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本場おわら風の盆

鏡町おわら


1.一度は本物を観てみたかった

 「越中八尾おわら風の盆」については、これまで「月見おわら」「前夜祭」などを見て、それなりにわかったつもりでいた。ところが、やはり本物を見てみたいと思って、八尾に出掛けて観ることにした。今年の9月1日は日曜日で祭りは3日まであるから、2日丸一日と3日午前中(帰京)を休めば、丸々2日間は見られるという算段である。だから、たとえ一日くらい雨で中止になっても、さほど悔しくない。

 また、かつて行った前夜祭のときのカメラはオリンパスE−P3だったので、こういう暗い中での撮影は、ほぼ不可能だった。月見おわらのときはキヤノンEOS70Dだからそれよりはマシだったが、やはり、動き回る早い所作には不向きだった。その点、幸い今回は新しく買ったソニーのα7IIIを持っていくので、楽に撮れるはずだと期待する。実際、その通りだった。

 大人の休日倶楽部で北陸フリー切符というものがあって、往復には北陸新幹線を使えて、北陸エリア内では乗り降り自由であり、新幹線終点の金沢からもっと西に行こうとすると、特急の自由席に乗ることができる。価格も22,000円と合理的だし、いちいち行先を確かめて切符を買うという煩わしさがない。だから、北陸地方へ行くときは、私は専らこれを利用している。宿泊は、富山は混んでいるだろうから、少し外して高岡のホテルを予約した。地元の「あいの風富山鉄道」で富山から17分ないし18分と、それほど遠くない。県内の二大都市間だから、夜中もちゃんと電車がある。

 当日、乗り込んだ北陸新幹線は順調に走り、富山駅で降りて「あいの風富山鉄道」に乗り換えようとしたところ、ちょうど「おわら風の盆」のポスターが目に入った。越中八尾駅は富山駅から高山本線で20分ほどのところにあるが、その電車には整理券がないと乗ることができないという。その整理券は、乗車時刻の1時間前から発売だとのこと。そんな話、聞いていなかった。これは面倒だと思って地元の妹たちに行き方を相談すると、八尾のスポーツアリーナまで送ってくれるというので、好意に甘えることにした。これは助かった。そのスポーツアリーナは、見物客向けの大掛かりな駐車場となっていて、町の中心部までシャトルバスが出ている。

 スポーツアリーナは高岡から車で40分の道のりだ。午後4時頃に着き、シャトルバスに乗り込む。到着したのが、八尾町域の東の城ヶ山公園の近くだ。そこから坂を登って町域に入る。町の北側には井田川がある。山中を流れてきて、ふと平野が開けるところに町がある。現在の川面はかなり下がっているものの、その地形からして、過去に何回も洪水に襲われたのだろう。その度に標高の高い所へと移っていったものと見える。だから八尾は、総じて坂の街である。

 ちなみに、以下は、私が最も感動した「おたや階段」下の広場で行われた鏡町の皆さんによる「おわら風の盆」踊りである。


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら





2.おわら風の盆の由来

 おわら風の盆の由来は、八尾の公式ホームページから引用させていただこう。

おわら風の盆の幕開け
 二百十日の初秋の風が吹くころ、おわら風の盆の幕開けを迎えます。毎年9月1日から3日にかけて行われるこのおわら風の盆は、今も昔も多くの人々を魅了します。涼しげな揃いの浴衣に、編笠の間から少し顔を覗かせたその姿は、実に幻想的であり優美で、山々が赤くもえる夕暮れを過ぎると、家並みに沿って並ぶぼんぼりに淡い灯がともります。
 それぞれの町の伝統と個性を、いかんなく披露しながら唄い踊り、その町流しの後ろには、哀愁漂う音色に魅せられた人々が1人、また1人と自然につらなり、闇に橙色の灯が浮かび上がり、誰もがおわらに染まっていきます。

おわらの歴史は、元禄ごろから
 おわらがいつ始まったのか、明瞭な文献が残っていないためはっきりしません。
 「越中婦負郡志」によるおわら節の起源として、元禄15年(1702)3月、加賀藩から下された「町建御墨付」を八尾の町衆が、町の開祖米屋少兵衛家所有から取り戻した祝いに、三日三晩歌舞音曲無礼講の賑わいで町を練り歩いたのが始まりとされています。
 どんな賑わいもおとがめなしと言うことで、春祭りの三日三晩は三味線、太鼓、尺八など鳴り物も賑々しく、俗謡、浄瑠璃などを唄いながら仮装して練り廻りました。これをきっかけに孟蘭盆会(旧暦7月15日)も歌舞音曲で練り廻るようになり、やがて二百十日の風の厄日に風神鎮魂を願う「風の盆」と称する祭りに変化し、9月1日から3日に行うようになったと言われます。

