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雨の日光東照宮

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 日光東照宮には、遥か昔の半世紀ほど前と、最近では2009年に訪れたことがある。東京の自宅から2時間半以上かかるので、いかに世界遺産とはいえ、そう気楽に何度も行く気がしないところである。ところが、平成25年から31年3月にかけて行われる平成の大修理があと1年弱と終わりに近づき、特に三猿や国宝の眠り猫が見違えるように美しくなったという。加えて、田舎から出てきた人がたまたまいたので、一緒に見に行くことにした。しかし、残念なことが二つあった。

 一つは、訪れた当日の天候が悪かったことだ。6月の梅雨の季節らしい小雨で、その雨粒が画面に写り込んでしまうから、建物の写真を撮るには最悪の天候だった。しかも6月の半ばにしては、異常に寒い日であった。朝の気温は12度で、昼になっても15度にしか上がらない。私は、前日にアプリで天気予報を調べて、冬の下着にダウンのジャケットまで用意して行ったから、まだ何とか凌ぐことができた。でも、例えば同じバスに乗っていた70歳前後の屈強なおじさんは、半袖シャツ1枚という着た切り雀の姿で、着いた途端に「寒い。寒い。」を連発して、可哀想になったほどである。

 もう一つ、がっかりしたことは、輪王寺にしても、東照宮にしても、世界遺産の建物やご本尊の由来や歴史的意義のようなインテリ向けの説明が一切なく、説明パンフレットもなかったことだ。それに代わって、つまらないと言っては語弊があるかもしれないが、やれ鬼門除けだの、干支の数珠だの、御守りだのを、「これは御利益があります」
などと言って、売り付けようとするのである。しかもその説明が、「通常ならこの御守りは、毎年、神社に返納してお焚き上げをしてもらう必要があるけれども、これは御利益あらたかなので3年に1回でよい。」とか、大きくて丸い形だが上下が尖っている平板を示して「これは、家庭の鬼門を抑え、ご家族一人ひとりに巡りくる悪い運勢を良い運勢に 転じる鬼門除けです。はがきが同封されているので、これにお名前、住所、ご家族の名前を全て書いて送っていただければ、御守りの効果はその全員に及びます。」などと言う。ちょっと見たところでは、そのはがきには個人情報保護シールが添付されていないようだったので、どうなっているのかと思った。ともあれ、商売熱心が過ぎて、いささかげんなりとする。

 それよりも、外国人観光客の数が激増したのには驚いた。しかも、欧米人、中国人、東南アジア人と、満遍なく全世界中から来ている。ところが、そういう外国人観光客への配慮が足りないのである。特に英語の案内すらあまり見当たらない。この数年来、参拝客筋が従来の農村部の信心深い老人層から、外国人観光客へと劇的な変化を遂げているのだから、十年一日のごとく御守りやご祈祷などに拘泥せず、外国人観光客への対応をもっと考えればよいと思うのだが、いかがであろうか。

 

 

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 それはともかくとして、小雨が降る寒い中を歩いて見てきた順に書いておきたい。まずは、神橋から右手に折れて、緩い上り坂を登っていく右手に、日光山輪王寺の本堂(三仏堂)がある。入ったところの左手にある大きな建物なのだが、今は修理用の足場に囲まれて、建物本体の外観を全く見ることができない。その代わり、本物と同じサイズの絵が足場を覆うシートに描かれているから、笑えてくる。修理期間は10年で、今年で既に9年が経ち、もう内部はほぼ仕上がっているが、外の足場を外すのにあと1年かかるそうだ。

 日光山輪王寺は、そのHPによると、「本堂(三仏堂)・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・大護摩堂・四本龍寺等のお堂や本坊、さらに十五の支院を統合して出来ており、その全体を指して輪王寺と総称します。境内地は大きく分けて、中央の「山内」と、「いろは坂」を登った「奥日光」の2ヶ所となります。」
とのこと。

 三仏堂には、千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が安置されていて、いずれもなかなかの力量のある仏師の作である。しばしお顔を拝見し、有り難く拝んできた。こうしてごく近くで仏像を見上げて拝むというのは、かつて住んでいた京都や奈良ではごく当たり前のこととして行ってきたが、考えてみると、関東ではこれまでは鎌倉の大仏様くらいであった。そういう意味では、今回は貴重な機会である。この三仏のように、お顔の表情や御手、それにお身体の姿の良い仏像を見ると、拝見する我々の身も心も体も、すっかり洗われる思いがする。

