本場おわら風の盆

鏡町おわら


1.一度は本物を観てみたかった

 「越中八尾おわら風の盆」については、これまで「月見おわら」「前夜祭」などを見て、それなりにわかったつもりでいた。ところが、やはり本物を見てみたいと思って、八尾に出掛けて観ることにした。今年の9月1日は日曜日で祭りは3日まであるから、2日丸一日と3日午前中(帰京)を休めば、丸々2日間は見られるという算段である。だから、たとえ一日くらい雨で中止になっても、さほど悔しくない。

 また、かつて行った前夜祭のときのカメラはオリンパスE−P3だったので、こういう暗い中での撮影は、ほぼ不可能だった。月見おわらのときはキヤノンEOS70Dだからそれよりはマシだったが、やはり、動き回る早い所作には不向きだった。その点、幸い今回は新しく買ったソニーのα7IIIを持っていくので、楽に撮れるはずだと期待する。実際、その通りだった。

 大人の休日倶楽部で北陸フリー切符というものがあって、往復には北陸新幹線を使えて、北陸エリア内では乗り降り自由であり、新幹線終点の金沢からもっと西に行こうとすると、特急の自由席に乗ることができる。価格も22,000円と合理的だし、いちいち行先を確かめて切符を買うという煩わしさがない。だから、北陸地方へ行くときは、私は専らこれを利用している。宿泊は、富山は混んでいるだろうから、少し外して高岡のホテルを予約した。地元の「あいの風富山鉄道」で富山から17分ないし18分と、それほど遠くない。県内の二大都市間だから、夜中もちゃんと電車がある。

 当日、乗り込んだ北陸新幹線は順調に走り、富山駅で降りて「あいの風富山鉄道」に乗り換えようとしたところ、ちょうど「おわら風の盆」のポスターが目に入った。越中八尾駅は富山駅から高山本線で20分ほどのところにあるが、その電車には整理券がないと乗ることができないという。その整理券は、乗車時刻の1時間前から発売だとのこと。そんな話、聞いていなかった。これは面倒だと思って地元の妹たちに行き方を相談すると、八尾のスポーツアリーナまで送ってくれるというので、好意に甘えることにした。これは助かった。そのスポーツアリーナは、見物客向けの大掛かりな駐車場となっていて、町の中心部までシャトルバスが出ている。

 スポーツアリーナは高岡から車で40分の道のりだ。午後4時頃に着き、シャトルバスに乗り込む。到着したのが、八尾町域の東の城ヶ山公園の近くだ。そこから坂を登って町域に入る。町の北側には井田川がある。山中を流れてきて、ふと平野が開けるところに町がある。現在の川面はかなり下がっているものの、その地形からして、過去に何回も洪水に襲われたのだろう。その度に標高の高い所へと移っていったものと見える。だから八尾は、総じて坂の街である。

 ちなみに、以下は、私が最も感動した「おたや階段」下の広場で行われた鏡町の皆さんによる「おわら風の盆」踊りである。


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら





2.おわら風の盆の由来

 おわら風の盆の由来は、八尾の公式ホームページから引用させていただこう。

おわら風の盆の幕開け
 二百十日の初秋の風が吹くころ、おわら風の盆の幕開けを迎えます。毎年9月1日から3日にかけて行われるこのおわら風の盆は、今も昔も多くの人々を魅了します。涼しげな揃いの浴衣に、編笠の間から少し顔を覗かせたその姿は、実に幻想的であり優美で、山々が赤くもえる夕暮れを過ぎると、家並みに沿って並ぶぼんぼりに淡い灯がともります。
 それぞれの町の伝統と個性を、いかんなく披露しながら唄い踊り、その町流しの後ろには、哀愁漂う音色に魅せられた人々が1人、また1人と自然につらなり、闇に橙色の灯が浮かび上がり、誰もがおわらに染まっていきます。

おわらの歴史は、元禄ごろから
 おわらがいつ始まったのか、明瞭な文献が残っていないためはっきりしません。
 「越中婦負郡志」によるおわら節の起源として、元禄15年(1702)3月、加賀藩から下された「町建御墨付」を八尾の町衆が、町の開祖米屋少兵衛家所有から取り戻した祝いに、三日三晩歌舞音曲無礼講の賑わいで町を練り歩いたのが始まりとされています。
 どんな賑わいもおとがめなしと言うことで、春祭りの三日三晩は三味線、太鼓、尺八など鳴り物も賑々しく、俗謡、浄瑠璃などを唄いながら仮装して練り廻りました。これをきっかけに孟蘭盆会(旧暦7月15日)も歌舞音曲で練り廻るようになり、やがて二百十日の風の厄日に風神鎮魂を願う「風の盆」と称する祭りに変化し、9月1日から3日に行うようになったと言われます。

「おわら」とは
 一説では、江戸時代文化年間頃、芸達者な人々は、七五調の唄を新作し、唄の中に「おわらひ(大笑い)」という言葉を差しはさんで町内を練り廻ったのがいつしか「おわら」と唄うようになったというものや、豊年万作を祈念した「おおわら(大藁)」説、小原村の娘が唄い始めたからと言う「小原村説」などがあります。

風の盆の由来
 二百十日の前後は、台風到来の時節。昔から収穫前の稲が風の被害に遭わないよう、豊作祈願が行われてきました。その祭りを「風の盆」というようです。また、富山の地元では休みのことを「ボン(盆日)」という習わしがあったと言われます。種まき盆、植え付け盆、雨降り盆などがあり、その「盆」に名前の由来があるのではないかとも言われています。

多くの人々に育てられて
 大正期から昭和初期におわらが大きく変化を迎えます。大正ロマンと呼ばれるほど文化に自由な気風が溢れた時代、大正9年に誕生した「おわら研究会」も影響を受け、おわらの改良(唄や踊り)を行いました。また、昭和4年に結成された「越中八尾民謡おわら保存会」初代会長の川崎順二の文化サロンを中心とした働きで、各界の文人が次々と八尾に来訪しました。おわらに一流の文化意識を吹き込んだ文化人には、宗匠・高浜虚子、作家・長谷川伸もいたと言われています。
 同年、東京三越での富山県物産展に於ける公演をを契機に、おわらの改良がなされ、画家の小杉放庵、舞踊の若柳吉三郎が創った「四季の踊り」は大人気となりました。このときのおわらが「女踊り」「男踊り」として継承され今日のおわら風の盆になりました。
 その時代に生きた文芸人らの想いは今、歌碑となって町内のあちらこちらで息づいています。散歩がてら町の「おわら名歌碑」めぐりをして廻るのもおわらの楽しみの一つです。
 新しい時代の息吹を吸収しながら生きるおわら風の盆は、これからも新しい変化を繰り返し、次の世代へと継承されていくことでしょう。また、そう願わずにはいられません。


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら


鏡町おわら





3.曳山展示館とおわら演舞場

 私の旅行は、かつては事前に色々と調べて完璧ともいえるプランで臨んだものだが、そうすると旅が窮屈になる上、様々なハプニングに柔軟に対応できないうらみがある。だから最近では、特に国内旅行は一応調べてはいくものの、基本的には行き当たりばったりで、その度ごとのハプニングを楽しむというスタイルである。今回もその調子で特に詳しく調べていくようなことはせず、シャトルバスに乗り込む時にいただいたパンフレットを眺めることから始めた。

