徒然296.保活の苦労

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 就職しようとするときは「就活」、それが終わって良い縁に恵まれて結婚しようとするときは「婚活」、結婚したのになかなか赤ちゃんに恵まれないときは「妊活」、無事に生まれて子供を育てるときに直面するのが預かってくれる保育園探しで、これを「保活」というそうだ。それぞれが人生の一大イベントであり、どのハードルも上手くいくように願いたいところだが、そう思う通りにはいかないのが人生の常である。私の周囲でも、「妊活」に励んだがとうとう成功しなかったとか、あるいは「保活」には本当に苦労したという話を聞く。

 「妊活」は、所詮はコウノトリの気まぐれなので、努力しても功を奏しなかったら、私などは養子で良いと考える方だ。外国とりわけアメリカなどではそれがごく普通の考え方なのだけれど、日本では養子という選択肢を選ぶ人は極めて限られていて、むしろ夫婦2人だけの生活を選ぶカップルが圧倒的に多いと思う。なぜなのだろう。確かに子育ては大変だが、同時に夫婦揃ってやり甲斐があるし、自ら人間的にも成長するのにと、私などは残念に思うところである。まあしかし、そのカップルの人生の選択だから、外野からどうこう言うべきものではない。

 「保活」は、女性の社会進出に伴って、この十数年、特に深刻になってきた問題である。昔のようにおじいちゃん、おばあちゃん、他の兄弟、果ては未婚のおじさん、おばさんなどが同居していると、子供の世話は、誰か手の空いた人が見てくれた。ところが私が社会に出た頃から、そうした大家族主義が崩れて核家族化が進み、夫婦2人だけが子供の面倒をみる体制が一般化した。奥さんが専業主婦ならそれで良かったが、立派な仕事をしていると、頼りにするのは遠くにいるおじいちゃん、おばあちゃんか、あるいは近くの保育園か、ということになる。

 我々夫婦の場合は、娘一家がある日突然、同じマンションに越してきて、当時4歳になったばかりの初孫ちゃんの面倒をみる羽目になった。我々夫婦は体力的には疲れたものの、代わりに初孫ちゃんから元気をもらい、その成長を日々見守る幸せを感じることができた。しかし、こういう言わば恵まれたケースは例外的で、一般の方は近くの保育園だけが頼みの綱なのだろうと思う。それも、たった一本の綱なのである。ところが、それが希望者殺到で、なかなか入れないので、今や大きな社会問題となっている。

 最近、その「保活」で、とても興味深い話を聞いた。ある専門職の女性で、3年前に研究職の夫を東京に残して、5歳と0歳の子供2人を連れて関西に赴任したそうだ。そのときは産休明けなので、保育園に入る優先順位が高かったことから、何も苦労することなく、近くの公立保育園にすんなりと入れた。ところが昨年秋になって、再び東京に転勤で戻ってくることになった。人口が伸びている東京は、ただでさえ保育園の激戦区であるし、それだけでなく前回あった産休明けという錦の御旗もなくなってしまった。

 しかし、後顧の憂いなく自分の仕事に専念したい。そこで、関西にいながら、東京23区と周辺都市の情報を全部取り寄せて、待機児童の数、既存の保育園とこれからできる保育園、それらの評判、借りたい賃貸住宅、勤務先への通勤などを徹底的に調べたそうだ。その結果、白羽の矢を立てたのが、国分寺市だったという。それで、国分寺市役所を訪れて、係の人からどんな細かいことまでも徹頭徹尾聞き出し、その一方でストップウオッチを片手に借りるつもりの賃貸住宅と保育園の間を歩いてみて何分かかるか、途中危ないところはないかなど、あらゆることをチェックしたそうだ。

 それで、東京都への転勤が決まるや否や、その賃貸住宅を抑え、市役所への手続を終えて、無事に保育園が決まったという。いや、それはすごい調査能力と行動力だ。日頃から仕事が出来る人であることは聞いていたが、子育てにも、その類い稀な能力を遺憾なく発揮しているらしい。つくづく感心してしまった。





(2018年4月25日記)


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桜の季節 2018年

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   目 次

  1.皇居濠周辺
  2.六義園(昼)
  3.六義園(夜)
  4.国立劇場前
  5.横浜三渓園
  6.小田原城址
  7.千鳥ヶ淵で
  8.飛鳥山公園
  9.愛宕神社で
  10.新宿御苑で



1.皇居濠周辺


皇居濠周辺


皇居濠周辺


 また今年も、春の訪れとともに、桜の季節が巡ってきた。長く寒い冬を抜けて、心も浮き立つ季節である。私の車通勤の途中でまず桜の開花に気がつくのは、皇居の大手門の大手濠沿いにある枝垂れ桜である。染井吉野の桜より、約1週間ほど早く咲き始める。大手門の左右にはそれぞれ4本ずつの枝垂れ桜がある。中でも向かって左手には花が白っぽい大振りの枝垂れ桜の木があって、実に見応えがある。その反対の右手には花に紅をさしたような紅(べに)枝垂れ桜が並んでいて、いずれも小ぶりではあるものの、この数年の間に大きくなって、これも見映えがするようになった。そうすると東京駅も近いので、外国人観光客も多く集まってきて大混雑な上に、そこに皇居周辺を走るランナーがどんどん走ってきて、いささか危ない状況になっている。いつか事故が起きないかと心配であるが、警官やガードマンが配置される気配もない。

皇居濠周辺


皇居濠周辺


 私と家内は、先ずは早めの時間に桜見物をしようと、この大手門の枝垂れ桜を目指した。ところが、もう既に大勢の人が桜見物に集まっていた。その人たちとランナーが交錯しそうになっていたので、早々にその場を離れて、消防庁前の交差点に向かった。皇居のお濠を「小回り」で歩こうという算段である。これは、気象庁前を通り、竹橋で左手に曲がり、東京国立近代美術館を過ぎて千鳥ヶ淵南端の交差点までショートカットで行くルートだ。途中、早咲きなのでおそらく山桜であろうが、白っぽい花を付けて既に満開の桜の木が続く。 道に並行する土手の上に行けば全体を見渡せるが、先を急ぐし、靴も汚れるからとやめにする。

