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京の紅葉(6)嵯峨野の常寂光寺

常寂光寺の燈籠


 光明寺を見学した後、京都に戻ってお昼の食事をいただいたら、もう午後1時となった。慌ただしいが、この季節の日暮れは早いから、このまますぐに嵯峨野へ行ってみようということになり、京都駅からJRで嵯峨嵐山駅に向かった。快速電車だったせいか10分足らずで着き、その足で駅前の観光案内所に立ち寄った。そこで常寂光寺に行く所要時間を聞いたところ、係の女性は、歩いて30分ほどかかるという。それでは貴重な時間が無駄になると思って、タクシーではどうかと聞いたら、本日は混雑しているから歩いた方が早いという。では仕方がないので、常寂光寺への道順を教えてもらった。すると、「竹林の脇を歩くのですが、よろしいですか」と聞く。そのときは、あまり考えずに「はい、もちろん」などと答えていたのだが、現地へ行ってみて、その意味がようやくわかった。

嵯峨野の竹林


 要するに、物寂しいところなのである。大げさに言うと、これが中世だったら確実に追いはぎでも出そうな感じの佇まいのところである、しかしこの日は幸いにも、大勢の観光客がぞろぞろと歩いていたので、なかなか快適な散歩であった。でも、少し歩いているうちに、後ろから「どいて、どいてください」という声がする。何事やあらんと思って振り向くと、何とまあ、人力車が二人の客を乗せて走ってくるではないか。しかし、歩いている観光客が多いので、それをかき分けるようにしてである。これは・・・物寂しいどころではない。

嵯峨野を走る人力車


 そのままのんびりと歩いていると、野宮神社(ののみやしんじゃ)というお社があり、嵯峨野巡りの起点の神社というキャッチフレーズがかかっていた。その中で、大勢の参拝客がお参りをしている。野宮神社のHPによると、「野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです」とある。ははぁ、ここから未婚の皇女さんたちが、はるばる伊勢へと下っていかはったんか・・・それにしても、当時は今よりはるかに侘びしいところだったのではないかと、その心細さたるやいかほどのものだったかと案じてしまう。

 お参りしてから、再び嵯峨野を歩きだした。途中、道端の杭の上に、ニワトリの像があった。妙なところにあるものだと思って近づいたら、突然それが動き出したので、びっくりした。ああ、生きている本物のトリなんだ・・・。でもどうして、こんなところにいるのだろう。人騒がせな・・・。


野宮神社


 落柿舎の傍まで来たが、後で時間があったら、訪れてみようと思いつつ、そこを通り過ぎた。ああ、小倉山の写生をしている・・・だけど、画家本人はどこかへ行ってしまって、ただ描きかけのキャンバスだけが放置されている。のんびりしたものだ。それにしても、現代風の住宅が並んでいるのに、絵の中ではそれが萱葺きの昔風の農家に変えられてしまっている。ははぁ、案外、自由自在なんだ・・・。まるで。パソコン上の画像みたいである。

嵯峨野で描きかけのキャンバス


 ところで、小倉山といえば、保津川を挟んで嵐山と対峙する山であるが、高校でこんな歌を習ったことを思い出した。私の頭の記憶の中から45年ぶりに手繰り寄せて甦ってきたというわけであるが、高校教育というのも、決して馬鹿にしてはいけない。こういうときに、役に立つという例証のようなものである。

 をぐら山峰のもみぢ葉こころあらば今ひとたびのみゆきまたなむ                 [藤原忠平]

 夕されば小倉の山に鳴く鹿の今宵は鳴かずい寝にけらしも                  [舒明天皇]


 そうこうしているうちに、いよいよ、常寂光寺に着いた。左右に美しい紅葉の木が紅葉した葉の付いた枝を広げている。ちょうど、見ごろの時期を迎えているようだ。地面には、落ちた紅葉が一面に広がっている。「ああ、これこそ、京都だ!」といいたくなるような美しい風景である。こちらは、小倉山の山裾に位置しているだけに、苔が実に美しくて目にしみるがごとくである。その上に、赤い紅葉が散り敷かれているので、ますますもって、苔の緑色が引き立っている。紅葉の赤に目を奪われ、次いで苔の緑に目を休めるという感じで、その対比がなんともいえなく心地よい。この苔の美しさは、京都の特有のもので、鎌倉など関東の各地では、いかに努力しても、なかなか追随できないものである。私はかつて、苔寺に行ったこともあるが、苔の緑に引き込まれそうになったほどである。次の機会を見つけて、梅雨の季節にでも、ぜひ再訪したいものである。

