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本土寺の紫陽花と花菖蒲

本土寺の紫陽花


 千葉県の松戸と柏の間に、本土寺というお寺があり、初夏の季節は別名あじさい寺といわれるほどに紫陽花と花菖蒲が美しく、また秋になると京都や鎌倉にも劣らないほど紅葉が綺麗だという。ほほぅ・・・それでは、ちょっと行ってみるかと出かけた次第である。ネットで調べると、北小金という駅にあるらしい。常磐線の快速は停まらないが、千代田線の各駅停車でのんびり行っても30分もかからないようだ。でも、綾瀬行きに乗ったなら、北千住で乗り換える必要がある。結局、そのコースをとって、北小金の駅に着いた。

本土寺の紫陽花


 北小金という町は、そういうわけで、今では快速も停まらないほど小さな駅となってしまっているが、これでも江戸時代には、相当大きな宿場町だったそうだ。というのは、江戸日本橋まであと30キロという位置にあり、これは当時の人の1日に歩く距離に当たっていた。つまり、江戸から出立すると、まず最初に泊る宿場であり、逆に水戸から江戸に向かって旅をしてきて、明日はいよいよ花のお江戸だという所なのである。それを今では電車で30分という距離なのだから、近代文明がいかに世の中を変えてしまったか、よくわかるというものである。

本土寺の紫陽花


 それで、その繁盛した宿場町北小金がどうなったかというと、明治31年の常磐線の開業で一気に客足が衰えて、町全体がそれで衰退してしまったそうなのだ。今ではその北小金町は松戸市と合併してしまって、もはやそういう地名は駅名以外には何にも残っていないという。まるで絵に描いたような盛衰物語である。こういうことは、時代の如何にかかわらず、起こっていることだろう。たとえばナイロンなどの化学繊維にとって代わられた生糸、化学染料によって見向きもされなくなった紅花などの自然系染料などが思い起こされる。それどころか近頃は、新聞や雑誌や書籍などといった紙媒体が、近々、iPodやウェブにとって代わられそうな気がする。

本土寺の朱塗りの仁王門


 話題が飛んでしまったので、再び今日の話に立ち戻ると、その本土寺というお寺は、北小金の駅の南口から数分歩いたところに参道の入り口がある。これがまた立派な参道で、道の両脇に高く聳えて立ち並ぶその松や杉の木々を見ただけで、ああこれこそ参道だとわかる。その立派な木々を見上げながら10分ほど歩いたところに、お寺さんがある。かつては、相当な寺域を持っていたことが一目瞭然である。寺の入り口には、朱塗りの仁王門がある。ただしこれは、ごく最近、再建されたと書かれていた。そこをくぐると、既に空気がひんやりとした感じがして、何かが違う。道の両脇には、こんもりとした青紫の紫陽花が咲いている。階段を下ると、日当たりの良い所に出て、そこが受付となっている。参拝券には、「四季の寺 本土寺」とあって、「浄域1万坪の起伏に富んだ地形と桜、楓が織りなす春秋の趣は殊更であり、特に初夏の菖蒲と紫陽花、秋の紅葉の花時は大変な賑いとなります」とある。では、その初夏の花を楽しむこととしよう。

本土寺の美しい五重塔と紫陽花の群落


 順路をまっすぐに行くと、道の両脇には、紫陽花がこんもりとした群落を作って、咲きに咲いている。ちょうど満開のようだ・・・いやはや、あちこちが紫陽花に占領されているみたいである。こんな満開の時期とは知らなかった。良い日に来たものである。そのほとんどが手毬形の紫陽花であるから、青や紫や赤や白など色々で、誠に見ごたえがある。先々週に行った高幡不動では、その大半が額紫陽花だったのとは対照的である。額紫陽花は素朴で良いが、特に日本古来種は、あまりにも小さくて派手さがない。ところで、再びこの本土寺の話に戻ると、順路の左手には階段があって、その上には美しい五重塔が立っている。実はこれも最近の建立だそうだが、階段の両脇にてんでに咲いている紫陽花と、良く合っている。これが、この本土寺を紹介する写真によく出てくるシーンかと納得した。しかし、この日は午前中の大学での講義の後に行ったから、残念ながら午後の逆光になってしまった。露出補正をいろいろいじって試してみたが、どうもこれが良いという納得できる写真が撮れなかったことは、少し残念である。

