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徒然166.デフレッション下の悩み

皇居前の噴水広場にて



 いやあ、昨今は、どこを向いても「デフレーション」と景気後退つまり「リセッション」を感じる。両方を合わせて、「デフレッション」というわけだ。

 私はあまり電車に乗らないので、たまに地下鉄に乗ると、数ヶ月前との違いがよくわかる。たとえば、以前に比べて電車の中の広告が激減している。つい3ヶ月ほど前には、電車の車両の網棚の上には煩わしいほどの数の広告があった。しかし、昨日乗ったときには、それがほとんど消えていたのである。そうして白くなった広告スペースにただひとつ広告があると思ったら、債務整理を扱う法律事務所の広告だったので、もうこれはブラック・ジョークの類であると、思わず苦笑いをしてしまった。

 私がお昼を食べによく立ち寄る蕎麦屋の店主が、渋い顔をしている。三井不動産系のちゃんとしたオフィス・ビルに入っているというのに、いつの間にか店の前には、持ち帰り弁当屋の売店が何軒か出来て、その弁当屋相互で価格競争を繰り広げたものだから、何と398円の幕の内弁当まで出現したという。それを買って試食してみたら、まあまあの味だから余計に頭に来たというようなことを言っていた。確かに、この蕎麦屋の一番のお勧めメニューは950円の板蕎麦だし、一番安いメニューが600円の盛り蕎麦という決して安くないお値段なものだから、太刀打ちできないのは、そりゃあ当たり前だ・・・。

 そういうわけで、最近、ここに来ているお客さんは、もっぱら私のような中高年男性ばかりが目立つ。私は、店主も女主人も何年越しの知り合いだから、時には「ああいうメニューがほしい。この料理は口に合わない」などと勝手を言わせてもらっているので、ここは居心地が良い。だから、そういう馴染みの店を袖にして、オフィスで400円の弁当なぞを食べる気にもならないのだけれど、若い人たちはお財布が気になるらしくて、そんなことは全く頓着せず、少しでも安い方を選んでしまうのは当然の成り行きである。

 かくして、従来型の顧客層を相手とする飲食店は、いずれも非常に厳しい状態である。私の家の近くで、家内と二人でブルー・マウンテンをよく飲みに行っていた古びた喫茶店も、ある日突然、閉店してしまった。週末の楽しみがひとつ消えてしまって、とても寂しい限りである。ウェイトレスさんも、店長さんも、とっても感じがよかったのに、誠に残念だ。特にウェイトレスさんなどは、私たちがいつもの席に付くと、メニューも持たずにやってきて、にこやかな顔で「また、いつもの通りですね?」と聞く。そして私が軽く頷くと、いつものとブランチと、それが終わった頃に香ばしいブルマンを持ってきてくれるというぐらいになっていたのに・・・。

 かくなる上は、休みの日のブランチの方は家内の手作りに任せ、ブルマンの方はドリップの器具でも買ってきて、私が居間で作るしかないか・・・。そういえば、コーヒーの豆屋も、近くにあったなぁ・・・。でも、やっぱり面倒だ、それにだいたいあんな良い味のブルマンなんて、素人が作れるわけがなかろうし・・・などと思案は尽きない。

 家内が、近くのスーパーに買い物に行くと、最近はめっきり人の数が減ったという。それでも、食料品売り場はそう減っているわけではないが、2階や3階の日用雑貨の売り場は、不要不急の品物ばかりと見えて、ほとんど人影を見ない。その中で、「20%引き売り出し」などというポップ表示が、むなしく並んでいるばかりだという。

 数年前から、地方都市の中心商店街で、シャッターを下ろした商店ばかりが目に付くとか、そこまでには至らないまでも、アーケードのところどころで櫛の歯が欠けるように店じまいする商店が増えてきたということを聞いていた。現に山形市に行ってみたら、JRの駅前ですらそのような状態だったから、もうびっくりしたことがある。いずれも、地方中心の人口減少時代のせいかと思っていたが、まさかそれが、人口稠密な東京にまで及んでくるとは思わなかった。これというのも、ほぼ1年前に起こったリーマン・ショックがその引き金である。アメリカの金融不況をきっかけに突然始まった昨今のリセッションの影響が、とうとうここまで来たかと驚いている。

