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徒然144.遺伝子操作の世界
 アメリカの連続テレビドラマで、スタートレックという番組がある。人によって好き嫌いの激しい番組ではあるが、私は、そのうちのDS9やボイジャーの二つのシリーズが大好きである。SFという衣をまとって、その実は軍事的な戦略、外交上の駆け引き、先端技術、民族問題など、我々の世界が直面している問題をさりげなく取り上げており、それに対するアメリカ人の思考内容と対応策がよく理解できるからである。

 このドラマの場面設定が24世紀ということであるから、ありとあらゆる先端技術が取り上げられているが、その中で、瞬間転送技術とか、フォースフィールドという空間遮断技術、光速以上で宇宙をワープ航行する技術というのは、まるでSFそのものであるから、何世紀を費やしても、まず実現は不可能な技術だろう。しかし、バイオ関係の技術などは、そのまま実現しそうではないかと思ったことがある。たとえば、他の宇宙域で保護された正体不明の人間のDNAをコンピューターで検索したところ、保存データから、本人の名前、出身地、顔写真のみならず、その父と母の名前や住所や経歴までもがたちどころに判明するという場面がある。それだけでなく、本人のDNAをコンピューターにかけて調べると、ありとあらゆるDNA由来の病気がわかるというシーンもあった。

 確か2000年頃に、ヒトの遺伝子解析(ヒトゲノム)計画について、各国間や民間会社間で激烈な解析競争が行われ、その結果、2003年にヒトゲノム全30億個のすべての塩基配列が解析された。これからは、他の動物との比較、各塩基配列が果たす機能特に疾患関連遺伝子の解析に関する研究が進んでいくものと考えられている。

 昨年、科学雑誌ニュートンを見ていたところ、46本ある人間の染色体のうち、どの部分にどういう病気をもたらす遺伝子があるのかという地図が掲載されていた。それによると、46本の染色体上の遺伝子に、色つきで沢山の線が引いてあって、その脇に病名が書かれていた。ハンチントン病(舞踏病)など、知っている病名もあったが、そのほとんどが聞いたこともないカタカナ名の病気である。大勢の研究者がこれを日々研究してきたからこそ、その機能や病気の原因であることが判明したのであろう。これを地図にするとわずか数枚のことであるが、その背景には膨大な研究の積み重ねがあったものと思う。その貴重な研究の成果がこの遺伝子地図である。しかし、それでもまだまだこの遺伝子地図は、いわば暗黒大陸で、空白となっている部分が多い。人間の遺伝子の数は最大26,800であるらしいから、ひとつひとつをコツコツと調べていくのは、気の遠くなるような時間と努力が必要だろう。しかし、それは一歩一歩直実に進んでいるようである。

 たとえば、本日(2009年6月1日)付けの日本経済新聞の13面をみると、そういう研究がいくつか紹介されている。大阪大学の二村圭祐研究員と金田安史教授は、新生児の心臓の壁に穴が開いたり骨や歯が正常に作られなくなったりする遺伝病「ウォルフ・ヒルシュホン症候群」を引き起こす中心的な遺伝子を動物実験で突き止めたという。この病気は新生児5万人にひとりの割合で発症し、4番目の染色体の一部が欠けて起きる。この研究チームは、染色体が欠けた部分の遺伝子(WHSC1)を働かなくしたノックアウト・マウスを作って観察したところ、心臓が正しく形成されなくなったというのである。

 同じ新聞紙面で、京都大学の山中伸弥教授のiPS細胞を利用した再生治療の記事もある。これは、米研究所の研究であるが、遺伝子に異常があり、多くの場合には小児に発生する「ファンコニ貧血」の患者から皮膚の細胞を採取した上で、病気の原因遺伝子を修復し、それを元にiPS細胞を作成して、これを骨髄の元となる造血前駆細胞に分化させることができたという。これなどは、遺伝子解析とiPS細胞を融合して大きな成果を上げた一例である。

 このような医療面での成果を日々積み上げていくと、そのうちに人間の遺伝子の数26,800に到達し、やがてはすべての遺伝子の内容が解読される日もそう遠くはないと考えられる。そうなったときは、まさにスタートレックの世界が現出するというわけである。それでは、次の段階はどうなのかと考えてみると、遺伝子の機能が判明し、かつ遺伝子操作が可能となり、しかもそれが自分の細胞に由来するiPS細胞で行い得る技術が確立されれば、もう間違いなく、自分や子供の遺伝子を人為的に操作する時代が来るのではないだろうか。たとえば、子供に対して、記憶力を良くする遺伝子を挿入するとか、病気にかかりにくい遺伝子を強化するとか、音楽や数式や造形や運動に優れた遺伝子に置換するとか、そういうとんでもないデザイナー・ベイビーが生まれるかもしれない。

 そういう調子で、毎年、2個や3個の遺伝子が新たに置換され続けていくとすると、わずか1世紀の間、つまり100年もしないうちに、人間の持つ遺伝子のうち、2〜300の遺伝子が別のものに変わるであろう。ところで、人間とチンパンジーの間の遺伝子の違いはたった1〜2%といわれているから、これを実数に直すと、268〜536ということになる。つまり、こうした遺伝子操作を受けた子供は、もう我々とは別種の存在となってしまうかもしれないのである。