本土寺のダックス・フンドと紫陽花


 その辺りにいたら、ちょうど2匹のダックス・フンドを連れてきた家族がいて、そのこんもりとした紫陽花を背景に2匹の写真を撮ろうとして四苦八苦していた。つまり、このワンちゃんたち、お座りは出来るのだが、そのあとがいけない。あちこちを見てしまったり、じっとしていてくれないものだから、お父さんが必死に餌で釣ろうとしていて、その表情の方が面白かった。

本土寺の紅葉の種


 本土寺の縁起については、いただいたパンフレットにも長々と書かれていたが、要は700年ほど前の建治三年(1277年)に日蓮大聖人より長谷山本土寺と寺号を授かったのが始まりらしい。そして「池上の長谷山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺と共に朗門の三長三山と呼ばれ、宗門中屈指の大山として末寺百数十を統べ、山内は四院六坊がとりまく十四間四面の本堂を中心に、七堂伽藍がその山容を誇ったものでありますが、惜しいかな度々の不受不施の法難と明治維新の廃仏毀釈運動(仏教とりつぶし)のために衰滅し、今は昔の威容とてうかがえません」とある。ははあ、明治維新の廃仏毀釈も、その衰退に輪をかけたようだ。中国の文化大革命のようなものだったのだろう。そして、「本土寺の『本土』とは、『我此土』(わがこのど)つまり、お釈迦様が本当の佛、本佛となって住む国土『本土』に由来します」ということらしい。

本土寺の美しい紫陽花の群落


 もう午後も遅くで時間がないので、本来の順路とは逆のようだが、人々が歩いていく祖師堂の右手の方へと紫陽花の林を見に行った。道の左右にある紫陽花が、人の背丈以上にもなって、あたかも乱舞しているようにみえるほどである。しかし、その大半が手毬形であるから、見ごたえがある。ちょうど、日が傾いてきているので、花びらに陰影がついて、写真を撮ると美しい。そこを抜けると、藤棚のある池があった。睡蓮はまだ蕾で、これから咲こうかというところである。藤棚の藤は、もう実がなっていて、大きな豆の鞘が目に入った。

本土寺の睡蓮池と手前にぶら下がる藤棚の藤の実


 そこから、さらに奥へと進むと、菖蒲池があった。もちろんその周りには紫陽花の群落があるから、花菖蒲と紫陽花が同時に見られるという願ってもない位置関係となっている。それだけでなく、菖蒲池の中には見物路があるので、そこを辿って行ったら花菖蒲が間近に見られる。もちろん、その池の中の路を通らなくとも、池の周囲を巡ると、たくさんの花菖蒲と紫陽花が重なっているように見える。いずれの花の色も青と紫だから、それが葉の緑と良く合っている。なるほど、これは素晴らしい景色である。来て良かった。

本土寺の菖蒲池


本土寺の菖蒲


 それから、本堂に立ち寄って、それで再び五重塔のところへと戻って来た。全般的な印象だが、まあ忌憚なく言わせてもらえば、京都奈良のお寺のように千年も何百年も建っている建物があるわけでもなく、最近建てられたという建物もあり、そういう面で期待するのは的外れである。むしろ、自ら「あぢさい寺」、「もみじ寺」といっているように、境内の地形を利用して、たくさんの花を育てている、そこが売りのお寺といえよう。まあしかし、それらの季節に来てみて、期待外れということはないと思う。ちなみにその季節になると、本土寺ツアーというものを行っているらしい。

本土寺の菖蒲池と紫陽花の群落と竹林




(2010年6月20日記)


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