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日光東照宮と並び地蔵

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 暑い夏が終わり、ようやく涼しい秋風が吹くようになった。関東近辺でどこか早めの紅葉が見られないかと思い、調べると中禅寺湖がある。日光いろは坂の渋滞は有名だが、インターネットを見る限りでは、渋滞情報は見当たらない。場合によっては、日光東照宮見物に切り替えれば良いからと思って、日曜日の朝、東武鉄道のスペーシアという特急で行ってみた。

 東武日光駅に着いてバスの乗車券を購入しようと窓口に行ってみたら、「当駅から中禅寺湖までは通常50分のところ、大渋滞が発生しており、現在のところ3時間ほどかかる見込みです。」という。帰りも同じというので、これは駄目だと中禅寺湖に行くのは諦めた。可哀想に思ったのか、窓口の人は、東照宮南に位置する‘光田母沢御用邸記念公園、日光植物園、J造喘和◆焚修叡和◆砲魎めてくれた。時間が余ったら、行くことにしよう。

 紅葉を撮りに来たのに、東照宮見物になってしまった。輪王寺と東照宮には、つい4ヶ月前(6月16日)に来たばかりだ。その時は小雨の中で、せっかくの日暮し門の彫刻もよく見えなかったが、今日は秋晴れだ。その点は良い。ただし、紅葉は色づき始めたばかりなので、まだまだというところ。真っ赤になるまで、あと2週間はかかりそうだ。どうにも中途半端な時期の観光になってしまった。


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 さて、東照宮までどう行くか・・・東武日光駅前のバス乗り場には長蛇の列だ。とりあえず神橋(しんきょう)まで歩いて行くか・・・グーグルで見れば30分もかからない。国道119号線を歩き始めた。道の両脇には歩道が整備されていて、しかもお店屋さんが並んでいるので、それらを眺めながら、坂道を登っていく。日光名物の湯葉の店、羊羹の店がある。店先には、金魚さんたちもいて、なかなか楽しい。ところが、日曜日だというのに、開いている店は3分の1もない。全く営業がされていないような店も、3分の1を超える。これは、どうしたことだ。日光の観光地としての魅力がもはや薄れているのか、あるいは過疎化が進んでいるのかもしれない。

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 神橋の赤い橋が見えてきた。これを渡ると、いよいよ輪王寺と東照宮の領域である。道の右手にある日光山輪王寺は6月に行ったばかりだから、今回は省略して、表参道の突き当たりの日光東照宮に向かう。もう既に、外国人観光客ばかりだ。まず、五重の塔が左手にあり、写真を撮る。小雨だった前回に比べると、今回は晴れ渡っているから、はるかにくっきりとした写真が撮れる。そこで本日は、この調子で彫刻を主体に写真を撮っていこうと思った。

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 そのまず手始めは、仁王門をくぐってすぐ左手にある神厩舎の一連の猿の彫刻である。「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿(Three wise monkeys)をはじめとして、猿の彫刻ばかりが正面に5面、右側面に3面の合計8面がある。これらは、人間の一生を風刺したものだそうだ。それを一つ一つ撮っていく。母猿を見上げる子猿、人生の荒波を示す青い波、伴侶を求める猿など、確かに、人生そのものである。作者は不明だそうだが、後でじっくり写真を見てみよう。よい芸術作品は、人間の想像力を刺激するものだ。しかもそれは、しばしば作者の想像を超える。修理して色鮮やかになったので、非常にわかりやすくなった。

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 石の階段を登って、陽明門に差し掛かる。そこから見上げると、童子の彫刻がある。本を読む者、笛太鼓を演奏する者、両手を広げたり手を叩いて遊ぶ者、座って話をする者、喧嘩しているような者、踊っている者、大笑いしている者など、様々だ。それが立体的に彫られているから、素晴らしい。また、その上には、大人の世界で、体の前にある大きな器に液体を注がれている者、巻物を広げて読む者、童子に書を教えているような者、碁を打つ者などが彫られている。表情まで細かく表現されていて、感心した。