 さらにいえば、民主党政権になって、どうもマクロ経済政策がまるで感じられないのである。文化大革命時代の中国のように、毛沢東語録ばりに、何かというとマニュフェストが引き合いに出される。しかし、そこに書かれているのは、子ども手当て、高校教育の無償化、農家所得補償などのミクロな政策ばかりである。しかもそれらの実現には、7兆円ものお金がかかるという。それなのに、新聞によると税収はどんどん落ち込んでいて、例年の40兆円台を維持するどころか来年は36兆円しかないから、その額をはるかに上回る44兆円あるいはそれ以上の国債を発行せざるを得ないらしい。税収以上の国債発行なんて、戦時以外ではあり得ないと思うが、世間特にマスコミは、案外平気のようだ。

 私など、気が小さいせいか、自分の収入の半分以上を借金を当てにするようなことになったとしたら、何はさておき徹底的に、「入るを図って出るを制する」という行動に出るだろう。断固として、かつ早ければ早いほど良い。そうでもしないと、安心して眠れないところである。これは国のレベルでも同じだと思うが、名だたるマスコミや言論界は、なぜもっと声を上げないのか、どうにも不思議でならない。社会的責任を果たしていないのではないかとすら思う。

 国庫の収支という面だけでなく、最近のデフレに伴う物価の下落と、1ドルが84円台に達した円高傾向も、企業の収益を圧迫している。このままでは、国内は需要が落ち込むばかりだし、賃金は下がっているとはいうものの、まだまだアジアの諸国などと比べて高いから、工場や生産拠点をどんどん外国に移す動きが強まるだろう。その結果、国内は人手が余り、低賃金に苦しみ、いったん職を失ったらなかなか次の職が見つからないということになる。こういう時代には、経済の成長戦略が欠かせないと思うが、世の中で議論されている政策の中には、どうもそれが見当たらずに、困った人たちにお金をバラ撒こうということが多い。まあ、ある程度それも必要であるが、いま起こっていることは、それぐらいではとても対処しきれないのではないかと思う。

 たとえば一般家庭では、お父さんの超勤ストップとボーナスのカットで家計の収入が激減し、お母さんが働いて家計の足しにしようとしても、子どもを預けられる保育園がまったく足りないという話をよく聞く。また、とりわけ私立学校に通う子は、親の収入が減って学費が続けられなくなり、退学に追い込まれるという子も少なくないらしい。日本は、アメリカなどと違って民間の善意の奨学金などはほとんど無きに等しいから、いったんそういう状況になってしまうと、前途有望な子の未来の希望が絶たれてしまうことを意味する。やはりそれは本人だけでなく、日本全体の損失だろうということで、もっと保育施設を増やしたり、公的奨学金を充実させなければならないと思うが、それも最近はやりの事業仕分けの見直しの対象になってしまっている。

 もちろん、事業仕分けも大事で、たとえば旧来型の不要不急の公共事業などは大いに切り捨てるべきであろう。しかし、そうかといって、予算と名のつくものを何でもかんでも切ってしまい、次の世代を育てる分野とか、スパコンのような日本の競争力の源泉となるべき科学技術の分野とか、そんな肝心なところまでをも大幅に縮減させてしまってよいのかと思うところである。

 ああ、歳のせいか、年末が近いせいか、どうも愚痴が多くなってかなわない。あたかも冒頭の写真の噴水のごとく、何か、空高く飛んでいけるような、景気がよくなる話はないだろうか? もっともその前に、せめて私自身が「デフレッション」にかからないように、せいぜい気を付けよう。



(2009年12月10日記)


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