<< マレーシアの政権交代 | main | 屋久島への旅 >>
熊本への旅

宇土櫓

 

1.熊本地震から2年

 平成28年4月14日午後9時26分、熊本県を震源地とする震度7の大地震が起こり、しかもそれにとどまらずに翌々日の4月16日午前1時25分にも、やはり震度7の同程度の大地震が続いて発生した。これだけ大きな地震が立て続けに発生するというのは、明治期に科学的な地震観測が始まって以来、初めてのことであり、当初は最初の地震を前震、次のものを本震と発表された。ところが、その後、検討が進むにつれて、両者は別々の地震が連動して起きたものという見解が有力である。それはともかく、これだけ大規模な地震が引き続くと、最初の地震では何とか倒れずにすんだ建物も、2番目の地震には耐え切れずに倒壊したという例も枚挙にいとまがなく、改めて連続地震の怖さを思い知ることとなった。

 この一連の地震で、倒壊した建物の下敷きになったり、土砂崩れに遭ったりして、熊本県だけで50名の方々が犠牲となった。心からご冥福をお祈りする次第であるが、建物の被害も甚大なものとなった。中でも、熊本の象徴ともいえる熊本城が大きな被害に遭った。今回、地震発生から約2年後になるが、たまたま熊本へ行く用事があり、その機会を捉えて熊本城修復の様子と、それから地震直後に湧水が枯れてしまったと伝えられた水前寺公園の状況を見てきたので、記事にして書き残しておきたい。


2.熊本城の被害と修復

 

 熊本城修復(写 真)

 

修復中の天守閣

 

 熊本城の真正面にあるKKRホテル熊本に宿泊した。そこからは、熊本城の天守閣が真正面に見えるのであるが、現在は天守閣の両脇に高いクレーンが設置されて、天守閣自体もそのほとんどが工事用の幕に覆われている。ただ、僅かに天守閣上の鯱が2匹、頭を覗かせているだけである。これも、数日前までは全く見えなかったというから、観光客や市民向けのサービスかもしれない。何しろ、地震直後の写真を見ると、大天守閣の屋根瓦のかなりの部分が落ちてしまっていた。そこからこの状態に持って行くのに、2年という歳月を費やしたというわけである。ちなみに、天守閣自体は戦後1960年に再建された復元建築で、鉄筋コンクリート製であるが、それでも屋根瓦の多くが落下してしまった。

 

宙に浮いている修復中の小天守閣

 

 また、小天守に至っては、土台の石垣そのものが崩壊した。そこで、復元にあたっては石垣に重さをかけない構造にするということで、確かに小天守がふわっと宙に浮いているのがよくわかる。なんだか、シュールで不思議な光景である。それだけでなく、天守閣に地震の揺れを吸収するダンパーを組み込むなど、制振技術が取り入れられるそうだ。他方、三の天守と呼ばれて昔から残っている重要文化財の宇土櫓(うとやぐら)は、基礎部分を鉄筋コンクリートで固め、建物内部は鉄骨製の筋交いで補強していたことから、大きな被害はなかった。しかし、外からではあるが、城内を一周すると、崩れた石垣、その上にあった櫓の崩壊など、本当に痛々しい限りである。

 

崩れた石垣

 

崩れた石垣と建物

 

 ということで、熊本城全体の修復は容易なものではなく、今年3月に発表された計画では、震災直前の状態に戻す費用が約634億円で、これに耐震化などの費用が加わり、作業終了まで20年もかかるという計画だそうだ。


3.水前寺公園

 水前寺公園(写 真)

 

見事な大名庭園

 

富士築山

 

 水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん。いわゆる「水前寺公園」)は、熊本城近くの市役所前の電停から市電で20分もかからないところにある。熊本藩主の細川家の御茶屋があったところで、東海道五十三次を模した大名庭園があり、三代目の細川綱利の時には完成していたという。私は、全国の大名公園にはかなり足を運んでいるが、この公園に行くのは初めてだった。朝早く、開門して直ぐの時に入ったのだが、目の前に広がる見事な庭園を見て、感激した。左右に伸びやかに広がる湧水池の向こうには、優雅なコニーデ型の芝生の築山がある。その周囲の松の木と合わせて見れば、もう一見して富士山を模したものだとわかった。それも、単純な円錐形ではなく、ちゃんと山体の襞をも模しているなど、シンプルながらも非常に手が込んだ造りである。手間には躑躅の刈込みが置かれ、まだ少し赤い花を残す。そのバランスが絶妙で、一目で気に入ってしまった。

 

見事な大名庭園

 

富士築山

 

 水前寺公園のHPによると、貞享3年(1686年)に細川綱利公が定めたこの公園の十景は、阿蘇白烟、龍田紅葉、瀬田山雪、国分晩鐘、前林梅花、飯田夕陽、厳泉清流、健宮杉嵐、水隈乱螢、松間新月であるそうな。ただし、現代の公園のどの部分に対応しているかは、よくわからない。それはともかく、自分の目で見てみようと、左手の橋から周り始めた。とても古びた橋で、石の欄干が相当傷み、苔が染み付いている。だからゆっくりと渡ったが、歩むにつれて池の中の島の大きいのと小さいのとが位置を変え、景色も変わる。阿蘇から流れてくる清冽な湧水による池の水は澄みきっており、その中を緋鯉が優雅に泳いでいる。橋を渡り切ると神水の長寿の水があり、左手には出水神社(いみず)がある。この神社は、西南戦争後に細川家を祀るために造営されたという。その先には、緋色の木の鳥居を重ねた稲荷神社がある。まるで、伏見稲荷の小型版だ。

 

富士築山

 

伏見稲荷の小型版

 

 更に回り込んでいくと、やはり富士の築山が気になる。どの方向から見ても美しいし、手間に出てくる松の木が、見る角度を変えるたびに変化して、まるで旅をしているような気分になる。全く上手くできているものだ。そこを過ぎると、衣冠束帯姿の2人の銅像が並んでいる。左手が肥後熊本藩初代藩主の「細川忠利」公、右手がその祖父に当たる「細川藤孝(幽斎)」公である。それから能楽殿があり、池を更に回ると、古今伝授の間のある茅葺屋根の建物がある。

 

細川忠利・細川藤孝(幽斎)

 

七変化

 

 先に述べた平成28年4月の熊本地震によって、水前寺成趣園の池の水はほぼ干上がった状態になったそうだが、それから2年が経過した今では、そうした事件の痕跡すら見当たらない。ちなみに、日本三名園といえば、金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園だそうだが、こちらの水前寺成趣園は、今日のそれらを差し置いて評価できるくらいに、素晴らしいと考えている。東京の六義園や高松の栗林公園とほぼ同等に評価してもよいものと思う。



(2018年5月18日記)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリ:エッセイ | 23:11 | - | - | - |