皇居濠周辺


皇居濠周辺


 千鳥ヶ淵交差点に着いて、対角線上にある小さな公園に向けて歩いていった。確かこの公園の一角には綺麗な紫木蓮があったはずだと記憶していたからだ。例年は、染井吉野の桜が満開の時にこの紫木蓮をついでに見るから、もはやその時には盛りを過ぎて花が萎れ始めて見る影もない。さて、今年は早めに来たのでどうだろうかと期待する。あった、あった・・・紫木蓮は、真っ盛りである。暫し惚れ惚れと眺めて、写真を撮る。とても良い写真になった。その後、英国大使館前を通ったが、染井吉野の桜はまだ一分咲きといったところである。その次の週に、気温がぐんぐんと上がり、最高気温が23度から25度となったので、撮り直しに行った。大使館前の染井吉野は満開で、またとない綺麗な構図である。夢中になって写真を撮っていたら、立札があり、そこには「この桜の原形は、維新の頃に活躍したアーネスト・サトウ公使が東京市に寄贈したもの」と書かれていた。


(平成30年3月21日)


2.六義園(昼)


六義園(昼)


六義園(昼)


 17世紀末、時の5代将軍徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保が、綱吉から駒込に土地を賜り、その地に下屋敷を造った。そこに庭園を造営し、詩経の六義にちなんで「六義園」と名付けて、それが、今日に至っているわけである。幸いなことに私の自宅近くなので、特に春と秋にはよく通っている。秋はもちろん、紅葉を見に行くのであるが、春は一点豪華な「六義園枝垂れ桜」を鑑賞に行くのを常とする。この枝垂れ桜は樹齢がおそらく60年くらいで、十分に「老木」の域に達している。実は私より少し若いので、老木などど言われるのはどうかと思うところだけれども、しかし桜としては、年々大きくなり、しかもますます美しさを増していくのが小憎らしいところである。

六義園(昼)


六義園(昼)


 この日も、朝8時45分頃に正門前に行くと、開園時間前ではあるが、この季節に限って早く入れてくれた。そこで枝垂れ桜前に行くと、正規の開園時間の9時になるまでその周囲に誰も近付けさせないで、専ら撮影タイムとなる。折からの晴天で真っ青な空の下、昇ったばかりの太陽の光を浴びて燦々と輝くピンク色の花弁が、四方八方に伸びやかに広がっている。大袈裟かもしれないが、正に神々しいばかりの桜の木である。それを正面から撮ったり、左右から撮ったりと、散々好きな方向から撮影していたら9時となって、花に近付いてよい時間となった。すると、あっという間に人の輪が縮まって、花の接写が始まった。私もその一人となり、近付いて枝垂れ桜を下から上に見上げると、青空一面にピンク色の花が広がって、まあその見事なことと言ったらない。今年も、来て良かった、いや元気で見られて幸せだと思った瞬間である。

六義園(昼)


六義園(昼)


六義園(昼)





(平成30年3月24日)


3.六義園(夜)


六義園(夜)


六義園(夜)


 六義園の枝垂れ桜のライトアップがあることは知っていたが、これまで行ったことはなかったので、今回初めて行ってみることにした。夜だが三脚は使えないので、あの細かい桜の花びらについて、手ブレが少ない写真をどれだけ撮れるかが問題である。私のカメラ、キヤノンEOS70Dには「手持ち夜景モード」というのがあって、1回の撮影で4枚の写真を連射で撮ってそれを自動的に合成してくれるので、それに賭けるしかない。

六義園(夜)


六義園(夜)


 ということで、六義園には午後6時過ぎに着いた。年間パスポートを示して足早に入って行くと、おおこれは凄い。暗い夜空に白い枝垂れ桜が大きく広がっている。夜だから、桜の前に人が立っていても気にならない。カメラの手持ち夜景モードでバシャバシャ撮る。何とか撮れているようだ。左手に回ると、正面からのような左右対象ではなくて、左側の花の壁の傾斜が急で、右側の傾斜が緩やかという、また趣きを異にする形となる。右手から撮ると、私の背中の方にある別の桜の木の花びらが上から垂れ下がっている不思議な構図となる。再び正面に戻って枝垂れ桜の花びらを見上げていると、ちょうど月が桜越しに見える。ただ、これを両方とも写すのは至難の技だが、ともあれトライしてみたのが、下の写真である。

六義園(夜)


六義園(夜)


 それから、せっかく来たので、更に園内に入ってみた。池の正面の対岸がライトアップされている。更に進むと、池の奥の小島の方から水蒸気のようなものが流れて来て、対岸にある吹上茶屋の方面へと動いている。人工的なもののような気がしないでもないが、何だろうと、訝しく思う。その吹上茶屋まで行って、引き返してきた。

六義園(夜)





(平成30年3月22日)


4.国立劇場前


国立劇場前


国立劇場前


国立劇場前


 皇居半蔵門の近くにある 国立劇場には、様々な種類の美しい桜の木々が植えられている。向かって左側に「小松乙女」、真ん中左手に「駿河桜」、同じく真ん中右手に「仙台屋」、一番右側に「神代曙」という具合である。中でも小松乙女の花は、やや小ぶりではあるが、花が集まってクラスターを形成するので、実に華やかだ。神代曙は、染井吉野よりもピンク色が濃くて、本当に美しい。花々を見れば見るほど、まるで花の精に引き込まれるような気がする。いずれも染井吉野とは別種で、小松乙女と神代曙は1週間ほど早く咲く。私がこれらの桜に注目しているのは、これらが次世代の桜の標準木となるからである。

国立劇場前


国立劇場前


国立劇場前


 日本の桜で種から生える「実生(みしょう)」は、山桜、彼岸桜、大島桜だけで、他の桜はいずれも接ぎ木で育つ。一番普及している染井吉野は、元々は江戸の染井村で人工的に作り出された接ぎ木の桜で、戦前は国威発揚のためもあって、全国各地の神社、連隊本部などに植えられて日本中に広まった。いま残っている桜の古木は、その頃のものである。ところが、実生の場合は神代桜や三春の滝桜のように大切に管理されていれば何百年でも持つが、雑種第1代の接ぎ木の桜は、植えられてから百年も経つと、樹勢が衰えてくる。私が小さい頃に見た染井吉野は、ピンク色がもっと濃くて、花に勢いがあったと記憶しているが、いまの染井吉野は、そうでもない。しかも古木になると、幹の中は空洞化していたり、てんぐ巣病という病気に罹りやすい。だから、倒木のおそれありということで、早晩伐採される運命にある。

国立劇場前


国立劇場前


国立劇場前


 問題はその後で、再び染井吉野を植えると、一見すれば若木なのだけれども、実は100歳近くの年をとっている状態である。そこで、染井吉野の代わりに植えられつつあるのが、神代曙と小松乙女なのである。いずれも、桜の病気には強いとされている。中でも神代曙は、アメリカにポトマック川沿いに贈られた染井吉野が、現地の桜と交雑して里帰りした曙という桜が起源で、それが神代植物園で大切に育てられて、新品種の神代曙になったという。その経緯からも、正に今風である。これから、日本全国に広がっていくのを期待したい。


