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月見おわら 2017年

富山駅前にあった、おわら風の盆の看板


1.富山の三大民謡

 (1) ツアーに参加

 越中八尾おわら風の盆は、以前、電車とバスを乗り継いで、前夜祭を見に行ったことがある。胡弓の奏でる哀調ある調べと、黙々と一心に踊る踊り手の野趣あふれるその優雅さに深く感じ入ったことを、まるで昨日のことのように覚えている。それから6年が経ち、機会があればまた見たいものだと思っていたときに、ある旅行会社が「月見のおわら」なる催しを企画して今年が20回目だとして、参加者を募集していた。そういえば前回、私が個人的に行ったときは、八尾のあの狭い町域に、たくさんの観光客が訪れてごった返していて、どこでどうやって鑑賞させていただいたかもわからないくらいだった。最近は、町の人口が2万人程度のところに、30万人ほどの観光客が押し寄せて、ますますひどくなったようだ。

 加えて前回の場合には見終わって帰るとき、八尾(やつお)バス停の前に黒山の人だかりだったものだから、バスに乗るのは諦めて、JRの駅まで歩いて行った。ところが、街灯もない暗い田圃の中やお墓の脇などを通って、30分もかかったことから、とても大変だった。その轍は繰り返したくない。その点、9月23日と24日に行われる今回の月見のおわらは、見物客の数は一晩3千人程度だし、八尾の町内で町民の皆さんによって行われる。そういう意味では本番(9月1日から3日まで)と、さして変わらないだろうと思って、参加することにした。

 北陸新幹線で東京から富山まで、2時間10分である。お昼過ぎの新幹線で富山に向けて出発し、午後3時台にはもう富山駅前のホテルにチェックインした。八尾の町に向けて4時半にバスで出発し、5時過ぎに曳山会館下の駐車場に到着した。その会館前に設けられて舞台で、富山の三大民謡を披露していただけるという。

 (2) 高校生による越中おわら節

 先ずは、八尾高校の皆さんによる、越中おわら節である。哀調あふれる節まわしと言いたいところだが、そこはまだ高校生の女の子たちだから、ややか細い声を張り上げる中、最初に男の子たちが出てきて、力強いキビキビした男踊りを踊る。ついでピンク色の衣装を着た女の子たちが出てきて、息の合った女踊りを披露する。両手を斜めに伸ばしたときの、その角度が揃っているのがよい。もう終わりかけの時、男の子たちが踊る途中で、一人一人思い思いの格好で固まっていく。かなりの力が必要だろうと、見物人から大きな拍手が巻き起こって、終わった。なかなか良い演出である。


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 ツアーガイドからもらった紙には、こう書いてあった。

「『歴史』ここ越中八尾の地で、踊りとともに唄われている民謡『越中おわら』は、300年以上の歴史を持つ全国に誇る民謡です。しかし『おわら風の盆』という行事がいつ始まったかは、明瞭な文献が残っていないためはっきりしません。言い伝えられている説の一つとして、八尾の町が開かれた際に加賀藩から下された『町建御墨付』の所有権をめぐって、町の開祖である米屋少兵衛の子孫と町衆の間で争議が起こり、結果、町衆が取り戻すことができたお祝いとして、昼夜を問わず3日間唄って仮装して踊って楽器を演奏しながら町内を練り回ったことが起源と言われています。やがて、二百十日の台風到来の季節に、収穫前の稲が風の被害に遭わないよう、豊作祈願の行事として行われるお祭りに変化したことを機に『風の盆』とよばれ、9月1日から3日にかけて行われるようになりました。

 『おわら』とは、(1)『お笑い節説』遊芸の達人たちがこっけいな変装をして町中を練り歩く際に唄っていた歌の中に『おはらい』という言葉を入れて唄ったのが、『おわら』に変わったという説、(2)『大藁節説』豊年を祈り、わらの束が大きくなるようにとの思いから、『大わら』が『おわら』になったという説。

 『風の盆』とは、富山の地元では休みのことを『ボン(盆日)』という習わしがありました。そして風神鎮魂を願うお祭りのため『風の盆』となったそうです。

 『踊りの種類』としては、(1)『豊年踊り』最も古くからある素朴な踊りで、町流しや輪踊りで踊られる、(2)『男踊り』かかし踊りともいわれる勇壮な踊り、(3)『女踊り』四季踊りともいわれ、春夏秋冬それぞれに異なった所作がある。舞踊的な踊りで、主にステージなどで披露される。

 『おわらを盛り上げる唄や楽器』 越中おわらでは、唄と楽器を奏でる人のことを地方(じかた)といいます。(1)『唄い手』甲高い声で歌い出し、息継ぎをせず、長く柔らかい美声を響かせる、(2)『囃子』唄い手の調子を揃える、地方の指揮者のような役割、(3)『三味線』弦を押し付け、撫でるように弾く『探り弾き』、おわら独特のリズム、(4)『太鼓』唄の息継ぎを助けたり、調子を盛り上げる、(5)『胡弓』唄や三味線に合う哀調を帯びた独特の旋律を奏でる。(唄が終わると、楽器だけの間奏曲が奏でられます(合いの手)。唄の旋律とは全く違う哀調を帯びた独特の旋律を奏でる。民謡では珍しいと言われています。)」