 そうすると、「曳山展示館ステージでの実演」「おわら演舞場(八尾小学校校庭)」というのがあった。前者が午後5時からで1,500円、後者が午後7時からで指定席券3.600円である。では、開始時間を考えると、まず前者に向かおうかと思って地図を眺めていたところ、後者の小学校は今いる場所のすぐ近くなのに気が付いた。だから、まずそこに立ち寄って指定席券を買うことにした。窓口で聞くと、運よく良さそうな席が空いていたので、それを買うことができた。

 地図を見ながら曳山展示館に到着した。そこでは山車が並べられていて興味をそそられたが、おわら風の盆の舞台を見に来たので、まずはそちらの列に並んだ。次から次へと観客が来るので、列は延々と長くなる。やっと時間になり、ホールへと入った。どこでも良いというので、最前列のかぶりつきに着席した。残念ながら写真は禁止だ。


おわら雪洞



 いよいよ始まり、まずはおわら風の盆の所作の解説である。豊年踊り四季踊り案山子踊りなどがある。最初に左上で3回、手を叩き、右下で1回叩くのはこれから始めるという合図だとか、目の前で3回水平に手を動かすのは蚕棚を整理している所だとか、それから右や左へと手を斜めに動かすのは確認している所作だとか、色々と解説がある。それから踊り手さんたちが舞台でやってみせる。舞台踊りだそうだ。30分のステージで、本日は西新町支部が担当である。でも、「あれっ、これで終わりか。」と言いたくなるほどの内容の薄さだ。おわらは全く初めてという人には良いかもしれないが、私のように少しは知っているお客にとっては子供騙しのようで、物足りなくて損をした気分である。せめて、歌詞と所作の解説をしたメモでも配ってくれれば、この値段に合った価値があったのかもしれないと残念である。

 さて、午後7時近くになってきた。気を取り直して、演舞場に向かう。小学校の大きな校庭に沢山の椅子を並べて、正面に舞台が設えてある。舞台の背景の絵は、真ん中に大きな橋がかかっている川の風景である。なかなか良い。30分ごとに4つの支部が出演する本格的なものらしい。3日間で合計11の支部と、八尾高校郷土芸能部が出演する。私が見たこの日は、上新町、東新町、西町、天満町の順で、終演が午後9時近くになる。


上新町


上新町


上新町


上新町


 いよいよ始まった。まず、上新町の出演である。胡弓、三味線、太鼓の素朴で情緒あふれる旋律が聞こえてきた。次いで長く続く絞り出すような声でおわら節が朗々と唄われる。男性の踊り手が出てきて、左上で3回手を叩き、次いで斜めに手を動かして右下で1回手を叩くことから始まり、両手を水平にして手首を曲げる。これが案山子踊りか。それからピンクの衣装の女性の踊り手が男性と入れ替わるように現れて、優雅に踊る。菅笠を目深に被るので、「夜目遠目笠の内」ではないが、どの人も美人にみえる。面白いものだ。

 正確に言うとこの日の歌詞とは違うかもしれないが、例えば、こういう歌詞である。八尾四季(作詞:小杉放庵)

 揺らぐ吊り橋 手に手を取りて
 渡る井田川 オワラ 春の風
 富山あたりか あのともしびは
 飛んでいきたや オワラ 灯とり虫
 八尾坂道 別れてくれば
 露か時雨(しぐれ)か オワラ ハラハラと
 もしや来るかと 窓押し開けて
 見れば立山 オワラ 雪ばかり


東新町


東新町


東新町


東新町


東新町


東新町


東新町


東新町



 東新町の出演時には、小学生の女の子を早乙女姿で出し、男の子を黒い男性衣装で出してきて、そのあまりの可愛さに、観客から拍手喝采だった。大人の男性は黒っぽくてさほどの差がないと思っていたら、町によって、男性がウグイス色の衣装で出てきた。ピンク色の女性とマッチして、非常によかった。

東新町


東新町


東新町


東新町




 また、黒い男性の踊り手が、案山子踊りの最中に、両手を斜めに伸ばし、片足を上げて固まったように動かなくなり、それに更に2人が同じように固まった姿勢をとる。これにも、観客が大きな拍手喝采を送った。そういう調子で、最後まで観て、おわら風の盆を堪能した。素人は、このステージだけでも良いかもしれない。もっとも、おわらの真の楽しみは、思わず町流しにぶつかって、その町独特の衣装、踊り、歌い方を堪能するところにある。


西町


西町


西町


西町


西町


西町


西町


西町


西町


西町



 さて、これが終わったのは、午後9時を回っていた。それから日付けが変わるまで町流しを見るのがおわら風の盆見物の醍醐味だ。ところが、泊まりは高岡なので終電などを気にするのも面倒だし、明日があると思って、本日はもう帰ることにした。越中八尾駅まで歩いて30分はかかりそうだ。それで帰りかけたら、東町での町流しにぶつかった。狭い通りを、胡弓と三味線を流しながら朗々と歌い、その前を編み笠を目深に被った黒い男性とピンクの女性の浴衣姿が踊りながら流していく。この歌がまたよい。ドッコイサーのサッサなどと、頭にリズムが残る。哀愁を帯びた懐かしさがこみあげてくる。これを記録するには、写真では全く不十分だ。このおわら節と一緒でなければ、意味がない。そういうことで、今回のおわら風の盆見物には、写真よりビデオの方を多く撮った。


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町


天満町



 それを見終わって、駅を目指して歩き始めたのは午後9時半頃だ。パンフレットの地図を頼りに十三石橋を渡ったのはよいが、そこでグーグル・マップを取り出したのは失敗だった。これに駅までの道順が出てくるので、ついついそれを頼りに進むと、一応は歩道があるけれど、だんだん道が暗くなってきた。構わずに歩くと、なんと墓地がある。そういえば、どこか見覚えがあると思ったら、その一角に親類の山口家のお墓がある墓地だ。間違いない。全くの偶然で驚いたが、この夜中にわざわざ立ち寄ってお参りする気も起こらず、心の中で亡き従兄弟のSさんに挨拶をして、そのまま通り過ぎた。

 更に行くと、真っ暗な中で突然、道が途絶えている。こんなことがあるものかと思ってよく見ると、階段だ。はるか下に、鳥居があるので、神社の参道の階段を下れというのが、グーグル・マップの指示だ。こんなに傾斜があるなら、そう表示してもらいたい。もう二度とグーグル・マップは使うものかと思いつつ、暗い中を何とか階段を降り切った。そこは、駅にほど近いところで、街頭もあり、ようやく文明社会に帰ってきた気がした。高山本線の電車に乗ったのは午後10時37分、高岡のホテルに帰り着いたのは、11時30分だった。いやはや、ひどい目に遭った。とんだ、夏の夜の肝試しの日だった。



天満町




4.おわら保存会11支部の特徴

 いただいたパンフレットの中にあった八尾町の地図で、上(南西部)から下(北東部)へとこれらの11支部(町内)が並んでいる順に見ていくと、最南西端は「東新町」(地図の左手)と「西新町」(右手)から、川を渡った所にある「福島」までは、次の通りである。

「東新町」、「西新町」
「諏訪町」、「上新町」
「鏡 町」
「東 町」、「西 町」
「今 町」
「下新町」
「天満町」
「福 島」


 それぞれの支部の特徴について、いただいたパンフレットには、このようにある。

「西新町」・・最も南に位置する支部です。新しく区画割されたことをあらわす「新屋敷」という通称でも呼ばれます。腰を深く落としてから大きく伸び上がる所作の男踊り、また繊細かつ優美な女踊りとも相まっての町流しは見応えがあります。

