<< あつぎ国際大道芸 | main | 徒然164.リトルの公式 >>
徒然163.日本橋人形町の味の老舗

日本橋人形町の人形市


 東京は中央区にある人形町(正式には、「日本橋人形町」)は、地元の商店街のHPには「江戸時代初期に創られた歴史ある町で、中村座・市村座の江戸歌舞伎二座が開場し、その二座を中心に人形浄瑠璃や芝居小屋また人形師達の多く集う町として栄え、古地図にも書かれているとおり『俚俗人形町通り』が町名の由来となっております。現在では、下町情緒の残る小粋な町としてその界隈には、安産・子授けの神様であられる水天宮や、明治座や浜町公園にぬける甘酒横丁、江戸時代から続く伝統工芸店や、味な老舗が多く残ります」とある。実は私は、若い頃からその「味な老舗」を目当てに、ときどき食事をしに訪れている。主に行くのは、すき焼き・しゃぶしゃぶの「今半」(創業明治28年)と、元祖親子丼の「玉ひで」(創業宝永10年:1760年)である。

「今半」本店


 最近自分で宣言した「グルメ止め」にもかかわらず、先ごろまたこの町に行って、「今半」で食事をしてきた。少し言い訳をすると、まあ、昔みたいに毎日がグルメ状態ではなく、それこそ月に一回・・・というのは無理で、やはり週に一回・・・程度はよいのではないかと、勝手に自分で作ったルールを解釈している。それで、「今半」はどうだったかというと、さすがにコースは注文せずに簡単なすき焼きを注文したのだが、相も変わらず、味はおいしかった。ついつい「ご飯のおかわり!」といいたいところだったが、そこを踏みとどまった。このあたりは、我ながら進歩したと思っている。以上はつぶやきのようなものだが、この際、今半のHPを見たところ、「人形町今半は、明治28年高級黒毛和牛専門店の牛鍋屋として開業いたしました、すき焼、しゃぶしゃぶ、日本料理の専門店です」とあった。次の「玉ひで」と比べれば、こちらのお店は商売上手だったようで、今や東京を中心に11のレストランと、精肉店と惣菜店をそれぞれひとつ、持っている。

「今半」のすき焼


 それに対して、その近くの「玉ひで」は、「お陰様で250年」と題して「一子相伝、秘伝の味を受け継ぎ250年、たゆまない工夫と研鑽とで守り育ている江戸の味・東京の味」と、そのHPにある。実はこちらはわれわれ日本人が慣れ親しんでいる「親子丼」を初めてメニューに載せたお店で、「明治20年、鶏肉と割下を卵でとじてご飯とともに食されたお客様がおられて、明治24年、玉ひで五代目秀吉の妻とくの発案により、食べやすいようにこれをご飯の上に乗せ一品料理とした」ものが、今日の「親子丼」となったという。今では、「吟味した鶏肉と卵に関東のすぐれた醤油の風味と上品なみりんの芳香を生かして、香りのある具を入れた江戸前の味わい」とのこと。ただ、この店の問題点は、お昼には、この元祖「親子丼」がなくなってしまったら、それで商売が終わりになってしまう。だから、遠方からわざわざやってきたのに、もう品切れということも、珍しくない。まあ、そういう点を売り物にすることも老舗商売のひとつのスタイルなので、仕方がないかという気がする。ただ、お昼1時までに並んでいると、それなりに救ってくれるようである。このあたりが、この店がいっこうに規模を拡大しない限界であり、見方を変えれば身の程を知っているがゆえに長続きしている点であろう。

「玉ひで」


 ただ、この人形町は、私たちの住んでいる谷根千と、非常によく似ているところがある。どちらかというと、年配の人が多いというほかに、たとえば、飲食店が多い、垢抜けない、鯛焼き屋がある、人々がやたら親切でおせっかい・・・などというところだろうか。もちろん、人形町には明治座があるが、それに対して谷根千にはそんな由緒ある芝居小屋はないものの、明治の頃には近くで団子坂名物菊人形とか、まあそういう賑わいもあったそうである。なお、根津名物の鯛焼き・柳屋は、この人形町の鯛焼き屋から、暖簾分けをしてもらったものらしい。なお、 11月初旬には、こちらで「人形市」が開催中であった。このほか、季節によっては、「せともの市」や、「べったら市」も開かれている。

「人形町の鯛焼き屋」


(2009年11月10日記)

カテゴリ:徒然の記 | 00:03 | - | - | - |