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名古屋城の本丸御殿

名古屋城の本丸御殿


 私は、かつて名古屋城の本丸御殿の第1期復元工事を見学した。2015年12月23日のことである。残る復元工事は2018年6月に完成して、全面的に公開される運びとなった。このたび私も、遅ればせながらそれを見物させていただいた。以下は、前回のエッセイと合わせて読んでいただければと思う。

 今から振り替えると、私が見た第1期復元工事は「玄関」と「表書院」に過ぎなかった。入場時にいただいたパンフレットを引用させていただくと、

玄関 〜 美しい唐破風の奥に虎と豹がじっと睨む 〜

 本丸御殿を訪れた人がまず通され、対面を待つ殿舎。玄関と言っても、一之間(18畳)、二之間(28畳)の二部屋からなり、一之間は床や違棚もついており、四周の壁や襖には、竹林と虎や豹などが描かれた金地の障壁画「竹林豹虎図」が飾られています。


玄 関


玄 関


 確かに、金色の壁や襖地に獰猛な虎や豹が描かれ、その周囲に緑色の竹や白い滝が配されているのは、まさに豪華絢爛という表現がぴったりである。それと同時に、来訪者を精神的に威圧する役割もあるという。

表書院 〜 花鳥、麝香猫が彩る正式な謁見の間 〜

 正式な謁見(対面儀礼)に用いられた。本丸御殿内で一番広大な建物。上段之間(15畳)、一之間(24畳半)、二之間(24畳半)、三之間(39畳)、納戸之間(24畳)の五部屋からなり、江戸時代には広間と呼ばれていました。上段之間は徳川義直が着座した部屋で、床と違棚、付書院、帳台構といった正式の座敷飾りを備えています。


表書院


 床の間の金地に描かれた松の木が、とても素晴らしい。よくこんな造形を考えつくものだと感心する。さて、ここからが今回初めて目にするものである。

対面所 〜 身内だけが立ち入れる豪奢かつ私的な殿舎 〜

 藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた建物。上段之間(18畳)、次之間(18畳半)、納戸一之間(24畳)、納戸二之間(24畳)、納戸之間(24畳)の四部屋からなり、上段之間と次之間の障壁画は「風俗図」と呼ばれ、京都や和歌山の四季の風物や名所がおだやかな筆致で描かれています。


対面所


対面所


 この部屋に来ると、それまでの豪華で公式な空間が、やさしく穏やかな和風の空間にいきなり変わってしまった。家族や側近との会合には、ちょうどよろしいサイズと雰囲気である。

上洛殿 〜 細部まで豪華絢爛、技術と贅の粋 〜

 1634年(寛永11年)の三代将軍家光の上洛に合わせて増築された建物で、上段之間(15畳)、一之間(18畳)、二之間(22畳)、三之間(21畳)、松之間(20畳)、納戸一之間(10畳)の六部屋からなります。襖絵・天井板絵や豪華絢爛な彫刻欄間、飾り金具等で彩られ、贅の限りを尽くしていました。王の正しい行いを描いた障壁画「帝鑑図」や「雪中梅竹鳥図」は、当時33歳の狩野探幽によるものです。


上洛殿


上洛殿


上洛殿


上洛殿


上洛殿


 これは、さすがに時の徳川将軍向けに特に造った建物であるだけに、豪華絢爛という言葉ではとても言い尽くせないほどの格式の高さと豪華な装飾である。絵の題材も、王の正しい有り様を描いたものにするなど、選び抜いているし、全体の色も、金色ではなく白っぽいものにして気持ちが落ち着くように配慮している。また、天井も、格子の一つ一つに絵が描かれている。何よりも驚くのは、欄間が色付き彫刻となっているところだ。これは、初めてお目にかかった。

