<< 年齢に応じた楽しみあり | main | あつぎ国際大道芸 >>
新宿御苑 菊花壇展

露地花壇


 先週の靖国神社の菊花展旧古河庭園の秋の薔薇に続いて今週は、新宿御苑の菊花壇展に行って、皇室風の展示がされている菊花壇の写真を撮ってきた。実は去年も撮っているのであるが、どうも不勉強で、単にいろいろな菊があるなぁ、素晴らしいなぁという程度のことに終わっていた。そこで今年は、御苑管理事務所や花壇の横に掲示されている内容をよく読んでみることとした。そうしたところ、なるほど菊のことが良くわかったので、以下ではその内容の要旨を掲げさせていただいた。

【菊の歴史】 中国では紀元前から霊薬として菊の栽培が行われていたが、日本に渡来したのは奈良時代後期で、当時は延命長寿の薬として用いられた。平安時代になると、陰暦の9月9日に中国の故事にならい、「重陽の観菊宴」が催された。その折、家来には菊花酒がふるまわれ、女官たちは前夜に宮廷に植えた菊の花びらに白黄赤など5色の綿をのせる「きせ綿」を行い、翌朝その綿についた露で体を拭いて美と健康を祝った。またこの頃、貴族の間では自慢の菊を持ち寄り、それに詩歌を添えて優劣を競う「菊合わせ」が行われたとされる。

  江戸時代には、大名、旗本から町人まで、庭に草木を植え、室内に生け花を飾るなど、日常生活に園芸文化を楽しむ習慣が広まるとともに、多くの品種が作られて、日本独自の発展を遂げた。花壇綱目(1681年)は、日本で最初に出版された園芸専門書で、80品種が取り上げられている。言論時代には200品種、享保年間には800品種が確認されている。特に菊については、その栽培方法を解説する菊花壇養種(1846年)などの手引書が出ている。江戸では、目黒。青山、四谷、本所、駒込などに植木屋が軒を連ね、菊の花に手を加えて、トラ、ゾウ、オシドリなどの動物、富士山や夫婦岩で有名な伊勢の二見が浦などの風景、七福神や宝船などの縁起物、源氏物語や金太郎などの物語や芝居の一場面を形作り再現する「造菊(つくりぎく=菊細工)」を競い合って作り、秋の一大イベントに発展した。この技術は、いまでも各地に残っている菊人形展に生かされている。

  江戸時代になると、竹や木を用いた簡易な小屋の中で菊を栽培し展示する「菊花壇」が誕生する。文献などにも天井を藍色と白の市松模様の生じで覆った小屋の中に菊花壇をしつらえた様子が描かれている。この小屋を用いる展示方法は、花をより美しく見せるための鑑賞効果と、苗の育成のための採光、直射日光を遮断する日よけ、雨よけの実務効果という二つの機能を兼ねている。  

 宮内省は、皇室を中心として菊を観賞する「菊花拝観」を明治11年に赤坂の仮皇居で行い、同13年には、ヨーロッパの園遊会にならい、浜離宮の観桜会とともに、「観菊会」を毎年開催した。その後、観菊会は昭和4年から新宿御苑に場所を移して開催されてきた。昭和12年から23年までは戦争のために中止されたが、戦後は新宿御苑が国民公園として出発し、昭和24年から日本庭園内に菊花壇を設けて、一般に公開されてきた。新宿御苑の菊花壇では、すべて御苑自身で栽培された菊を展示している。菊花壇の上屋、独自の植え込み技法などは、皇室ゆかりの伝統的なものである。

大菊花壇の「手綱植え」


【大菊花壇】 花びらが中心を包み込むように重なり合い、こんものと盛り上がる厚物を中心に、斜め一列に一色ずつ、黄、白、紅の順に植え込みという配列である。これは明治天皇の神馬の手綱を模していることに由来する「手綱植え」と呼ばれる技法で、ひとつひとつの大菊の美しさはもとより、花壇全体の調和を鑑賞する新宿御苑独特の様式である。

大菊花壇の厚物


【肥後菊花壇】 肥後菊は、江戸時代の肥後藩主細川重賢が、藩士に園芸を奨励したことによって始めた古典菊である。新宿御苑では、平たい花びらの陰の木と、管状の花びらの陽の木の異なる二つの品種を、一株12本仕立てと11本に仕分けして仕立てている。

懸崖菊


【江戸菊花壇】 江戸菊は、江戸の古典菊で、花が咲いてから花が様々に変化することから、狂菊の別名がある。新宿御苑では、1本の株を27輪に枝分けして、結い立てた状態が「しのつく雨のごとし数多くたっている」ように見えるという高度な篠作りの技法で仕立てている。新宿御苑でもっとも古い菊花壇である。