「東新町」・・諏訪町の先にあって最も高台に位置する支部です。この支部の少女だけが愛らしい早乙女衣装をまとって踊ります。また、この支部にはカイコを奉った若宮八幡社があり、その境内で奉納されるおわらには独特の風情があります。

「諏訪町」・・往時を偲ばせる佇まいの家々立ち並び坂のまち風情を色濃く残している支部です。東新町へと続く緩やかな坂道にボンボリが並び、狭い家並みにおわらの音曲が反響し、道の両脇を流れるエンナカと呼ばれる用水の水音と相まって、おわらなとっての最高の舞台を演出します。

「上新町」・・旧町の中で一番道幅が広く、商店が多く立ち並んでいる支部です。通りが広いので、比較的容易に町流しを楽しむことができます。また、午後10時から始まる大輪踊りには、観光客の皆様も参加して地元気分で楽しんでいただけることから、大変好評です。

「鏡 町」・・・かつては花街として賑わった町の支部で、女踊りには芸妓踊りの名残もあって、艶と華やかさには定評があります。鏡町支部への入口でもある、おたや階段下が支部のメイン会場になっていて、その会場で行われる舞台踊りや輪踊りをおたや階段に座って鑑賞するスタイルが有名です。

「東 町」・・・旧町でも古い町にある支部で、かつては旦那町とも呼ばれたほど大店が連なっていたと伝えられており、他支部と異なる色合いの女性の衣装に当時の旦那衆の遊び心が伺いしれます。また、おわらの名手だった江尻豊治や越中おわら中興の祖といわれる川崎順治などを輩出し、おわらの芸術性を育んだ町でもあります。

「西 町」・・・東町とともに旧町の中心にあって旦那町として栄えた支部です。今でも土蔵造りの家や風情ある酒蔵、格子戸の旅館など情緒あふれる建物が残っています。昼間に行われる、禅寺坂をくだった先にある禅寺橋で石垣をバックにした輪踊りには独特の風情が感じられます。

「今 町」・・・旧町の古刹聞名寺の正面に位置する支部です。東西両町の中心に位置したことから、かつては中町と呼ばれました。青年男女が絡む男女混合踊りは、この支部が他の支部に先駆けて取り入れたものとつたえられており、創作当時のスタイルを大切に守っています。

「下新町」・・福島から旧町への入口にある支部で、かつては勾配のある坂道に沿って多くの商店が立ち並んでいました。坂の中腹には八幡社があり、春季祭礼の曳山祭りでは曳山が奉納されるメイン会場となっています。朱色を基調とした女性の浴衣が特徴的です。

「天満町」・・東西北の三方を川に囲まれた町にある支部です。町はかつて川窪新町といわれていました。明治23年に天満町と改称し、その名の通り天満宮があります。この町では、おわらの唄(上句)の途中にコラショットと囃子を入れて、音程を下げて力強く歌う独特の歌い方があります。その歌い方は、川窪(こくぼ)おわらと呼ばれています。

「福 島」・・・旧町から移り住んだ人達を中心として結成された最も新しい支部です。風の盆期間中は駅横の特設舞台でステージ踊りが実際されます。また、大人数で広い通りを流す福島独特の町流しは見応えがあり、大変好評です。


 各支部の特徴が非常によく分かり、なかなか優れた解説である。とても参考になった。ついでに、同じパンフレットに書いてあったQ&Aのうち、興味を惹かれたものを引用すると、

 顔が見えないくらいに深く編み笠を被るのはどうしてですか。
 風の盆がはじまった当初は、照れやはずかしさから人目を忍び、手ぬぐいで顔を隠して踊ったのが始まりだったと伝えられています。編み笠に変わった今もその名残りで、顔が見えないくらいに深く被ります。

 女子の踊り子さんの帯はなぜ黒いのですか。
 その昔、おわらの衣装を揃えた際、高価な帯まで手が届かゆかったので、どこの家庭にもあった黒帯を用いて踊った名残りといわれます。

 初めて風の盆に行くのですが、どのように見たらよいですか。
 大きく分けて2つの見方があります。ステージでの鑑賞と各町内踊りでの町流しになります。初めての方は、椅子に座って見ていただける八尾小学校演舞場(有料)がおすすめです。

 町流しとは、とのようなものですか。
 おわらの町流しは、11あるおわら保存会支部がそれぞれ町の通りを歌い踊りながら流すもので、昔からのおわらの姿がここにあります。町流しには踊りと地方(じかた)が一体になった町流しと、地方だけの町流しがあります。


 なるほど、編み笠を深く被ることや黒帯の理由が、よく分かった。私は、9月1日の第1日目夜は八尾小学校演舞場で座って4つの支部を見物し、第2日目は、午後の町流しと、その夜は町流しはもちろん鏡町に陣取って舞台踊りなどを見たから、11支部のうち、少なくとも半分程度は見たと思う。町流しの見物も、この辺りで始まるななどと勘が働くようになり、だんだん慣れてきた。


5.鏡町のおたや階段下の広場

 さて、2日目は、やはり妹に送ってもらってスポーツアリーナに着いたのが午後2時半頃だ。午後3時から5時まで、各町内で昼間の町流しがある。それで、東町 → 西町 → 上新町 → 諏訪町 → 東新町 → 西新町 → 鏡町 の順で、町流しを観ていった。上新町公民館の前では、舞台踊りが披露され、それを堪能した。


西町


上新町公民館


西町


西町


西町



 午後7時から夜の町流しが始まるので、それまで2時間ほどある。先ずは早目の夕食を食べようと、食堂に入って親子丼をいただいた。関東の親子丼のように醤油を使っていない。だから、卵と玉ねぎと鶏肉がそのまま白いご飯にのっていて、まるで味がしない。富山では、他で親子丼を食べたことがないので、この店だけの味か、それともこの地方特有の味なのかはよく分からなかった。まあ、減塩にはよいから良いものの、シンプルすぎる味である。


西新町


西新町


西新町


西新町


西新町


西新町


西新町


西新町



 まだ、夜の町流しまで1時間半もある。地図で見た鏡町の「おたや階段」に行ってみた。この階段に座って、その下の石畳の広場で行われる演技を楽しむのが鏡町流の楽しみ方だそうだ。西町から「おたや階段」についた。そこから階段の下を見下ろすと、石畳の広場がまるでマッチ箱くらいにしか見えない。でも、もう階段の下から3分の2は、見物客で埋まっている。試しに空いている階段に座ったところ、それでも眼下の広場はまるで手帳サイズである。冗談ではない、こんなところにいても仕方がないと思って、階段を降りていき、下の広場に着いた。すると、人々がもう周辺に座っている。スケジュールを見たら、午後8時開始である。まだ、2時間半もあるのに、もう待っているのかと思い、馬鹿馬鹿しくなって、その辺りに座った。歩き疲れていたので、少し休むつもりだった。


6.退職者の鏡のような元気なおじさん

 すると、隣に座っていた60歳代の男性が、私の持っているカメラを指さして話し掛けてきた。「そのカメラ、いいなあ。よく撮れるでしょう?」

 私は、「いやいや、前回、キヤノンのカメラを持ってきたのですが、もう全然撮れなかったので、今回はこのソニーα7にしました。多分、多少暗くても大丈夫でしょう。」

おじさん「私は、ソニーα6400だから、そのα7だと、もっと良く撮れるでしょう。例えば、これでも(と言ってカメラの画像を拡大して)、ほら、踊り子さんのうなじの髪の毛まで写ってますよね。」