(写真一覧表中の画像1から37までが平成30年3月24日、38以下が同月26日)


5.横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


 横浜の本牧にある三溪園は、「生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(同HPより)」とされる。原三渓は、大変な文人であり絵画骨董の目利きであった。しかもそれだけでなく、古今の建築物にも造詣が深かったようで、重要文化財10棟をはじめとして各地から貴重な社寺、茶室などの建物を収集して、それらを実に見事に配置している。例えば、園内に入った瞬間に目に入る大池と、その向こうの丘の上に立つ旧燈明寺五重塔の取り合わせは、誠に素晴らしい。私は昔、奈良の山中で室生寺の五重塔を初めて観たときに感激したものだが、こちらの場合もそれと同じような感激を味わった。それから、内苑の臨春閣からその前の池越しに再びこの五重塔を眺めることができるが、これも絶景と言ってよい。

横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


 臨春閣は桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構だとか、いやいや紀州徳川家の別荘であった巌出御殿だとか言われるし、その近くの聴秋閣は徳川家光が二条城内に建て、後に春日局が賜ったと伝わる建物だし、月華殿は徳川家康が京都伏見城内に建てたものだし、天授院は建長寺の近くにあった心平寺の地蔵堂であるというし、鎌倉の東慶寺にあった仏殿もあった。ともかくそんな重要文化財ばかりなのである。そういえば、飛弾三長者の1人の合掌造りの建物、旧矢箆原家住宅もあった。貴重な歴史的建物を保存するという意味では、まるで愛知県の「明治村」のようなものである。明治村はその名の通り明治時代の遺構を収集保存しているが、この三渓園は、平安、鎌倉、室町、織豊、江戸と、様々な時代にわたっていて、それを一個人が成し遂げたという意味では、素晴らしい。もっとも、原三渓は関東大震災が起こってからというもの、その復興のためにこの事業を中断してというから、これまた偉いものだと思う。

横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


 せっかく来たのだからと、汗をかきつつ丘の上の旧燈明寺五重塔を目指して登り、そこからは遠く横浜市内を眺めることが出来た。降りてきたところに旧燈明寺本堂があったが、実はその前の何の変哲もない桜の木が、岐阜県根尾村の淡墨桜の種子から育てた苗木を植えたものだそうだ。更に行くと、その辺りからようやく染井吉野の桜が大きく枝を伸ばしていて、桜の季節らしくなっていた。

横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園





(平成30年3月25日)


6.小田原城址


小田原城址


小田原城址


小田原城址


 小田原城に、家内とお花見に行ってきた。私は東京に住んで45年になるが、東京にほど近い小田原は、箱根に行く途中の玄関口という程度の認識だった。それでも、一度だけだが、乗り換えのついでに余った時間を利用して、小田原城を見に行ったことがある。お城そのものの記憶よりも、やたらと蒲鉾屋が多い街だなという印象と、この地が発祥の「ういろう」薬局を見に行ったことを覚えている。

小田原城址


小田原城址


小田原城址


小田原城址


 ご存知の通り小田原城は、戦国時代には北条早雲を始祖とする北条家5代が統治した際の拠点であったが、天正18年の秀吉の小田原攻めによって北条家は滅亡した。その後のことは、案外知られていない。私も今回、小田原城の公式HPを読んで初めて学んだのだけれども、要はこういうことらしい。徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となったものの直ぐに改易され、その跡を継いだのが、あの春日局の一族である稲葉氏だそうだ。ところが、貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となって、幕末に至った。それからは小田原城に苦難の時代が続く。明治3年に廃城となり、明治5年までに城内の多くの建物が解体されたそうな。後に、城内は県庁やその県支庁の所在地となり、明治34年には、御用邸が建てられた。しかし、大正12年の関東大震災で、御用邸はもちろん石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまった。その後、隅櫓、天守閣、常盤木門、銅門(はがねもん)、馬出門と、順に再建されて、今日に至っている。

小田原城址


小田原城址


小田原城址


小田原城址


 小田原駅を降りて、小田原城に向かう。近道をしようかと思ったが、こういう場合は正面から行って写真を撮るのが王道だろうと、南口の正門の方に回りこんだ。お堀端通りの歩道は、もう満開の桜に覆われている。手前に桜、お堀の水の向こうには赤く塗られた「学橋」が見えて、素晴らしい眺めだ。そこでまずは何枚かの写真を撮る。その向こうの「隅櫓」と桜の組み合わせも良い。お堀に沿って更に歩いて正門から入り、「馬出門」→「住吉橋」→「銅門」→「常盤木門」→「天守閣」の順に移動して、桜の木を写していった。桜と天守閣の組み合わせは、正に絵になる。天守閣に登って周囲を眺めると伊豆半島が目の前に横たわるなど絶景そのものである。その他の遠景は、花曇りのためによく見えなかったものの、大山、大島などの方向を確認することができた。


(平成30年3月31日)


7.千鳥ヶ淵で


小田原城址


千鳥ヶ淵で


千鳥ヶ淵で


 また今年も、千鳥ヶ淵緑道の桜を観に行った。3月の平日の早朝だから、どこかの大学が武道館で卒業式を開催している。女学生が明治時代のような紺色の袴をはいて、歩いている。なかなか似合っている。ところで、私がお花見の名所10箇所を挙げよと言われれば、真っ先に挙げたいのが、この千鳥ヶ淵の染井吉野である。 ちなみに第2位は秋田の角館の武家屋敷地区にある枝垂れ桜、 第3位は井の頭公園の染井吉野、 第4位は三春の滝桜、 第5位は池上本門寺の染井吉野、 第6位は京都平安神宮の庭園にある枝垂れ桜、 第7位は奈良の長谷寺の染井吉野、 第8位は六義園の枝垂れ桜、 第9位は新宿御苑の八重桜、 第10位が弘前城公園の染井吉野と枝垂れ桜である。それぞれに、思い出がある。東京では、目黒川沿いの染井吉野の並木が近年かなりの人気となっている。確かに都会の真ん中であれほどの桜のトンネルを味わう所はそうそうないというのは事実ではある。でも、川の両岸が垂直のコンクリートの壁で固められているので、風情というものがないのが、画竜点睛に欠けるところである。

