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徒然150.月餅的故事


 毎年秋になると、日本では中秋の名月を愛でて、白い御団子を三宝に積み上げ、ススキを添えて祝いごとを行う。すでに平安時代には、貴族達が集まり、月を見て詩歌を詠んだという。私は昔から、風流でいい風習だなぁと思っていた。ところが東南アジアに住んでいたとき、中国人にも似たような風習があると知った。実はこの季節、広東系中国人の家では月餅(げっぺい)というお菓子を作り、友人知人に手土産として配る風習がある。もちろん、今では自分の家で作るというわけではなくて、それ専門の人が作ったものをスーパーなどで買い、それを配りまくるのである。今でも私には中国人の友人がいて、この季節になると、それをいただくのである。

 それが冒頭の写真で、直径が8センチ、高さが2〜3センチくらいのお菓子である。外側はたいてい茶色であるが、中を切ってみると下の写真のようになっていて、この月餅の中身は、たまたま「緑茶」ということである。実はこの中身というものに特徴があって、よくあるのは、「蓮」と「小豆餡」と「卵の黄身」の3種類の月餅である。3番目の卵の月餅は、黄身がそのままゴロリと入っているからすごい。しかし、こんなことで驚いてはいけない。昨今は差別化を図ろうとする商魂がたくましいせいか、いろいろなものが開発されていて、その中には、「蜂蜜」もあれば、最近は「コーヒー」味というのもあったりする。一番びっくしたのは、「ドリアン」という月餅があるらしくて、それを食べたその友人の話によると、外側の皮は白っぽいが中身はまさにドリアンそのもので、冷蔵庫で常時冷やしてないといけないけれども、それはもう美味かったという。果物の王様を月餅にするなんて、なんともはや、うらやましい話である。残念なことに、私にはまだ、それを食べに行く暇がない。




 ところが、今回いただいた月餅には、そのいわれが書かれた紙が入っていた。Equatorial というホテルのもので、私も、これで初めてその故事を知ったのである。原文は簡体文字の中国語だが、英語の翻訳を参考にすると、次のようなことらしい。

 月餅は中華文化の遺産である。その起源は元朝の時代に遡る。その当時、中国は約100年間に及ぶ蒙古人による苛斂誅求に苦しんでいた。月餅は、そういう時代を救った存在なのである。西暦1368年、蒙古人による支配を打倒するため、中秋の名月を祝う季節に、何百という小さな月餅を焼いた。その中身は、「蓮蓉」、「或者是」、「豆沙」といったものであり、これらは今でも味わわれている。ところがその中には、家族や友人に宛てられた秘密のメッセージが入れられていた。それは、近く蜂起する反乱への参加を呼びかけるものであった。単に季節の祝い事に使われるだけの月餅にそのような大事な情報が隠されていたとはつゆ知らなかった蒙古人側は、完全に虚を突かれてしまった。それに対して、反乱に立ちあがった漢民族側は、月餅のメッセージのおかげで結束し、実に組織だった抵抗を行ったので反乱は成功裡に終わり、ここに悪名高い元王朝は、終末を迎えたのである。それ以来中国では、毎年8月の中秋の名月の季節になると、人々の間で月餅が贈り贈られて故事を偲び、一緒に楽しむこととなったのである。

 ああそうそう、最後に付け加えるなら、月餅を東京で食べようとすると、お台場の小香港か、横浜の中華街に行ってみるとよい。ただ、私が東南アジアで見たような本格的な月餅より、もっと小ぶりで、食べてみてがっかりするような代物も中にはあるので、冒頭の写真を参考にして、お探しになるとよいと思う。もっとも、脅かすわけではないが、カロリーがけっこう高いので、一人で全部食べてしまうようなことは、お勧めできない。たとえばこれを四分の一にして、家族4人で語らいながら楽しく一緒にいただくのがよいと思う。



(2009年8月19日記)
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