私「ああ、これは良く撮れている。目深に被る編み笠を正面から捉えるのではなくて、後ろからうなじに焦点をあてるなんて、これはなかなか非凡な構図ですね。芸術的だ。」

おじさん(気を良くして)「いやいや、ありがとうございます。そうやって気に入った写真を印画して、部屋に飾っています。」

私「それは、なかなか良いご趣味ですね。おわらは初めてですか?」

おじさん「いやいや、去年も来たのですが、鏡町のおわらは、この位置が絶好の場所です。なんとなれば、背景に見物人が写り込まない。ほら、黒い板塀でしょう。だから、あと2時間以上あるけど、ここで待っている価値があります。あと、今町の聞名寺(もんみょうじ)、これも良い。見物人が写らないアングルがあります。」

 私はそれを聞いて、ここで、このおじさんとおしゃべりをして時間を潰すことにした。気がついてみると最前列だから、写真を撮るには絶好のポジションである。

おじさん「流鏑馬に行ってみたことがありますか?」

私「いや、一度もありません。関東近辺では、鎌倉ですか?」

おじさん「鎌倉、逗子、平塚、そして明治神宮ですが、このうちでは、逗子が一番、絵になります。というのは、背景が海になるんです。たまに富士山が見えたりしてね。だから、あそこの流鏑馬は最高です。明治神宮も、背景に見物人が写りこまない良いアングルがありますよ。」

私「そうなんですか。逗子と明治神宮ねぇ。では今度、行ってみます。」

おじさん「ところで、ここまでどうやって来られたんですか?」

私「いつも、大人の休日倶楽部で、北陸フリー切符を買って来るんです。」

おじさん「私は、国内旅行は、なるべく格安航空券を買っていくことにしてます。例えば、先日は熊本まで3千円で行ってきました。北海道も、2千数百円で行けますよ。航空会社の販売サイトを丹念に見ていたら、そういう券があるんです。先日は、ジェットスターで291円というのがあって、申し込みました。我々は、土日は関係ないですから、暇な期間にそういう券のオファーがあります。」

 などというとりとめない話をしていたら、いつの間にか午後8時になって、鏡町のおわら風の盆公演が始まった。先ずは地方が「歌われよ わしゃ囃す」から始まって「越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山三国一だよ」と続き、歌と囃子が続いていく。その途中で、三方から踊り子さんたちが出てきて踊る。上手いものだ。撮りに撮ったことは、言うまでもない(上記1.の写真参照)。

 おわら風の盆の踊りは素晴らしかったが、それとともに、退職者の鏡のような、このおじさんの存在には驚いた。現役の時は、さぞかし有能な人だったのだろうと思う。その時の勢いのまま、退職しても相変わらず精力的に全国を歩き回っている。「セールス」ではなくて、単に「良い写真を撮る」だけのために・・・いやもう、大した人だ。日本も、人口が減る、労働力が減るなどと言っていないで、こういう元気な高齢者を活用すべきだと思った次第である。



西新町


西新町


西新町



 なお、今晩の帰りの時刻は午後9時半頃に出発となったが、昨晩の反省からグーグル・マップを見るのは止めて、パンフレットの地図に従って十三石橋を渡るとすぐ右に曲がり、そのまま前進すると地鉄バスの発着場に出た。そこから左手に行けば高山本線の越中八尾駅であるが、試しにバスの出発時刻を聞くと、もうすぐだ。そこで、バスに乗ることにした。富山駅経由で高岡駅に着いたのは、午後11時頃だった。そのうちまたやって来て、今回の2日間で見られなかった支部のおわら風の盆を見てみたいと思っている。


7.八尾町の皆さんに感謝

 こういう風の盆をもう300年近く踊り、歌い続けてきたそうであるが、まずはその伝統を守ってきた八尾町の皆さんに対して敬意を表したい。また、そうした地域のお祭りに、我々のような何十万人にも及ぶ観光客を心よく受け入れて、かつ見物をさせていただくという皆さんの度量の広さにも感謝する次第である。願わくば、この伝統の芸術、日本の宝ともいえるお祭りを、今後も末永く続けていってもらいたいものである。







 本場おわら風の盆(写 真)




(2019年9月 3日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:30 | - | - | - |
シンガポールへの旅

マリーナ・ベイ・サンズ


1.ジュエル・シティ

 日本国内は、お盆休みで帰省ラッシュの中、台風10号の襲来でフェーン現象が起き、全国各地で気温が40度近くに達して暑さに喘いでいるという。そういうとき、私がシンガポールで過ごしたのだけれど、気温は最高で32度ほどだったから、今の日本よりは過ごしやすい。まるで東南アジアに避暑に来たようなものだ。もっとも、直射日光を浴びると、こちらの方でも身にこたえるので、なるべく地下鉄(MRT)や建物内を歩くことにしている。近代的な都会だから、それで十分に思ったところに行ける。


ジュエル・シティ


ジュエル・シティ


 チャンギ空港に着き、最近完成したという「ジュエル」に向かう。ターミナル2の方向だ。クアラルンプールで、知り合いに「最近シンガポールにできた名所はあるか」と聞いたら、ここを勧められた。特に夜に行くと綺麗だという。今はお昼近くだけど、まあ良い、行ってみるかという気になった。近付いてみると、平らで丸いアンパン型の建物だ。入ってみれば、普通のショッピングモールのようなレストランが並んでいる。しかし、中心部から滝の流れるような音が聞こえてくる。そちらに引かれるように歩いていくと、なんとまあ、大きなドーナツ形の天井の穴から、滝が勢いよく流れ落ちている。3階建ての建物の天井からなので、少なくとも20メートルの落差がある。見ていると、ドーナツ型の透明な天井から、水が渦巻いて中心部に空いた穴に向かい、それが流れ落ちるものだから、もの凄い迫力の瀑布となる。

ジュエル・シティ


ジュエル・シティ


 昔々、お台場の東京ビッグサイトの向かいに計画された、東京ファッションタウン(TFT)というビルに携わったことがある。その売りものの展示は、「室内滝シャワーツリー35」で、入口付近にある「受け皿」に対して35メートルの高さから2トンの水が流れ落ちるというものだ。当時はなかなかダイナミックなディスプレイだと思ったが、このジュエル・シティの派手な「猛瀑」には、遠く及ばない。まるで大人と幼児だ。こんなところでも、シンガポールに追い抜かれてしまった。

 その日は、マリーナ地区のホテルに泊まった。昔からマンダリン・オリエンタルが私の定宿で、そこの朝食のお粥(ポリッジ)が大好きだったのだが、今回は新しいところを開拓しようと、泊まったことがないホテルにした。結論としては、外観は良いしMRTの駅にも近いが、東南アジアのホテルにしては、部屋の設備があまりよくないので、お勧めしない。ただ、朝食は良かった。今時シンガポールに来るなら、マリーナ・ベイ・サンズに泊まるべきだろうが、家内の体調が回復して一緒に来られるようになってからにしよう。


