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6月初めの六義園
六義園の入り口。晴れていると、いつもは赤い傘と緋毛氈が敷いてある。


 私の家は、六義園に近いところにあるので、比較的よく行く方なのだけれど、行く季節としては、春と秋が多かった。春には、もちろん有名な枝垂れ桜の大木を愛で、秋には、紅葉を鑑賞するというわけである。ところが5月から6月にかけてのツツジやサツキの季節は、紫外線が強いと思ったり、梅雨入りして雨が降っていたりというわけで、あまり訪れることがなかった。

 そのような中、今日は、文京グリーン・コート内にあるイタリア・レストランに、名物のピザとスパゲッティを食べに行こうということで、家内と出かけた。朝からしとしと霧雨が降る日だったが、食べ終わって出てきたときには、たまたま雨は上がっていた。そのすぐ近くが六義園なので、それではちょうど良い機会だから、入ってみようということになったのである。


六義園の池の中の島にかかる田鶴橋の両脇のサツキ


 入園してみると、霧雨が続いていたせいか、特に苔の緑が色鮮やかで、まことに美しい。そして、池のほとりに出てみると、まだサツキが咲いていて、その赤と周囲の濃い緑との対比が鮮やかである。いや、これまで、この眺めを見ていなかったことを後悔したほどである。

六義園の緑鮮やかな大木の幹と苔


 案内によると、「六義園は、五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が元禄15年(1702年)に築園した和歌の趣味を基調とする回遊式築山泉水の大名庭園です。当園は池を巡る園路を歩きながら移り変わる景色を楽しめる繊細で温和な日本庭園です。江戸時代の大名庭園の中でも代表的なもので、明治時代に入って三菱の創業者である岩崎弥太郎の別邸となりました。その後、昭和13年(1938年)に岩崎家より東京市に寄付され、昭和28年(1953年)に国の特別天然記念物に指定された貴重な文化財です。」とあった。

六義園の池の中の蓬莱島で、洞窟のように作られているから、向こうが見える。


 内庭の門をくぐると、目の前には、いつも春に眺めに来る枝垂れ桜がそびえているが、桜が満開のときもすばらしいが、この緑の季節で、葉っぱが鈴なりで威勢が良い風景も、なかなかのものである。庭の池のほとりに出ると、池の中央には、妹背山の「中の島」があり、その左手の池の中に「臥龍石」、小さな松が生えていて洞窟のようになっている「蓬莱島」がある。左回りに行くと左手に「滝見の茶屋」、さらに回り込むと右手に「吹上茶屋」があり、そこで家内とお抹茶をいただいた。橋をわたって藤代峠のある大きな島に行き、そこからは、こんもりとしたサツキがいくつか見られる。ここに至る道程には、ちょうど梅雨が間近なので、紫陽花が満開となっている。こんもりとした紫、淡い赤、白、ガクアジサイなどが、目にとまった。これは、ちょうど、都会のオアシスであるといってよい。

六義園の紫陽花


 ところで、六義園の名前の由来について書かれている立て札があった。それによると、「六義園の名は、中国の詩の分類法(詩の六義)にならった古今集の序にある和歌の分類の六体(そえ歌、かぞえ歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、いわい歌)に由来したものです。柳沢吉保自身が撰した『六義園記』では、日本風に『むくさのその』と呼んでいました。」、「この庭園の作庭については、吉保自身の培った文芸趣味の思想に基づき、自分から設計し、7年あまりの歳月を費やし、池を掘り、山を築き流れを見せて、紀州和歌の浦の景勝を、あるいは万葉集や古今集から名勝を選び、園内に八十八景を写し出すという構成になっています。」とのこと。 

六義園の紫陽花



(2009年6月6日記)
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