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徒然152.袖振り合うも・・・
 「袖振り合うも他生の縁」という言葉がある。元々は仏教用語で、道で見知らぬ人と袖と袖がちょっと振れ合うというようなほんのささやかな偶然の出会いであっても、実はそれは前世からの浅からぬ因縁によるものだから、どんな些細な出会いであっも、それは大切にすべきだという意味である。

 最近、私も歳のせいか、かなり昔の記憶が、何かの拍子にフラッシュバックのごとく脳裏に甦ることがある。それが何十年もすっかり忘れていた少年時代の出来事であったり、あるいは社会に出たばかりで深夜早朝までバリバリ働いていた頃のことだったりする。大抵は相互に脈絡のない話が多いのだけれども、今回のそれは、珍しくまとまっていた。外国で知らない人とたまたま「袖振り合って」助けてもらったりしたお話である。


デトロイトのルネサンス・センター


 アメリカのデトロイトのGMのオフィスがある当たりは、シカゴの都心部にあるにもかかわらず、かつてはひどく荒廃していた場所である。それをルネサンス・センターと名付けて再開発し、GMなどのアメリカを代表する企業のオフィスが入居して、文字通り「再生」した話は、シカゴに行ったらよく聞かされる成功物語である。私は30年ほど前、その辺りにいた。時はちょうど公民権運動がその成果を上げて、黒人に対する差別が次第に撤廃されつつある頃であった。その頃、黒人といえば、あちこちの公共の広場で昼間から寝転んでいる姿ばかりをよく見かけたものである。もちろん、私が話す相手となるアメリカの官庁や企業の上級管理職にも黒人はあまり見あたらなくて、実は私もそれまで、知的な黒人に出会った経験など全くなかったのである。

 そういう時、私はルネサンス・シティーにあるGMの広報部を訪ねた。それが実に高くて大きな高層ビルで、私は一階の入り口から入ったはいいが、はてさてどこに向かえばいいのだろうと、辺りを眺めながらしばし茫然としていた。その時、仕立ての良いスーツを着込んだひとりの黒人が、「どうしたんですか。迷ったのですか」と、声をかけてきてくれた。その賢そうな顔といい、その話しぶりといい、いかにも自信のありそうなその態度といい、一見してこれは相当な学歴とキャリアのある人であることがわかった。私はそれまで、そういう類の黒人には出会ったことがなかっただけに、「ははぁ、こういう黒人が育ってきているのか、アメリカって、なかなか捨てたものではないな」と思った記憶がある。つまりこの人の存在は、それだけで一瞬にして、アメリカは変わったというメッセージとなったのである。

 現在の中国人は、服装にしても感覚にしても、次第に我々とそう違いがなくなってきている。しかし、私が30年ほど前に北京に行ったときは、決してそうではなかった。私が北京空港に降り立ったときのことである。私は空港ビルを出て、迎えの車が来るのを待っていた。脚の前には私の荷物が二つあり、それからスケジュール表を取り出して、眺めていた。すると、私の周囲に何か異変を感じたのである。背中と、顔の両脇の後ろの辺りに、人の気配がしたからだ。はっとして売りかえると、何とまあざっと10人くらいの人民服姿の中国人が、私が見ていたスケジュール表を、私の背後から一斉に覗き込んでいた! 何だ、この連中は・・・! 私がびっくりして振り返っても、全員がそのままの姿で相変わらず覗き込んだままであった。いやその、気持が悪いこと・・・そのスケジュール表は別に目立つものではなく、変哲のない白い紙に日本語でタイプしてあるにすぎなかった。もちろん、国家秘密・営業秘密の類が含まれているものではない・・・。単なる好奇心なのだろうか、それとも・・・これは、今もってその理由が全然わからない出来事である。