2.シンガポール・フライヤー


シンガポール・フライヤー


シンガポール・フライヤー


 午後はまず、シンガポール・フライヤー(新加坡摩天)に乗って市内見物をした。これは高さ185メートルと、つい最近、ラスヴェガスに抜かれるまで、世界一の大きさを誇ったそうだ。筒のような形のカプセルにゆったり座れる1周30分の空の旅である。ここからは、マリーナ・ベイ・サンズが横向きに見える。せり上がってくるに連れて、その向かいのガーデンズ・バイ・ザ・ベイの全体の姿が見えてきた。後からここへ行くつもりだが、要は植物園だ。

シンガポール・フライヤー


シンガポール・フライヤー


シンガポール・フライヤー


シンガポール・フライヤー


シンガポール・フライヤー


 フライヤーは更に上がり、シンガポール港の全容が一望できるようになった。ものすごい数の船が停泊中だ。さすが世界でも名だたる貿易港である。振り返ってシンガポール本体の方を見ると、高層ビルが林立している。どれが何のビルかは知らないが、上海やクアラルンプールのようなユニークな形のビルがあまりないのは、シンガポールらしい。それだけに、今回のマリーナ・ベイ・サンズの三本脚タワーの変わった造形がよく目立つ。ガーデンズ・バイ・ザ・ベイの見事な形も、非常に美しい。フライヤーの頂点近くでは、マリーナ・ベイ・サンズの頂点部が、まるで空に浮かぶ南海の孤島のように見える。あちらの高さが200メートルだから、やや見上げる形となる。ところが、距離が近いはずなのに、ややボケて見える。スマトラ島からの煙害(HAZE)の影響かもしれない。HAZEは、シンガポールとマレーシアの夏季のリスクになりつつある。だから、このフライヤーは、夜景を見た方が綺麗だったかもしれない。


3.マリーナ・ベイ

 マリーナ・ベイ・サンズに行き、タワー1から3までの根元に当たるショッピングモールとレストランを回る。天井が高いし、ブランドショップばかりだから、明らかにカジノ仕様だ。真ん中辺りにそのカジノ(賭場)がある。ただ、私は長年の経験でカジノは体質的に合わないので、今回も入ろうとは思わなかった。こういうものが、近々日本にもできるらしいが、ただでさえパチンコやら多重債務やらで問題が山積しているのに、また新たに似たような社会問題が出てきてしまうのではないかと危惧している。


マリーナ・ベイ・サンズ


マリーナ・ベイ・サンズ


マリーナ・ベイ・サンズ


マリーナ・ベイ・サンズ


マリーナ・ベイ・サンズ


 美味しそうな中華レストランを見つけたから、取り敢えずそこで食事をした。そろそろ日没なので、隣にあるガーデンズ・バイ・ザ・ベイに向かう。夜景が綺麗だというので、その写真を撮りたい。切符売り場に行くと、ダンス、フロート、ワルツなど幾つかのパートに分かれていて、全部を回るには時間がないという。「また来るからいいか、本日の目的は『スーパーツリー・グローブ』と称する木のような不思議な造形の夜景だから」と思って、「そちらに行くにはどうするのか」と聞いたら、シンガポール名物の無愛想な女の子が、「あっちへ行って、そちらで券を買え」とぶっきらぼうに言う。「これでは逆効果ではないか、ますます買う気がなくなる。」と思いつつ、そちらの方へと向かう。

ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ


ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ


ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ


 ようやく暮れなずむ頃になって、夜景に切り替わりつつある。ところが、気温が高く、30度は超えているのは確実だ。しかも湿気を含んでいるから、外を歩くとサウナに入っているようで、汗びっしょりになる。ブリッジを渡ってスーパーツリー・グローブの近くへと行った。いやこれは、宇宙のどこかの星に生えている木ではないかと思うほどにSF風の形をしている。10年ほど前にアバターという映画があったが、その中に出てくる惑星パンドラに生えていた木とそっくりだ。それが、夜空に紫色など様々な色に光るから、ますます現実離れした風景となる。また、その木と木の間が、カーブする細いブリッジで結ばれていて、そこを人が歩いている。かなり高い所なので、人間がアリのようにごく小さく見える。この暑い中を、あそこまで行くのかと思ったら、行く気が失せた。

 そろそろ、マリーナ・ベイ・サンズの夜の出し物である「光と水のショー」の時間が近づいてきた。そちらも是非見たいので、ガーデンズ・バイ・ザ・ベイはまた来ようと思って、再びマリーナ・ベイ・サンズに戻った。会場はプロムナードで、マリーナ・ベイ・サンズを背にし、向い側の高層ビル群を背景に、目の前の池のような運河のようなところが会場だ。適当な所に座る。


マリーナ・ベイ・サンズ


マリーナ・ベイ・サンズ


マリーナ・ベイ・サンズ


マリーナ・ベイ・サンズ


 開始時間の午後8時になり、光と水のショーが始まった。池の真ん中にでこぼこした柱が立っていると思ったら、それが光りはじめ、緑、青、赤の光を放ちだした。オーケストラのような荘重な音楽に合わせてあちらこちらで噴水が出だし、上へ斜めへ、色々な高さに水を吹き上げる。その水に色がつくから、いやもうその派手なことといったらない。噴水の中に三角形の形が現れる。プリズムでも使っているのか、それに色がついて美しい。音楽がどんどん盛り上がってきて、それに連れて噴水がますます高く吹き上がり、やがて全てが沈黙した。うーん、なかなかの演出である。こういう無駄なことができるというのも、カジノの稼ぎが元になっているからなのだろう。この時ばかりは、中東か中国か知らないが、カジノのお客さんに感謝したい。


4.リバー・サファリ

 シンガポールで、どこか暑くないところはないかと思って調べたら、まずはセントサ島の水族館があるが、既に行ったことがある。動物園も木陰が多くていいが、これも何回か行っている。少し前からナイト・サファリなるものも始まったが、写真が撮れないので、この案も却下だ。そういうことで、最近完成したばかりのリバー・サファリに行ってみることにした。もちろん、これは初めてだ。

 世界の川をテーマにしているらしい。それなら、淡水の水族館に違いない。きらびやかな熱帯魚はいないかもしれないが、水槽だから、涼しいに違いない。パンフレットを見ると、あれあれ、川とは無縁のはずなのに、パンダがいる。これはひょっとして、川というあまりに地味なテーマなので、文字通りの客寄せパンダのつもりで置いているのかもしれない。まあ、それでもいいか、上野以外でパンダが見られるのだからと思って、行くことにした。

 順を追っていくと、まず、ジェムス川には、エンゼル・フィッシュがいた。二匹がペアのようにゆっくり浮かんでいる。こんなにのんびりして大丈夫なのかと心配するほどだ。次のミシシッピ川には、いかにも獰猛な亀(Alligator Snapping Turtle )がいた。おお、これは数年前、上野公園不忍池で立て続けに見つかった噛みつき亀そのものだ。アリゲーターという名が付くガーという魚がいて、顔は鰐そのもの、体は古代魚である。そのなかでも、プラチナ・アリゲーター・ガーは、優雅で美しいから、一見の価値がある。コンゴ川には、タイガー・フィッシュという魚がいて、なるほど口に並ぶ歯が恐ろしい。ガンジス川には、小型の鰐、大型の鯰がいる。これでは聖なる川も、落ちたら大変だ。オーストラリアのメアリ川には、アーチァーフィッシュがいて、水鉄砲で昆虫を落とすらしい。見てみたいものだ。


