<< アートアクアリウム 2020年 | main | 恐竜と天空の城 >>
入院の母を見舞う

s01.jpg




1.母が軽い脳梗塞を起こした

 私の母が脳梗塞を起こして病院に運ばれたと聞いたのが、2週間前のこと。幸い、妹がその数日前から泊まり込んで付き添っていたこともあり、命に関わる事態にはならなかった。送ってもらったレントゲン写真を見ると、脳の右側に大豆くらいの大きさの患部がある。規模は小さいが、運動神経が通っているところに近いので、手足が動かなくなると困るなぁと思った。妹によると、「話したり食べたりすることは大丈夫だけれど、やはり左脚がダラリとしてきた」という。

 直ぐにお見舞いに行こうと思っていたら、新型コロナウイルスのせいで面会は厳禁だという。それでは、せっかく帰省しても仕方がない。そこで、2週間の急性期入院が終わってリハビリ病院に転院するこの機会をとらえて、顔を見に行くことにした。そもそも、今年の冬からこれまで、新型コロナウイルスが猛威をふるって緊急事態宣言が出たりしていたことから、帰省することがそもそもできなかった。だから、もう長い間、母の顔を直接見てはいないこともあって、どういう容体なのだろうかと、心配が先に立つ。


2.あーら、お兄ちゃん

 前日から駅前のホテルに泊まって、翌朝、妹たちと病院に行った。転院先の病院へは、妹が介護タクシーを使うように手配してくれていた。その介護タクシーの運転手さんが、母を車椅子に乗せて出てきた。その瞬間、母の第一声が「あーら、お兄ちゃん、東京からわざわざ来てくれてありがとう」だった。私も既に古稀を迎えているのに「お兄ちゃん」とはないもんだとは思うが、そういえば、機嫌の良いときにはこう呼んでくれる。頭が呆けてなくて、良かった。目付きも普段と変わらず、大丈夫だ。身の回りの荷物を受け取り、看護師さんたちにお礼を言って、車椅子の母と介護タクシーに乗った。

 10分ほどして、転院先のリハビリ病院に着いた。介護タクシーから車椅子ごと降ろして、病院の建物に入る。そこで病院の車椅子に乗り換えないといけない。私が母の両脇に両手を差し入れて持ち上げている間に運転手さんが車椅子を差し替えるという手順だったが、いやもう、母の身体が重いこと、重いこと。しかも、下半身に力が入らないから身体がダラリと垂れ下がるようになるので、寝ている子供を抱いているようなものだ。持ち上げるのは一瞬のことだったからよかったものの、これが毎日続くとなると、間違いなくこちらの身体を痛めそうだ。妹たちにも「我々の年齢を考えれば、もし自力で動けなくなったら、自宅での介護はもう不可能に近いから、介護施設にお願いするしかないね」と言っておいた。


3.ここはどこですか

 それからその新しい病院でも、体重測定、頭部のCT、脚のレントゲン、先生の問診などがあった。最近は患者が了解すれば、病院間で連携してデータやカルテのやり取りもされるようで、その同意書も出しておいた。ところで、その先生の問診は、病気の経緯から始まって、生活の状況、既往症、飲んでいる薬などの詳細に及んだ。簡単な認知症の検査も行われて、まあまあの点数だった。日付を多少間違えたが、2週間も脳梗塞で入院していたことを思えば、仕方がない。でも、「ここはどこですか」と聞かれて、正しい病院名をズバリと答えたので、先生もびっくりしていた。

 それから、入院手続きに入る。あれやこれやと同意書ばかりで、しかもいちいち印鑑がいるのでたまらない。新型コロナウイルスで印鑑は廃止しようと言っている時に、何と言うことだ。その間、母はベッドに乗せられてあっちへ運ばれたかと思うと、また別の部屋に運ばれたりと、忙しい。そういう調子で、やっと必要な手続きが終わった。

 ところで、こちらの病院でも、面会禁止なのだそうだ。オンラインで出来ないのかと聞くと、「ありますが、予約制です」という。しかも、この病院に来なくてはいけないらしい。「では予約したい」というと、「11月まで一杯です」とのこと。何を言っている。その頃には転院してしまうではないか。「母はスマホを持っているから、スカイプ、ライン、ワッツアップなどで会話できるのだけど、手助けしてくれるか」と聞くと、「上では検討しているかもしれませんが、まだ私どものところには下りて来ておりません」などと、取り付く島がなかった。この地方の一般の人のITリテラシーは本当に低い。デジタル庁でも何でもいいから、早く何とかしてもらいたい。


s02.jpg




4.これからの住まい

 現在は、母が一人暮らしをしていて、近くに住んでいる妹たちが毎日代わりばんこに訪問して、おかずを持っていき、話し相手になっているという体制である。この一年ほどの間に、母は、めっきり足腰が弱ってきたために、近くのスーパーに買い物に行くということもせず、外出といえば妹たちが運転する車に乗っての病院通いくらいである。そこで、妹たちと話しをしているのだが、この病院でのリハビリにもかかわらず、仮に母の足が不自由になり、トイレにも行けなくなったとしたら、もう今の家での一人暮らしには戻れないのは明らかだ。東京であれば、有料老人ホームに入るかどうかという話になるのだけれど、母の地方では、そもそも有料老人ホームなるものが、ほとんどないというのが実情である。隣の県まで行けばないわけではないのだけれど、妹たちが母の顔を見に行くのが遠くなるので、実際上は無理だ。

 もちろん、これからのリハビリの具合にもよるが、リハビリが上手くいけば、また現在の家に帰って来られる。ところがそれが功を奏さずに現在の介護度2から介護度4ほどになったとしたら、県内に15か所ある特別養護老人ホームに入ることが可能のようだ。でも、介護認定にしばらく日時を要するというので、その間、どうしたものやらだ。母本人も大変だが、周りの我々も、それなりに苦労しそうだ。


5.その後、特別養護老人ホームに入居

 それから、母は介護度4に認定され、県内の特別養護老人ホームに入居することとなった。そして3ヶ月後の12月29日、無事に移り住んだ。職員の方々は非常に親切で、母も満足している。毎月の費用は、寡婦年金の範囲内に収まり、ほとんど持ち出しはない。

 問題は、残された家のことである。妹たちと相談の上、電気と水道の契約はそのまま継続することにした。そうして数ヶ月が経過した頃、この冬は例年にも増して大雪となった。すると、驚いたことに屋根に降り積もった雪がまとまって落ちてきて、家の周りの石垣の塀を破壊してしまっていた。母が住んでいなくて、不幸中の幸いだったといえる。

 それから更に数ヶ月経ったところで、老人ホームから妹のところに電話があり、母が元気なく食欲もないという。そこで、妹が病院に連れていって診察を受けさせたところ、尿路結石があるという。早速、手術となった。レーザーを当てて粉砕するそうだ。手術そのものは上手くいったそうだが、取り切れなかっようで、更に数ヶ月後にまた手術するという。原因としては、母はあまり水を飲まない質なのでそのせいか、あるいは歩けなくなったので運動不足によるのだろうと思う。

 ただ、問題は新型コロナウイルスのせいで、特に令和3年に入ってからは、現地では学校や老人ホームでクラスターが多数発生しており、同じ市内に住んでいる妹たちですら、お見舞いはもちろん、病院の付添いも断られてしまう有り様となっている。ましてや東京からのお見舞いや付添いは、老人ホームとしてはまっぴら御免ということなので、見舞いにも行けないから困っている。




(2020年 9月14日記、21年10月8日追記)


カテゴリ:エッセイ | 20:31 | - | - | - |