「おわら」とは
 一説では、江戸時代文化年間頃、芸達者な人々は、七五調の唄を新作し、唄の中に「おわらひ(大笑い)」という言葉を差しはさんで町内を練り廻ったのがいつしか「おわら」と唄うようになったというものや、豊年万作を祈念した「おおわら(大藁)」説、小原村の娘が唄い始めたからと言う「小原村説」などがあります。

風の盆の由来
 二百十日の前後は、台風到来の時節。昔から収穫前の稲が風の被害に遭わないよう、豊作祈願が行われてきました。その祭りを「風の盆」というようです。また、富山の地元では休みのことを「ボン(盆日)」という習わしがあったと言われます。種まき盆、植え付け盆、雨降り盆などがあり、その「盆」に名前の由来があるのではないかとも言われています。

多くの人々に育てられて
 大正期から昭和初期におわらが大きく変化を迎えます。大正ロマンと呼ばれるほど文化に自由な気風が溢れた時代、大正9年に誕生した「おわら研究会」も影響を受け、おわらの改良(唄や踊り)を行いました。また、昭和4年に結成された「越中八尾民謡おわら保存会」初代会長の川崎順二の文化サロンを中心とした働きで、各界の文人が次々と八尾に来訪しました。おわらに一流の文化意識を吹き込んだ文化人には、宗匠・高浜虚子、作家・長谷川伸もいたと言われています。
 同年、東京三越での富山県物産展に於ける公演をを契機に、おわらの改良がなされ、画家の小杉放庵、舞踊の若柳吉三郎が創った「四季の踊り」は大人気となりました。このときのおわらが「女踊り」「男踊り」として継承され今日のおわら風の盆になりました。
 その時代に生きた文芸人らの想いは今、歌碑となって町内のあちらこちらで息づいています。散歩がてら町の「おわら名歌碑」めぐりをして廻るのもおわらの楽しみの一つです。
 新しい時代の息吹を吸収しながら生きるおわら風の盆は、これからも新しい変化を繰り返し、次の世代へと継承されていくことでしょう。また、そう願わずにはいられません。


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら





3.曳山展示館とおわら演舞場

 私の旅行は、かつては事前に色々と調べて完璧ともいえるプランで臨んだものだが、そうすると旅が窮屈になる上、様々なハプニングに柔軟に対応できないうらみがある。だから最近では、特に国内旅行は一応調べてはいくものの、基本的には行き当たりばったりで、その度ごとのハプニングを楽しむというスタイルである。今回もその調子で特に詳しく調べていくようなことはせず、シャトルバスに乗り込む時にいただいたパンフレットを眺めることから始めた。

 そうすると、「曳山展示館ステージでの実演」「おわら演舞場(八尾小学校校庭)」というのがあった。前者が午後5時からで1,500円、後者が午後7時からで指定席券3.600円である。では、開始時間を考えると、まず前者に向かおうかと思って地図を眺めていたところ、後者の小学校は今いる場所のすぐ近くなのに気が付いた。だから、まずそこに立ち寄って指定席券を買うことにした。窓口で聞くと、運よく良さそうな席が空いていたので、それを買うことができた。

 地図を見ながら曳山展示館に到着した。そこでは山車が並べられていて興味をそそられたが、おわら風の盆の舞台を見に来たので、まずはそちらの列に並んだ。次から次へと観客が来るので、列は延々と長くなる。やっと時間になり、ホールへと入った。どこでも良いというので、最前列のかぶりつきに着席した。残念ながら写真は禁止だ。


おわら雪洞



 いよいよ始まり、まずはおわら風の盆の所作の解説である。豊年踊り四季踊り案山子踊りなどがある。最初に左上で3回、手を叩き、右下で1回叩くのはこれから始めるという合図だとか、目の前で3回水平に手を動かすのは蚕棚を整理している所だとか、それから右や左へと手を斜めに動かすのは確認している所作だとか、色々と解説がある。それから踊り手さんたちが舞台でやってみせる。舞台踊りだそうだ。30分のステージで、本日は西新町支部が担当である。でも、「あれっ、これで終わりか。」と言いたくなるほどの内容の薄さだ。おわらは全く初めてという人には良いかもしれないが、私のように少しは知っているお客にとっては子供騙しのようで、物足りなくて損をした気分である。せめて、歌詞と所作の解説をしたメモでも配ってくれれば、この値段に合った価値があったのかもしれないと残念である。

