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徒然133.母は強かった
 先日の土曜日、横須賀に接岸しているアメリカ第7艦隊の原子力空母ジョージ・ワシントンを見学してきたことは、既に悠々エッセイで取り上げたところである。そのとき、私にとって、これは何回目の空母見学だろうかと数えたところ、何とまあ、これが4回目であった。そう考えたとたん、最初に空母を見学したときのことが、走馬灯のように一瞬の間、頭の中を横切ったのである。

 その最初の見学は、私がまだ小学校にも上がっていなかったときに遡る。その頃、私の一家は神戸に住んでいた。どういう経緯だったかはもちろん覚えていないが、神戸港に入港していたアメリカ軍の空母へ、母に連れられて見学に行ったのである。いま思えば、朝鮮戦争(1950〜53年)の頃ではないか・・・。なぜそんなことを覚えているかといえば、港で母に手を引かれて見学者の列に並んでいたときに、事件があったからである。白いセーラー服を着た大柄な水兵がやってきて、私を指さして、何か叫び始めた。突然のことに、私はもう、びっくりして母の陰に隠れた。しばらく経っても止まずに、相変わらず母が何か言われている。そのとき、近くの男の人が「カメラ、禁止なんですよ」と言って、私が手に持っていた小型のおもちゃのようなカメラを指さした。

 その頃、私は父から小型カメラをプレゼントされた。それはもう、本当に小さい小さいカメラで、それに合わせてフィルムも小型だったから、縦横3センチ程度の豆粒のような写真しか現像できなかった。それでも小学校に上がる前の私にとっては大きな宝物で、外に出るたびに得意満面、これを持っていって、何かと写真を撮っていたのである。しかし、アメリカ軍の水兵にとっては、これがスパイの道具か何かに見えたというわけである。

 それでどうしたかというと、母と私はそのまま見学者の列から外に出された。母はやむなく私を抱いて、とぼとぼと出口の方に向かって歩いていったのである。しかし、出口が近くなって、母が「こうしましょう。せっかく来たんだから」といって、何とそのカメラを自分のバッグの中に入れてしまった。そして、列の最後に並び直したのである。私は小さいながら、「いいのかな、また何か言われやしないか」と思ってドキドキしていたのを覚えている。

 それで結局どうなったかというと、その注意した水兵もどこかへ行ってしまってそれ以上何のお咎めもなく、我々親子は見学者の群れに交じって空母の中へ入ることができた。艦内では、甲板へ通じる大きなエレベーターが記憶に残っているし、その脇に置かれたピカピカの爆弾を見て、「おお、怖い」と思った覚えがある。ただ、それだけの断片的な記憶にすぎないが、たったひとつのきっかけで半世紀ぶりに突然こんなことが脳裏に去来するとは思わなかった。人間の脳とは、誠に不思議なものである。

 それにしても、母は強かったなぁ・・・。こうでなければ、戦中・戦後の動乱の時期を乗り切れなかったのかもしれない。このあいだ電話したときに「むかし神戸でこんなことあったけれど、覚えている?」聞いたところ、「よく覚えているわよ」と言っていたから、母の記憶力も、これはまた相当なものだ。


(追 記) ちなみに、第2回目の見学については、こちらの悠々エッセイ(
航空母艦)で書いている。第3回目の見学は、10数年前に横須賀の海上自衛隊基地にイージス艦「きりしま」を数人で見学に行った際、どういうわけか艦長が「ちょうどいい機会だから、これから空母インディペンダンスを見学に行きましょう」とおっしゃって、そのまま一同でインディペンダンスに押し掛けて、その中をあたかも自艦のごとくに案内していただいたというもので、期せずして空母の見学会になったというわけである。


(2009年4月2日記)
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