リヨンからパリまで乗った初期のTGV


 今を去ること25年ほど前に、ヨーロッパで家族旅行をしていたときのこと、フランスのリヨンで、フランス国鉄が誇る高速鉄道TGVに乗ろうとした。駅のエスカレーターを上がって行って、窓口でかねて覚えていたフランス語で、「パリまで、大人二人、子供二人」と言った。すると、切符売りのおばさんが、何やらフランス語で聞き返してきた。情けないことに、何を言っているのかわからない。これは困ったと思って、通りかかりの学生と思しき美人に、英語への通訳を頼んだ。要するに、「特急にするのか急行にするのか、乗車券は持っているのか」と言っていたのである。おおよそ、そんなところではないかと思ったが、だいたい日本でも、鉄道会社によっては急行よりも快速が遅かったり、あるいはその逆だったりして、よくわからないものなので、これは助けてもらってよかった。そうでないと、いつまで経っても乗れなかったかもしれない。

サンフランシスコ市内の坂


 これも今から25年ほど前、サンフランシスコを家族で旅行していたときのことである。サンフランシスコは坂の多い町であるが、たまたま泊まったホテルが、その坂の上の方にあった。そこで、坂を下ったところにある港の、フィッシャーマンズ・ウァーフに行き、家族そろってお昼を食べようとした。そこで乗ったタクシーの運転手がラテン系の人だった。坂をスピードを出して下り降りるタクシーに感激して、当時小学生だったウチの二人の子供が「ウァーッ、ウァーッ」と大声を上げるたびに喜んで、にこにこして後部座席を振り返り、スペイン語なまりの英語で何やら話しかけてきてくれた。どうやら、子供好きの人だったらしい。それは良いのだけれど、運転手が振り返るたびにタクシーがぶつからないかと、こちらはヒヤヒヤしたものである。幸い、何事もなく、フィッシャーマンズ・ウァーフに行きつけた。あのときの、ドキドキした感覚が、ときどき甦って来る。ついでに、そのとき食べたクラブ・サンドウィッチのおいしかったことも・・・。

 今から20年ほど前、ドイツのデュッセルドルフで、ホテルから出て、ケーニヒスアレー通りを歩いて行った。この通り沿いにあるという日本の政府機関が入っているショッピング・センターに行くつもりだった。ところが途中で、なぜか心配になった。そこで、地図を開いて眺めていると、中年の男性が近付いてきて、「May I help you?」と言ってくれたのである。ドイツに着いて以来、何日もドイツ語に辟易していたところに、思いがけず英語で話してくれたものだから、私はいささかほっとして、お言葉に甘えてその紳士に教えてもらい、めでたく目的地に到着することができた。ああいう風に、ちょうど良いタイミングで、自分でも理解できる言葉を聞くというのは、まさに干天の慈雨というところである。有り難かったなぁ・・・。

 これは15年ほど前のこと、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港から、黒人運転手のイエロー・キャブで、ダウンタウンにあるホテルへ向かったときのことである。だいたい、アメリカのタクシーの運転手には、陽気で話好きの人が多い。その理由として、物騒なタクシー強盗に合わないようにと、会話を通じて客を見定めているからだという話もあるぐらいである。その真偽はともかくとして、その日も、運転手はよく喋った。数年前に、ケニアから来たというのである。朝から晩までのべつ幕なしによく働いているらしい。「それじゃ、あんたの趣味・・・というか暇つぶしは何か」と聞くと、意外な答えが返ってきた。「ラスベガスに行くことだ」という。ええっと聞き返すと、「年に2〜3回、それまでの稼ぎをすべて持って、一発勝負に掛ける」というのである。これで人生のリセット、一発逆転を狙っているのだそうな・・・。いやはや、アメリカらしい話ではないか。

 というわけで、これらは最近、私の脳裏に浮かんだ昔の出来事をランダムに並べたものであるが、いずれも外国でのエピソードなので、今やこれらの人たちと「他生の縁」があるとは思えない。しかし、それにしても、こうして未だ私の頭に懐かしい思い出として残っているところをみると、我々の人生はこのようにちょっと袖を振り合った人たちにも支えられたものなのだと、改めて思い知ったというわけである。



(2009年9月1日記)
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