 さて、午後7時近くになってきた。気を取り直して、演舞場に向かう。小学校の大きな校庭に沢山の椅子を並べて、正面に舞台が設えてある。舞台の背景の絵は、真ん中に大きな橋がかかっている川の風景である。なかなか良い。30分ごとに4つの支部が出演する本格的なものらしい。3日間で合計11の支部と、八尾高校郷土芸能部が出演する。私が見たこの日は、上新町、東新町、西町、天満町の順で、終演が午後9時近くになる。


上新町


上新町


上新町


上新町


 いよいよ始まった。まず、上新町の出演である。胡弓、三味線、太鼓の素朴で情緒あふれる旋律が聞こえてきた。次いで長く続く絞り出すような声でおわら節が朗々と唄われる。男性の踊り手が出てきて、左上で3回手を叩き、次いで斜めに手を動かして右下で1回手を叩くことから始まり、両手を水平にして手首を曲げる。これが案山子踊りか。それからピンクの衣装の女性の踊り手が男性と入れ替わるように現れて、優雅に踊る。菅笠を目深に被るので、「夜目遠目笠の内」ではないが、どの人も美人にみえる。面白いものだ。

 正確に言うとこの日の歌詞とは違うかもしれないが、例えば、こういう歌詞である。八尾四季(作詞:小杉放庵)

 揺らぐ吊り橋 手に手を取りて
 渡る井田川 オワラ 春の風
 富山あたりか あのともしびは
 飛んでいきたや オワラ 灯とり虫
 八尾坂道 別れてくれば
 露か時雨(しぐれ)か オワラ ハラハラと
 もしや来るかと 窓押し開けて
 見れば立山 オワラ 雪ばかり


東新町


東新町


東新町


東新町


東新町


東新町


東新町


東新町



 東新町の出演時には、小学生の女の子を早乙女姿で出し、男の子を黒い男性衣装で出してきて、そのあまりの可愛さに、観客から拍手喝采だった。大人の男性は黒っぽくてさほどの差がないと思っていたら、町によって、男性がウグイス色の衣装で出てきた。ピンク色の女性とマッチして、非常によかった。

東新町


東新町


東新町


東新町




 また、黒い男性の踊り手が、案山子踊りの最中に、両手を斜めに伸ばし、片足を上げて固まったように動かなくなり、それに更に2人が同じように固まった姿勢をとる。これにも、観客が大きな拍手喝采を送った。そういう調子で、最後まで観て、おわら風の盆を堪能した。素人は、このステージだけでも良いかもしれない。もっとも、おわらの真の楽しみは、思わず町流しにぶつかって、その町独特の衣装、踊り、歌い方を堪能するところにある。


西町


西町


西町


西町


西町


西町


西町


西町


西町


西町



 さて、これが終わったのは、午後9時を回っていた。それから日付けが変わるまで町流しを見るのがおわら風の盆見物の醍醐味だ。ところが、泊まりは高岡なので終電などを気にするのも面倒だし、明日があると思って、本日はもう帰ることにした。越中八尾駅まで歩いて30分はかかりそうだ。それで帰りかけたら、東町での町流しにぶつかった。狭い通りを、胡弓と三味線を流しながら朗々と歌い、その前を編み笠を目深に被った黒い男性とピンクの女性の浴衣姿が踊りながら流していく。この歌がまたよい。ドッコイサーのサッサなどと、頭にリズムが残る。哀愁を帯びた懐かしさがこみあげてくる。これを記録するには、写真では全く不十分だ。このおわら節と一緒でなければ、意味がない。そういうことで、今回のおわら風の盆見物には、写真よりビデオの方を多く撮った。


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町



 それを見終わって、駅を目指して歩き始めたのは午後9時半頃だ。パンフレットの地図を頼りに十三石橋を渡ったのはよいが、そこでグーグル・マップを取り出したのは失敗だった。これに駅までの道順が出てくるので、ついついそれを頼りに進むと、一応は歩道があるけれど、だんだん道が暗くなってきた。構わずに歩くと、なんと墓地がある。そういえば、どこか見覚えがあると思ったら、その一角に親類の山口家のお墓がある墓地だ。間違いない。全くの偶然で驚いたが、この夜中にわざわざ立ち寄ってお参りする気も起こらず、心の中で亡き従兄弟のSさんに挨拶をして、そのまま通り過ぎた。

