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徒然125.今時の子育てとケア事情
ウチの孫も、こんな感じで四六時中、寝てばかり。寝る子は育つというが・・・。イラスト:「さくらぽっぷ」さん作


 初孫が生まれたおかげで、これまであまりお付き合いのなかった人たちの話を耳にする機会ができた。たとえば、ベビー・シッターさんである。いま、娘が赤ちゃんの世話をお願いしている方は、50歳そこそこで、いかにも人柄が良くて、人格の練れた感じの人である。色々なご家庭に伺ってこの仕事をしているという。その方のお話を聞くと、驚くやら、呆れるやらで、いやまあ、最近の世相を垣間見るようである。

 たとえば、ある家庭では、赤ちゃんへのミルクを、「定時に」あげることが厳命されたという。起きているうちはもちろんのこと、たとえ寝ていても、それを「起こして、必ずミルクをあげるように」というのである。当然のことながらその赤ちゃんは、もうかわいそうなくらいに丸々と太ってしまっていて、生後わずか6ヵ月だというのに、体重が8キログラムもある。寝返りをうち始める頃なのだが、もうまるで、トドがゴロンと転がっているがごとくらしい。だから、ベビー・シッターさんがミルクをあげるためにだっこすると、すぐに手が痺れてしまうので非常に困ったとのこと。

 ははぁ、その赤ちゃんは、既に生後わずか半年で、メタボリック症候群に陥っているのではないか。「それで、何かアドバイスは差し上げたのですか?」と聞くと、「いやいや、あれほど確信的に言われると、なかなかそうもいかなくて・・・」とのこと。家に帰ってから、痛む腕と手首にサロンパスを貼っているだけらしい。そうだろうなぁ、已むを得まいが、かわいそうなのは、その赤ちゃんである。とんでもない親を持ったものだ。それにしても、定期健診で、何か言われないのだろうか。ひょっとして、この赤ちゃんを診た医者も、「おお、よく太った赤ちゃんで、順調にお育ちですね」などと言っているとすれば、何をかいわんやである。

 そのベビー・シッターさんは「赤ちゃんは、できれば母乳で育てること。それに母乳やミルクをほしがって多少泣いても、しばらく泣かせておくことです。すぐにはあげないくらいでいいんですよ。その方が運動になるから」という。なるほど、赤ちゃんが泣くのも運動なんだ・・・。ちなみに、母乳のカロリーに比べてミルクのカロリーの方が高いという。そのうえ、母乳をおっぱいから吸うのにはかなりの吸引力が必要であるが、ミルクの場合には簡単にすぐに飲める。だから、栄養の面でも運動という意味でも、母乳育ちの方があまり太らないのだという。それに大事なことは、栄養素はもちろん、母乳を通じてお母さんの免疫などの成分がもらえるから、母乳ほど完璧な赤ちゃんの糧はないのだとのこと。

 私が物心ついたときには、母乳よりミルクによる哺乳が確かその時代のはやりだったと記憶しているが、価値観が全く変わってしまっている。家内に聞くと、「それは、私たちの子供を育てたときからの常識ですよ。もう・・・、私はひとりでてんてこ舞いをしていたんだから」とのこと。そういえば、その時代は、私は仕事が忙しくて、家に帰るのはいつも午前様だったから、申し訳ないことをした。でも、父親がいなくて、良く育ってくれたものだ・・・。子供本人はともかく、家内に改めて感謝しなければならない。

 別の家庭の話になるが、前年の9月に生れて、まだ3ヵ月目のその年の12月に、その奥さんから「赤ちゃんを連れて、クリスマス・イブに、ディズニー・ランドに行っていいですか?」と聞かれたらしい。こんな寒い時期に凍えるような湾岸のあんな寒空の下に、まだ首を据わっていない赤ちゃんを連れていくなど、自分の娘だったら何を考えているのかと、頭ごなしに叱るところだったという。「で、どうしたんですか」と聞くと「いやいや、絶対にダメというわけではないのですがね・・・」と言葉を濁して曖昧に答えたらしい。何でも、その夫婦の結婚式の記念の時期と場所が、ちょうど1年前のディズニー・ランドだったからということらしいが、それにしても赤ちゃんの健康を考えれば、あまりにも馬鹿で非常識な話である。

 このベビー・シッターさんは、保育の資格をお持ちであるが、赤ちゃんばかりやっているのでは必ずしもなくて、同時に高齢者関係の仕事のヘルパーさんもやっているらしい。たとえば、お爺さん・お婆さんの話し相手である。「へえぇっ、そんな仕事があるのですか」と聞くと、「最近は、それが結構ありまして」という。「そんなのは、大して疲れないから、楽な仕事でしょう?」というと、「とんでもない。こんな疲れる仕事はないんです」と、ムキになる。聞けば、お婆さんの話し相手になったりすると、一方的に何時間でもしゃべりまくられるし、それがまた、壊れたテープ・レコーダーのように同じ話の繰り返しなんだそうだ。加えて、つまらない愚痴を垂れ流す話ばかりときている。それに対して、最初は仕事だと心得て、一々ごもっともとばかりに頷いていたのだが、そのうちだんだんと面倒になり、無口になり、終いには呆れ果て、終わったときにはドッと疲れるという。

 なるほど、そうか。さもありなん。それでは、お爺さんの場合はどうかといえば、これも逆の意味で困るらしい。というのは、お爺さんの場合は、自分からは何にもしゃべってくれない。たまにポツポツと話をし始めても、戦争に行っていかに苦労したかという話ばかりで、戦後生まれのヘルパーさんには、何のことやらチンプンカンプンで、相槌の打ちようがないという。そんなわけで、この方はほんの数回通っただけで、この種の仕事をやめてしまったそうな。ちなみに、この話し相手になってほしいという依頼は、こうしたお爺さん・お婆さんの身内から来たもののようだ。つまり、身内ですらほとほと困った挙句に、仕方なく他人に依頼したというのが真相のようである。

 また、高齢者関係といえば、こんな洒落た仕事もあるという。90歳も半ばのお婆さんが、ロンドンに住んでいる孫に贈り物をするので、デパートでの買い物に付き合ってほしいというのである。その方のお嬢さんもいらっしゃるのであるが、齢70を超えていて、とても付き合うどころではない。そんなことで、デパートまで一緒に行って贈り物を買い、それを自宅に持って帰って梱包し、イギリスに送付するまでを手伝ったとのこと。ちなみに、そのお婆さんは、頭も体も矍鑠としているので、これは楽な仕事だったという。

 若い人、年を取った人、それぞれに色々な家庭や人生があるものだ。だけど、若い人は、ますます常識をなくしていき、年をとった人は、ますます妙に元気になっていくという不思議なアンバランスを含むこの危うさ加減・・・これこそ21世紀になった日本の大きな問題なのかもしれない。



(2009年2月5日記)
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