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史跡 足利学校
寛文8年(1668年)に創建された「学校門」


 長い連休の初日、日本最古の学校で国指定史跡の「足利学校」を見に行ってきた。足利フラワーパークの藤の花の見物のために上野駅から「藤まつり号」という特別仕立ての電車に乗ったのだけれど、その旅行とセットで、足利で食事をするということになっていて、その蕎麦屋のお店の近くにあったのが、「足利学校」というわけである。何だ、もともと蕎麦を食べに行くのが目的かといわれると、それはそうだったのだが、この「おまけ」のようなところは、なかなか興趣がつきなかった。

 現地でいただいたパンフレットによれば、「足利学校の創建については奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義景説などがありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、庠主(学長)制度を設けるなどして学校を再興したころです。鎌倉建長寺の玉隠永興は、1487年の詩文の中で『足利の学校には諸国から学徒が集まり学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である』と賛美しております。また1550年にはフランシスコ・ザビエルにより『日本国中で最も大にして、最も有名な坂東の大学』と世界に紹介され、学徒三千といわれるほどになりました。江戸時代の末期には坂東の大学の役割を終え、明治5年幕をおろしましたが、足利学校の精神は現在に引き継がれています。昭和57年、保存整備事業により、平成2年、江戸中期の姿に甦りました。」ということである。

 冒頭の写真は、寛文8年(1668年)に創建された「学校門」で、足利学校のシンボルとして、よく紹介されている。そこをくぐって「杏壇門」をくぐると、そこは孔子廟である。その中には、湯島の聖堂やベトナム・ホーチミン市にもあった孔子坐像が鎮座していた。そこから出て、字降松の脇を通ってそのいわれを読むと、「学生が読めない漢字や意味にわからない言葉などをこの松に結んでおくと、翌日にはふりがなや注釈がついていた」ということである。よくある学校伝説の類かもしれないが、親切で教え好きな先生でないと、なかなかそんなことはできないなぁと、感心した次第である。


南庭園


 そこから、南庭園と方丈(講義、行事、接客などに使われた建物)に行く。ちなみに、方丈は萱葺きの建物であるが、平成2年に江戸中期の姿に復元されたものである。そこから、裏手に回ると、歴代の庠主の墓があり、竹藪があって、収蔵庫などが配置されている。

 それにしても、なぜ明治5年に廃校となったのだろう。おそらく、文明開化の世の中で、必要とされる教育内容が、昔ながらの論語読みから欧米先進国家の先進技術へと急転換がはかられたからであろう。坂東の山深い地で、「子曰く」などとやっている時代ではないというわけだ。それもそうだが、変転が常ないこの世の中で、そうした世間とは隔絶した役に立たない・・・でもないか、いや失礼・・・ことをやっている学校が、ひとつぐらいあってもいいと思うのだが、どうだろうか。


方丈(講義、行事、接客などに使われた建物)


 そんなことを思いつつ、この足利学校の方丈において「論語抄」を売っていたので、買い求めた。中を開くと、論語の中で著名な文句が書き下してある。高校時代以来だ。40年ぶりではないか。読み下しではあるが、ずらりと漢語が並んでいる。ああ、これこれ、これだったなぁと、その懐かしさが胸にしみる。そのいくつかは、まだ暗誦ができる。これは、捨てたものではないと、妙な自信が生まれる。それに、孫と論語を一緒に読むのも、亦た楽しからずや・・・だ。ちょっと、声を出して練習してみよう。

「子曰く、学びて時に之れを習う。亦た説ばしからずや。朋あり遠方より来る。亦た楽しからずや、人知らずしてА覆いどお)らず、亦た君子ならずや」
 → (先生はおっしゃった。学問をして、その学んだことを繰り返して復習すると身に付く。なんと喜ばしいことではないか。このようにして知識がついて、遠くから来てくれた友達と学問を話し合う。なんと楽しいことではないか。しかし、いくら勉強しても、それを認めてくれない人がいるものだ。そうしたときにも、それを恨まない人こそ、なんと学徳にすぐれた人ではないか。)

「子曰く、君子は食飽かんことを求むる無く、居安からんことを求むる無く、事に敏にして、言に慎み、有道に就きて正す、学を好むと謂べきのみ」
 → (先生はおっしゃった。学問に志す君子は、食事には満腹を求めず。住居には安泰を求めない。やらなければならないことは素早く実行するが、言葉は慎重にし、道徳的に完成された先輩について、自分の過ちを正して行く。こういう人こそ、学問を好む人と言えるだろう。)

「子、四つをもって教う。文・行・忠・信」
 → (先生は四つのことを教えてくださった。学問、実践、忠義そして信義である。

「子曰く、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。」
 → (先生はおっしゃった。学徳にすぐれた器の大きな人物は道理にかなった正しいことに敏感であり、学徳のない器の小さな人物は利益に敏感である)

 それからしばらく読み進んだあたりで、この儒学が、武士社会においていかに大きな価値観をもたらしたかという実感が湧いてきた。なにしろ、学問を好み、貧窮をものともせず、主への絶対的服従と親への孝行を尽くせというのだから・・・。しかし現代では、清貧な生活、主への忠誠、親孝行というよりは、自己実現という名の下に、食事には満腹、住居には安泰、生活には安逸、仕事には無責任を求めるような世の中だから、こういう儒教的人物には、最も生きにくい時代だろうなという気がする。

 ただ、昨年来の金融危機をもたらしたアメリカの金融工学の亡者たちや、いささか古くなるが日本のホリエモンなどにも、こういう儒者の爪の垢を、少しは煎じて飲ませたいものである。



(2009年4月29日記)
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