 更に行くと、真っ暗な中で突然、道が途絶えている。こんなことがあるものかと思ってよく見ると、階段だ。はるか下に、鳥居があるので、神社の参道の階段を下れというのが、グーグル・マップの指示だ。こんなに傾斜があるなら、そう表示してもらいたい。もう二度とグーグル・マップは使うものかと思いつつ、暗い中を何とか階段を降り切った。そこは、駅にほど近いところで、街頭もあり、ようやく文明社会に帰ってきた気がした。高山本線の電車に乗ったのは午後10時37分、高岡のホテルに帰り着いたのは、11時30分だった。いやはや、ひどい目に遭った。とんだ、夏の夜の肝試しの日だった。



天満町




4.おわら保存会11支部の特徴

 いただいたパンフレットの中にあった八尾町の地図で、上(南西部)から下(北東部)へとこれらの11支部(町内)が並んでいる順に見ていくと、最南西端は「東新町」(地図の左手)と「西新町」(右手)から、川を渡った所にある「福島」までは、次の通りである。

「東新町」、「西新町」
「諏訪町」、「上新町」
「鏡 町」
「東 町」、「西 町」
「今 町」
「下新町」
「天満町」
「福 島」


 それぞれの支部の特徴について、いただいたパンフレットには、このようにある。

「西新町」・・最も南に位置する支部です。新しく区画割されたことをあらわす「新屋敷」という通称でも呼ばれます。腰を深く落としてから大きく伸び上がる所作の男踊り、また繊細かつ優美な女踊りとも相まっての町流しは見応えがあります。

「東新町」・・諏訪町の先にあって最も高台に位置する支部です。この支部の少女だけが愛らしい早乙女衣装をまとって踊ります。また、この支部にはカイコを奉った若宮八幡社があり、その境内で奉納されるおわらには独特の風情があります。

「諏訪町」・・往時を偲ばせる佇まいの家々立ち並び坂のまち風情を色濃く残している支部です。東新町へと続く緩やかな坂道にボンボリが並び、狭い家並みにおわらの音曲が反響し、道の両脇を流れるエンナカと呼ばれる用水の水音と相まって、おわらなとっての最高の舞台を演出します。

「上新町」・・旧町の中で一番道幅が広く、商店が多く立ち並んでいる支部です。通りが広いので、比較的容易に町流しを楽しむことができます。また、午後10時から始まる大輪踊りには、観光客の皆様も参加して地元気分で楽しんでいただけることから、大変好評です。

「鏡 町」・・・かつては花街として賑わった町の支部で、女踊りには芸妓踊りの名残もあって、艶と華やかさには定評があります。鏡町支部への入口でもある、おたや階段下が支部のメイン会場になっていて、その会場で行われる舞台踊りや輪踊りをおたや階段に座って鑑賞するスタイルが有名です。

「東 町」・・・旧町でも古い町にある支部で、かつては旦那町とも呼ばれたほど大店が連なっていたと伝えられており、他支部と異なる色合いの女性の衣装に当時の旦那衆の遊び心が伺いしれます。また、おわらの名手だった江尻豊治や越中おわら中興の祖といわれる川崎順治などを輩出し、おわらの芸術性を育んだ町でもあります。

「西 町」・・・東町とともに旧町の中心にあって旦那町として栄えた支部です。今でも土蔵造りの家や風情ある酒蔵、格子戸の旅館など情緒あふれる建物が残っています。昼間に行われる、禅寺坂をくだった先にある禅寺橋で石垣をバックにした輪踊りには独特の風情が感じられます。

「今 町」・・・旧町の古刹聞名寺の正面に位置する支部です。東西両町の中心に位置したことから、かつては中町と呼ばれました。青年男女が絡む男女混合踊りは、この支部が他の支部に先駆けて取り入れたものとつたえられており、創作当時のスタイルを大切に守っています。

「下新町」・・福島から旧町への入口にある支部で、かつては勾配のある坂道に沿って多くの商店が立ち並んでいました。坂の中腹には八幡社があり、春季祭礼の曳山祭りでは曳山が奉納されるメイン会場となっています。朱色を基調とした女性の浴衣が特徴的です。

「天満町」・・東西北の三方を川に囲まれた町にある支部です。町はかつて川窪新町といわれていました。明治23年に天満町と改称し、その名の通り天満宮があります。この町では、おわらの唄(上句)の途中にコラショットと囃子を入れて、音程を下げて力強く歌う独特の歌い方があります。その歌い方は、川窪(こくぼ)おわらと呼ばれています。