 

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 昔、ロンドンの大英博物館の日本コーナーで、法隆寺の百済観音をすぐ目の前で見たことがある。本物が来るはずがないのでレプリカだったかもしれないが、その背の高いほっそりとした身体つきで、右手を掌を上にして肘から前へと倒し、左手は軽く伸ばして瓶を持つ。仏の顔に目をやると、目元と顔つきは優しいものの、どこか異国風である。その優雅な姿に、しばし心を奪われた。この経験をして以来、良い仏像とは、いわば心が共鳴するようになった。興福寺の阿修羅像、宇治平等院の阿弥陀如来像などがそうであるが、ここ輪王寺の阿弥陀如来像にも、そのような感覚を持った。

 三仏堂から、東照宮に向かう。その前に、輪王寺、徳川家康、家光の関係について、整理をしておきたい。元々、日光山は、奈良時代に開かれ、関東では有名な修験道の霊場だった。ところが江戸時代になって、日光が江戸の鬼門の方角に当たることから、それに対する押さえとするとともに徳川家の威光を示すために、諸大名に莫大な費用を負担させて、まず家康の東照宮が置かれ、次いで家光の廟が置かれて、今日に至ったものである。輪王寺のHPによると「日光山は天平神護二年(766年)に勝道上人により開山されました。以来、平安時代には空海、円仁ら高僧の来山伝説が伝えられ、鎌倉時代には源頼朝公の寄進などが行われ、関東の一大霊場として栄えました。江戸時代になると家康公の東照宮や、三代将軍家光公の大猷院廟が建立され、日光山の大本堂である三仏堂と共にその威容を今に伝えております。」
という。

 

 

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 砂利道の参道を上がって行く。すると、右手に「世界遺産 日光東照宮」の石碑があり、その先に「東照大権現」の扁額が掛かった鳥居がある。徳川家康が大権現という神様だ。どうも日本という国は、こういう実在の人物を神格化して神様にしてしまうところがある。古くは菅原道真の天満宮であるし、新しくは乃木希典の乃木神社である。多神教の国ならではの現象である。いい加減と言えばその通りである。しかし考えてみると、唯一神の国よりも、この方が時代の流れに柔軟に対応できるのではないかと思う。

 例えば、イスラム教では、教義上許されている4人の妻は戦争で生まれる未亡人の救済の意味があったし、タブーの豚は当時は非常に不潔で病気の元になったというし、一日5回の礼拝はそもそも砂漠の民を従わせるにはそれくらいしないとダメだったというし、酒の禁止は砂漠性気候の下での飲酒は健康を害するおそれがあった上に戦士を常に素面にしておいて戦争に備えさせる必要があったなどと、教義が確立した時代には、それぞれちゃんとした合理的理由があった。ところが時代が移り、もはやそういう理由が解消されても、一神教だと、教義を見直して方向転換をするのはまず至難の業だ。現にキリスト教は、長い間、何世紀にもわたるカトリックとプロテスタントの間の血みどろの戦いを経てやっと争いは終息し、今ではようやくお互いを認めあって平和的に共存している。この間の犠牲は大変なものだった。その点、日本のような多神教の国では、宗教改革や教義の変更どころか、実在の人物に基づいて次から次へと神様が生まれるくらいの宗教的には柔軟な風土なので、その結果、各時代に応じた教義にならざるを得ない。だから、一神教の国ほどの宗教的な対立は、まず起こり得ないのではないかと思っている。

 

 

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 おや、雨が強くなってきた。左手に五重塔があるが、雨のせいで、上手く写真が撮れない。正面には、仁王門があり、階段を上って門を潜ろうとするとき、左右に安置されている仁王像を見る。これは、別に塗り直しはされていない。右手と正面に、上神庫・中神庫・下神庫の「三神庫」がある。この中には、春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められているそうだ。それに沿って直角に左に曲がると、神厩舎がある。これは、ご神馬をつなぐ厩で、昔から猿が馬を守るとされているところから、その長押上には「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿をはじめとして、猿の彫刻ばかりが8面ある。これらは、人間の一生を風刺したものだそうだ。その中で、三猿はというと・・・あった、一番左にあった。なるほど、この猿の彫刻は、いずれも修理がされていて、色が格段に鮮やかになっている。中でも、顔とお腹が真っ白である。まるで、漫画のキャラクターのようになってしまった。おかげで、見やすくなったのは事実であるが、歳月を経てきたもの特有の有り難みが失われてしまった感がしないでもない。