 環境問題も確かに地球の大事であるが、こういう遺伝子操作問題は、それよりはるかに深刻な、人類の危機ではないかと思うのである。もっとも、すでに穀物の分野で実用化されているように、遺伝子操作によって病気や干ばつに強い品種を作るなど、その使いようによっては、人類に大きな福音をもたらすものであることは認めなければならない。しかし、それと同じ技術を安易に人類自身に対して使ってよいのか、それこそ、私が疑問に思うところである。

 でも、「この遺伝子を入れると、あなたの子供さんの記憶力は、30%高まりますよ」とか、「この遺伝子で、あなたの子供さんが、イチロー選手並みの野球選手になることを請け負います」などと言って、誘う輩も必ずや出るだろうし、うかうかとそれに気安く応じてしまう両親も、間違いなく何人かは出そうである。まあ結局は、原子力と同じことで、その技術を保有する人や使う人のモラルの問題に還元されるのかもしれない。

 しかしながら、これから生まれるか、あるいは生まれてきたばかりの赤ちゃんに対してではなくて、生きている人そのものにも遺伝子改変技術が適用されるかもしれない。たとえば私が80歳くらいになった頃、バイオ企業のジェネティック社から営業マンがやってきて、「あなたの36番目の染色体のこの部分に、当社が開発した遺伝子WHOSを組み込むと、あと半世紀は寿命が延びますよ。ガンにも罹らないことも、絶対に請け負います。どうですか?」などと言われたら、私にはそれを断ってしまう勇気があるのだろうか。いやいや、きっぱりと断るなどという人はごく稀で、この技術に頼った結果、先進国は、それこそ遺伝子操作を受けた老人の天国になってしまうことだろう。あるいはそんなハッピーエンドにはならず、遺伝子操作が失敗して、数年経過したら、老人が皆、お猿さんになっていたりして・・・やはり、染色体や遺伝子をいじくるなどという自然の摂理に反することは、勇気を持って断った方がよさそうである。

 それに関連して、一昨年頃に、テレビのディスカバリー・チャンネルで放送していた番組を思い出した。ある生物研究者が、哺乳類の体格を大きくする遺伝子を見つけたそうである。これは人間にもある遺伝子だった。その研究者は、これはモノになりそうだと大いに喜び、ネズミに対して遺伝子操作を行って、その遺伝子を改変した。そして生まれたネズミの子の体格は、予想通り、普通のネズミのそれの倍近くもあった。巨大ネズミの誕生である。よし、成功したと思ったその研究者は、念のためその大きなネズミを飼い続けた。すると、思い掛けないことが判明した。その子は、体は確かに大きいのに、とんでもなく臆病な性格で、とても生存競争で生き延びられないのではないかと思われるネズミだったのである。もう一回、別のネズミで試してみたが、一匹目と同様、どうしようもなく臆病であることは、同じだった。

 このエピソードは、非常に教訓に富んでいる。おそらく遺伝子は、ひとつの効果のみをもたらすことは稀で、進化の過程でいくつかの性質の発現を担ってきたに違いない。そうでなければ、その遺伝子が何らかの理由で壊れたら、永久にその性質が現れなくなってしまうからである。ということは、このネズミのように、ひとつの遺伝子が、確かに体格を大きくすることにも関わっているし、それだけでなく、大胆さやその裏返しの臆病さという性格にも関わっていることは、別に不思議ではない。おそらく、人間が持っているその26,800という数の遺伝子は、それぞれが複雑に絡み合った結果、何億、いや何百億というとてつもない組み合わせで体格や能力や性格が発現してきているのではないだろうか。しかもこれは、長い間の淘汰の結果であり、まさにそれが現在の我々の姿なのである。つまり、こうした巨大ネズミは、過去に現れていたかもしれないが、その弱すぎる性格のために生き延びることができずに死に絶えてしまったものと思われる。そうだとすると、現在の我々は、そうした遺伝子の組み合わせのベスト・ミックスの姿ではないかと思われる。そういうわけで、神ではない我々が、そんな貴重で崇高な存在である人間の遺伝子を、軽々しくいじくって良いものかどうか、私は懐疑的にならざるを得ないのである。





ヒトゲノム解析計画とは 〜 ヒトゲノム解析センター

ゲノムは生命の設計図
 1.ゲノムとは生命の設計図であり、1ゲノムとは精子や卵に含まれる親から子へ伝えられる遺伝情報に相当します。
 2.ゲノムの本体はDNAと呼ばれるひも状の物質で、A(アデニン)、G(グアニン)、T(チミン)、C(シトシン)の4種類の塩基(文字)から成っています。
 3.この4文字の「ならび方」によってすべての生命の営みが決められています。
 4.ヒトゲノムは30億個の文字から成っています。また、ゲノムDNAの中で直接働いている部分(遺伝子)は、ヒトの場合は2万〜3万個あるとされています。

ヒトゲノム解析計画は人類のチャレンジ
 1.ヒトゲノム解析計画はヒトの全DNA配列(30億文字)を読み取り、その働きを明らかにします。
 2.この壮大な解析計画は国際的な協力により進められてきました。
 3.ヒトの全DNA配列の読み取りは2001年に概要配列が決定し、2003年には全塩基配列が決定しました。また、ヒトゲノム計画に関連して、様々な生物のゲノム解析が行われており、酵母、大腸菌、線虫、ショウジョウバエなどのDNA配列の読み取りもすでに完了しました。
 4.現在、全染色体をカバーするはプロタイプを作成する計画(HapMap Project)が5カ国の国際協調で進んでいます。



(2009年6月1日記)
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