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『おわら節歌詞』

 揺らぐ吊り橋 手に手を取りて
 渡る井田川 オワラ 春の風
 富山あたりか あのともしびは
 飛んでいきたや オワラ 灯とり虫
 八尾坂道 別れてくれば
 露か時雨(しぐれ)か オワラ ハラハラと
 もしや来るかと 窓押し開けて
 見れば立山 オワラ 雪ばかり

          八尾四季(作詞:小杉放庵)

         (出典)「世界の民謡・童謡」より。



 (3) こきりこ節

 次に、舞台では、五箇山民謡保存会の皆さんが、「こきりこ節」を歌い、綾藺笠(あやいがさ)を被って武士の衣装のような直垂(ひたたれ)姿で踊ってくれた。綾藺笠の頂きには山鳥の羽が付いているから、動くとそれが目立つ。両手には、「びんざさら」という楽器のようなものを持っていて、それを伸ばしたり、馬蹄形に曲げたりして、ガシャッ、ガシャッと音を立てる。それで、舞台狭しと飛び回るから、なかなか男っぽい踊りである。ツアーガイドからもらった紙によると、


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 「『こきりこ節』は、日本で一番古い民謡です。田楽から派生し、田踊りとして発展しました。これらは、五穀豊穣を祈り、百姓の労を労うために、田楽法師とよばれる職業芸能人たちが田植えや稲刈りの間に行ったものでした。こきりこは『筑子』『小切子』とも書き、二本の竹で作った簡素な楽器の名前に由来していると言われます。これを手首を回しながら打ち鳴らすと、軽やかな音が出ます。『ささら』は、檜板を人間の煩悩と同じ108枚を紐で束ねて、半円に構えて波打たせるように鳴らすもので、その不思議な響きも耳に残ります。鍬金や太鼓も田楽の頃から変わらず、こきりこ節の伴奏を奏でています。こきりこ節の特徴的なお囃子『デデレコデン』は、太鼓の音を表したものとされています。」

『こきりこ節歌詞』


 こきりこの竹は 七寸五分じゃ
 窓のサンサは デデレコデン
 ハレのサンサも デデレコデン

 向いの山を かづことすれば
 荷縄が切れて かづかれん
 窓のサンサは デデレコデン
 ハレのサンサも デデレコデン

 向いの山に 鳴く鵯は
 鳴いては下がり 鳴いては上がり
 朝草刈りの 眼をさます
 朝草刈りの 眼をさます

 踊りたか踊れ 泣く子をいくせ
 ササラは窓の もとにある
 烏帽子 狩衣 ぬぎすてて
 今は越路の 杣刀

 向いの山に 光るもん何じゃ
 星か蛍か 黄金の虫か
 今来る嫁の 松明ならば
 差し上げてともしゃれ 優男


         (出典)「世界の民謡・童謡」より。

 (4) 麦 屋 節

 舞台の最後は、「麦屋節」である。刀を差し、黒の紋付袴で白たすき、白足袋姿の凛々しい男性が笠を持って登場し、地方の唄と演奏に合わせて踊る。刀を振り回すようなことはないが、笠をクルクル回すのが印象的で、武士の所作らしく全体としてテンポが早く、キビキビした動きが印象に残った。同じくツアーガイドからもらった紙には、

 「『麦屋節』は、全国的にも知られた五箇山民謡で、歌い出しが『麦や菜種は・・・』だったことから、『麦や節』とよばれるようになりました。麦や節の由来については、平家の落人によって作られたものという説があります。五箇山が平家の隠れ里であったことや、歌詞の内容から、麦や節と平家落人伝説を結びつけて伝承されてきたことがわかります。かつて『平家にあらざるものは人にあらず』と豪語した自分たちの悲しい運命を唄に託して歌い踊ったそうです。黒の紋付袴で白たすき、白足袋といういでたちで、一尺五寸の杣刀を差し、笠を持って踊ります。黒と白のシンプルな色づかい中に緋色の杣刀が浮き上がり、それらが作り出す色の対比が体や手足の動きをはっきりと映し出します。また、笠を回転させたり、上下に動かしたりする中に一瞬の静止を入れることで、静と動の対比を強調し、洗練された踊りとして目を奪います。早いテンポの中に哀調のある歌詞、勇壮で力と活気に満ちた踊り。麦や節の中にはさまざまな対比があり、それらが調和することによって、心地よい緊張感あふれる空間を作り出しています。」


