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鎌倉大仏と長谷寺
国宝銅作阿弥陀如来坐像、通称鎌倉大仏


 私の教え子のひとりが、鎌倉で結婚式を挙げるというので、その宴に出席した。午後4時からということだったから、その前に、鎌倉大仏と長谷寺を見に行こうとして、早めに出かけたのである。私は鎌倉へ観光に出かけるときは、いつも北鎌倉で電車を降りて、円覚寺、東福寺(それに先日は長寿禅寺)、建長寺を回り、そして鶴岡八幡宮に至るというルートが多い。だから、更に進んで鎌倉大仏まで足をのばそうとすると、日も暮れかかかってきて誠に慌ただしいということが多い。ところが今回は、最初から長谷の近くに行くので、ゆっくり見られるというわけだ。

国宝銅作阿弥陀如来坐像、通称鎌倉大仏


 江ノ電に乗って、のんびり行くというのも面倒なので、鎌倉駅からさっさとタクシーで目的のホテルに乗りつけて式服一式を預け、その同じタクシーで来た道を引き返して大仏に着いた。2月の半ばだというのに、とても温かい日で、気温は24度という小春どころか初夏の陽気である。その中で、青く澄んだ空の下に、鎌倉大仏が鎮座ましましていた。真横一線に並んだすずやかな目、アルカイック・スマイル風にほほ笑む唇、そして豊かな頬・・・どの方向から見ても、美しい。なるほど、与謝野晶子が、「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は、美男におわす夏木立かな」と詠んだのは、むべなるかなと納得した。

国宝銅作阿弥陀如来坐像、通称鎌倉大仏


 ところで、こちら高徳院の参拝券によれば、この国宝銅作阿弥陀如来坐像、通称鎌倉大仏は、1252年(建長4年)から10年前後かけて造立されたそうである。この坐像全体を覆うものとして、奈良の大仏のような大仏殿が元々あったようであるが、1334年と1369年に大風で損壊した。それ以来、仏殿は再建されずに、今に至っているらしい。つまりは、野ざらしのまま、640年も経っているようだ。その間、台風だけでなく、大地震あり、津波あり、そして大小の戦火ありと、幾多の天変地変や人災を乗り越えて来たが、ひたすらこのほのかな笑顔でたたずんでいたということになる。

 鎌倉大仏の裏に回ると、胎内に入れてもらえる。やっとすれ違えるほどの狭い暗い階段を少し登れば、そこはもう空洞となっている大仏の御体の中で、頼朝の守り仏や祐天上人像が見られる。目が慣れるまでしばらく見渡していたが、その銅の体の裏に当たるところを掌でちょっと触ってみた。すると、けっこう熱かったのには驚いた。外から燦々と照りつけてくる日光のせいであろう。大仏の歴史ばかりが我々の脳裏に浮かぶが、それだけでなく、創建以来640年間もこんな天候の変化をその身にまともに受け続けてきていたとは、大変な人生・・・いや仏像の一生である。


海光山慈照院長谷寺


 次いで、雑踏中の人の流れをかき分けるようにして、長谷寺に向かった。こちらは、正式には海光山慈照院長谷寺といい、その開創は聖武天皇の時代の天平8年(736年)というから、そんなに古いとは思わなかった。本堂には、長谷観音が鎮座していて、高さ9.18mの木造という。まだ早春なので、境内には梅が咲き始めたところだが、ここから見下ろす由比ヶ浜の海岸と鎌倉市内の景色は、実に雄大で、気持ちのよいものだった。

海光山慈照院長谷寺


 というわけで、長谷地区を見物して良い気持ちになった後に、結婚式場に向かったのである。新郎は警察官で、最初は紋付き袴姿だったが、文金高島田姿の花嫁さん・・・これがまた、美しい人だった・・・のお色直しに合わせて席を外した。そして、次に花嫁さんのイブニング・ドレスと一緒に現れた姿を見て、出席者一同、口を開けてあんぐり・・・。第一種礼装とか何とかいうのではないかと思うが、制帽に金のモールを付けた、お巡りさんのあの正式な礼装姿だったからである。落語ではないが、これが文字通り、本日の「落ち」となった。


(2009年2月14日記)

(参 考) 国宝銅作阿弥陀如来坐像の台座を含む総高13.5m、仏身高11.3m、重量121t。
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