 なお、襖に赤い房が掛かっているのは、この裏側に武士を控えさせておいて、万が一、殿様に危害を加える不届き者が出てきた場合に備えていることを示すものだそうだ。

湯殿書院 〜 将軍が湯を愉しみ英気を養う寛ぎの空間 〜

 将軍専用の風呂場。現在のように湯船はなく、外にある釜で湯を沸かし、湯気を引き込むサウナ式風呂でした。浴室(湯殿)だけでなく、上段之間、一之間、二之間からなる格式高い書院造りの殿舎です。

黒木書院 〜 質の高い松材を用いた落ち着きの空間 〜

 本丸御殿のほかの部屋は総檜造りであったのに対し、この部屋には良質な松材が用いられ、その用材の色から黒木書院と呼ばれるようになりました。落ち着いた風情のある黒木書院の襖絵には、風格のある水墨画が配されています。清須城内にあった家康の宿舎を移築した殿舎とも伝えられています。


黒木書院


 確かに、特に装飾に凝ったところはなく、実用本位の造りである。また、あちこちはある飾り金具がなかなか素晴らしい。

飾り金具


 ということで、本丸御殿の見物は終わった。次は、河村たかし名古屋市長が言い出した木造天守閣の復元である。聞いたところによると、3つの難題がある。

 第1は、建設資金の問題である。500億円とも600億円とも言われる。その三分の一は名古屋市、三分の一は文化庁の補助金、残りは市民などからの寄付を見込んでいるそうだが、戦後間もない昭和34年に市民の大きな支持で今のコンクリート製の天守閣を再現するのに成功したことからすれば、何とかなるだろうと思われる。私も、多少は寄与したいと考えている。

 第2は、文化庁が、名古屋城の石垣が崩れかかっているから、そちらの方の手当が先ではないかという疑問を呈していることで、なかなか復元に向けての話が進んでいないそうだ。ただ、今の天守閣を鉄筋コンクリートで再建した時に、この石垣には荷重を掛けられないので、コンクリート製のパイルを打ち込み、その上に天守閣を載せている。そうしたことから、目に見えない部分で対応するしかないし、表の石垣そのものも、早晩積み直しをする必要があると思われる。

 第3は、障害者団体から、復元する天守閣にはエレベーターを付けて障害者が見学するのに安全かつ支障のないようにしてほしいとの要望が出ていることだそうだ。もちろん、天守閣ができた400年前にはそんなものあるはずがないし、付けてしまえば「復元」とはいえないと、関係者は頭を抱えているという。どちらも、もっともではある。話し合いは膠着状態にあるようだ。私は、江戸時代の図面通りに木造で正確に復元する以上、天守閣内部にエレベーターを設置することは全く無理だとは思うが、それに代わる新技術が出てくるのではないかと、密かに期待している。

 一例として、昔の攻城戦に使われたような櫓はどうだろう。普段は折り畳み式で天守閣の脇に格納しておく。そして、見学したいという障害者の方がおいでになったら、その櫓を天守閣に横付けし、するするとパイプを上に伸ばしていく。そのてっぺんが例えば第三層目に達したら止まり、エレベーターでお客さんを運ぶ。そこから真横にまたパイプが伸びていって、お客さんはその中を安全に通り抜けて天守閣に入るというものだ。しかし、開発にかなりお金がかかるかもしれない。

 あるいは、手っ取り早い方法は、エレベーターなどにこだわらず、名古屋市消防局に配備している地上高50m対応のバスケット付き「はしご車」を使うという案もある。そのバスケット部分に乗ってもらい、そのまま天守閣に直接運ぶというのは、どうだろう。案外、受けるかもしれない。これならタダだ。もっとも、市民の安全のための車両をそんなものに転用するのは怪しからんという批判もあり得るので、消防車仕様のものを新しく一両買い、夜間の使わないときには消防車として待機して、いざというときには実際に出動するというのはどうだろうか。これを購入する費用だけ、クラウドファンディングの対象としてもよい。まだ時間はあるので、名古屋人らしく、ケチと言われても良いから、知恵を働かせていただきたい。







 名古屋城の本丸御殿(写 真)






(2020年 2月14日記)


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