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『麦屋節歌詞』

 麦や菜種は 二年で刈るが
 麻が刈らりょか 半土用に
 浪の屋島を 遠くのがれ来て
 薪こるてふ 深山辺に
 烏帽子狩衣 脱ぎうちすてて
 今は越路の 杣刀
 心淋しや 落ち行くみちは
 川の鳴瀬と 鹿の声
 川の鳴瀬に 布機たてて
 波に織らせて 岩に着しょう
 鮎は瀬につく 鳥は木に止まる
 人は情の 下に住む


         (出典)「世界の民謡・童謡」より。



2.月見おわらを見物

 ツアーガイドによると、舞台の見物が終わった後、八尾の町内で午後7時から9時まで、流し踊りがあるようだ。ガイドからもらった紙にその場所とスケジュールが書いてある。本番(9月1日から3日まで)のときには、ある町内の流し踊りを見るには、その町内まで行かなければならない。ところが、この月見おわらの催しでは、AゾーンからGゾーンまでに区切ってあって、同じ場所に居れば、30分ごとに4つの町内が踊りながら流してくれるそうだ。なるほど、これは便利だ。しかも、一般にカメラのフラッシュが禁止されている中で、Dゾーンだけは、それが許されるという。フラッシュを使わないとうまく撮れないから、認めてほしいという観客の要望を受けたものだそうだ。

 そこで、どこで撮ろうかと考えた末、Bゾーンに行ってみることにした。4つの町内が全部見られるし、坂の町の坂上から下りの方向なので、踊り手や唄い手がそれほど疲れないだろうと思ったからだ。写真を撮るためにはフラッシュがあった方が綺麗に撮れるが、ただこの越中おわら風の盆は、日が落ちてぼんぼりに灯がともったところで演じられるところに良さがある。フラッシュを使うと、そのせっかくの雰囲気が台無しになるからだ。もっとも、越中おわら節は、写真では全くといって良いほどその情緒が出ない。やはり、記録するにはビデオが一番なので、そうすると、あちこちからフラッシュが光ると、まともなビデオが撮れない。というわけで、Dゾーンに行くのは止めた。

 Bゾーンは、町の北東の諏訪町通りにある。そこで待っていると、鏡町、東新町、福島、今町の順で、町流しをしていただけるようだ。見物する場所を探す。石畳みの美しい道の両脇に、景観に配慮した柳格子の町家が並んでいる。その玄関先に入れてもらった。もう一列目は、既に見物客がズラリと並んで座っている。その後ろから立って撮ろうという算段だ。少しでも踊り手に光が当たるように、私の背中からぼんぼりの灯火が照射される位置で、しかも逆光にならないように、向かいにぼんぼりがないところに陣取るようにした。


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 胡弓の哀しげな音が響き渡り、いよいよ始まった。まず、笠を目深に被った男性達のキビキビした踊りがやって来る。時々、両手を拡げて斜めのスタイルになったり、あたかも田圃を耕すような所作が入るから、面白い。唄い手は、甲高い声で三味線と胡弓によく合っている。声が途切れると、太鼓の間奏が入ったり、年配の男性が「ア、ヨット」、「キタサノサ ドッコイサッサ」などの合いの手を入れて調子をとる。そういえば、ツアーの参加者の中には私に「もう、7回も来ているのですよ。特に、A町内のあの人の合いの手が好きです。」と言っていたが、ああ、これかと思い出す。その時は、「唄い手ではなく、合いの手が好きだとは、実に変わっている人だ。」と思った。ところが、こうして実際に聞いてみると、なるほど、歌舞伎で役者に声を掛けるときのように、絶妙なセンスが必要な役割だと感じたから、不思議なものである。

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 まず、カメラ(キヤノンEOS70D)のビデオで撮影した。胡弓と三味線の哀しげな音色、唄い手の切々と迫るような歌声、それに合いの手などの耳から得る情報、さらに踊り手の優雅の動きなどの目から得る情報は、ビデオでなければ、記録することは不可能だ。ビデオを撮りながら、目と耳で余韻を楽しむ。踊り手の女性の、優しげな手の動きがよい。傘を目深に被っているから、女性らしさが一層際立っている。そうこうしているうちに、第1陣の鏡町の一行が通り過ぎてしまった。あれあれ、これでは私のHPの「悠々人生」向けの写真が撮れない。というわけで、次の東新町の一行の踊りでは、主にカメラで写真を撮っていった。画像がぶれないようにしっかりと両脇を締めて撮るのだが、光量が全く足りないため、手を動かしているときには、その部分だけぶれる。でも、おわら踊りは、時々、動作を止める瞬間があるので、そういう時にある程度手先がぶれるのは仕方がないし、かえって踊っている最中だとわかる味わいのある写真となるから面白い。そういうことで、最後まで、おわらの町流しを観て、富山駅前のホテルに帰ってきた。部屋に戻ってからも、私の頭の中で、まだ胡弓の哀切あふれる音色が鳴り響いていた。








 月見おわら(写 真)





(2017年9月23日記)


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