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 せっかくだから、陽明門の向かって右側に広がる門の彫刻を見ることにした。これも国宝で「東西廻廊」の東側である。取り上げられている題材は、松の木、孔雀、水鳥といったところだが、説明によると「狩野理右衛門の下絵になる極彩色の大彫刻。欄間には雲、胴羽目には花鳥動物、腰羽目には水鳥が天地水と組み合わせて彫り分けられている」そうだ。陽明門の中を通り過ぎて反対側の上を見上げると、瓢箪を首から下げた男が童子の頭を撫でていたり、孔雀や龍や鯉に跨がった仙人がいたり、巻物を広げた仙人など、確かに見ていて全く飽きない。これは、日が暮れると言われるわけだ。

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 次に、国宝の唐門に行く。江戸時代には、ここから昇殿できるのは、御目見得以上の旗本や大名に限られていたそうだ。唐門の上の方には、「古代中国の聖餐の故事を題材にした彫刻」という説明があるが、「許由と巣父」や「舜帝朝見の儀」などといった方がわかりやすい。こちらの彫刻には、陽明門彫刻のような色が付いておらず、胡粉で真っ白なため、表情などが今一つわからないのが残念である。昇殿して中に入り、説明を聞き、参拝する。建物は、平成の大修理で未だに修復中である。

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 さて、坂下門の中にある左甚五郎作の国宝「眠り猫」をまた見に行くことにしよう。前回と違って人の数はさほどでもないので、ゆっくりと何回も写すことができた。正面だけでなく、右手からも撮ってみたが、あまり印象は変わらなかった。それを過ぎて、前回は断念した家康公墓所まで行ってみることにした。杉木立の中の207階段(奥社参道)を延々と登って、ようやく着いたが、「(家康の墓所なのに)あれ、これだけ?」という感じ。途中の踊り場にあった立て札「人の一生は重荷を負うて遠き道行くが如し。急ぐべからず。(東照宮御遺訓)」が、胸に響く。ただ、私の場合は「人の一生はなるべく軽き荷にして、見通しよく最短距離を行くべし。」という方針である。

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 陽明門を出て、本地堂(薬師寺)に向かう。前回に続いて再び「鳴き竜」を聞くためだ。天井の檜の板に描かれた大きな竜の絵の尾の下で、拍子木を打つと、拍子木の鳴る音だけが聞こえるのに対して、天井の竜の顔の下で拍子木を打つと、拍子木の音に反響して「キュィーン」という甲高い音が続き、あたかも竜が鳴いているように聞こえる。それを確かめて、「よし、聞こえた。」と、すっかり満足して、その場を離れた。

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 前回の時には行けなかった家光廟大猷院まで行くことにした。杉木立の街道を少し歩き、二荒山神社の鳥居前を過ぎて、徳川三代将軍家光公霊廟「日光山大猷院」に着いた。まず、仁王門が立ちはだかる。右手の「阿形(口が開いている)」と左手の「吽形(口を閉じている)」2体の仁王像、つまり「金剛力士像」の間を通り抜ける。御水舎の前から階段で、登りきったところに夜叉門があった。そこに行く途中の脇が展望所で、そこから下を覗くと古い石灯籠が並んでいる。これは、大名たちから寄進されたもので、これ以上は天界になって、中小クラスの大名は登れなかったそうだ。



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 夜叉門には、「阿跋摩羅(あばつまら)、毘陀羅(びだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)、□陀羅(けんだら)」という4体の夜叉が安置されている。赤、青、緑、白という原色である。この門は、またの名を牡丹門という。牡丹の花が彫刻されているからだそうだ。非常にカラフルだ。元はインドで人を害する悪鬼だったが、仏教では毘沙門天の眷属で、北方を守護する鬼神ということらしい。



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 拝殿と本殿にお参りし、更に奥の皇嘉門に行く。中国明朝建築の竜宮作りだそうだ。どこかで見たことがあると思ったら、「耳なし芳一」で知られている下関の赤間神宮と同じ形だった。もっとも、東照宮造営は家光の時代だから、建物そのものはこちらの方が古いと思うが、どうであろうか。

 昼食後、時計を見ると、まだ2時を過ぎたばかりだ。まず、iPhoneを使って、帰りの特急電車の予約を午後7時過ぎから早めに変更できるか試してみた。最速のスペーシアは、午後4時台も5時台も満席だ・・・おっと、これはどうだろう。少し時間がかかるが、午後5時27分からの在来特急が空いている。これを予約したら、スペーシアとの差額410円が戻ってきた。なんとまあ、よく出来たシステムだ。