千鳥ヶ淵で


千鳥ヶ淵で


千鳥ヶ淵で


千鳥ヶ淵で


 ところで、この千鳥ヶ淵の桜の何が良いかというと、まずはお濠沿いの道の頭上に染井吉野の並木が立ち並ぶ。ここまではありきたりの風景であるが、それに並行してお濠ギリギリのところにも染井吉野の並木があって、それらの桜がお濠に対してグーンと張り出している。それだけでなく、対岸の皇居側の方にも桜の木があるから、お濠を両岸から桜で覆うようになっていることだ。その桜の雲の下を、のんびりとボートが行き交う。しかもこれらの風景を十分に堪能したところに展望台がある。その真下が貸しボート乗り場というわけだ。そこからたった今歩いて来た方向を振り返ると、まるで四角いキャンバスを2本の対角線で4つに分割したような情景で、上の逆三角形は青い空、下の三角形はグリーン色のお濠の水面、両脇の2つの相対する三角形は桜の雲である。もう、絶景としか言いようがない。これを観て感激しない人はいないだろう。

千鳥ヶ淵で


千鳥ヶ淵で


千鳥ヶ淵で


 なお、午前中は、対岸の皇居側の桜に対して逆光になるので、写真を撮るのであれば、午後早くの方が順光になって具合が良いと思う。夜にはライトアップされるが、その頃には押し合いへし合いの満員電車状態になるので、ゆっくり写真を撮るというわけにはいかないから、私はまだ夜には訪れたことがない。もっとも、昔のカメラだと手ブレがひどくて夜の桜を撮るなど論外であったが、今のカメラで今年、六義園の夜桜を撮ってみたら、まあまあの写真が撮れたから、案外それなりの写真が撮れるかもしれないと思っている。


(平成30年3月26日)


8.飛鳥山公園


飛鳥山公園


飛鳥山公園


 北区の飛鳥山公園に行って、染井吉野の桜を見てきた。王子駅を降りてすぐ目の前に飛鳥山がある。この地の桜は、享保年間に8代将軍の徳川吉宗が、江戸庶民の行楽の場として整備したのが始まりという。享保の改革で日常生活を厳しく取り締まる一方で、憩いの場を設けようといった飴と鞭の政策だったのだろう。

飛鳥山公園


 さて、私が行った時はまだ午前中だったが、桜という桜の木の下にはブルーシートが敷かれて、若者がその番をしている。中にはそういう人同士で一杯やっている微笑ましい風景もあって、完全なるお花見モードだ。江戸の昔から変わらないらしい。地元の北区が付けたぼんぼりが、桜の花の間を通って風に揺れている。なるほど、これは小上野公園といったところだ。それにしても、肝心の桜はまだ三分咲きといったところだから、桜の下で宴会を開いても、気分が盛り上がらないかもしれない。


(平成30年3月25日)


9.愛宕神社で


飛鳥山公園


飛鳥山公園


飛鳥山公園


 標高26メートルの愛宕山の頂上にある愛宕神社は、出世の階段などのエピソードに事欠かないし、何よりも桜の季節には池の鯉と周囲の桜が素晴らしく調和していて、私の好きな花見の場所である。以前の私のオフィスから近かったが、その後、職場が変わって少し遠くなった。でも、今年こそは是非とも再訪したいと思っていたので、早朝に立ち寄ってみることにした。記録をたどれば、直近は2010年4月2012年4月に訪れたことがあるので、今回は6年ぶりということになる。

愛宕神社で


愛宕神社で


 愛宕神社の正面の出世の階段からではなく、地下鉄日比谷線の神谷町駅で降りて裏手から登ることにした。愛宕山に近づくと、満開の桜の花に囲まれた「愛宕隧道」つまりトンネルがある。その向こうの出口にも、桜の花が見える。今日はそのトンネルをくぐらずに、左手前の階段をひたすら登って行く。途中、降りてくる2人とすれ違った。そして登り切って出たところがNHK放送博物館前の広場である。白い染井吉野と、赤っぽい別種の桜とが並んで咲いており、まるで紅梅と白梅のようである。その反対側には染井吉野がびっしりと咲いているのだが、今年は登り道の補修工事が行われていて、工事車両が駐車していたり、工事機材が置かれているので、どうも落ち着かない。何もこんなお花見シーズン真っ盛りにわざわざ工事をしなくともと思うのであるが、そういえば年度末だからであろうか。

愛宕神社で


愛宕神社で


愛宕神社で


 さて、その博物館前の広場から愛宕神社の方を見たところ、これは驚いた。染井吉野の満開の桜越しに、大きな高層ビルが見えたからだ。その特徴がある形からして、虎ノ門ヒルズである。6年前は影も形もなかった。そういえば、虎ノ門地区は国際金融地区を目指しているらしいから、今後ともますます発展して行くだろう。

愛宕神社で


愛宕神社で


愛宕神社で


 愛宕神社の境内に入り、本殿にお参りし、池の方に行って緋鯉を眺めて周囲にある桜の木を観賞するのがいつものパターンだったが、鯉も桜も、昔と比べて相当、数が減ってしまっている。いささか寂しい限りだ。昔は池に近付くと、餌を貰えると思った沢山の緋鯉たちが折り重なるようにやって来て、それぞれが大きな口を開けて「ジョボジョボ、パクパク」という音を立ててうるさいほどだった。あの頃は人間だけでなく、鯉も活気があったなぁと思う。しかも、以前は池の中にボートが浮かんでいて、それがややシュールな雰囲気をもたらしていたが、そういうものが一切なくなっていた。全体に愛想がなくなったというか、何というか、最近の世相そのものだ。

 さて、出世の階段を上から覗いて、改めて勾配が急だなと思ったら、降りる気がなくなった。そこで、放送博物館の方にあるエレベーターで地上に降り立った。そこから出世の階段まで歩いて行ったところ、おや、昔は焦げ茶だった鳥居が、赤く綺麗に塗られている。それに、「出世の階段」の看板が、より小ざっぱりしたものになっている。しかもその裏には、「出世の階段のいわれ」と題して、こういう記述があった。講談調だから、面白い。

愛宕神社正面の石段『男坂』(となりの緩やかな石段は『女坂』)は別名『出世の階段』と呼ばれ、その由来は講談で有名な『寛永三馬術』の一人、曲垣平九郎の故事にちなみます。

 時は寛永十一年

 三代将軍 徳川家光公が 芝 増上寺ご参詣の帰り道 神社に咲き誇る源平の梅の馥郁たる香りに誘われて山頂を見上げて『誰か騎馬にてあの梅を取って参れ』と命ぜられました。しかし目前には急勾配な石段があり、歩いて登り降りするのにも一苦労。馬での上下など、とてもとても・・・と家臣たちは下を向くばかり。