リバー・サファリ


リバー・サファリ


リバー・サファリ


 次にタッチプールがあって、ヒトデや兜蟹を触らせてくれる。兜蟹は日本では天然記念物に指定されているが、ここでは幾らでもいるので、あまり有名ではないらしい。なお、系統的には蟹のような甲殻類ではなく、蠍のような節足動物の仲間だという。昔、マレーシアに住んでいたとき、東海岸に行ってこの兜蟹を持ち帰り、一時飼っていたことがあったが、お手伝いの中国人女性がそれを欲しがった。「何故だ」と聞くと、「食べたら美味しいに決まっている」という。『中国人は、四つ足のものは机以外は何でも食べる』と聞いたことがあるが、四つ足でもなく、こんな兜のような頭と槍のような尻尾しかない動物のどこを食べるというのかと驚いた。そこで、「食べるところなど、どこにあるのか」と問うと、「頭の裏側に卵があって、それが実に美味い」という。なるほど、先程の諺は、『中国人は、動くものなら何でも食べる』と言い換えた方が良さそうだと思った。

リバー・サファリ


リバー・サファリ


リバー・サファリ


 メコン川には、ジャイアント・キャットフィッシュつまり大鯰が出てきた。絶滅危惧種らしい。また、淡水エイもいる。エイを英語で言うと、「Stingray」とのこと。なるほど、直接的な表現だ。覚えておこう。長江には、大型の山椒魚(Salamander)がいた。これまた、日本では天然記念物である。次の本物パンダの前にレッド・パンダというのがいる。可愛いが、これは、まるで猫だ。さて、いよいよ「大熊猫」つまりパンダに会える名前は、凱凱(カイカイ)と嘉嘉(ライライ)だ。パンダ舎に入ってみると、上野公園のようなガラス越しではなくて、やや遠目だがパンダを直接見下ろすことができる。ガラスに反射しないから写真に撮るには良い。しかも取り放題だ。これでパンダが身体を起こして竹でも食べていてくれれば、それなりに絵になるのだけれども、そうは問屋が卸さない。目の前のカイカイは、だらしなく寝そべっている。しばらく待っても起きてくれそうにもないので、仕方なくそれを撮ってきた。生き物相手は、なかなか上手くいかないものだ。

 次に進むと、大きな貯水池に出て、そこを対岸まで渡っていける橋がある。渡り切ると、貯水池を小さく一周する船に乗る。いやまあ、単にそれだけである。対岸は動物園なので、木の間をゆっくり歩くキリンを見たのが一度だけあったが、変わったことといえばそれくらいで、あとは何もない。平和だ。平和過ぎる。心身ともに、無の境地になる。そういう調子で先ほど乗船した桟橋に戻り、ぼんやりとした頭で前を見ると、「アマゾン川探検」というのがある。これは有料だが、歩くのに疲れたから、乗り物に乗ることにして、乗り込んだ。


リバー・サファリ


リバー・サファリ


リバー・サファリ


 すると、いきなり、ガガガッという音と共に2階の高さに持ち上げられた。そこからは、ちょっとした川下りのジェットコースターもどきになっている。流れていく川の両岸に、何とかモンキーとか虎とかがいるらしいが、木に遮られて、よく見えない。もう終わりかけというときに、やっと、紅色のトキとフラミンゴ、そしてカピバラが見えた。これでは、フラストレーションが募るばかりだ。

 出発点に戻り、係員のインド人女性に冗談のつもりで「動物が見えなかったので、もう1回」と頼んだら、なんとまあ、それが通じたようで「OK」という答えが返ってきて、面白かった。こういう問答ができるのが旅の醍醐味だし、何事も頼んでみるものだ。日本の動物園では、全くダメだろう。そういうことで、もう一回チャレンジしたが、木の上で幸せそうに寝ている「吠え猿(Howler Monkey)」が見えただけだった。それでも係員の配慮に感謝しないといけない。その後は、シルバー・アロワナ、電気鰻、マナティにピラニアまで見て、まあ、こんなものだと納得した。



5.財富の泉



富貴の泉


富貴の泉


 ホテルに帰る前に、最近できた「サンテック・シティ」というショッピングモールに行ってみた。財富の泉というのができたというのである。どんなものかと思って立ち寄ってみた。するとそれは噴水で、覆うように黄銅色のリングが上方にあって、同色の柱で四方から支えられている。見ていると、中国人たちが嬉々としてその噴水を触りながらその周りを巡っている。三回まわると、お金持ちになれるそうだ。何とも他愛のないもので、これもシンガポールらしいというか、なんというか。






 シンガポールへの旅(写 真)






(2019年8月14日記)


カテゴリ:エッセイ | 21:40 | - | - | - |
徒然303.湯島梅園の鴨鍋

湯島梅園


 夕方、会食があって湯島の料理屋「梅園」に出かけた。自宅から歩いて行ける距離だが、この日の気温は日中36度、夜になっても30度近くと、尋常ならざる暑さだ。来年のこの時期は東京オリンピックが開かれているので、来年もこんな調子では日射病と熱射病で倒れる人が続出しないかと心配になる。本日の料理屋は、歩いて20分で行けるとはいえ、着いて汗だくになっているのも困るので、わずか一駅だが地下鉄に乗り、湯島駅で降りて坂を上って行った。

 「梅園」は、同じく鳥料理屋の「鳥よし」の陰にあるし、駐車場の脇にあるから、一見すると非常にわかりにくい。ただ、玄関は、なかなか趣きがある。昭和51年の創業だそうだ。さっそく、名物の鴨鍋コースを注文する。すると、醤油味か塩味かと聞かれた。私は、さっぱりした塩味も悪くないと思うのだが、若い人は醤油味が良いと思って、それを注文した。


湯島梅園の鴨鍋の始まり



 お通しとか色々と出てきた後に、メインの鴨鍋として持ってこられたのが、次の鍋だ。あまりのユニークさに、一瞬ギョっとする。よく見ると、こんもりと鴨が盛り付けてあって、真ん中からエノキ茸が傘のように四方八方に広がる面白い造形だ。うーんと唸るしかない。これこそ奇観と言って良い。これでは鴨肉が煮えないではないかと思うのだけど、実は小山の中心がキャベツで出来ていて、煮え立ってくるにつれて高さが低くなってくる。その間、2回ほどご主人がやってきて、鴨肉と野菜の小山をときほぐす。そうすると、次のような普通の鍋になる。それを取り分けて、美味しくいただいた。鴨肉だからいささか脂っぽいが、栄養満点だ。鍋は冬という先入観念があったが、この暑さでこういう物を食べると、夏バテ防止になる。

湯島梅園の鴨鍋の食べごろ







(2019年8月2日記)


カテゴリ:徒然の記 | 23:37 | - | - | - |
相馬野馬追祭り

甲冑競馬で疾走中



1.相馬野馬追祭りの全容

 福島県南相馬市まで、「相馬野馬追(そうまのうまおい)」を見物に来ている。見るもの聞くものが全て荒々しく勇ましい祭典である。戦国時代の合戦は、さも斯くもありなんと思うほどの荒ぶる行事であった。その全容を知るには、これを説明している南相馬観光協会のガイドブックが非常にわかりやすかった。それによると、