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 そうすると、3時間弱をどう過ごすか、とりあえず神橋から大谷川(だいやがわ)に沿って上流に向けて上がって行こう。それにしても、この川は流れが早いし、水量も多い。ザアザアと音を立てて滔々と流れている。国道120号の歩道を通る。中禅寺湖方面に行く車が、大渋滞を起こしているところだ。その脇をスタスタと歩いて、日光総合会館というところに出た。ここからは、排ガスを吸う機会をなるべく少なくしようと思って、国道から離れて大谷川の近くを行くことにした。含満大谷橋という小さな橋を渡って川の急流を右手に見ながら歩くと、「ストーンパーク」なる所を通る。道の両脇にある芝生の中に、確かに古い石があちらこちらに転がっている。これは、一体なんだろう。元はお寺の僧坊か何かが軒を連ねていたのだろうか? それにしても、建物の礎石というには、数がごく少ない。ううむ、よくわからない。



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 それを抜けたところに、「慈雲寺」と書かれた古ぼけた門があった。やはり、お寺だったのだ。この付近は、「憾満ガ淵(かんまんがふち)」といわれる地である。川が長い間かけてえぐり取った崖の所をその流れに沿って歩く。眼下には、清流なるも激しい流れが渦巻いていて、落ちたら一巻の終わりである。水の流れの写真を撮るときは、シャッター速度を落とすと、水面が滑らかな絹のような感じに仕上がる。ところが、ここでそうやって撮ると、あまりに水の流れが激しいために、真っ白な木綿の布地のようになってしまう。だから、かえってシャッター速度が速い方が、荒々しい感じが出る。面白いものだ。



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 「慈雲寺」の門をくぐると、そこは全くの別世界である。左手にずーっと、たくさん、古ぼけた石のお地蔵さんが並んでいる。苔むして、いずれも赤い帽子によだれかけを付けている。それだけで、もはや宗教感が溢れている。まるで、京の化野の念仏寺を初めて見た時のようだ。背筋にゾクっとしたものが走る。慈雲寺は1654年、晃海大僧正による創建で、これらの並び地蔵は、その弟子たちが寄進したものである。ところが、明治期の終わりの1902年の大洪水によって、本堂とともにかなり流されてしまったようだ。中には胴体がなくて、頭だけの痛々しいお姿のお地蔵さんがいらっしゃるのは、そのせいかもしれない。



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 そのお地蔵さん群を左手に見て、霊庇閣という東屋にたどり着いた。これは、川の中に突き出している場所にある。急流を眺めるには良い場所だけど、これは洪水に遭ったら御仕舞いだと思ったら、案の定、その明治の大洪水で流され、これはその後に再建されたもののようである。並び地蔵さんは、この辺りで終わっている。ちなみに、なぜ「化け地蔵」と言われるかというと、その数を数えると、行きのときと帰りのときとで、違うからだという。さもありなんという気がした。

 そこから引き返し、また神橋に戻って、東武日光駅まで歩いて行った。夕食をとってから、予定通り午後5時27分からの在来特急に乗った。北千住駅まで2時間の予定だ。私の席は窓側だったが、隣の席に座ったのは、まるで小錦かと見がまうばかりの巨大な体型の外人男性で、圧迫感が半端ではない。しかも、スペイン語で母国の娘とビデオ通話をしている。大声なので、うるさくてかなわない。これは参ったと思ったが、朝が早かったので、電車が動き始めると眠たくなり、寝入ってしまったようだ。

 突然、電車が急停止した。出発から小1時間ほど経った頃だ。私は先頭車両に乗っていたが、前方で踏切のカンカンカンという音がしている。消防車やパトカーが何台も集まっている。何事が起こったのだろうと思っていると、放送があった。「だだ今、前方の踏切で自動車が立ち往生をしていまして、それを動かそうとしています。しばらくお待ちください。」それから1時間遅れでやっと動き出した。北千住駅で千代田線に乗り換えて、家に着いたのは、午後9時に近かった。どうもこの日は、最初から最後まで、思い通りにはならなかった。まあ、こういう日もある。




(2018年10月27日記)


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