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徒然300.平成から令和の時代へ

新しい元号「令和」



 平成に代わる新しい元号が「令和」に決まり、2019年4月1日午前11時半過ぎに政府から発表された。5月1日の新天皇の即位の日から施行される。大化改新の大化以来、令和は248番目の元号だそうだ。元号はこれまで中国の漢籍からとられていたが、今回初めて、日本の古典である万葉集からとられ、お陰で本屋から万葉集の普及本が売り切れてなくなった。

 「令和」の出典となったのは、万葉集の梅花の歌三十二首である。8世紀、大伴旅人が太宰府の長官として赴任していたときのこと、正月に仲間を館に招いて梅花の宴を催したときの「序」で、
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」 のうち、
前半の令月風和からとったものだという。

 辞典を引くと、「令月」とは、「何をするにもよい月、めでたい月、よい月」とあるから、「令」はとても良きイメージがあるポジティブな漢字とのこと。そういえば、深窓の嬢、夫人という言葉もあるくらいだ。ところが、「令」には命令、法令という意味もある。一般には、こちらの意味がよく知られているから、今回の元号の発表に際して街頭のテレビインタビューで初めて「令和」と聞かされた小学校高学年の男の子が「命令されるようで、イヤだ。」という感想を述べたのも、また宜なるかなと思う。

 しかしながら、まあ、「令和」、「令和」、「令和」・・・と、何回か口ずさんでいると、最初はそういう違和感が例えあったとしても、いつの間にか薄れて馴染んでいくものである。ちなみに書家によれば、「令」の字の下半分の縦棒は真下に下ろしてもよいし、あるいは「マ」の字のように左上から右下へ「チョン」と書いてもよいという。そういう変幻自在さも気に入った。


「令」をいかように書いても結構



 ちなみに私は、昭和、平成、令和の3つの時代を生き抜くことになる。いやもう、歳をとるわけだ。ともあれ、来るべき令和がよい時代でありますようにと願いつつ、新元号の誕生と新天皇の御即位を心からお祝いしたい。






【後日談 1】 画竜点睛を欠く

 4月2日の朝日新聞によれば、「外務省は、新元号を決定した直後、政府が承認している195カ国・国際機関に対して、新しい元号が「令和(REIWA)」に決まったことをファクスで一斉に通知した。その通知では、平成への改元時と同じ表現を用いて、英語で「the new Japanese Era(新しい日本の元号)」「令和」と決まったことを伝えた」そうで、今後外交ルートを通じ、元号の意味も説明していくという。

 ところが、この通知で新元号の英語の意味を書かなかったことが無用な混乱を招いたようで、一部の海外通信社の報道では、「「令和」「order and peace」(命令と平和)と訳されてしまった。そこで外務省は、「令和」「beautiful harmony」(美しい調和)を意味すると発表したが、時既に遅しの感が拭えない。せっかく対内的には完璧とも言える新元号の選定と公表のプロセスだったのに、対外的には気が回らなかったのか、いささか画竜点睛を欠くことになってしまった。

「令和」の公定英訳は「order of peace」ではなく「beautiful harmony」


 将来への教訓として、この問題を振り返ってみたい。先の記事からすると、「平成への改元時と同じ表現を用いて」とあるように、平成の時の前例を踏襲し昔の発表文をそのまま引っ張り出して「令和」に置き換えただけのように思える。それに、「今後外交ルートを通じ、元号の意味も説明していく」とあるので、外務省の念頭には、広報対象として外交ルートしかなかったようだ。

 確かに平成の年号が決まった31年前は今ほど通信やネットが発達していなかったから、広報はそれこそ「のんびりと」やっていても別に不都合はなかったのかもしれない。ところが今は、SNSなどを通じて、どんな些細なことでもあっという間に全世界に情報が伝わり、しばしば「炎上」事件が起こる時代である。あらゆる場面を想定して、慎重に対応しなければならない。加えて今回は、本文で述べた小学校高学年の男の子が感じたように、「令」という命令をも意味する文字がたまたま含まれていたのが、要らぬ誤解を招く元となった。

 逆に言えば、前例にそのまま従うのではなく、しっかり自らの頭を使って小学校高学年の男の子でも思い付くようなことまでを思い付き、それで対処すべきだったということになるのかもしれない・・・いや、確かにそうなのかもしれないが、これはこれで、そう容易なことではない。いずれにせよ、広報というのは、結構、頭と気を使う仕事なのである。内閣官房にはそういう人材が数多いるはずなのだけれど、ただ今回は、発表前に新元号が漏れないよう「保秘」があまりにも徹底してされていたので、新元号の英語の意味まで検討する時間と人手が足りなかったというのが本当のところだと思う。完璧さが、かえって抜かりを呼んだという皮肉な例かもしれない。もって他山の石としたい。



【後日談 2】 「霊」と「令」

 新元号「令和」が広がるにつれ、各メディアに興味深い記事が見受けられるようになった。先日、これは面白いと思ったのは、日経新聞(4月7日朝刊文化欄)に漢字学者の阿辻哲次さんが書かれた「すばらしきかな『令』」と題する記事である。それには、「令」の語源について、要約すると次のように書かれていた。

 「『壺坂霊験記』という浄瑠璃があったり、敬虔な信仰に対して神仏が示す不思議な験(あかし)を『霊験』といったり、また『霊峰』や『霊薬』ということばがあるように、『霊』という漢字には『はかりしれないほど不思議な』とか『神々しい』『とても素晴らしい』という意味がある。

 しかし『霊』の旧字体である『靈』は二十四画もあって、書くのがはなはだ面倒だ。それで早い時代から、『靈』と同じ発音で、ずっと簡単に書ける『令』があて字として使われた。こうして『令』に『よい・すばらしい』という意味が備わり、やがて『令嬢』とか『令息』といういい方ができた。」


 これを読んで、大いに納得した。専門家の知識は、なるほど大したものである。しかし、それに続いて、「友人夫婦が結婚披露宴にまねかれたところ、奥さんが指定された席に『令夫人』と書かれたカードが置いてあった。そのカードをしばらく見ていたわが友は、『そうか、いつもおれに命令ばかりしているから、女房を『令夫人』というのか』とさとったという。まことにユニークで秀逸なこの解釈を掲載する辞書は、どこかにないものか。」という冗談には、笑ってしまった。してみると、4月1日のエイプリルフールの日に流された本文中の外国通信社の誤訳は、あれはジョークだと受け流すべきだったのかもしれない。

 かくして、いよいよ令和元年5月1日を迎える。その字義通り、とても素晴らしく、全てが調和に満ち満ちた平和な時代になるように、心から願っている。そういえば、私は本年、第二の退職を迎えるが、引き続き法曹の一員として会社、知財、行政法などの分野を中心に仕事を続け、社会に貢献していきたいと思っている。







(2019年4月1日記。3日及び18日追加)


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