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徒然168.Girls are ambitious!
 私のオフィスでは、常時ひとりだけだが、短期で契約するいわゆるアルバイトの女性に働いてもらっている。それこそ、1年やそこらで交代するという目まぐるしいポストである。年齢としては、20歳代半ばから、30歳代半ばといったところで、総じて未婚の方が多い。正直言って、事務の補助という位置づけで、支払える給料もわずかなものであるが、そこへ学歴は申し分なく、性格も能力も言うことなしと思うほど優秀なお嬢さんに来ていただくこともある。

 つい先頃まで、そういう優秀で礼儀正しく、かつとても美人のお嬢さんに働いてもらっていた。何かお願いすると、頭の中ですぐその先が読めるせいか、パパッと反応して、先回りして準備してもらえる。頼む側としては、これほど楽なことはない。英語も得意だし、何よりも気立てがよい。それに美人だから、オフィス内の雰囲気も、気のせいか華やいでくるように見える。まるで笑い話のようだが、実際その通りだから、仕方がない。

 実は私のオフィスには、40歳にもなろうというのに、のんびりとしてまだ独身生活を謳歌している輩が二人もいるし、そこまでいかないまでも、30歳の大台に乗ったまだ若くて生きのいい独身男性もいる。この独り身の男連中に、「普段いったい何をしているのかね」と聞くと、酒場巡りをしたり、語学を習ったり、旅行を楽しんだり、コンサートや美術館巡りをしたりと、それぞれいっぱしの趣味をあげる。なるほど、それは忙しいわけだと思うが、「女性に興味はないのか」と聞くと、「別に生活には困っていませんから」と言う。

 「私なんか、結婚してほっとした。何しろ、不規則でばらばらの食事内容が、きちんとしたものになったからね」と言うと、「そんな・・・今はコンビニと定食屋がありますから」と言い返してくる。確かに、飯の話題から入った私も、話す順序を間違えたとは思うが、言いたかったことは、所帯をもって、ちゃんと社会人としての役割を果たせということで、よほど「君ら、男としての自覚があるのか」などと挑発したかったところである。しかし、昨今は、仮にもそんなことを言おうものなら、パワハラやら何やらとなって、ただちに「あの人、ちょっとおかしい」と言われかねないので、それ以上は追及せずに、じっと黙っているしかない。

 返す刀で、こんどはその美人のお嬢さんにも、何か婚活につながることを言いたいところではあるが、そんなことをいえば、これまたセクハラやら何とかで、それこそ大変な目に会いかねない。大学の教授をしている私の友人が、部下の女性助教授に対して気楽に男性と女性の差を話題にしただけで、大学のセクハラ委員会に訴えられたという物騒な世の中である。だから、普段は、その種のつまらないことを絶対に言わないことにしている。ところが先日、珍しく全員が参加して六本木のバーに行き、オフィスの仕事の打上げをする機会があった。そして、たまたまそのお嬢さんが私の隣に坐ったのである。何やかやと小1時間くらい経った後、ついつい常日頃思っていた疑問がひょいと口をついて出てしまった。「それで、あなた、結婚しないの?」

 すると、彼女はキッとした顔を私に向けて、こう言った。「いえ、絶対にしません!」・・・いやまあ、その強い態度にびっくりしたの何のって・・・。ああ、余計なことを言ってしまったと思ったが、もう遅い。こうなれば、少し方向を変えてこの気まずい事態を取り繕うと思って、こう続けた。「それでは、あなたの志望は何なの?」・・・すると、これに対する彼女の反応も、まったく予想外であった。「私は、『ジンドウエンジョ』をやりたいんです」・・・『ジンドウエンジョ』、『ジンドウエンジョ』という言葉が2〜3回ほど私の頭の中でこだました後、やっと『人道援助』という漢字が浮かんだ。「ああ、あのボランティアで、アフリカの困った人たちに、食料や医薬品やノートを届けたりする、あの人道援助ね」というと、「そうなんですぅ。あれを一生の仕事にしたいんですぅ」という。「ははぁ、それは立派で世の中のためになることだけれど、しかし、なぜそう思っているの?」と聞くと、こう説明した。

 「私は、高校生の頃からそう思い立って、英語を勉強して大学を卒業したときは、いくつかNGOなどを受けたんですけれど、どこにも採用されなくて・・・でも、その後、たまたま外務省の人道援助担当室でアルバイトをする機会があって、一応は希望通りの仕事を手伝えたのですが、勧めてくれる人がいて、本格的にこの仕事をするのであれば、語学専門職の試験を受けて、外務省の職員になった方がいいよって・・・それで受けているのですが、なかなか受からなくて・・・」

 そこで私が「ははぁ、それは大変だ。でも、こう言っては何だけれど、NGOでは給料が安すぎて食べていけないよ。それに、外務省の語学の試験も、英語だったら、それこそ帰国子女でもなかなかという難関ではないかな・・・もう少し、別の道は考えないの?」と言ったところ、再び柳眉を逆立てて「いいえ、このまま頑張ります」と言った。いやぁ、いつもとは楚々とした態度とは打って変わって・・・もの凄い剣幕で・・・いやはや怖かった。それで仕方なく、これとは全く別の、当たり障りのない話題へと移ったのである。

 以上は、東京の片隅の小さなオフィスの些細な出来事だけれども、今時の日本における男女の定型的なタイプを現わしているのではないかと私は思う。すなわち、男性は、いわば男としての本能を忘れて、日常の小さな楽しみに生きているし、逆に女性は、大志を抱いて、何か大きなことにチャレンジをしようとする。まるで「Girls be ambitious!」というわけだ・・・いや、「be」ではなく「are」かもしれない。