「福 島」・・・旧町から移り住んだ人達を中心として結成された最も新しい支部です。風の盆期間中は駅横の特設舞台でステージ踊りが実際されます。また、大人数で広い通りを流す福島独特の町流しは見応えがあり、大変好評です。


 各支部の特徴が非常によく分かり、なかなか優れた解説である。とても参考になった。ついでに、同じパンフレットに書いてあったQ&Aのうち、興味を惹かれたものを引用すると、

 顔が見えないくらいに深く編み笠を被るのはどうしてですか。
 風の盆がはじまった当初は、照れやはずかしさから人目を忍び、手ぬぐいで顔を隠して踊ったのが始まりだったと伝えられています。編み笠に変わった今もその名残りで、顔が見えないくらいに深く被ります。

 女子の踊り子さんの帯はなぜ黒いのですか。
 その昔、おわらの衣装を揃えた際、高価な帯まで手が届かゆかったので、どこの家庭にもあった黒帯を用いて踊った名残りといわれます。

 初めて風の盆に行くのですが、どのように見たらよいですか。
 大きく分けて2つの見方があります。ステージでの鑑賞と各町内踊りでの町流しになります。初めての方は、椅子に座って見ていただける八尾小学校演舞場(有料)がおすすめです。

 町流しとは、とのようなものですか。
 おわらの町流しは、11あるおわら保存会支部がそれぞれ町の通りを歌い踊りながら流すもので、昔からのおわらの姿がここにあります。町流しには踊りと地方(じかた)が一体になった町流しと、地方だけの町流しがあります。


 なるほど、編み笠を深く被ることや黒帯の理由が、よく分かった。私は、9月1日の第1日目夜は八尾小学校演舞場で座って4つの支部を見物し、第2日目は、午後の町流しと、その夜は町流しはもちろん鏡町に陣取って舞台踊りなどを見たから、11支部のうち、少なくとも半分程度は見たと思う。町流しの見物も、この辺りで始まるななどと勘が働くようになり、だんだん慣れてきた。


5.鏡町のおたや階段下の広場

 さて、2日目は、やはり妹に送ってもらってスポーツアリーナに着いたのが午後2時半頃だ。午後3時から5時まで、各町内で昼間の町流しがある。それで、東町 → 西町 → 上新町 → 諏訪町 → 東新町 → 西新町 → 鏡町 の順で、町流しを観ていった。上新町公民館の前では、舞台踊りが披露され、それを堪能した。


西町


上新町公民館


西町


西町


西町



 午後7時から夜の町流しが始まるので、それまで2時間ほどある。先ずは早目の夕食を食べようと、食堂に入って親子丼をいただいた。関東の親子丼のように醤油を使っていない。だから、卵と玉ねぎと鶏肉がそのまま白いご飯にのっていて、まるで味がしない。富山では、他で親子丼を食べたことがないので、この店だけの味か、それともこの地方特有の味なのかはよく分からなかった。まあ、減塩にはよいから良いものの、シンプルすぎる味である。


西新町


西新町


西新町


西新町


西新町


西新町


西新町


西新町



 まだ、夜の町流しまで1時間半もある。地図で見た鏡町の「おたや階段」に行ってみた。この階段に座って、その下の石畳の広場で行われる演技を楽しむのが鏡町流の楽しみ方だそうだ。西町から「おたや階段」についた。そこから階段の下を見下ろすと、石畳の広場がまるでマッチ箱くらいにしか見えない。でも、もう階段の下から3分の2は、見物客で埋まっている。試しに空いている階段に座ったところ、それでも眼下の広場はまるで手帳サイズである。冗談ではない、こんなところにいても仕方がないと思って、階段を降りていき、下の広場に着いた。すると、人々がもう周辺に座っている。スケジュールを見たら、午後8時開始である。まだ、2時間半もあるのに、もう待っているのかと思い、馬鹿馬鹿しくなって、その辺りに座った。歩き疲れていたので、少し休むつもりだった。


6.退職者の鏡のような元気なおじさん

 すると、隣に座っていた60歳代の男性が、私の持っているカメラを指さして話し掛けてきた。「そのカメラ、いいなあ。よく撮れるでしょう?」

 私は、「いやいや、前回、キヤノンのカメラを持ってきたのですが、もう全然撮れなかったので、今回はこのソニーα7にしました。多分、多少暗くても大丈夫でしょう。」

おじさん「私は、ソニーα6400だから、そのα7だと、もっと良く撮れるでしょう。例えば、これでも(と言ってカメラの画像を拡大して)、ほら、踊り子さんのうなじの髪の毛まで写ってますよね。」