「 一千有余年の歴史を経て、今なお勢いづく伝統の祭り 血湧き肉躍る戦国争乱のドラマ

 甲冑に身をかためた五百余騎の騎馬武者が、腰に太刀、背に旗指物をつけて野原を疾走する、力強く勇壮な時代絵巻。伝説によれば、相馬野馬追は今から千年以上も昔、相馬氏の遠祖とされる平将門が下総国小金ヶ原(千葉県西部)に放した野馬を敵兵に見立てて軍事演習に応用したことにはじまったと伝えられています。そして捕らえた馬を神馬として氏神てある妙見に奉納したのです。
 その後、相馬重胤が奥州行方郡(現・南相馬市)に移ってからも代々の領主がこの行事を伝承。野馬を奉納し、相馬地方の平和と安寧を祈る神事として、怠ることなく野馬追いが行われてきました。現在は国の重要文化財となっています。旧藩領あげての最大の祭典として、今も熱気あふれる行事がくりひろげられています。
妙見とは仏教でいう妙見菩薩のことであり、北極星・北斗七星を神格化したものです。家紋『九曜』も、これに由来すると伝えられています。相馬氏は初代師常公の時代から妙見信仰を守り続けてきました。下総国から陸奥国に移り、はじめの地であった太田、続く小高城、そして中村城に妙見宮をお祀りしています。これが今に至る太田神社、小高神社、中村神社で、合わせて『相馬三社』と呼ばれ、現在も地域の人々の信仰を集めています。」


 旧奥州中村藩の領域は、太平洋に沿って走る浜街道沿いに連なる5つの郷で、それぞれが相馬三社に供奉する。北から南へ見ていくと、宇陀郷と北郷(中村神社)、中ノ郷(太田神社)、小高郷と標葉郷(小高神社)であり、これによって野馬追の組織を構成する。相馬野馬追祭りは、次の3日間の日程で行われる。

【第1日】お繰り出し「総大将の下知により出立」相馬三社のそれぞれにおいて、陣笠、陣羽織、甲冑姿で集まり、出陣式を挙行し、隊列を整えて「お繰出し」。騎馬隊は各自のコースで雲雀ケ丘祭場地に向かい、馬場清めの儀式の後、宵乗り競馬を開催する。


甲冑競馬でこれから出番



甲冑競馬でこれから出番



【第2日】お祭りのハイライトで、お行列(おぎょうれつ)、甲冑競馬、神旗争奪戦、火の祭りが行われる。

 [お行列]総勢500余騎が、甲冑姿で太刀を持ち、先祖伝来の旗指物を風になびかせながら、総大将、軍師、侍大将、軍者、組頭、螺役長などの順で威風堂々と雲雀ケ丘祭場地まで行進する。殿様の行列なので、観覧の心得として、行列を横切らない、2階など高いところから見下ろさない。

 「甲冑競馬」法螺貝の音とともに、鎧武者が10騎ずつ10回、一周千メートルの競走を行う。

 「神旗争奪戦」相馬三社のご神旗を数百騎の騎馬武者が奪い合う。

 「火の祭り」騎馬行列が雲雀ケ丘祭場地から帰る頃、住民が沿道に提灯や松明をかざしたことから始められた行事で、行列が小高神社に到着する頃に花火が打ち上げられる。

【第3日】野馬懸けで、多くの馬の中から神の思し召しにかなう馬を捕えて奉納する「上げ野馬の神事」である。まず、騎馬武者が馬を小高神社境内に追い込む。目印を付けた馬を御小人(おこびと)という10数人の白装束の男が総がかりで捕え、神社に奉納するというもの。

2.甲冑競馬と神旗争奪戦

(1)第2日後半のハイライトのみ見物

 私は、このお祭りの事情がよく分からなかった。そこで、そういう場合の常道であるツアーに乗った。日帰りコースだから、見られたのは甲冑武者競馬と神旗争奪戦だけである。後から思うと、騎馬武者隊列をじっくり写真に撮るには、お行列が良かったのだが、その出発は午前9時半であるのに対して、我々が東京駅から東北新幹線で出たのが午前7時8分、雲雀ケ丘祭場地到着が11時半頃だったから、とても間に合わない。

 しかも、その当日は、雨模様のためにお祭りがどうなるか、とても気をもんだ。というのは、3日前の木曜日に日本列島のすぐ南の海上で台風が発生し、いきなり北上をはじめたからである。翌日には三重県に上陸し、相馬野馬追の第2日目の日曜日には、天気予報によれば、会場を直撃しそうな雰囲気だったからだ。

 多少の雨なら挙行するだろうけど、それにしても雨対策は必要だろうと思って、リュックの中の物は全て小分けにしてビニール袋に包んだ。特に全身がずぶ濡れになることも考えて、雨合羽はもちろんのこと、シャツ、ズボンから下着に至るまで着替えを準備した。また、カメラも、買ったばかりのソニーα7の超望遠レンズは200mmと短いので、キヤノンEOS70Dの300mm(フルサイズ換算460mm)を持っていくことにした。結果的には、この判断が正解だった。

 日曜日の当日朝、家から出てみると、無常にも大雨だ。「現地では晴れてくれないかな」と思いつつ、その中を傘をさしながら駅に向かった。ところが、福島駅に到着した頃には雨が上がっていて、その代わりカンカン照りの夏日和だ。その暑い中、駐車場から道を歩いていくと、カッポカッポとお馬さんが通る。ときどき、道には馬の落とし物があるので、踏まないようにしなければならない。


会場の雲雀ケ丘祭場地



会場の雲雀ケ丘祭場地の観客席



 会場の雲雀ケ丘祭場地に到着した。牛来口(ごらいぐち)ゲートから入ると、目の前は一周千メートルの大きな馬場だ。段々になっている観客席の小山(本陣山)の坂が、これまた広大である。そこに、3万人もの見物客が集まっている。暑くて日除けの傘をさしたいが、後列の観客席の人の視界の妨げになるので、それもできない。頭には、つば広の帽子を被っているから、まあまあ大丈夫だが、背中から長袖のシャツを貫いて日光の熱が身体に入ってくる。このままでは、日射病になるかもしれないので、水をどんどん飲むことにした。この日で、合計2リットル半は飲んだと思う。しかもその半分は、塩分入りのものだったから、何とか身体が持ってくれたようなものだ。この日見られたのは、甲冑競馬と神旗争奪戦である。

(2)甲冑競馬

 お昼の12時になった。ブオー、ブオーーという法螺貝の厳かな音色が鳴り響く。甲冑武者姿の競馬が始まるようだ。「総大将に申し上げる。10騎中、8騎が揃い、出発するー」。総大将「承知!」などというやり取りがあって始まる。ところが、出走馬がなかなか来ない。アナウンスがあって、「この競馬には出発ゲートがないので、全騎が息を合わせて出発しないといけません。フライングがあったようです。」などと言うので、観客がどっと笑う。その中を一群の甲冑武者騎馬軍団が、やっと走ってきた。


甲冑競馬



甲冑競馬



甲冑競馬



甲冑競馬



 一周千メートルの馬場は早朝の雨でぬかるんでいる。そこを旗指物を背中に括りつけて、ドドドッとばかりに集団で走ってくる。これは凄い迫力だ。土くれが巻き上がり、武者の顔が泥だらけである。あっという間に目の前を通り過ぎて、コーナーに向かう。やがてコースの向こう側に廻り、いやもう走るは走るは。そしていよいよ最後のコーナーに差し掛かり、ゴールに向かう。遂に通り過ぎた。勝者は嬉しくて嬉しくて、拳を何回も突き上げる。そして、ゆっくりと戻ってきて、審判役から着順の証明をもらう。それから、本陣山の観客席の真ん中をジグザグに貫く「羊腸の坂」(この名前がまた良い)をその馬で一気に駆け上がって、頂上の神社か本陣かに、その栄誉を報告に行くそうだ。

