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徒然138.床屋での世間話
E-Art Japan 様より

 私がいつも通っている床屋は、店のある場所がいろいろと変転して、今は永田町の一角に位置する。女店主は、歳は正式には秘密のようだが・・・還暦はとうの昔に過ぎているということは言って差支えないだろう。もちろん、店にはマスターと呼ばれる正式な店主兼亭主がいるのだけれど、昔からこちらの女店主兼奥方には頭が上がらない。それにはそれなりの理由があるのだが、今日のところはその話はせずに、別の話題を取り上げたい。

 来週からゴールデン・ウィーク後半の5連休が始まるから、今のうちに頭を刈ってもらおうと思い、お昼の時間、この女店主がいる床屋へ行くことにした。店に着いてみると、既に始まっている連休の谷間になるので、お客がひとりもいない。普段は狭いと思う店内だが、この日ばかりは広々として見えたくらいである。女店主が待ってましたとばかりに、私に白いエプロンを掛け、櫛でサッサと梳いてハサミでジョキジョキとやり出した。ほかに誰も聞いていないこともあって、午前中に来たお客の話をし始めた。

 何を隠そうこの女店主、端倪すべからざる情報通なのである。それも、SPや国会職員・秘書から仕入れているのではないかと推察しているが、国会の先生たちの動静をはじめとして、元検事総長殿の近況、某省事務次官の再就職先の話をしたかと思うと、真夜中に酔っぱらって裸になった草くんの話題から料理の話、持病のガンをいかに克服したかという闘病記、果ては孫の理髪修行の話に至るまで、まさにピンからキリまで何でもござれなのである。いつもは、「ふん、ふん、ほほぉ、それは凄いね。」などと、普段から家内との会話で培った悠々人生方式の返答術でしのいでいる。しかし、今日の話は、あまりに深刻なものだったので、右の耳から聞いたことを頭を経由しないでそのまま左の耳の外へ出すという得意技が使えずに、頭の中に残ってしまった。そこで、それを振り落とすつもりで、ここに記録しておきたい。

女店主「今朝来たお客さん、もうかわいそうだったわよぉ。」

わたし「ほう、ほう。どうしたの?」

女店主「ひとり息子がいるの。それがね、もう30歳になるっていうのに、家に閉じこもってばかりいるらしいの。」

わたし「それ、よくある話じゃないの。」

女店主「何でもね、大学を出て、有名メーカーに就職したらしいのよ。それが、1年も経たないで辞めてしまって、そのまま家にいるというわけ。」

わたし「再就職、できなかったの?」

女店主「いろいろと探してみたけれど、本人が乗り気じゃなくて、そのままになっているらしいのよね。」

わたし「へえ? それで7〜8年も、家でブラブラしているというわけか・・・。そんなの、絶対に甘やかしすぎじゃないか。」

女店主「最初はね、お母さんが可哀そうって思って、旦那さんに対してする以上に手厚く面倒を見たわけ。たとえば、旦那さんが朝、出勤した後、その子は昼夜逆転しているから、午後になって起きてくると、そこでお食事を出したりしてね。でも、そんなことをしていたから、奥さんが参っちゃってとうとう体まで壊してしまい、大変だっていうのよね。」

わたし「そりゃあねぇ、お母さんも母性本能が働くのはわかるけれど、結局は、それは甘やかしているだけで、決して本人のためにはなっていないんじゃないのかなぁ。大人になった子どもを一生懸命に世話をした挙句に、自分の体が悪くなってしまうんじゃあ、それは本末転倒だよ。」

女店主「まあ、口でいうのはそうだけれど、お母さんとしては、子どもを前にすると、ついつい世話したくなるのよね。」

わたし「それ、お父さんも、ダメなんだよね。そういう場合は、心を鬼にしてでも、子どもを家から追い出さないと・・・。私の知り合いは、男の子が大学を卒業し、ナントカ電器に就職してて2年ほどたったところで、『もうそろそろ、自活しろ』といって、自宅から追い出したからねぇ。そのお母さんは、泣いていたらしいけど、家内も私も、「それはなかなか出来ることではないが、よく決断した・・・ホントに偉いお父さんだと感心した」というわけ・・・20年前の話だがね。」