 誰一人 名乗り出る者はおりません。家光公のご機嫌が損なわれそうなその時、一人の武士が愛馬の手綱をとり果敢にも石段を登り始めました。

 『あの者は誰じゃ?』と近習の臣に家光公からお尋ねがあっても誰も答える者はおりません。その内に平九郎は無事に山の上にたどり着き、愛宕様に『国家安泰』『 武運長久』を祈り、海の枝を手折って降りてきました。

 早速 家光公にその梅を献上すると『そちの名は?』『四国丸亀藩の家臣、曲垣平九郎にございます』『この太平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれ、日本一の馬術の名人である』と褒め讃えられました。

 一夜にして平九郎の名は全国にとどろき出世した故事にちなみ、『出世の階段』と呼ばれるようになり、現代においても多くの皆様にご信仰をいただいております。
」なるほど、実に、良い話である。


(平成30年3月27日)


10.新宿御苑で

関山(カンザン)>



 桜のシーズンの最後を締めくくるのが、新宿御苑の八重桜である。毎年、千鳥ヶ淵の染井吉野とともに、この八重桜を必ず観に行くことにしている。特に、「関山(カンザン)」は桜の花が八重であるばかりか、それがこんもりとした花束のようなクラスターを作っていて、その下に入るとすごい。とりわけ桜のピンク色は、青い空の下で見上げながら観ると、ますます引き立つ。だから行くのは、晴天の日に限るというわけだ。加えて、新宿御苑らしいと思うのは、代々木のドコモタワーが見えることだ。どの場所にあっても見え、建築された当初は公園の雰囲気を損ねていると思っていたが、歳月を経て次第に景色に馴染んでくると、方向が直ぐに分かるし、写真のアクセントになってなかなか便利である。

新宿御苑



 地下鉄丸ノ内線の新宿御苑前駅は、新宿門と大木戸門につながっているが、どちらに行くにも5分程度と、ほぼ同じ時間がかかる。新宿門に行くには、いったん道を渡って新宿御苑の中を外周に沿って歩いて行くとよい。そうでなくて道路を渡らずに歩いて行って新宿門に行こうとすると、新宿門を通り過ぎてずーっと向こうの信号まで行って道を渡り、また戻って来なければならない。だから私は、ついつい大木戸門の方に行って、そこから入ることが多い。

新宿御苑「関山」


新宿御苑


新宿御苑



 この日も大木戸門から入り、温室の脇を抜けて行くと、白い八重桜がある。「一葉(イチヨウ)」だ。その横のピンク色の「陽光(ヨウコウ)」とともに、紅白の形を成しているが、他の大きな桜の木と比べれば、まだまだ小さい。でも、その広がった枝の中に入って外を見れば、なかなか面白い。風景が一風変わって見える。

新宿御苑「関山」


新宿御苑「関山」


新宿御苑「御衣黄」



 イギリス庭園、といっても広大な芝生が広がっているだけだが、その芝生の向こう側に大きなピンク色の八重桜の木がある。あれこそ「関山」だ。それにしても、実に大きいし、その形もなだらかな富士山のようで非常に美しい。それが重たそうに満開の八重桜の花を付けている。惚れ惚れとしてしばし眺めていた。これを観ただけでも、本日わざわざ来た甲斐があったというものだ。その近くに「普賢象(フゲンゾウ)」という白い八重桜があり、また「御衣黄(ギョイコウ)」という緑がかった八重桜がある。この「御衣黄」は、まさに変わり種で、花の中心は赤っぽい色をしているが、どういうわけか花びらになると、薄緑色になる。桜といえばピンク色というのが日本人の常識であるだけに、不思議な魅力ある花である。

新宿御苑


新宿御苑


新宿御苑



 日本庭園の「中の池」と「下の池」の間の橋を渡る。下の池には、ピンク色が濃い八重紅枝垂れ桜が咲いていて、水面に映ってこれまた実に美しい。中の池の向こう岸には「修善寺寒桜」だと思うが、やはり濃いピンク色の桜があって、同じように湖面に映る姿は神々しいばかりである。その付近にある染井吉野はもう葉桜となっていて、日光越しに見える若葉が綺麗だ。「躑躅山」というところには、その名の通り丸く刈り込まれた躑躅の木が赤や紫色の花を一面に付けている。今が見頃らしい。

新宿御苑


新宿御苑



 八重桜の花を充分に堪能したので、三角花壇を経由して新宿門の方へ向かう。実は、この近くの「母と子の森」に向かう道の入り口手前に、「ハンカチの木」がある。ミズキ科の落葉高木で、中国の四川省・雲南省付近が原産地だそうで、その紹介者の名前をとって「ダビディア」と呼ばれる。花に上下の白い大きな2枚の苞葉が垂れ下がっている様は、まさにハンカチそのものだ。咲き始めの花は緑色っぽいが、この日はかなり日が経っていると見えて、花の色は茶色になっていた。それにしても、これは相当に変わった花だ。風に吹かれてぶらぶら揺れる様子をずーっと見ていても、飽きない。

新宿御苑「ハンカチの木」







新宿御苑の園内マップ



(平成30年4月14日)
















 桜の季節 2018(写 真)




(2018年3月21〜4月14日記)


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塩山へ桃と桜の旅

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1.満開の桃の花と桜の古木

 桜の染井吉野の季節が終わってしまった。例年に比べて今年は3月下旬に入って急に暖かくなったことから、開花がかなり促進されたようだ。この間、私は今年も「桜の季節」が到来したとばかりに、都内をはじめ、横浜や鎌倉や小田原にまで桜の撮影に出かけた。昔は、単に満開の染井吉野がずらりと咲き誇る桜並木を撮って、大いに感激していたものだ。それも立派な桜の鑑賞だが、昔と違って今の私は、枝垂れ桜や八重桜、それに各地で大切にされてきたような桜の古木に、より関心が向いてきた。例えば、三春の滝桜身延山久遠寺の枝垂れ桜などである。

 ところで、山梨県の甲府盆地では、今が桃の花の見頃を迎えているという。「そういえば、桃の花は、見たことがないな。」と思いつつ、インターネットで調べたところ、塩山に行けば、今まさに満開のようだし、周林禅寺と慈恵寺という古刹に、桜の古木があるらしい。中央本線の特急「かいじ」を使えば、我が家から2時間もかからないで、行けそうだ。距離にして片道107kmだから、往復を買えば大人の休日カードが使えるので、3割引となる。行く気になった。