甲冑競馬で勝って手を挙げる武者



甲冑競馬で勝って羊腸の坂を駆け上がる



 観客席に座っていては、写真にならない。そこで、一番下に降りて行って走って来る出走馬を撮る。スポーツモードだから、コンティニュアス・フォーカスと連射の組合せだ。これで甲冑武者を連射したところ、何とか見られる写真が撮れた。ただ、もう少し良い撮影ポジションがなかったかどうかが反省点である。振り返ってみると、最初から観客席ではなくて馬場に近い所で撮っていた方が良かったのかもしれないし、加えて牛腸の坂にも行けば、甲冑武者とその馬を間近に撮ることが出来たと思う。もっとも、あの暑い中を大きく動き回ると、日射病にかかっていたかもしれないので、何とも言えない。

(3)神旗争奪戦

 午後1時になり、次にいよいよ神旗争奪戦が始まる。1発の花火中に2つの神旗が入っていて、高さ150mに打ち上げる。それが地上へ降りてくる途中で、騎馬武者が鞭に絡めて取る。地面に落ちたのはカウントしない。神旗を取った武者は、例えば「中ノ郷地区の谷口」などと名前が告げられる。その栄誉を称えて、取った武者には、羊腸の坂を駆け昇ることが許される。神旗には、赤、青、黄色の三色があり、それぞれ、神社が違う。


神旗争奪戦で神旗入り花火を打ち上げ



空中を降りてくる赤と青の神旗



空中を降りてくる青の神旗



空中を降りてくる赤の神旗



 さて、ズドーンという花火の音で、始まった。空を見上げると、花火が破裂する白い煙が数ヶ所見える。それから、青い神旗と赤い神旗がゆらゆらと降りてくる。中に書かれた字が読めるほどだ。地下では、風向きを読んで沢山の騎馬武者が旗指物を左右に揺らして待ち構えている。あっ、地上までもう少しというところで武者群にはっきりと動きがあり、皆我先に鞭を空中に伸ばしている。ああっ、神旗が誰かの鞭に包まれてしまった。取られたのだ。

神旗争奪戦で騎馬武者の頭上に降りてくる赤い神旗



赤の神旗を取り合う騎馬武者



 これを20回、40本の神旗について繰り返す。中には、鈴木さんという「女性武者」がいて、この人もちゃんと神旗を取っていたから、笑ってしまう。戦国絵巻での女性の活躍だ。なかなか良いではないか。ある時は、黄色の神旗も降りてきた。それとペアの青い神旗も降りてきたが、あれあれ、こちらの方は、風に流されて場外に出てしまった。これはノーカウントらしい。

甲冑武者が落馬



甲冑武者が落馬して、馬がそのまま走って行ってしまう



そのまま走って行ってしまう馬が取り押さえられた。



 それから、乗り手の甲冑武者が落馬して、馬がそのまま走って行ってしまうこともよくあった。危ないので、無主の馬は、すぐに取り押さえられていた。

(4)やはりお行列を撮りたい

 というわけで、本日のハイライトである2つの行事が終わった。期待していた通りのお祭りだったが、次の機会があれば、前日に一泊して「お行列」の写真を是非とも撮ってみたいと思っている。






 相馬野馬追祭り(写 真)






(2019年7月28日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:22 | - | - | - |
鋸山ロープウェーと日本寺

地獄のぞき


 最近の外国人観光客は、2回目、3回目の来日という人が多い。だから東京に来ると、浅草寺、お台場、東京スカイツリーなどの定番の観光地は飽きてしまって、横浜、日光、鎌倉などへと足を伸ばすそうだ。しかしそれもマンネリ化して、飛騨高山、合掌造集落、千葉の鋸山と日本寺に行って感激しているという話を聞いた。高山と合掌造は知っているが、鋸山とは何だろうと思ったのがきっかけである。

 調べてみると、東京から木更津経由で延々とJRの電車に乗って3時間弱で浜金谷というところに行き、そこから鋸山ロープウェイに乗ればよいということである。バスを利用したり特急を使うと2時間半くらいにはなるらしい。それなら許容範囲だと思って、行ってみることにした。


鋸山ロープウェイ


 浜金谷駅に着いた。ロープウェイ山麓駅まで10分弱ほど歩く。行ってみると、小さな駅だ。スイス製のゴンドラで、40人乗りというが、とてもそんなに乗れるとは思えない代物である。ともかく山頂駅に着き、そこからは展望台まで階段を少し登る。

展望台からの眺め


展望台からの眺め


展望台からの眺め


 さて、展望台に到着した。目の前は浜金谷港、対岸の久里浜港まで東京湾フェリーが出ている。天気が良ければ富士山も見えるというが、残念ながらこの日は視界には入らなかった。東京湾を行き交う大型船舶がよく見える。左右は、青々とした緑だ。とっても気持ちがよい。その脇に看板があったが、それをじっくり見ないままに方向の矢印だけを見て歩き始めた。

地獄のぞき


 まずは、「地獄のぞき」を目指す。崖の上にせり出しているところがあり、それをそのように言うらしい。そこまでたどり着くには、結構な岩場を歩いて20分もかかった。まず、その対岸にある休憩所に行くと、「地獄覗き」は指呼の間だ。もちろんその間は断崖絶壁である。よくこんな所に突き出た岩があると思うくらいである。では次に、ぐるりと回ってその「地獄のぞき」そのものに向かう。かなり足場が悪いが、すぐ近くまで来て岩の上に立った。我ながら物好きだと思う。

途中の階段


折れ曲がってまた真っ直ぐ伸びている杉の木


 次は「百尺観音」(20分)にするか、磨崖仏(40分)にするか迷った末、まずは遠い方からと思って磨崖仏方面に向かった。 いやそれが遠いこと、遠いこと。斜面を上がったり下がったり、また下がったりと、だんだんロープウェイ山頂駅から離れるのが気になる。まだかまだかと思っているうちに、やっと着いた。途中、折れ曲がってまた真っ直ぐ伸びている杉の木を見つけた、その生命力に感心して、大したものだと思う。

薬師瑠璃光佛


薬師瑠璃光佛


 通称磨崖仏、御本尊の薬師瑠璃光佛は、岩に彫られた仏様である。長い間、荒れるにまかせていたが、同寺のHPによると「江戸末期になって、自然の風触による著しい崩壊があり、頭部の半分が崩れ落ち、膝の部分も埋没した状態になってしまいました。昭和に入り彫刻家八柳恭次氏の指導のもとに昭和44年、4ヶ年の歳月を費やし大仏の復元が完成いたしました。」ということだそうだ。


紫陽花


 さて、それから「百尺観音」に行くということになるのだが、またあの登り階段の山道を戻ってさらに20分というのはさすがにこたえるので、この日はもう帰ることにした。それでも別の道を通って登り、20分くらいで山頂駅にやっとたどり着いた。これはもう登山である。途中の紫陽花は美しかったが、ともあれ生半可な気持ちで来る所ではない。







 鋸山ロープウェーと日本寺(写 真)




(2019年6月16日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:01 | - | - | - |
| 1/235PAGES | >>