私「ああ、これは良く撮れている。目深に被る編み笠を正面から捉えるのではなくて、後ろからうなじに焦点をあてるなんて、これはなかなか非凡な構図ですね。芸術的だ。」

おじさん(気を良くして)「いやいや、ありがとうございます。そうやって気に入った写真を印画して、部屋に飾っています。」

私「それは、なかなか良いご趣味ですね。おわらは初めてですか?」

おじさん「いやいや、去年も来たのですが、鏡町のおわらは、この位置が絶好の場所です。なんとなれば、背景に見物人が写り込まない。ほら、黒い板塀でしょう。だから、あと2時間以上あるけど、ここで待っている価値があります。あと、今町の聞名寺(もんみょうじ)、これも良い。見物人が写らないアングルがあります。」

 私はそれを聞いて、ここで、このおじさんとおしゃべりをして時間を潰すことにした。気がついてみると最前列だから、写真を撮るには絶好のポジションである。

おじさん「流鏑馬に行ってみたことがありますか?」

私「いや、一度もありません。関東近辺では、鎌倉ですか?」

おじさん「鎌倉、逗子、平塚、そして明治神宮ですが、このうちでは、逗子が一番、絵になります。というのは、背景が海になるんです。たまに富士山が見えたりしてね。だから、あそこの流鏑馬は最高です。明治神宮も、背景に見物人が写りこまない良いアングルがありますよ。」

私「そうなんですか。逗子と明治神宮ねぇ。では今度、行ってみます。」

おじさん「ところで、ここまでどうやって来られたんですか?」

私「いつも、大人の休日倶楽部で、北陸フリー切符を買って来るんです。」

おじさん「私は、国内旅行は、なるべく格安航空券を買っていくことにしてます。例えば、先日は熊本まで3千円で行ってきました。北海道も、2千数百円で行けますよ。航空会社の販売サイトを丹念に見ていたら、そういう券があるんです。先日は、ジェットスターで291円というのがあって、申し込みました。我々は、土日は関係ないですから、暇な期間にそういう券のオファーがあります。」

 などというとりとめない話をしていたら、いつの間にか午後8時になって、鏡町のおわら風の盆公演が始まった。先ずは地方が「歌われよ わしゃ囃す」から始まって「越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山三国一だよ」と続き、歌と囃子が続いていく。その途中で、三方から踊り子さんたちが出てきて踊る。上手いものだ。撮りに撮ったことは、言うまでもない(上記1.の写真参照)。

 おわら風の盆の踊りは素晴らしかったが、それとともに、退職者の鏡のような、このおじさんの存在には驚いた。現役の時は、さぞかし有能な人だったのだろうと思う。その時の勢いのまま、退職しても相変わらず精力的に全国を歩き回っている。「セールス」ではなくて、単に「良い写真を撮る」だけのために・・・いやもう、大した人だ。日本も、人口が減る、労働力が減るなどと言っていないで、こういう元気な高齢者を活用すべきだと思った次第である。



西新町


西新町


西新町



 なお、今晩の帰りの時刻は午後9時半頃に出発となったが、昨晩の反省からグーグル・マップを見るのは止めて、パンフレットの地図に従って十三石橋を渡るとすぐ右に曲がり、そのまま前進すると地鉄バスの発着場に出た。そこから左手に行けば高山本線の越中八尾駅であるが、試しにバスの出発時刻を聞くと、もうすぐだ。そこで、バスに乗ることにした。富山駅経由で高岡駅に着いたのは、午後11時頃だった。そのうちまたやって来て、今回の2日間で見られなかった支部のおわら風の盆を見てみたいと思っている。


7.八尾町の皆さんに感謝

 こういう風の盆をもう300年近く踊り、歌い続けてきたそうであるが、まずはその伝統を守ってきた八尾町の皆さんに対して敬意を表したい。また、そうした地域のお祭りに、我々のような何十万人にも及ぶ観光客を心よく受け入れて、かつ見物をさせていただくという皆さんの度量の広さにも感謝する次第である。願わくば、この伝統の芸術、日本の宝ともいえるお祭りを、今後も末永く続けていってもらいたいものである。







 本場おわら風の盆(写 真)




(2019年9月 3日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:30 | - | - | - |