 ただ、もしかすると塩山駅からの交通の便が良くないかもしれない。タクシーがいないと困ると思って、グーグルで駅前の画像を見ると、南口にタクシーが並んでいるのが見えた。これなら大丈夫かと思ったが、念のためにバスがないかと調べたところ、大菩薩峠行きというバスが1日5本あり、もよりのバス停は粟生野原というようだ。帰りは、盆地を小1時間ほど下って行けばよいし、途中で桃の花の風景を撮ればよいので、特にタクシーやバスに乗ることもないだろうと考えた。

2.周林禅寺


周林禅寺


 塩山駅に到着して南口に出てみると、タクシーが3台も待っていた。最初の車に乗り込み、「周林寺へ」と告げる。するとタクシーは盆地の坂を上がっていき、涸れ川を越えて両側に桃畑が広がる細い道をどんどん進み、寺に着いた。残念ながら、大きな枝垂れ桜は盛りを数日過ぎたようで、目指していたほどのボリュームはなく、いささか物足りないものではあった。しかし、樹齢120年と言われている通りの堂々とした古木で、これに比べると六義園の枝垂れ桜(約60年)は、まだまだ若いという気がする。

周林禅寺


周林禅寺


 天真山 周林禅寺は、本尊が南無延命地蔵菩薩、開山は関秀西堂和尚禅師、勧請開山が大覚道隆大禅師、開創が大亀2年(1502)の室町時代だと書かれていた。せっかく来たので、お参りさせてもらった寸志として賽銭箱に何がしかのお金を入れて、再び、古木と向き合った。手前に「ぼんぼり桜と名付けました。」という趣旨のことが書いてあるのに気がついた。素朴な表現でそれほど悪くはないが、せっかくのお寺さんの命名であれば、古今東西の仏典を渉猟して、もう少し学のあるところを見せてはどうかと思った次第である。枝垂れ桜の枝が門の半ば近くまで覆っていることから、例えば「雲門桜」というのはどうだろう。100年後には、門全体を覆うかもしれない。ちなみに、雲門というのは、五代の末より北宋にかけて隆盛を極めた禅宗の一派である。

周林禅寺から見た桃の花と菜の花


桃の花


 お寺の周囲を見渡せば、まさに桃の花が満開だ。あちこちで農家の方が総出で、桃の木の摘花を行っている。良い実を作るには欠かせない作業だが、摘花後は花の数が極端に少なくなるので、写真を撮るにはいささか寂しくなる。それでも、カメラのファインダーを覗くと、遠くの蒼い山並み、近くのピンク色の桃の花、手前の黄色い菜の花が一望の下に見えて、なかなか美しい。また、あちらこちらのお宅の庭に、花桃が美しく咲いている。白色、ピンク色、それらが混ざったもの、赤色、それに真紅色の花まである。また、瑠璃色のネモフィラ、赤色、青色、白色の芝桜、藤色のルピナス、薄紫色の花大根、黄色い水仙、それにカラフルなチューリップと、大いに花盛りだ。

ネモフィラ


花桃


花桃


花桃


芝桜


芝桜


3.慈雲寺

	小学校の桜


 さて、周りの写真を撮り終えて、慈雲寺に向かった。グーグル・マップの道案内を使うから、道を間違えることはない。便利になったものだ。ただし、この地図では高低差が表現されないので、現場に行ってみてすごい坂であることに気付くことがよくある。この日も、慈雲寺への道がそうだった。途中、左手に桃畑があり、右手に小学校があった。その敷地に沿って、大きな染井吉野の桜が満開である。それを撮っていると、小学校から子供たちが出てきて、大きな声で「こんにちは!」と、挨拶してくれた。最近の都会では、知らない人には挨拶しないようにという妙な教育が徹底されているせいか、たとえ同じマンションに住んでいても、挨拶もせずにブスっとしている子供がほとんどだ。それからすると、こちらの子供たちの挨拶は、誠に気持ちが良い。人間、こうでなくては・・・私も、大きな声と笑顔を返した。

紫ルピナスと桃の花


花大根


 あと数分で慈雲寺というところで、年配のおじさんと一緒になった。年配といっても、私と同年代だ。その人が「どちらから来ましたか」と聞くので、東京ですと私が答えると、「ああ、同じだ。青春18切符を使って鈍行で来ました。」などという。なるほど、そういうやり方もあったのかと思った。ただ、私には無理だ。第一に暇がない。第二にあんな鈍行電車の固い直角の座席に長時間座っているのにまさる苦痛はないからだ。

天龍山 慈雲寺


樋口一葉の像


 そうこうしているうちに、慈雲寺に着いた。天龍山 慈雲寺は、臨済宗妙心寺末、暦応年中(1337〜42年)に夢窓疎石が開創、境内の糸桜は山梨県指定天然記念物という。こちら塩山は、樋口一葉の両親の里らしい。寺の入り口近くに一葉の上半身の像があったが、顔がまるで西洋人形のような小顔で、一葉の写真(五千円札)と似ても似つかないので閉口した。入り口の門の左手には、立派な枝垂れ桜があった。進んで行くと、奥の本堂の前に「糸桜」と呼ばれる実に大きな枝垂れ桜があった。こちらも周林禅寺のぼんぼり桜と同様に、盛りを数日ほで過ぎていて、いささか残念であった。まあしかし、その桜の古木としての威容を十分に感じさせるものだった。本堂では、住職さんが参拝に訪れた人々の御朱印帳にせっせと書いておられる。

カワヅサクラ


素朴な焼き菓子


慈雲寺入り口の門の左手にある立派な枝垂れ桜


花桃


奥の本堂の前の「糸桜」


 私はそういう趣味はない。さりとて少しはお布施をしようと思って、抹茶をいただくことにした。寺の名称が押された素朴な焼き菓子が付いてきた。それで一服して周りの人々を見渡せば、近在の農家のような方々が多かった。それから立ち上がって薄くて品のあるピンク色の花のところまで行くと、「ハナモモ」という札が掛かっていた。その隣には桜の花だが中心に行くに連れてピンク色が濃くなるのがあって、何だろうと思ったら、「カワヅサクラ」とあった。本拠地の河津では、もうとうの昔に散ってしまったと思うが、こんな離れた場所で、まだ健気に咲いていたとは驚きだ。