女店主「今どきはね、そんなお父さんなど、いませんよ。みんな、甘ちゃんになっちゃって。」

わたし「それと、もうひとつの原因は、お父さんが若い頃から仕事や酒で毎日の帰りが遅い状況が続いたりすると、お母さんが憎しみを募らせて、それを子どもと共有したりする場合があるんだ。これまた困った問題でね、そうすると家庭内ではお父さんはダメ人間ということになってしまうから、それを小さい頃から刷り込まれた子どもは、大きくなってもお父さんの言うことを聞かなくなってしまうというわけ。つまりは、そういう家庭の問題でもあるのだよ。昔からのちょっとした歪みが、徐々に大きくなって、亀裂が生じたというわけだな。」

女店主「それが、もう亀裂ってものじゃなくて、子どもは2階、夫婦は1階で、バラバラだって。」

わたし「その三十路を超えた息子は、2階で毎日どうしているっていうの?」

女店主「朝から晩まで、じゃなかった・・・晩から朝まで、パソコンの前に居続けているって。」

わたし「典型的な『引きこもり』だなぁ。家庭内暴力や秋葉原のような街頭無差別殺人に及ばないだけ、ましなのかもね。」

女店主「それで、たまに友達が訪ねてきて二人で話をしているのを、そのお父さんが聞いたりするわけ。そうすると『こうして、実家にいると、いいゾーッ。なにしろ朝昼晩と、食事が出てくるからな』と言っているわけ。それを聞くと、そのお父さん、とても悲しくなるって・・・何とまあ、可哀そうな話じゃない。私、泣けてきたわ。」

わたし「どうして、そんな風になってしまったのかねぇ。その人の場合は、今さら原因究明をしても、遅いのかもしれないが、相談できる優秀な専門家でもいないのかと思うね。」

女店主「こんな子どもが出るなんて、私らの若い頃には思いもしなかったわ。」

わたし「そうそう、昔を振り返ってみても、たとえば『おしん』などは、いかに貧しくても、一生懸命頑張って良い暮らしを手に入れたという成功物語で、みんなそれに心から感動したじゃない。ということは、食うや食わずの貧困生活が当たり前だったけれど、そこを頑張れば何とかなるという価値観を、日本人が共有していたんだね。ところがそうやって親の世代が頑張って、もう飢えるなことがなくなったとたん・・・ほんのこの20数年というところかなぁ・・・こんな馬鹿げた引きこもり現象が起きるようになったのは。そういえば以前、高校や中学で登校拒否とか、保健室登校とか騒ぎ始めたときがあったけれど、その頃、『こんなことを安易に認めていると、大人になってから社会に出て行けないんじゃないのか。困った世の中だ。』などと思った記憶があるけれど、その延長線上の話かもしれない。」

女店主「そうね。豊かになったことが、かえって仇になったのかもしれないわね。」

わたし「でもこのお父さんの場合、今はお母さんが体調を崩したということだけれど、やがてお二人とも老齢化して、収入面でも支えきれなくなったりしたら、どうするつもりなのかね。そういう将来についても、不安だろう。」

女店主「それそれ。このお客さんも、そう言っていたわ。」

わたし「個人の問題というだけではないよ。つい先日、経済危機対策が発表されたけれど、これによって総額44兆円もの国債が発行される。これは1年の税収入を上回るという巨額な借金で、近い将来、国の財政が危機に瀕するのではないかと私などは心配している。だから、将来こういう引きこもり人間を世話するという財政上の余裕もなくなってくるのじゃないかな。」

女店主「このご家庭も、国も、お先真っ暗ね。」

わたし「そうそう、もっとも、我々はそれまで生きていればの話だけど。」

女店主「また、そんなこと言って・・・。」



(2009年5月1日記)
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