 それはともかく、現代日本のこういう風潮は、かのクラーク先生もおそらく思いもつかなかったであろうと思われるが、それどころか、私には誠に嘆かわしく感じられて、一言でいえば、男女の役割がまったく逆ではないかと言いたいところである。いや別に、私は男女共同参画社会に異を唱えているわけではない。男性は、やはり家庭を持って妻子・・・いや、もちろん奥さんは働いてもいいけれども・・・を抱えるという責任を果たしてほしい。女性は、大志を抱くのも悪くはないが、それを単なる夢に終わらせないためにも、もう少し現実との間でバランスを保つべきではないかと思う。

 たとえば、このお嬢さんが志望しているNGOやら人道援助というのも、自らの生活基盤をしっかり打ち立ててから、なおかつ余裕のあるときに、そういう他人のために尽くすような仕事に就くべきではないかと思う。そうでないと、アフリカの見ず知らずの人々を支援しているうちに、自分自身が日本で生活困窮状態に陥ってしまいかねない。そんなことが社会全体のあちこちで起こったりすると、一層の少子化を招いてしまい、今度は日本という国自身が困難に陥ることになる。やはり、若い人たちには、早く生活の基盤を作り、早めに結婚して、早く子供を授かっていただいて、次世代の日本を支えていってほしいと思うのだが、どうであろうか。

 私の知り合いの娘さんが、ちょうどこのお嬢さんのように、開発援助「かぶれ」になってしまった。この娘さんは、なかなか行動力があって、日本の有名大学を卒業してからロンドン大学の開発援助コースに進んだそうだ。そして、優秀な成績で卒業し、イギリスの、とあるNGOに試験的に採用されたという。このNGOからアフリカの国へ派遣されて、少ない給料で四六時中こき使われたらしい。その挙句に、「あなたは、使い物にならない」として、本採用を拒否されたといって、怒っていた。何でも、語学力が足りないし、気が効かないということだったらしい。後者はともかく、前者はネイティブ並みの英語力が求められるというので、そもそも日本人には帰国子女でもない限り、無理難題だというのである。

 それは冷たすぎる対応ではないかと思って、その人と雑談していたときに、私がはたと気がついたことがある。その娘さんがNGOの試験を受けるために、そのイギリス人の代表者の自宅を訪ねたときのこと、その人の自宅の門をくぐってもなかなか建物に行きつかずに、30分も歩いて、ようやく到着したそうだ。ああ、やっぱりというのが、私の感想である。というのは、そもそもイギリスでNGOなぞを主催している人の典型は、そういう貴族階級で、お金と時間が山ほどあって、何かしないと退屈で仕方がないという恵まれた階層の人たちである。そんなところに、日本のような遠くの国の何も経験のない若い人で、英語も出来ないし、自分の生活の維持すら覚束ないような人が行って、何をするのだというのが、正直なところである。

 実はアメリカでも、チャリティと称して、とりわけ美術館や博物館、大学、教会関係などで慈善活動が盛んである。これは大変素晴らしいことで、隣近所の付き合いや社会全体の支え合いが希薄になる一方の日本でも、見習うべきことではないかと思っている。しかし、私の経験では、そのレベルや活動の内容にもよるけれども、一部の大金持ちが行っているように、たとえば美術館に大枚の寄付をするという姿を見ていると、これは一種の罪滅ぼしではないかと思うときがある。どういうことかというと、旦那さんは、一生懸命にお金を稼ぐのだが、それには多少はやり過ぎとか、やましいことが全くないとはいえない。そういう気分のところに、奥さんが美術館に何千万ドルもドーンと寄付をして、社会公共のためにお金を役立てて、これで気分上の借財をチャラにするという寸法である。いささか皮相な見方かもしれないが、幾分かの真実を述べたつもりである。もちろん、この公式が当てはまるのは、一部の金持ちの超大型の寄付の場合に限られる。

 まあ、そういうわけだから、よほどの大金持ちの家に生まれたり、自ら阿漕に大金を稼いでビリオネァになったりしたというのならともかく、私のオフィスのお嬢さんのように、ごく普通のご家庭に生まれ、自分自身の生活も未だちゃんと確立できていない状況のままで、人道援助一点張りで社会を渡って行こうというのは、私には理解しかねるところである。

 もちろん、その時点で自分がなし得る小さな善意を示すのは良いことだ。恵まれない人々のことを思う善良な市民としては、それはむしろ当然のことであろう。しかし、自分の生活も満足に支えられない親がかりの身で、遠い異国の他人の生活を支援しようなどというのは、いささか無謀なのではないだろうか。そういうのは目標も方法論も誤っていて、はっきり言えば、世間知らずの典型ではないかとすら思う。

 おそらく、高校生活の中で、そういうことを頭から「刷り込まれて」しまったのかもしれない。まだ人生に未経験なうちに、危うい新興宗教や過激派のセクトの主張を信じ込んでしまうのと、ちょうど同じことなのかなと思った次第である。まあもちろん、それらよりは、はるかにまともだから親も周りも本人には言いにくいのかもしれない。私とて、夢に向かって一心に努力している若い人たちの生きざまを頭から否定するつもりはないが、それにしても世間知らずで、そのままだと実に危うい限りということもあり得るのではなかろうか。

 そんなことを思っていたところ、このお嬢さんは、突然、我々のオフィスを去って行った。もちろん、私からそういう感想を告げる暇もなかった。ちなみにそれから早や一年近くが過ぎているが、漏れ聞くところでは、未だ語学専門職の試験には受からず、「もう心が切れそう」と言っているとのこと。かわいそうだが、彼女の親でも親類でもないし、何とも有効な手を打てないのが、もどかしいところである。せっかく賜った貴重な人生だから、有意義に過ごしてもらいたいと思っている。



(2009年12月25日記)



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