4.法正寺


カワヅサクラ


滝見山法正寺


滝見山法正寺の立派な枝垂れ桜


 そのお寺を出た後、塩山駅に向けて歩き始めた。狭い農道のようなところをビュンビュンと軽自動車やトラックが走り過ぎるから、注意して歩く。しばらく行くと、法正寺というお寺さんがあった。インターネットでは検索に出て来なかったところだ。一瞬、通り過ぎようとも思ったが、「せっかくここまで来たのだから、これも何かのご縁だ。」と思い直して、お参りすることにした。実はこれが大正解で、満開の枝垂れ桜が重たそうに桜の花を一杯に付けて、待っていてくれた。これは素晴らしいと、思わず心の中で呟いた。

滝見山法正寺


滝見山法正寺


 滝見山法正寺は浄土真宗本願寺派ということだが、こういう伽藍配置なのだろうか。門をくぐると奥の本堂に至るまでの間に2階建の鐘楼のような建物があって、その半分を覆うように満開の枝垂れ桜の枝が被さっている。いやもう、その見事なことといったらない。遠目から眺めたり、近づいて見上げたりして、飽きることがない。花の色のピンクが濃くて、とても華やかだ。私の好きな六義園の枝垂れ桜も、あと50年もすればこうなるのかもしれない。そう思うと、「よく生きてきたな。これからもずっと頑張って。」と労いの言葉をかけてやりたいほどだ。

桃の花と菜の花


 しばらくして、お参りさせていただいた印に、またお賽銭箱に幾ばくかのコインを入れた後、塩山駅まで歩いて行った。下りなので非常に楽だ。途中、ほとんど水のない重川(おもがわ)という川があり、その辺りで道が曲がりくねっていると思ったら、橋の架け替えを行っていて、それが出来れば道がもっと直線的になる。そこを過ぎて駅の前には甘草屋敷なるものがあったが、写真をたくさん撮って疲れたので、立ち寄らずにそのまま帰京することにした。

鈴蘭水仙


紫躑躅


レンギョウ






(2018年4月7日記)


カテゴリ:エッセイ | 21:57 | - | - | - |
鎌倉へ桜の旅

高徳院・鎌倉大仏


1.鎌倉の桜の名所

 もう、関東地区の桜は終盤に差し掛かり、あちらこちらで花吹雪が舞い始めているという。そこで、ふと鎌倉に久しぶりに行って、今年最後の桜を観てこようという気になった。インターネットで桜の名所を調べた結果、次のようなコースをとることにし、朝8時半頃に家を出た。

 北鎌倉駅 → 建長寺 → 鶴岡八幡宮 → 本覚寺 → 妙本寺 → 鎌倉駅 →高徳院・鎌倉大仏 → 長谷寺 → 鎌倉駅


2.建長寺


建長寺


建長寺


建長寺


 東海道線を使ったところ、もう9時半過ぎには北鎌倉駅に着いた。駅のすぐ前は円覚寺で、私にはこちらの方に馴染みが深いが、この日は時間が限られているので、先を急いで建長寺に向かった。鎌倉特有の狭い道を明月院を過ぎて、駅から15分ほど歩いて、やっと到着した。「臨済宗建長寺派 大本山 建長寺」である。拝観受付の先には、もう参道の両脇に桜の木が満開で、桜のトンネルを作っている。これは、本当に見事なものである。左右と上空を桜で覆われたトンネルの中を行くと、その先には扁額「建長興国禅寺 」が掛っている大きな山門があり、それを近くの桜が取り巻いている撮影ポイントに至る。これは素晴らしいと思って、写真を撮り始めた。ところが、手前の桜による明るい「額縁」と、その奥にある暗い山門との明暗の差が大きくて、オートにしておくとなかなか良い写真が撮れない。明るい額縁に合わせると暗い山門が黒くつぶれてしまう。さりとて暗い山門に合わせれば、今度は桜の額縁が真っ白になってしまって桜かどうかもわからなくなって、どうにも具合が悪い。逆光モードで撮って、何とか見られる写真にした。こういう時は、市販の普及帯価格のカメラの方が、それなりの写真が撮れるかもしれない。

建長寺


建長寺


 その山門を過ぎて、仏殿、法堂をお参りし、唐門にたどり着く。唐門はとても美しいと思ったら、関東大震災以来の大規模修繕が2011年に終わったばかりだという。その左手には見事な紅枝垂れ桜があって、これも満開であった。


3.鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


 その建長寺から、狭い道を10分ほど歩き、鶴岡八幡宮に到着した。いわば、裏口から入るような形になるのは、本日の道順からして仕方がない。大勢の参拝者で混雑する中、まずは鶴岡八幡宮にお参りし、それから階段を下りていく。途中、右手には先年の台風で倒壊した大銀杏の根っこが無残な姿を晒している。その隣には、それから採った若木が植えられているが、本当に根付くのか心配になる。さて、階段を下りきったところに舞殿があるが、それまでは桜の姿がない。ようやく、左手の源氏池の方に桜が見えた。その池まで行くと、池の周囲には染井吉野の桜の木が立ち並んでいて、しかも風が吹いてくる度に花吹雪が舞い、花びらが池に浮かんで花筏となっている。これは良い写真を撮ることができると思って撮り始めた。でも、やや桜の花の具合が「粗」になっているのは否めない。あと2日ほど早く来られれば、びっしりと花びらが付いていて、さぞかし美しかっただろうにと、ほぞを噛む思いである。

鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


 その源氏池を一周し始めたとき、池の中に水鳥がいることに気がついた。その体形からして、「青鷺(アオサギ)」ではないかと思われる。池の浅いところに立って、身体から下を少しも動かさず、首から上だけを伸び縮みさせて、魚が来ないかと、待ち受けているようだ。時々、首を縮めて魚を狙う姿勢をとるが、上手くいかないのか直ぐに元の姿勢に戻る。なかなかの根性だ。上野動物園にいる「ハシビロコウ」という鳥も日がな一日、同じ姿勢で水辺に立ち続けて飽きないが、それに次ぐ忍耐力のある鳥だ。しかし、私が見ている間、とうとう魚を捕ることはできなかった。源氏池の中に旗上弁財天がある。そこまで行って、また戻り、三の鳥居の前にきた。牡丹展を開催中らしいが、本日のテーマは桜なので、残念ながらまたの機会に譲り、先へ進むことにした。若宮大路も、染井吉野ばかりだが桜の木々が両側に真っ直ぐに植えられて、そのシンメトリーな感じが美しい。近くののレストランに入って、食事をした。


