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法科大学院の定員削減
 平成21年4月17日の朝日新聞朝刊は、法科大学院の定員削減が検討されていることを報じている。文部科学省は、現在74校ある法科大学院合計で約5800人に及んでいる総定員数を絞り、全体の質を高めたい考えだとしている。その方向で大学院側を指導した結果、具体的には、国立では東京大学法科大学院が定員300人を240人に、京都大学法科大学院が200人を160人に削減し、他の国立でも1〜3割の定員削減を検討しているという。私立でも、たとえば早稲田大学法科大学院は300人の定員削減を検討しているが、他の大学院では意識に濃淡があるようで、中央大学法科大学院は300人の定員を削減することは特段考えていないとのことである。その理由として、同大学院は「成果を上げているところも含めて一律削減は納得できない。各校の実態を見るべきだ」としている。確かに、国公立や私立を問わず、ほとんど合格者を出していないにもかかわらず、定員だけは多いという法科大学院も数多くある。

 いよいよ、そのような時代に立ち至ったかという思いである。そもそも、2065人(2008年)という合格者実績に比して、約5800人にも及ぶ総定員数という現状は、いかにも多すぎる。この点は、私は
制度発足の当初から指摘していたところである。加えて、3回まで新司法試験を受験できるという制度であることもあって、前年と前々年に不合格となった者も受験した結果、合格率は、2006年48%(合格者1009人)、2007年40%(合格者1851人)、2008年33%(合格者2065人)と漸減せざるを得なくなってきている。2002年当初の計画では、合格者数を2010年までに3000人にすることになっていたが、日弁連の動向などの最近の情勢では、これが困難となりつつある。2009年には、その数が2500人を下回るとなると、合格率はおそらく30%を割るのではないかと懸念している。

 そもそもこの30%という合格率も、修了者の8割は合格させるという当初の触れ込みとは大きく異なっている。これを信じてそれまでのキャリアを放り投げ、多額の学費を払って法科大学院に入学した社会人も多くいたと思う。法科大学院が発足した2004年から3年間勉強し、2007年、2008年と2回受験して不合格となった人は、今年2009年が最終的に与えられた受験の機会である(もう少し正確にいえば、5年間で3回の受験であるから、2011年までに3回の受験ができるが、ここではそれを捨象して話を進める)。仮にそれでも合格できなければ、本当に裏切られたと感ずるものと思われる。

 今回の定員の削減は、こういう残念な結果となった方の数をそれだけ減らすことにつながるという意味では、大いに評価できると思う。しかし、本当に効果のある対策は合格者数を3000人といわず、抜本的に増やすことであると今でも私は考えているが、それが
日弁連の反対で叶わない夢に終わるのであれば、こうした形で法科大学院の定員削減を進めて、せめて定員の5〜6割は合格できるように制度設計を進めるべきではないかと思われる。たとえば、今回、平均で2割の定員削減で定員を4600人とすることができるが、それでは足りないので当初の計画通り4000人とする。他方で合格者を計画通りに3000人とする。そうすると、前年と前々年の不合格者がどれだけとなるかということにもよるのであるが、長期的には5〜6割の合格率となりそうである。

 それとともに、合格者の質、ひいては法科大学院の学生の質の問題がある。この点は、私も法科大学院で教えていて、日々感ずるところである。私は、2〜3年生を相手にしているのであるが、試験や課題を書かせたりすると、およそ半分強程度は、まあまあの文章を書いてきてくれる。ところが残りの人たちは、とても法律的文章とはいえない代物しか書けないのである。まず、法的知識がない。まあ、これは仕方がないとして、論理の進め方や発想法が法律的ではないのが一番困るところである。検討すべき課題を適示し、条文、判例、学説に即して消去法などを駆使して論説を進めていって、最後に結論を得るという、簡単なことができない。これは困ったことで、そもそも頭の構造がまだまだ法律家に向いていないというか、そもそも法律家になろうという準備ができていないのではないかとすら思う。

 そういう人に限って、「今まで何をしていたの」と聞くと、たとえば「まだ自分には何が適しているかわからなくて、とりあえず、法科大学院に入ってみたのです」とか、「銀行に勤めていたのですが、どうも仕事が合わなくて、いったんそれを辞めて、友人のIT会社を手伝っていました。実はそこも自分の居場所ではないなぁと思っていたところに、法科大学院制度が発足すると聞いて、入ってみたのです」などという。

 この前者の人は、社会に出る心の準備ができていない段階でいわばモラトリアム的に法科大学院を選んだにすぎない。その方が本人だけでなく親も体裁が良いからである。後者の人はいったん社会に出たのに、どこへ行っても自分に合わないと感じてしまうのである。実は、青い鳥は身近にいるというのに、それに気が付かない。こういう人は、たとえ法科大学院に入っても同じことで、ここにおいてもやはり居場所がないのではなかろうか。だから、いずれのタイプでも、どうしても法律家になろうという意欲に欠けてしまうので、おのずと勉強にも身が入らず、試験や課題にも中途半端な姿が出てしまうのではなかろうか。何か、最近の世相を反映しているようである。

 そこで、教師としての私の役割は何かと、いつも自問自答しているのであるが、まずは、本来できる人、やる気のある人には、論理構成がもっと緻密にできるように良き例を示してあげて、うまくできた人には誉めてあげて自信を持ってもらうことである。そしてモラトリアム型や青い鳥探し型の人たちには、法律って、こんなに面白いのだという、その論理の美しさや魅力を伝えてあげるようにしたい。試験の役には立たないかもしれないが、まずは法律でも何でも良いから、自分が全身全霊をあげて熱中できるものを見つける手助けができればと思っている。



(2009年4月17日記)




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