常寂光寺の門


 境内を進んでいく・・・といっても、階段ばかりを上がって行くという感じであるが、どこへ行っても、紅葉の木々と、地面の苔の絨毯の上に散った紅葉の葉という組み合わせが美しい。そこを上へ上へと階段を登っていき、ようやく本堂に着いた。ところで、事前にこの常寂光寺のHPを見て、その完成度の高さに驚いた。良く出来ているのである。つまり、最初にイントロのショートムービーが出てきて、まず白黒画面でお坊様がしずしずと境内を歩いている。これがまた、山奥のお寺らしい雰囲気なのであるが、それを下から見上げるアングルで撮っているからますます厳粛な感じがする。そして、お坊様が画面からふっと消えるとともに、紅葉に半分ほど囲まれたお堂の端が現れ、そのとき白黒からカラーの写真となって、紅葉の赤と空の青さの対比が美しく照らし出される。しばらくして再び、境内を歩いているお坊様が出てくるという具合である。いやはや、ちょっとしたCMを見ているようなのである。

常寂光寺境内の苔の上に散り敷く紅葉


 そんなわけで、あまりに出来がよいものだから、ついつい何回も見てしまったほどである。それはともかくとして、そのHPによると、このお寺は、「古来、紅葉の名所として知られる小倉山の中腹に寺域を占める日蓮宗の寺院。慶長元年(1596)、大本山本圀寺十六世究竟院日脳綽佑、この地に隠棲して開創した。寺域が幽雅閑寂で、天台四土にいう常寂光土の観があるところから寺号となる」ということである。確かに、境内は山裾にあって、普段は「幽雅閑寂」、言葉を換えれば、ほとんど誰もいない状態なのだろう。

常寂光寺境内を登る階段と紅葉の木々


常寂光寺境内を登る途中で振り返る


 本堂の脇の木に何かぶら下がっていると思って近づくと、ああ、柿ではないか・・・。それを見つけて、何となくうれしくなる。そしてその前には、黄色くなった銀杏の葉が一面に散っていて、それと紅葉の木々の赤色との対比が素晴らしい景観を作り出している。たまさか、もと来た道を振り返ると、おお、京都市内が一望の下に見えるではないか。しばらく眺めていたが、もっと上に行く道がある。ここまで来たら、もう山登りと同じで、頂上にたどり着くしかあるまい。

黄色くなった銀杏の葉と紅葉の木々の赤色との対比


本堂に付属する細長い小池


 ところが、ちょっと登ったところで、右に行く道が見えた。そちらへ行ってみたところ、小さな池が現れた、実はこれは、伏見城の客殿を移したといわれる本堂に付属する細長い小池だということである。この季節は、水面に紅葉が一面に降り重なっている。その眺めもなかなか良いものである。そこを離れてさらに登っていくと、左手に生前とした竹林が見え、その脇を通って行くと、やっと多宝塔に出た。

多宝塔へ通ずる道と竹林


優美な多宝塔


 この多宝塔というのは、写真でもわかる通り、屋根の形といい、全体の立ち姿といい、本当に優美という表現がそのまま当てはまるような外見である。特に、重層の屋根の線がわずかに跳ね上がっているのが、非常に優雅な雰囲気を醸し出しているし、また真ん中にある白い部分、正式には「亀腹 (かめばら) 」というらしいが、これもなかなか魅力的である。この建物を下から見上げてもよいし、上から見下ろしてもまた美しい。それが京都市内に向けてちんまりと建っているから、素晴らしいの一言である。

独り身の女性の碑


 降りていく途中、ひとつの石碑があり「女ひとり生き、ここに平和を希う」とある。説明を読むと、先の大戦で多くの男性が亡くなったことから、独り身で生きざるを得ない女性が50万人もいたと推定される。この碑は、そうした女性が建てたものであるという。一瞬、厳粛な気持ちになってしまった。私も、ぎりぎりの戦後世代であるが、そういえば、近所にも夫や息子が戦死したとかいう母子家庭がたくさんあったことを思い出した。戦後の日本の発展は、こういう方々の犠牲の上にあるという事実を決して忘れてはなるまい。

石と苔と紅葉



(2009年12月4日記)



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