていく力づけにしようとするものです。そしてその後、一椀の善哉がふるまわれます。ひとりひとりの誓った善き行いの実現を後押しします。

 一休禅師は1月1日生まれ、大徳寺の住職からお餅の入った小豆汁をごちそうになり「善哉此汁(よきかなこのしる)」とおっしゃったことから善哉となったと言われています。

 一休善哉の日は、ひとりひとりのこころに存在するエネルギーにわずかながらも灯りをともし、21世紀の世界を地球の片隅からより善き世の中に方向づけられればと始めることになりました。」


 ははあ、なるほど、なるほど、出雲に負けず劣らず、こちらの方もなかなか由緒正しそうである。何よりも、ありがたーい気がしてくる。はてさて、困ったものだ。これではまるで、出雲の神々と一休さんとの神学論争ではないか・・・。根拠なしに、いずれかに軍配を上げるということもできないし・・・。

 一休さんは、1394年に生れ、室町時代に生きて1481年に亡くなった僧侶で、1467年には応仁の乱があったという激動の時代である。この一休和尚、既成の観念や権威を振りかざすものが何よりも嫌いで、反骨精神に富んだ、なかなか面白い人だったようだ。たとえば、一休寺のホームページには、
こんなエピソードが載っている。

 「小僧時代を過ごしたお寺の和尚が自分だけ鯉汁を食べ、一休さんたち小僧には、味噌汁しかやらなかった。そこで一休さんは池から大きな鯉をとらえ、料理しようとした。すると和尚は『これこれ!殺生はしてはならぬ!』ととがめた。すると一休さんは『毎日精進料理ばかりでは、お経にも力が入りません。この鯉にはちゃんと引導を渡しますので、大丈夫でございます。』と言った。一休さんの生意気な言葉に『引導の渡し方など知っておるのか』と和尚が問うと、一休さんはこう言った。『汝、元来生木の如し、水中にある時はよく捕うること難し、それよりは愚僧の腹に入って糞となれ、喝! 』」

その他、「『はし』をわたらず『はし』をわたる」や「毒を食べ、死んでおわびを」という、小さい頃に読んだり聞いたりした
トンチ話が掲載されている。確かに、今でも、こういう反骨の塊でありながら、妙に知恵が回るから、他人に憎まれないようなタイプの人を見かけることがある。

 再び、ぜんざいの話に戻るが、どちらが本家かといわれても、いやはや、困ったものだ。強いていえば、一休さんが生きたのは「室町時代」であるが、出雲地方では「古来旧暦の十月」に全国の神々が集まり、神在餅がふるまわれる神在祭なる神事が執り行われたというのであるから、それは室町時代よりはるかに前ではないかと推論するのが適切だろう。そうやって、出雲から京都にもたらされたぜんざいを、大徳寺の住職が一休さんにふるまったところ、そのうまさに感激した一休さんが、「善哉此汁」と言った。その仏教用語の使い方のうまさに感心した大徳寺の住職が、この話を広めた・・・というのが真相ではないかと思うが、いかがであろうか。それなりに両者の顔が立つように思える。

 いずれにせよ、そのうち機会があればこちらのお寺にもお邪魔して、ぜんざいを味わってから、応援する方を決めることにしよう。もちろん私としては、味の良い方を押すに決まっている。



(2009年2月3日追加)
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