懸崖菊


【懸崖菊花壇】 懸崖菊花壇は、断崖の岩間に垂れさがる野菊にヒントを得て作りだされたという、日本独自の栽培技法である懸崖作りに仕立てた菊花を展示している。新宿御苑では一重咲きの小菊を用い、一株を枝分けし、舟形に仕立てている。上屋は天然素材の魅力を生かした「竹木軸上屋」で、技術ある職人の手によって毎年建てられており、古木の台座に配色よく並べ、花壇の前に水の流れを作り、足元には枯れ松葉を敷くなど、優雅で野趣に富んだ花壇となるようにしている。

伊勢菊、丁子菊、嵯峨菊花壇


【伊勢菊、丁子菊、嵯峨菊花壇】 伊勢菊は、背丈の低いしだれ咲きの菊で、その形は、座敷に正座をして鑑賞する古来の習わしに由来する。丁子(ちょうじ)菊は、江戸時代にさかんに栽培されていた菊の一品種で、欧米でも人気がある。嵯峨菊は、最も古い歴史のある古典菊で、平安時代に嵯峨天皇が現在の大覚寺に植えたのが始まりという。伊勢菊と嵯峨菊し一六作りの技法で仕立て、特色あふれる花々を配色よく植え込む古典菊の混植花壇である。

丁子(ちょうじ)菊

嵯峨菊


【一文字菊、管物菊花壇】 一文字菊は、大輪咲きの品種の中で唯一の一重咲きの菊であり、幅広の花びらの大きさがそろい、円形に咲き開くのが特徴で、花びらの枚数は16枚前後のものがよいとされ「御紋章菊」と呼ばれている。管物菊は、新宿御苑で作出した菊で、細長い管状の花びらが特徴の大輪咲きの菊である。特に花びらが細く雄大な花容をもつ、細管菊が展示されている。手綱植えである。

大作り


【大作り花壇】 大作り花壇は、古くは江戸菊を大作りに仕立てていたが、現在は大菊を用いている。数多くの花を咲かせるのはもちろんのこと、個々の花においても、枝葉や花に遜色なく、全体の花として開花時期が同時で、かつ花容が揃っていなければならないなど栽培方法や仕立て方に高度な記事10が必要とされる。この様式は御苑独自のもので、全国の菊花展で見られる千輪作りの先駆けとなるものである。ちなみに、この写真の大作りの花数は、700輪を越えている。

大菊花壇の厚物



 というわけで、ひとつひとつの菊花壇を感心しながら見て回り、茶室の翔天亭に着いた。そこで売場に置いてあった商品をふと見ると、「天皇陛下御即位二十年記念・菊最中」と「天皇陛下御座位二十年記念・菊どら焼き」というのが並んでいる。最中の方は、木の箱入りで、菊の御紋章付きある。ああ、それなりの年配の人ならこの価値がわかるだろうと思い、それぞれの実家の両親に食べてもらおうと、自分たちの分を含めて三本買い求めた。そして、その日の午後6時すぎにそれぞれの家に宛てて宅配便を発送した。すると、私の実家のある地方は、東京から相当な遠隔地であるにもかかわらず、翌日の朝9時15分すぎにはもう着いたそうだ。いやいや、日本の宅配便システムというのは、とてつもなく優秀である。

 しかし、びっくりしたのは、それだけではない。私の母によると、父に相談したところ、「こういう天皇陛下にかかわる有り難い贈り物は、我々が直ちにいただくのは、もったいない。親類一同にも見せなければ」といって、そのまま棚の上に飾っているそうな・・・いやいや、何しろお菓子なのだから、気にせずにさっさと食べてくれないと、賞味期限が来てしまうのだけれどなぁ・・・。

天皇陛下御即位二十年記念・菊最中


(2009年11月3日記)



 その後、母から来た電子メールには、次のとおり書いてあった。はてさて、どうしたら賞味期限内に味わっていただけるか、ただいま思案中である。

 元気そうで何よりです 昨日は恐れ多いお菓子有難うございました。お父さんと二人吃驚して眺めています。そのままサイドボードの上に飾ってあります。我が家には何処を探しても 菊の紋章入りのものなど無いし記念すべき品なので当分飾って眺めています。有難うございました。




 11月12日になった。この日の午後6時半、皇居前広場では、天皇皇后両陛下が二重橋にお出ましになって、御在位20周年を祝うために集まった群衆に対しご挨拶をされるとともに、皆が提灯を振って慶賀の印とした。

 母によれば、折しもその日、やって来た私の妹とともに、私が送ったその「菊最中」の箱を開けて、ありがたく賞味したとのこと。ああやれやれ、これでやっと肩の荷が下りた気分である。




 新宿御苑・菊花壇展 ( 写 真 )は、こちらから。


カテゴリ:写 真 集 | 00:28 | - | - | - |