4.本覚寺


本覚寺


本覚寺


 若宮大路の鎌倉駅にほど近い鎌倉郵便局の脇を東に入ると、直ぐに本覚寺(ほんがくじ)の裏口となる。こちらは日蓮宗の本山で、山号は妙厳山。身延山の久遠寺にあった日蓮上人の遺骨を分骨したことから、「東身延」とも呼ばれるようになったそうだが、見たところ知る人ぞ知る存在で、参拝者の数は少ない。「紅梅、染井吉野の名所」とあったが、あらかた散ってしまっていた。ただ、紅枝垂れ桜は、満開で残っていた。そのほか、「しあわせ地蔵」と名づけられたお地蔵さんが、とても可愛いかったのが印象に残っている。


5.妙本寺


妙本寺


妙本寺


 本覚寺からほど近く、まるで山の中に入っていくような深山幽谷の趣のある道を行き、階段を上がって二天門を過ぎたところに染井吉野が大きな枝を広げて満開となっている。これだけでも、わざわざ来た甲斐があると思ったが、その奥にある祖師堂の脇には、大きな紅枝垂れ桜の木が、美しいピンク色の花をさも重たそうに付けている。境内には日蓮上人の等身大の銅像があって、その周りには染井吉野が今が盛りとばかりにびっしりと桜の花で満開だ。

妙本寺


妙本寺


 しかもこの日は、結婚するカップルが、和服の婚礼衣装でプロの写真家に写真を撮ってもらっていた。それが2組もいたのである。ここがいかに、観光客に知られていない穴場であるかが分かる。そのうちのひと組の花嫁さんが二天門をくぐるとき、背景となっている染井吉野に一陣の風が吹き、桜吹雪が舞った。これぞ日本の伝統の世界の美しさという雰囲気である。


6.鎌倉大仏(高徳院)

 さて、鎌倉駅に戻り、バスに乗って「大仏前」で降りる。そこから高徳院に入って行った。境内は、人、人、人で満員電車のようにごった返している。その中を抜けて、露天の鎌倉大仏様のところへ行く。「ああ、これは素晴らしい」と感嘆するばかりだ。しかも右手にある大きな桜の木が満開で、その枝と桜の花越しに大仏様の写真を撮ることができた。桜を画面の右手に置いたり、あるいは画面の上に持って行ったりして、思う存分に写真をとりまくる。幸い今日は快晴で、大仏様の緑青色、桜の花の白色、背景の山の緑色、そして空の紺碧の色と、まるで絵葉書のような色彩が豊かな写真を撮ることができた。


鎌倉大仏


鎌倉大仏


鎌倉大仏


 それにしても、大仏様は、誠に端正なお顔立ちだ。与謝野晶子の「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」を思い出してしまった。


7.長谷寺


長谷寺


長谷寺


長谷寺


長谷寺


 長谷寺は、高徳院から歩いてほど近い。誤解を恐れずにいえば、それにしてもこの寺さんは、観光客相手に勘所をよく掴んでいる。商売に例えれば、抜群の商売上手なのである。季節を問わずに絶えず花が咲くように配慮しているし、それほど広くはない境内の傾斜を利用して観音堂をはじめとする変化に富んだ諸堂宇が建ち並んでいるし、鎌倉の海と街並みが一望できて気持ちの良い「見晴台」、傾斜地を利用した眺めに変化のある「眺望散策路」を揃えているなど、心憎いほどの気配りがされている。更に、今回は「なごみ地蔵」というお地蔵さん目についた。

長谷寺


長谷寺


長谷寺


 さて、長谷寺の桜は、山門を入ったところの下境内にある桜の木(銅色の葉の特徴からして、おそらく山桜)、地蔵堂近くの紅枝垂れ桜と染井吉野、上境内の観音堂と観音ミュージアムとの間にある紅白の枝垂れ桜がなかなか良かった。また、石楠花が咲いており、誠に豪華な感じだった。






 鎌倉へ桜の旅(写 真)




(2018年4月1日記)


カテゴリ:エッセイ | 20:12 | - | - | - |
浜離宮の梅と菜の花

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 日曜日の朝早く、天気が良くて晴れ渡っている。そこで、浜離宮恩賜公園で梅と菜の花の競演を撮ろうと思って出掛けた。千代田線で霞ヶ関駅にて下車し、そこからゆりかもめ新橋駅に歩いて行った。途中、とても暑くて、もう大汗をかいている。まだ、身体が寒い冬の気候からこの暑い気温に慣れていないようだ。ゆりかもめは、空いていて、皆、座席に座っている。隣の汐留駅が最寄りなので、そこで降りた。地上に降り立つと、高いビルや高速の高架が天を覆っている。方向を確かめようとしてiPhoneのグーグルマップで道順案内を開くと、徒歩4分と出たが、ビルや高架のせいでGPSが出鱈目になっていて、定まらない。仕方がないので適当に歩いて行ったら、ものの5分もしないうちに到着した。お正月に六義園で買っておいた都立公園共通パスで入場した。お花畑は左手にあるのは知っていたが、今日はひと回りして来ようと思って、右手に行った。松の御茶屋が復元されつつある。茅葺きの屋根も含めて、全ての材料が新しい。潮入の池をお伝い橋を使って渡る。途中、中島の御茶屋があり、更に進んで振り返ると、和式庭園の池とその御茶屋という純日本風の風景の背景に、屏風のように近代的な高層ビルが立ち並んでいるから、誠に不思議な感がしてくる。

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 お伝い橋を渡り終わってぐるりと左手に回る形となる。その潮入の池とほぼ同じ大きさの池があるが、それ全体が庚申堂鴨場の池(元溜)だったとは、ついぞ知らなかった。そこには、鴨場の遺構があって、説明も書かれていて面白かった。コンコンと音を立てて囮のアヒルに対し、引堀(クリーク)に餌があるよと知らせる。それにつられて野鴨が引堀に入ってくる。その様子を覗き穴から鷹匠が観ていて、それっという合図で捕獲者が出ていって野鴨を捕まえるというのは、宮内庁の鴨場と全く同じである。ただ、なぜ鷹匠があの役をしていたのか不思議だったが、実は昔は網で獲るのではなくて、鷹匠が引堀の両側に並び、一斉に鷹を放って野鴨を捕まえていたからだということが判明した。

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 最後にお花畑の方に回って、梅の花と菜の花の競演を撮ったが、まだ白梅だけで、紅梅はあまり咲いていなかった。その白梅の花もまだ満開とは言いがたくて、専ら菜の花ばかりが目立っていた。その黄色く一面に咲き誇る姿と、高層ビルと、更には空の青さのコントラストが美しい風景を織り成していた。

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 浜離宮の梅と菜の花(写 真)



(2018年3月4日記)


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