 

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 そこを右手へと曲がり、いよいよ陽明門に向かう。雨だから、どこを向いても写真には雨傘ばかりが写ってしまう。その階段にさしかかる直前の左手に鼓楼が、右手に鐘楼がある。この形でこの大きさの楼はなかなかないので、しばし見とれる。階段を登りはじめて陽明門を仰ぎ見ると、さすがに彫刻は綺麗になっている。特に、獅子は真っ白に塗られていて、こんなに美しいものだったかと驚くほどだ。武者像も塗り直しされたか、凛々しい表情である。天井の龍の絵が力強くて、これまた素晴らしい。思わず見とれてしまう。そもそもこの門はあまりに美しいものだか、見ていると日が暮れるという意味で、「日暮門」というそうだが、さもありなんというところだ。ただ、この日は土曜日なので、寒い気候にもかかわらず、大勢の参拝客やら観光客が押し寄せて来ているので、のんびり見上げている余裕はなかった。なお、陽明門そのものはこうして修理は終わったが、その両脇に広がっている「廻廊」の花鳥の彫刻は、陽明門と同じ国宝ではあるが、現時点では特に修理はされていなかった。

 

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 陽明門をくぐると、左手に神與舎、右手に神楽殿と祈祷殿があり、正面には唐門、その両脇には透塀がある。唐門には、「全体が胡粉で白く塗られ、「許由と巣父」や「舜帝朝見の儀」など細かい彫刻がほどこされて」いるそうだが、解説がないことには、どれがどれやらわからなかった。ちなみに、昔々の高校時代に習った記憶によると、許由と巣父はいずれも隠遁生活を送った国士である。許由は、古代中国の理想の君主である堯から州の長に任命されようとしたのを聞いて「耳が汚された。」といって川でこれを洗い、その顛末を聞いた巣父は川が汚れたといって渡らなかったと言われる。現代風にいえば、さしずめ「反骨の士」とでも言うのだろう。

 

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 神楽殿から家康廟の方に向かうところの坂下門の中に、名工である左甚五郎作の国宝「眠り猫」がある。見上げたところで目が合う位置にあり、初めて見たときには、「その名声に比べて、実物はこんなに小さなものか。」と思った記憶がある。もっとも、猫が実際によく見かける大きさよりもっと大きな彫刻だと、それこそまるでお化け猫だから、これくらいで、ちょうど良いのかもしれない。でも、今回の修理で顔が白く、目鼻立ちもくっきりとしたから、普通の大きさに感じた。

 そこから取って返して拝殿に入る。ここは、撮影禁止だ。あちこちで彫刻や柱が丁寧に修復された跡がある。ゆっくり見たかったが、何しろ人の流れが強く、トコロテンのように押し出されてあっと言う間に出て来てしまった。それから、本地堂(薬師寺)に向かった。ここには、天井に「鳴き竜」がある。天井の檜の板に大きな竜の絵が描かれている。昔ここに来たときは、柏手を打って音を聞いて喜んでいたものである。今回は、もっとシステマチックになっていて、一定数のお客さんを入れて、まず天井の竜の尾の下で、拍子木を打つ。すると、拍子木の鳴る音だけが聞こえる。次に天井の竜の顔の下で再び拍子木を打つと、あら不思議、拍子木の音の次に「キュィーン」という甲高い音が反響して、あたかも竜が鳴いているように聞こえる。それは良いのであるが。帰り際に何か売りつけられそうになったのには参った。

 そのあたりから、雨脚が強くなった。本来なら家光廟大猷院まで行くべきところだったが、気温が15度ほどと、まるで3月ではないかと思うほど低い。こんなところで風邪をひいてはつまらないと思い、すっかり意気を阻喪して参道を下りた。日光カステラのところまで下りて、そこでカステラをつまみつつ身体を温めて、帰途に着いた。日光へは、また1年後の大修理完了後に、再挑戦することとしたい。なお、来る途中に館林つつじが岡公園にバスが立ち寄ったので、写真集にはその様子も載せておいた。しかし、花菖蒲を見るには遅すぎ、さりとて蓮の花を見るには早すぎるという中途半端な時期であった。


 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 雨の日光東照宮(写 真)

 

 

 

 

 

 


(2018年6月16日記)
 

 

 

 

 

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